言葉を荒げていいのは芸術だけ
暴言を吐くと聞いて顔を顰める人は大勢いるだろう。
だが、それが歌の歌詞となるとどうだろうか。
私の好きなアーティストは何千万と再生数を伸ばした。
暴言を吐いているのにもかかわらずである。その楽曲は若者の社会風刺となり、誰もがサビを歌えるほどの人気度となった。多分これを読んでいるあなたも知っているだろう。それほどのものだ。
クソっ〇れと言えば叱られる。でも私達は社会に中指を立てて生きたいと思いながら、その歯車の一員として今日も呼吸をする。対面する相手にク〇ったれと言ってみよう。喧嘩待ったなしである。つまり、社会で暴言は許されていないのだ。
生きていたくないのにぁといった事を歌う曲が好きだ。
てめぇは馬鹿かと指摘する曲が好きだ。
忘れてしまえそんな事と後ろ向きに励ます曲が好きだ。
WALKMANのプレイリストにHappyHappyな曲しか入ってない人とは仲良くなれないだろう。恋愛ソングより失恋ソングのほうが多いのは人の不幸が美味しいからと言ったのは誰だったろうか。君のそばにいるよ、幸せにするよ。私にそんな甘ったるい虚言のラブソングを送った元恋人は、もう生きているか死んでいるのかも分からない。
つまり、何が言いたいのかというと、社会的に暴言は許されていないが芸術として扱われるときだけ許されるものであるということだ。
音楽で、絵画で、小説で。どんなに口が悪いことを書いてもいいだろう。それは人を傷つけるためでなく一つの芸術なのだから。
でも、これだけは忘れないでいてほしい。
暴言を吐くということは、暴言を吐かれることもあるということを。