部下
1ヶ月振りに会社に出社した梶原は、上司にお礼を言うためデスクの前で頭を下げた。
「在宅勤務の期間、ご迷惑をお掛けしました。ありがとうございました」
「お母さんは、どう?」
「お陰様で、ヘルパーさんに入ってもらって、何とか1人で生活できるようになりました」
「介護休業でも良かったが……」
「いえ、それでは皆の負担が更に増えるので」
「とにかく、よかったよ。また、今日からよろしく頼むよ」
「はい。よろしくお願いします」
自分と同じ課の皆にも、それぞれお礼の言葉を掛ける。梶原はこの生産技術室システム課の、主任である。
「横田君、長い間迷惑掛けました。今日から、改めてよろしく」
「主任、待ってましたよ! こちらこそ、よろしくです」
梶原の横に座る横田は、32歳の中途採用の部下である。今までに2社の会社を渡り歩いている。実力は申し分ないのだが、年齢の割にあまり立場を気にしない、「いまどき感」の強い仕事仲間である。
「さっそくだけど、現場からシステム変更の依頼が来てたの、どうなった?」
「主任待ちでした。現場見学、行きますか?」
「現場は、いつ行ってもいいって?」
「はい。機械止めてでも、すぐに見て欲しいそうですよ」
「そうですよって……。内容の確認は?」
「俺の方も結構パンパンだったんで、まだ直接聞いてません」
「……」
組み込み系のシステム開発は、ラインが稼働してからも随時変更と改善が進められる。やはり現場から1ヶ月離れていたのは、大きい。
「と、ぼやいていても仕方がないか……」
独り言を言いながら、席を立つ。
「じゃ、今から行こうか。横田君は、一緒に行ける?」
「はい、ちょっと待って下さい。カメラっと……」
事務所棟から工場に移動するには、一旦公道を横切る必要がある。公道と言っても、この道を利用するのは、ほとんど我が社の社員だから、私有地みたいなものだが。
「なんだろうな……?」
梶原が先の方を見ながら、独り言のように呟いた。
「ホントだ。救急車が止まってる。コンビニですね……」
この道の先は、国道にぶつかっている。そのT字路の所に、コンビニがあった。梶原もよく、会社帰りに立ち寄るコンビニである。
工場の入り口に向かって行くと、コンビニ全体が見渡せる様になってくる。思わず横田が声を上げた。
「わちゃ~、突っ込んでるわ……」
小さな白い軽自動車が、コンビニのガラスを突き破って、店内に突入していた。運転手は大丈夫なのだろうか。潰れたエアバッグが、衝突の激しさを物語っている。
2人共、思わず足を止めた。
救急隊がケガ人をストレッチャーに乗せて移動しているところだった。
「……意識、無いっぽいですね」
「一時的なことなら、いいけどな……」
高齢の男性の小さな腕が、力なく毛布の下から垂れ下がっていた。気が付いた救急隊員が毛布の中に納め、慌ただしくストレッチャーごと乗せていく。
すぐに出発した救急車を見送って、梶原と横田も仕事に戻るべく、歩き出す。
よくテレビのニュースなどで目にしている光景を、実際目の当たりにすると、その現実の威力に圧倒される。2人共、無言で歩いた。
「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる……」
後ろにいた横田が、ぼそっと呟いた。梶原は、ゆっくりと歩みを止めて振り向いた。
「……蓮如の『白骨』、……か?」
「主任も、知ってましたか」
横田がさほど深刻な顔をしていないことを確認して、梶原は少し安堵した。
「俺の母親、5年前に亡くなってて」
「えっ……」
「ガンでした。大学出て、次の年でした」
「知らなかった……」
「この言葉、心に残りますよね」
「うん」
日頃のキャラと違う横田が、ゆっくり歩き出した。それに合わせ、梶原も横に並んだ。
この言葉は、「白骨の御文」といい、浄土真宗の葬儀や通夜の際、必ず読まれる重要な文章の一節だ。
浄土真宗の中興の祖ともいわれる、第八世蓮如上人によるもので、人の世の無常について書かれている。
「人は、朝には元気な姿をしていたのに、夕方には白骨となってしまう儚い身である」という意味で、その名文ゆえに、今では宗派を超えて人々に知られている言葉である。
