解放(リリース)
大小の砕けた岩の破片が、あられのように空から降り注ぎ、結界の表面にあたってカツガツと音をたてた。
しかし、そのときのわたしは、そんな音を気にする余裕すらなかった。
「あああ・・・」
わたしは、「彼」がいたはずの空中の地点を凝視した。
しかし、煙が晴れた後には、何も残ってはいなかった。
「ふはははは、我が秘術、思い知ったか」
伯爵様の高らかな笑いが、遺跡中に響きわたる。
「無駄な時間を使ったな。さっさと儀式を済まさねば」
そうつぶやくと、伯爵様はわたしの方へと歩き始めた。
わたしは戦慄で身が震えた。
伯爵様が土魔法の名手だということは、わたしもよく知っていた。でも、これほどまでの威力の魔法を使えるとは、わたしには想像もつかなかった。たとえ、わたしが魔法を封じられていなくても、伯爵様と戦って勝てる見込みはこれっぽっちもない。
そもそも、魔法の腕以前の問題だ。あの伯爵様の動きを、わたしは目で捉えることすらできなかった。最初の一撃で、わたしは地面に打ち倒されてしまうだろう。
男爵領では、わたしより腕のたつ魔法使いはいなかった。魔獣との戦いでも、わたしは誰よりも早く、たくさんの魔獣を倒すことができた。傭兵団の人たちは、口々に私を褒めてくれた。これほど魔法が使える人間を、この国で見たことがないと。
他に取り柄のないわたしが、誰かに誇れるものといえば、魔法しかなかった。
魔法でなら、この国一番になれる。そうなれば、お父様も私の話しを聞いてくれる。そう思っていた。
それでも、伯爵様に嫁ぐよう言われたときは、正直なところとても落胆した。でも、すぐに思い直した。伯爵様がいかに優れた魔法使いでも、腕前を競えばわたしが勝つに違いない。
この国の貴族は、魔法の力の強さでその権力の強さが決まる。たとえ妻であろうとも、夫を凌ぐ魔力を持っていれば、いずれは夫である伯爵様を凌ぐ権力を手に入れることができる。そうなれば、実質的に伯爵家を操ることができるのはわたしだ。
そうなれば、お父様もわたしの言うことを聞いてくれるに違いない。
夕餉のあとに、伯爵様に呼ばれるまでは、そんなふうに考えていた。
・・・でもそれは、ただの幻想でしかなかったことを悟った。
わたしは、人間の中では魔法の力があるほうだったかもしれない。でも、伯爵様は人間ではなかった。
伯爵様にとって、わたしはただのコマに過ぎなかったのだ。私は人間としてではなく、「魔力」として必要とされていただけなのだ。
いや、伯爵様だけじゃない。ペンダントを下さった、お父様にとっても、わたしはコマだったのだ。
「もっと、早く気がついていたら・・・」
今更ながら、嫁入り前の娘が森で魔法の腕を磨くことを、お父様がなぜ許したのか。その理由が分かった気がした。
「自業自得ね」
わたしは自嘲した。
ずしんずしんと大きな音を立てながら、巨体が近づいてくる気配を、わたしは感じていた。
でも、もう立ち上がる気力すら湧いてこない。
「諦めるなよ」
どこからともなく声がした。
「・・・え?」
慌てて周囲を見回す。
足音が止まった。
「まさか」
わたしと伯爵様が、同時に空を見上げる。
青白く光る何かが、遥か彼方上空から降りてくる。わたしたちが見ている前で、それはゆっくりと伯爵様の前へと降り立った。
「彼」だ。
腕を組み、直立した格好の、黒いフードの人物がそこにいた。
そのフードには少しの乱れもない。「彼」は完全に無傷に見えた。
「あれが秘術?くだらないね」
彼の呟きが聞こえた。
しかし、その呟きはどこか楽しそうだった。
◆
「馬鹿な!」
伯爵様の声が、わずかに震えていることが、わたしにも分かった。
「あの速度の攻撃を、全て避けたとでもいうのか」
「ゲートなしの魔法じゃ、あんなもんか」
ズガーン!!
彼の言葉と同時に、大きな炸裂音がした。伯爵様のすぐそばの石畳に大きな穴が空いたのが見えた。
「なっ!」
狼狽える伯爵様。
「!?」
わたしにも、何が起こったかは分からなかった。石畳が突如として抉れただけにしか見えない。
「速いっていうのは、こういうのを言うんだ」
彼はそう呟くと、直立した姿のまま、ゆっくりと空中へ浮いていった。
・・・やはり、風を使った移動の魔法?
しかし、あたりにはそよ風すら吹く気配はない。
あまりに静かに上昇していく「彼」の様子を見つめていたわたしは、神話でしか聞いたことがないひとつの魔法に思い当たった。
あれは、賢者様ですら使えなかったと言われる、飛行魔法なのでは・・・
「僕もひとつ、秘術を披露しよう」
見上げるほどの高さにまで上昇した時、彼は厳かな口調で話し始めた。かなり距離が離れているのに、なぜか彼の声だけはよく聞こえる。
「・・・秘術だと?この、痴れ者が」
伯爵様が吐き捨てるように言う。しかし、彼は気に留める様子もなく先を続けた。
「重い物体を衝突させれば、高いダメージを出せる。でも、ダメージを増やす方法はもうひとつある。それは、物の速度を高速にすること」
「何を言って・・・」
「僕の完成試射会へようこそ」
突然、伯爵様の周囲に無数の光る点が現れた。
「加速」
青白く輝く光点の明るさが増していく。
「小細工が通用すると思うてか!」
伯爵様の姿が不意に消える。移動したのは間違いないが、わたしの目ではそれを追うことができない。
「照準固定」
無数の光点が、軌跡を描きながらある一点へと移動する。その場所を目で追うと、そこには伯爵様の姿があった。
「ぬう!」
伯爵様は再び移動する。しかし、どんなに逃げても、光点は伯爵様との距離を一定に保ったまま、ぴったりと追尾する。そして、光の強さがどんどんと増していった。
「わしの動きについてくるだと・・!?」
巨体が夜空に向かって、大きく跳躍する。青白い光の群れがその大きな体を完全に囲ったまま、一緒に夜空へと舞い上がった。
「こんな、馬鹿なあああああ!!」
パチンと指を弾く音が聞こえた。
「解放」
光点から無数の光の筋が伯爵につきささる。
空中に、巨大な光の塊ができた。
それは、まるで地上に降り立った太陽のようだ。
「そ、そんな・・・!」
まばゆい光が伯爵様を完全に覆い尽くす。
ドゴオオオンンンンンン!!!!!!
耳をつんざく轟音が響いた。
爆風が走る。
あたり一帯の壁という壁、柱という柱をすべてなぎたおす。
屋根ほどもある巨大な岩が、わたしを目掛けて飛んでくる。
「アイスウォール!」
わたしは咄嗟に叫んだ。しかし、無常にも氷の壁は出現しない。
「アイスウォール・・・ああああっ!」
ズガーーーン!!
巨石は、結界に激突して粉々に砕け散った。
ズガーン!!
ドゴーン!!
いくつもの岩が結界に当たっては砕け、次々と石片と化していった。その破片も、強烈な爆風が直ちに運び去っていく。
「・・・!!」
わたしはただ、伏せることしかできなかった。
これほどの恐怖と、情けなさを味わったことは、生まれて初めてのことだった。