表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/33

部下

 1ヶ月振りに会社に出社した梶原は、上司にお礼を言うためデスクの前で頭を下げた。

「在宅勤務の期間、ご迷惑をお掛けしました。ありがとうございました」

「お母さんは、どう?」

「お陰様で、ヘルパーさんに入ってもらって、何とか1人で生活できるようになりました」

「介護休業でも良かったが……」

「いえ、それでは皆の負担が更に増えるので」

「とにかく、よかったよ。また、今日からよろしく頼むよ」

「はい。よろしくお願いします」


 自分と同じ課の皆にも、それぞれお礼の言葉を掛ける。梶原はこの生産技術室システム課の、主任である。

「横田君、長い間迷惑掛けました。今日から、改めてよろしく」

「主任、待ってましたよ! こちらこそ、よろしくです」

 梶原の横に座る横田は、32歳の中途採用の部下である。今までに2社の会社を渡り歩いている。実力は申し分ないのだが、年齢の割にあまり立場を気にしない、「いまどき感」の強い仕事仲間である。

「さっそくだけど、現場からシステム変更の依頼が来てたの、どうなった?」

「主任待ちでした。現場見学、行きますか?」

「現場は、いつ行ってもいいって?」

「はい。機械止めてでも、すぐに見て欲しいそうですよ」

「そうですよって……。内容の確認は?」

「俺の方も結構パンパンだったんで、まだ直接聞いてません」

「……」

 組み込み系のシステム開発は、ラインが稼働してからも随時変更と改善が進められる。やはり現場から1ヶ月離れていたのは、大きい。

「と、ぼやいていても仕方がないか……」

 独り言を言いながら、席を立つ。

「じゃ、今から行こうか。横田君は、一緒に行ける?」

「はい、ちょっと待って下さい。カメラっと……」


 事務所棟から工場に移動するには、一旦公道を横切る必要がある。公道と言っても、この道を利用するのは、ほとんど我が社の社員だから、私有地みたいなものだが。

「なんだろうな……?」

 梶原が先の方を見ながら、独り言のように呟いた。

「ホントだ。救急車が止まってる。コンビニですね……」

 この道の先は、国道にぶつかっている。そのT字路の所に、コンビニがあった。梶原もよく、会社帰りに立ち寄るコンビニである。

 工場の入り口に向かって行くと、コンビニ全体が見渡せる様になってくる。思わず横田が声を上げた。

「わちゃ~、突っ込んでるわ……」

 小さな白い軽自動車が、コンビニのガラスを突き破って、店内に突入していた。運転手は大丈夫なのだろうか。潰れたエアバッグが、衝突の激しさを物語っている。

 2人共、思わず足を止めた。


 救急隊がケガ人をストレッチャーに乗せて移動しているところだった。

「……意識、無いっぽいですね」

「一時的なことなら、いいけどな……」

 高齢の男性の小さな腕が、力なく毛布の下から垂れ下がっていた。気が付いた救急隊員が毛布の中に納め、慌ただしくストレッチャーごと乗せていく。


 すぐに出発した救急車を見送って、梶原と横田も仕事に戻るべく、歩き出す。

 よくテレビのニュースなどで目にしている光景を、実際目の当たりにすると、その現実の威力に圧倒される。2人共、無言で歩いた。


「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる……」

 後ろにいた横田が、ぼそっと呟いた。梶原は、ゆっくりと歩みを止めて振り向いた。

「……蓮如の『白骨』、……か?」

「主任も、知ってましたか」

 横田がさほど深刻な顔をしていないことを確認して、梶原は少し安堵した。

「俺の母親、5年前に亡くなってて」

「えっ……」

「ガンでした。大学出て、次の年でした」

「知らなかった……」

「この言葉、心に残りますよね」

「うん」

 日頃のキャラと違う横田が、ゆっくり歩き出した。それに合わせ、梶原も横に並んだ。


 この言葉は、「白骨の御文(おふみ)」といい、浄土真宗の葬儀や通夜の際、必ず読まれる重要な文章の一節だ。

 浄土真宗の中興の祖ともいわれる、第八世蓮如上人(れんにょしょうにん)によるもので、人の世の無常について書かれている。

「人は、朝には元気な姿をしていたのに、夕方には白骨となってしまう(はかな)い身である」という意味で、その名文ゆえに、今では宗派を超えて人々に知られている言葉である。