「思い出す母親の記憶、病気の時のものばっかりなんですよ。歩けなくなって、玄関でへたり込んだ姿とか、放射線治療の後で、何を食べても、すぐもどして苦しそうだった姿とか……」
「……」
「闘病は1年もなかったのに、その前の楽しかった記憶の方が長いはずなのに、思い出すのは最後の姿ばっかりで……。笑ってる顔は、遺影の中にしかなくて」
「そう……」
「ほんと、不思議なもんですよね」
「……」
――相手にとって、最後の私になるかもしれないから
結衣の言葉が甦った。
「それだけ、濃密な時間を過ごしたってことじゃないかな……。ちゃんと、最後まで見送った証だと思う」
「主任……」
真っ直ぐ見てくる横田に、梶原は小さく微笑んだ。
「お母さんは、満足して逝かれたと思うよ」
少し間があった後、横田は顔を伏せ、小さな声を出した。
「……ありがとうございます」
満足した「死」など、あるのだろうか……。梶原は自分で言った言葉に、自分で納得がいかない。けれど今の横田には、多分これで間違っていなかったのだろうと、疑念は手放した。
工場の入り口が近くなったところで、梶原は努めて明るい声で話し掛けた。
「あの人、無事だといいな」
ハッとした様子で、横田は顔を上げた。
「そうですね! 無事だといいですね!」
仕事の顔に戻った横田を引き連れて、梶原は工場に足を踏み入れた。
「梶原主任、お待ちしてました」
「お待たせして、申し訳ない」
出迎えたのは、20代後半の女子社員、高梨である。
長い髪は明るく染められ、たっぷりのまつ毛に、太めのアイライン。その風貌は、学生時代、結構やんちゃをしていたのではないかと想像させる。
そんな彼女も、今では青い作業帽を被り、青い作業着を着て、しっかり働いている。高卒ではあるが、れっきとした正社員であるし、このラインのリーダーの1人でもある。
「お母さんは、もういいんですか?」
「何とかね」
「よかったですね。親孝行は、できる時にしとかないと」
40間近のおっさんが、10コも下の茶髪のおネエちゃんに言われているのだが、それを嫌と感じさせない不思議な人間力のある女性である。
「肝に銘じます」
梶原の言葉に、「はははっ」と腰に手を当てて笑う姿は、肝っ玉母さんの貫禄だ。
しかし実際の高梨は、今日もスレンダーなジーンズが足にぴったり張り付いて、間違って蹴っ飛ばしたりしたら、折れてしまうのではないかと思うほど、細い体をしている。
もちろん、そんな印象は「セクハラ」になるので、口が裂けても言葉にすることはないが……。
「さて、今回はどこが問題なのかな?」
「こっちです」
彼女の後ろについて、機械のそばまで移動する。
これまで何回も彼女の要求で、システムやハードを改善してきている。それは彼女の指摘が的確な証拠であり、改善により効率的になり、作業時間の短縮、安全性の確保など、様々な利点があることから実施されたものばかりだ。
機械の動きを再現しながら、
「この次が問題なんです。右に動くこのアームの動きでは、うまく流れてくれないんです。角度とテンションが悪いんじゃないかと」
「なるほど……」
横田と一緒に、図面と仕様書を確認しながら、動作を観察する。
「撮影しよう」
梶原の号令でデジカメを構えた横田が、「ひぇっ」と小さく引きつった。
「すみません、主任。充電切れてました」
「……ちゃんと確認して、持って来いよ」
「すみません」
仕方なく、梶原はスマホを取り出した。スマホを会社のパソコンに繋ぐことは、セキュリティ面でリスクがあるため、禁止されている。今回は私物のノートパソコンでデータを吸い上げようと算段しながら、スマホのロックを外した。
「主任~、可愛い彼女さんですねぇ」
後ろから、いきなり声がした。反射的に、スマホを隠す。
「隠さなくても~」
高梨の顔はニヤけている。
「えっ、えっ……。俺も見たいかも……」
横田が覗こうとするのを、梶原はグッと睨んだ。
「いえ……、また今度にします」
おずおずと引き下がった横田を確認して、梶原は無言で撮影を始めた。
カメラに切り替えた際、1番直近に撮影した写真が小さく画面の端に出る。それを目聡い高梨に見つかってしまった。
そこには、先日のあの「バナナの木」の香りを嗅いでいた、結衣の横顔が写っていた。
――笑って
また、結衣の声が甦った。




