ただの旅人だよ
「おやめください!伯爵様!」
夕食を終え、すっかり夜も暮れたころに、僕は遠隔監視魔法を使った。
すると、思ってたのと少し違う光景が目に入った。
・・・いや、少しじゃないかも。
水色の髪の彼女は、石壁に囲まれた、どう見ても牢屋にしか見えない小部屋の中にいた。彼女は肌が透けて見える、薄いレースのような肌着しか身に着けていない。
そして、彼女は縄で腕を縛られ、天井から吊るされている。地面に足がつくか付かないかという微妙な位置につるされていて、見るからに腕が痛そうだ。さらに、彼女の足元には、円形の図形の中に、禍々しい模様がびっしりと書き込まれていた。そして、その周囲にはいくつもの蝋燭が並べられている。
ゆらめく蝋燭の炎の中、床に黒い人影のようなものが映るのが見えた。
おそらく伯爵の陰だろう。
・・・おいおい
僕は肩をすくめた。
紳士的な顔をしておいて、裏ではこんな部屋を用意してるなんて、おっさんアレだな。
しかも、嫁入り初日からこれかよ。性急にもほどがあるだろう。
なんというけしからん・・・
「喜べ。おぬしは私の力となって、永遠に生きるのだ。」
・・・はいい?
伯爵が発したと思しきその言葉に、僕は首をひねった。
いくらなんでも、趣味が悪くないかそのセリフは?
僕は遠隔監視魔法の対象を、少女から伯爵へと移した。
「おお!?」
うっかり叫んでしまったじゃないか。
慌てて周囲を見回す。
・・・うん、誰もいない。
はあ、よかった・・・いやいや、ここは尖塔の上だ。誰かいたらむしろ怖い。
僕は改めて、遠隔監視魔法の映像を注視した。
伯爵の姿は、どう見ても人間のそれではない。紫色の肌に、真っ赤に輝く二つの瞳、そして額には真っ黒な二本の角が生えている。さらには、ぞわぞわとうごめく何本もの紫色の触手が、上半身からいくつも伸びている。
・・・伯爵、人間じゃなかったのか。
いや、もしかして、この世界の人間は触手が生えたりするのか?
僕が思案している間にも、紫色のいくつもの触手が、少女に向かってじりりじと伸びていく。
「アイスジャベリン!」
氷の刃が触手のひとつを切り裂いた。赤黒い体液が周囲に飛び散る。
「なんだと・・!?」
伯爵が驚愕する声が聞こえた。
「アイス・・・う、うわああああっ!」
二発目を撃とうとした途端、彼女は身をよじって苦しみ始めた。拘束具がガチャガチャと激しく音を立てる
まずいな。
彼女のゲートが壊れた。
彼女の様子から、僕にはそれが分かった。
「恐ろしい娘よ。魔封じの魔道具を身に着けたまま、魔法を放つとは」
触手を切断され、身構えていた伯爵だったが、魔法が飛んでこないのを見てか、再び身を起こした。
「魔道具・・・?」
「そのペンダントだ。念のため装着させておいたのだが、それでも魔法が使えるとはな。」
「お父様からいただいた、これが魔道具!?」
彼女は、自分の胸元にある複雑な模様の描かれた銀色のペンダントを見た。そして、ペンダントが淡い紫色に光っていることに気が付いたようだ。
「期待以上の力だ。手塩にかけて育てれば、その果実はさらに熟れたであろうに。あの忌々しい王女が、抗魔の魔道具を完成させさえせねば・・・今宵、その青い実を摘まねばまねばならぬとは、実に口惜しいことよ」
おっさん、口惜しいとか言っておきながら、口元がにやけてる。
・・・こいつ、マジで趣味が悪いな。
少女の表情が歪んだ。
「く・・・アイスジャベリン!アイスストーム!」
彼女がどんなに叫ぼうとも、魔法は発動しなかった。無理もない、ゲートが壊れてしまったのだから。
「魔法が使えなければ、おぬしなどただの小娘だ。おとなしく、わしの養分となれ」
再び触手が伸び始める。
よく見たら、さっき斬られたはずの触手も復活してる。
おっさん、再生能力もあるのか。いよいよ人間離れしてるな。
・・・いや、僕が知らないだけで、再生能力もこの世界ではよくある能力なのかな?
「ブリザード!・・・アヴァランチ!!」
吊るされた少女は、絶望的な状況にもかかわらず、魔法を詠唱し続けている。
だが、無情にも触手が彼女の腕に絡みつく。
少女の表情がひきつる。
しかし、伯爵を睨みつけるその眼光は、衰えることがない。
「アイスジャベリン!」
ガチャン!
