二人で生きるということ
自分自身に取材をするというのは不思議なもので、椅子に深く腰掛けながらメモ用紙を広げていた。
私の中には二人の人間が住んでいる。私と彼。彼は私よりいくつか年上だった。生年月日があるわけではない。多分それくらい上だろうという憶測だ。
作家として活動をする彼は、私よりも人間の好き嫌いが激しく、作品作りに対して物凄いこだわりを持っていた。一方私は性格をいくつか作り替え、社会性に問題がないように生み直された。それでも事あるごとに揉め事を起こすのだから、近いうちにまた性格が変わるだろう。
抵抗はなかった。性格を変えることも二人で生きることも。
そうしなければ生きていけなかった。
イラスト制作を否定された。
絵描きの人格を生み出した。
アクセサリー作りを否定された。
デザイナーの人格を生み出した。
執筆活動を否定された。
作家の人格を生み出した。
そうしてやがて私達は形を変え、1人称を変え、二人になった。周りから見たら私は私でしかない。でも確かに私は私で、彼は彼だった。
彼は認識してもらえないことを最初のうちは憤っていた。このアクセサリーを作ったのは僕なのにどうして私が褒められるんだと。次第に営業は私、制作は彼と分担していくうちに落ち着いてきた。彼は表舞台で活動するのにはあまり向いていなかった。無口で冷静。『モノづくりができる腕と頭かあればいい。』そう言い切れる男。それが彼だった。
普通の人は一人で生きるらしい。
事情を知る人たちは生きづらくないかと聞いてくる。
生きづらいとは思わない。私達はあるべき形に戻ったのだ。事情を話すと拒絶する人もいる。それでもいい。その程度のご縁でしか無かったのだ。と、思うことにしている。
普通の人、と呼ばれる人々が、家族、恋人、夫婦と誰かといるのを望むように私は彼といるのを望んだ。ただそれだけの事なのだ。
逆に問いたい。
一人で生きるのは辛くないですか。