「思い出す母親の記憶、病気の時のものばっかりなんですよ。歩けなくなって、玄関でへたり込んだ姿とか、放射線治療の後で、何を食べても、すぐもどして苦しそうだった姿とか……」

「……」

「闘病は1年もなかったのに、その前の楽しかった記憶の方が長いはずなのに、思い出すのは最後の姿ばっかりで……。笑ってる顔は、遺影の中にしかなくて」

「そう……」

「ほんと、不思議なもんですよね」

「……」


 ――相手にとって、最後の私になるかもしれないから


 結衣の言葉が甦った。


「それだけ、濃密な時間を過ごしたってことじゃないかな……。ちゃんと、最後まで見送った証だと思う」

「主任……」

 真っ直ぐ見てくる横田に、梶原は小さく微笑んだ。

「お母さんは、満足して逝かれたと思うよ」

 少し間があった後、横田は顔を伏せ、小さな声を出した。

「……ありがとうございます」


 満足した「死」など、あるのだろうか……。梶原は自分で言った言葉に、自分で納得がいかない。けれど今の横田には、多分これで間違っていなかったのだろうと、疑念は手放した。


 工場の入り口が近くなったところで、梶原は努めて明るい声で話し掛けた。

「あの人、無事だといいな」

 ハッとした様子で、横田は顔を上げた。

「そうですね! 無事だといいですね!」

 仕事の顔に戻った横田を引き連れて、梶原は工場に足を踏み入れた。


「梶原主任、お待ちしてました」

「お待たせして、申し訳ない」

 出迎えたのは、20代後半の女子社員、高梨である。

 長い髪は明るく染められ、たっぷりのまつ毛に、太めのアイライン。その風貌は、学生時代、結構やんちゃをしていたのではないかと想像させる。

 そんな彼女も、今では青い作業帽を被り、青い作業着を着て、しっかり働いている。高卒ではあるが、れっきとした正社員であるし、このラインのリーダーの1人でもある。


「お母さんは、もういいんですか?」

「何とかね」

「よかったですね。親孝行は、できる時にしとかないと」

 40間近のおっさんが、10コも下の茶髪のおネエちゃんに言われているのだが、それを嫌と感じさせない不思議な人間力のある女性である。

「肝に銘じます」

 梶原の言葉に、「はははっ」と腰に手を当てて笑う姿は、肝っ玉母さんの貫禄だ。

 しかし実際の高梨は、今日もスレンダーなジーンズが足にぴったり張り付いて、間違って蹴っ飛ばしたりしたら、折れてしまうのではないかと思うほど、細い体をしている。

 もちろん、そんな印象は「セクハラ」になるので、口が裂けても言葉にすることはないが……。


「さて、今回はどこが問題なのかな?」

「こっちです」

 彼女の後ろについて、機械のそばまで移動する。

 これまで何回も彼女の要求で、システムやハードを改善してきている。それは彼女の指摘が的確な証拠であり、改善により効率的になり、作業時間の短縮、安全性の確保など、様々な利点があることから実施されたものばかりだ。


 機械の動きを再現しながら、

「この次が問題なんです。右に動くこのアームの動きでは、うまく流れてくれないんです。角度とテンションが悪いんじゃないかと」

「なるほど……」

 横田と一緒に、図面と仕様書を確認しながら、動作を観察する。

「撮影しよう」

 梶原の号令でデジカメを構えた横田が、「ひぇっ」と小さく引きつった。

「すみません、主任。充電切れてました」

「……ちゃんと確認して、持って来いよ」

「すみません」

 仕方なく、梶原はスマホを取り出した。スマホを会社のパソコンに繋ぐことは、セキュリティ面でリスクがあるため、禁止されている。今回は私物のノートパソコンでデータを吸い上げようと算段しながら、スマホのロックを外した。


「主任~、可愛い彼女さんですねぇ」

 後ろから、いきなり声がした。反射的に、スマホを隠す。

「隠さなくても~」

 高梨の顔はニヤけている。

「えっ、えっ……。俺も見たいかも……」

 横田が覗こうとするのを、梶原はグッと睨んだ。

「いえ……、また今度にします」

 おずおずと引き下がった横田を確認して、梶原は無言で撮影を始めた。


 カメラに切り替えた際、1番直近に撮影した写真が小さく画面の端に出る。それを目聡い高梨に見つかってしまった。

 そこには、先日のあの「バナナの木」の香りを嗅いでいた、結衣の横顔が写っていた。


 ――笑って


 また、結衣の声が甦った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