小さな氷の塊が、石の床に落ちて弾けた。
「うおっ!」
伯爵の驚きの声が部屋にこだまする。触手の動きが一瞬とまった。
「アイス・・・うぐぐぐっ!」
だが、魔法が発動したのは、本当にそれが最後だった。禍々しい紫色の靄をまとった触手が、彼女の口を覆ったのだ。
「実に惜しい、実に」
伯爵のしわがれた声と、触手が脈打つおぞましい音が、遠隔監視魔法を通じて僕の耳に入った。
「気持ち悪っ!」
慌てて遠隔監視魔法を止める。
動画の再生停止ボタンを押したかのように、ぷつりと音が途切れた。何ごともなかったかのように、あたりは静寂につつまれた。
眼下には、月に照らされた屋敷の白壁が見える。
「はあ」
僕は立ち上がると、頭を掻いた。
「仕方ないなぁ」
ずがーーーん!!!
その夜、伯爵の屋敷で大きな爆発音が轟く事件が起きた。
◆
「え!?」
気が付いた時には、わたしの体は宙を舞っていた。
はるか下のほうに、伯爵様のお屋敷が月明かりに照らされて見える。
「意識はあるようだね」
「!?」
すぐ近くで声がした。
聞き覚えのない、男の人の声だった。それも、かなり若い。
伯爵様じゃない・・・
安心した次の瞬間、わたしは見知らぬ人物に抱えられていることに気が付いた。黒いフードを目深に被っていて、顔も表情もまったく見ることはできないけど、その人物が先ほどの声の主であることは間違いない。
あれ、でも、わたし今、男の人に抱えられている・・・!?
気がついて、反射的に身を捩る。
しかしその時、体が急落下していく感覚に襲われた。
「あ、ああああっ!」
たまらず声が出る。
「口は閉じて」
地面に激突すると思ったその時、ふわりとした感覚があり、わたしの体は再び上昇しはじめたのが分かった。
「風魔法!?」
傭兵団の人たちから聞いたことがある。
熟練の風魔法使いの中には、風を操る魔法を駆使して、空中を飛ぶように移動できる人がいると。その魔法を使えば、地面から空中へと舞い上がることも、高い崖の上から安全に下へ飛び降りることができるとか。
この人は、風魔法の達人なのだろうか?
わたしの言葉に、男の人は何も答えない。
ただ、何かに気が付いたように、ぽつりと呟いた。
「来たか」
「え?」
彼は黙ったまま、跳躍する方向を大きく変えた。
ずずずーん!
すぐ後ろの地面で、爆発するような音が聞こえた。
見ると、遠方からいくつも巨大な岩がこちらへと飛んでくる。
「あれは・・・まさか、伯爵様の土魔法!?」
「追ってきたか」
彼は、すばやく跳躍する方向を変えていく。直前にいた場所に、飛んできた岩が落下し、派手な音をたてて地面がえぐれる。岩の破片がバチバチと、わたしの顔にあたった。
「うっ」
思わず声が漏れる。
「ひとつ、試してみるか」
彼の声が耳に入り、わたしはうっすらと目を開けてみる。
すると、信じがたいモノが目に入った。
それは、水色の長い髪の毛の少女を抱えた、黒いフードの人物の姿だった。フードの人物は、まるで綿でも抱えているかのように、少女を抱えたまま軽々と走っている。しかも、その水色の髪の毛の少女には見覚えがあった。
「・・・わたし!?」
最初は鏡でも見ているのかと思った。でも、そうではなかった。
わたしは、慌てて自分の手を見る。
「えっ!?手が!?」
自分の手があるという感覚は、確かにあった。
でも、私の手はそこには無かった。
あるはずのものが、無い。
暗くて見えないわけではない。
手のあるべきところに、夜空の星がみえる。そこには、手の輪郭や気配すらない。いや、それどころか、さっきまであったはずの、フードの人物の姿すら見えない。
わたしは今、何の支えもないまま、空中を移動していた。しかし、抱きかかえられている感覚だけはある。
「何が、どうなって・・!?」
混乱で頭がおかしくなりそうだ。
「黙って」
すぐ近くで声が聞こえ、わたしは慌てて口をつぐむ。
声はすれども、フードの人物の姿は見えていない。ただ、見えないだけで、わたしを支えてくれていることだけは分かった。
その彼の言葉は命令調ではあったが、口調には威圧的なものはなく、むしろ穏やかだと感じられる口調だった。一方で、わずかながら戸惑いが混じっているように、わたしには感じられた。
「解放」
再び声がした。
すると、「わたし」を抱えたフードの人物は、私たちとは違う方向へと跳躍して行くのが見えた。
ずがががーん!
