暴力は愛か否か
小説の中に恋人に暴力をふるう男を書かない。
何故か。それは暴力は愛ではないからだ。
と、言い切ってしまうとこの話は終わってしまうので詳細を話す。
そもそも、なぜ人は暴力をふるうのか。狭義ではあるが、自分に自信がないからと言える。浮気を疑う器の小さい男が彼女を殴るなんてのはよくある話で、それに苦しむ人がいるのもまた事実である。自分に自信がないのだ。言い換えれば、愛されているということを胸を張って言えないのだ。それはとても悲しい事実だ。
暴力だけなら私も長きにわたって受けていたことがある。
そこに愛はなかったのか。と聞かれれば、それは是だ。
相手の歪んだ愛が拳を通しただけ。と言えば許されるとでも思ったか。私はその行為を今でも許してはいない。そしてそこから殺してやると思うほどの強い意志を持つようになった。結果として相手には最も酷な別れ方をしてやったことになる。
殺意は愛だが、暴力は愛ではない。
殴って言うことを聞かせようなんてナンセンス。愚の極みだ。その程度の野郎に愛をくれてやる必要はないし、そんな野郎から貰う矮小な愛なんて貰っても糞以下だ。
いっそ殺してしまうほどの抑えきれない愛を送りたい。
私はそう思うのです。