表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

茶の間と畑

 翌日は予報どおり初雪が降った。


 降ったと言っても、風に舞うだけの申し訳程度の物で、空気の冷たさだけを余計に際立たせただけですぐにどこかへ消えた。


 学校帰りの道は寒く、わたしは縮こまりながら歩く。今日はぺテロのお迎えは無しだ。昨日の一件のおかげでしばらくの間は自由に放しては貰えないだろう。あのバカ犬はきっとまた、鹿の足を探して山へ入るに違いないから。


 家へ帰るとお母さんはどこかへ出掛けたようで、ばあちゃんがひとり茶の間で刑事ドラマの再放送を眺めていた。ばあちゃんを一人にしたまま家を開けるはずがないのですぐに戻ってくるのだろう。じいちゃんはいつも通り納屋にこもっている。午後の暗い家の中はしんと静まり返り、事件の聞き込みをする刑事の声だけが響いていた。


 わたしは制服のまま毛布にくるまりストーブの前に陣取った。家の中もさほど外と変わらないほど冷え込んでいる。ストーブを着けしばらくすると、灯油の匂いが微かに流れた。冬の匂い。ばあちゃんはお母さんに着せられたであろう、数枚のどてらに身を埋めている。あんなに覆われたら逆に暑そうだ。お年寄りは寒さにも暑さにも強い。わたしもいずれ、ああいう風に、なれるのだろうか。


 しばらくそのまま寝転がり、毛布から顔だけを出してテレビの中の事件を眺める。


 外では夕方のカラスが鳴いていた。風が木々を揺らす音が妙に大きい気がする。庭から、ぺテロが声をあげているのが聞こえた。わたしに散歩に連れていけと訴えているのかも知れないが今は動けない。寒いから。ごめん。勘弁して。


 ドラマの中は事件のクライマックスらしく、犯人の男に向かって刑事が何かを諭すように語りかけていた。へっぴり腰で銃を構える犯人は体を震わせ、緊張している。放たれた銃弾は刑事からは大きく外れ、壁に跳ね返った。ほら、あんなので当たるわけない。山田のじいちゃんの話が頭をよぎる。狙っても当たらないんだからやっぱりあの噂は絶対嘘だ。もしもほんとなら山田のじいちゃんは逆に凄い。ニュースに出て有名人になれる。死んだ後に有名になってもしょうがないけれど。


 刑事が何かを訴えかけ、犯人が鉄砲を取り落とした。感動的な話をしているのだろうが、ぺテロの鳴き声がうるさくてよく聞こえない。いつもと違う変な鳴き声。ケフンケフンと咳をする病人みたいな、情けない声を必死にあげている。犯人がいよいよ泣き崩れ、 鉄砲を取り落とす。刑事が神妙な面持ちで手錠をかける。いや、もしかしてあれは鳴いてるんじゃなくて、吠えているつもりなのだろうか。そうだとすれば、吠えかたが下手すぎる。事件を解決した年配の刑事はスナックのママとなにやらいい感じに喋っていた。お母さん世代には人気のある俳優さんらしいけど、画面にアップになったその顔はまったく魅力的とは思えない。特に鼻の下に目立つホクロが気になった。あれ、この人あんな所にホクロあったっけ?そう思った時、ホクロが震えるように僅かに動く。日常を汚すひとつの黒い汚れ。不安な気持ちがふっと顔を出す。黒い、小さなホクロは画面から飛び立ち、茶の間のどこかへ姿を消す。


 ぺテロの吠える声が、いよいよ無視できないほどに気になり出した。わたしは恐る恐る家の中を見渡す。いない。他にはいない。たった一匹。だけど――


 ばあちゃんのどてらの上を、さきほどの小さな蝿が歩いていた。その動きはせわしなく、汚ならしい。もしかしてばあちゃんは死んでいるのではないか、という馬鹿な考えがふいに頭をよぎる。そんなわけない。わたしは馬鹿か。そう思いながらも立ち上がり、どてらの海から顔だけを出して溺れているようなばあちゃんの姿をじっと見つめる。薄く開いたその瞳は、微かに動いていた。良かった。生きてる。ていうかそもそも、そんな考えが頭をよぎるのが馬鹿げてる。わたしはその罪悪感を振り払うように、ばあちゃんから離れないその蝿を手で払った。あ、ばあちゃん、いきなり叩いたみたいになってごめんね。外ではいよいよ息も絶え絶え、ぺテロは声を枯らしていた。