岩が地面に激突する。しかし、続けて飛んでくる岩は、離れていく黒いフードの人物の姿のほうを追い始めた。
爆発音が次第に遠くなっていく。
すぐに、飛んでくる岩も見えなくなった。
そうして、完全に透明になった状態で、わたしは見知らぬ人に抱えられたまま、暗い森の上を高速で移動していった。
飛ぶように背後に流れていく、森の木々をぼんやりと見つめながら、わたしは混乱する頭を整理しようと、自問自答した。
・・・あれは、幻覚魔法だったの?
存在しないものを、まるで存在するかのように見せる魔法があるということは、傭兵団の人たちから聞いたことがある。
伝説の賢者と呼ばれる人の中に、そんな魔法を使う人がいたとか、いないとか。
もし幻覚魔法を使ったんだったら、わたしを抱えているこの人は、伝説の賢者様ということに・・・?
いやいや!
そんなはずがない。伝説の賢者と呼ばれた人は、千年以上も前の人のはず。いくらなんでも、もう死んでいる。
だいたい、わたしのような辺境の貴族の小娘を、伝説の賢者様が助けに来るとか。ありえない。
おとぎ話じゃあるまいし。
わたしは、馬鹿げた考えを追い払おうと、ぶんぶんと頭を振った。
それに、この人は風魔法使いだ。それも、相当な腕前の。うろ覚えだけど、幻覚魔法を使う賢者様は光魔法使いだったはずだ。
風魔法と光魔法、二つの違う属性の魔法を同時に使いこなす人なんて、聞いたことがない。
いったい、何がどうなって・・・?
「降りるよ」
ふわりと地面に着地する感覚を覚え、反射的にわたしは顔を上げた。
あたりを見回すと、崩れた岩壁や柱が見えた。どうやら、古い城跡のようだ。茂った木々の間から、月の光が差し込み、穴のあいた石畳をぼんやりと照らしている。
「立てるかい?」
「は、はい」
わたしは、地面へと下ろされる。
「あっ」
よろめいたところを、フードの人物に支えられた。足が震えてしまい、うまく立つことができない。
「そこへ座って」
言われるがままに振り返ると、そこには場違いなほど立派な、ひじ掛けのついた木の椅子があった。
もしかして、これも幻覚?
わたしは恐る恐る、椅子に手を伸ばし、ひじ掛けに触れてみる。
・・・本物みたいね。
フードの人物に支えられながら、わたしはゆっくりと椅子に体重を預けた。その椅子のふんわりとした座り心地は、これまでに感じたことがないものだ。
少しばかり、わたしは気が楽になった気がした。
「あの」
わたしは「彼」に話しかけた。彼の顔はフードに隠れていて、わたしからは全く見えない。わずかに、口元だけが月明かりでぼんやりと見えるだけだった。
「助けて頂き、ありがとうございました」
「礼には及ばないよ」
相変わらず、話し方はぶっきらぼうだったけど、どこか優しさを感じるものがある。わたしは、さらに質問を続けた。
「どうして、わたしを助けて・・・」
「これ、見ても良いかい?」
しかし「彼」は、質問を最後まで口にする前に、そう言ってわたしに近づいた。どうやら、わたしの胸元にあるペンダントのことを言っているらしい。
「は、はい・・・」
すると、「彼」はペンダントに手をかざした。
これまで薄い紫色に光っていたペンダントが、急に赤い色に輝き出す。
「ふうん」
パキン!
ガラスが割れるような音がした。それと同時に、ペンダントの光が消える。
「これ、もらってもいいかな」
彼は再びペンダントを指さす。
わたしは思わず目を伏せた。
「それができるなら、差し上げます。でも、これは魔封じの魔道具なんです。解呪魔法を使わないと、外すことは・・・え??」
そう答えている間に、彼はわたしからペンダントをやすやすと取り外してしまった。しかも、ペンダントの飾りの部分だけを、鎖から引きちぎって。
「いったい、どうやって!?」
・・・ありえない。呪いのかかった魔道具を、手で引きちぎってしまうなんて。
「じゃあ、もらうね」
驚きのあまり、わたしは何も答えることができなかった。彼はそんなわたしのことなど、少しも気にする素振りも見せず、ペンダントの飾りだったものを懐の中へとしまいこむ。
「あなたは、いったい・・・?」
「ただの旅人だよ」
その答えに、わたしは面喰う。
「そ、そんなわけが・・・」
「魔法を使ってみてよ」
しかし、彼は再びわたしの質問を遮った。