「ぺテロ?」


 わたしは窓を開き、庭を覗く。


 ぺテロのその姿は今まで見たことが無かった。何かに向かって吠えながら、尻尾を完全に丸めてお尻を隠すように覆っていた。聞いたことがある。これ、肛門を隠してるんだ。つまり、怖がってる?


 首輪が食い込むほどに前にのめり、ぺテロは何かに向かって歯を剥き出していた。


 庭にはすでにじいちゃんがいた。ばあちゃんの、いや、お母さんの畑に向かい立ち尽くしている。


「うちさ入っとれ!」


 覗くわたしに気付いた途端、まるで怒ったようにそう言って、じいちゃんは納屋へ入った。


 納屋から何かをひっくり返す音がする。わたしは窓から首を伸ばし、畑を眺めた。じいちゃんの様子、何だかおかしかった。風が吹き、枯れた畑の周りの枝が揺れる。その隙間に何かが動いているのが見えた。色褪せた乾いた土とは違う、黒光りする地面が、生きているかのように波打ってる。


 すぐに納屋から出てきたじいちゃんは、ボロボロの汚れた布と、角材を持っていた。ぐるぐると乱暴に布を角材に巻き付ける。ポケットからライターを取り出して、躊躇なくそれを布に近づけた。


「じいちゃん!? 何してんの!?」


 たちまちに炎が燃え上がる。さきほど嗅いだストーブのそれよりももっと濃い、灯油の匂いが風に流れた。


 じいちゃんは火をつけた棒を畑にかざす。地面に群がった何かが、炎から逃げるようにたちまちに散った。ネズミだ。たくさんのネズミ。さらにじいちゃんは、ネズミと、虫と、畑に集まったたくさんのカラスたちを追い払うように、炎を振り回した。


 乾いた冬の空気はすぐにその炎を枯れ枝に燃え移らせる。あっという間の勢いで周囲に炎が広がり、驚いたじいちゃんは声をあげた。


「おお!」


 明らかにその炎は、じいちゃんの想定よりも燃え広がっているようだった。畑の端を超えた炎は、たちまちに家の壁へ向かう。


 これ、まずくない?


「日奈子!水!水だせ!」


 わたしは裸足のまま庭に飛び出して、お母さんの園芸用の水やりホースを握った。花壇の脇の蛇口を捻ると、ホースから吹き出した水が凄い勢いで暴れ、ぺテロの肛門に直撃した。


「よこせ!」


 ホースをわたしから奪ったじいちゃんは、家の壁を焦がす炎に向かって水を噴射した。すぐに炎は消えたが、じいちゃんはそれよりも畑に向かって念入りに水を吹き出し続ける。


「え?何か臭いけど何?」


 いつの間に帰ってきたのか、お母さんがわたしの背後に立っていた。この状況を何と説明していいのか。びしょ濡れになったぺテロが体を震わせ、わたしたちに向かって水を飛ばす。 


 やがてお母さんは黒く焦げた家の壁を見つけ卒倒した。


 その後、じいちゃんはお母さんにすごい剣幕で叱られ、少しだけ小さくなっているように見えた。

 そんな珍しい光景を横目に見ながら、わたしはすっかり水浸しになった庭を眺めていた。畑の一角にひとつ、大きな穴が開いている。大量の虫の死骸がその泥の水溜まりに浮き、クルクルと回っていた。この穴はおそらく、じいちゃんが鹿の足を埋めた場所だろう。


 虫も、ネズミも、カラスも、まるで鹿の足を掘り返そうと集まって来たかのように、わたしには思えた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