駅
焼き魚に箸を伸ばしながら、梶原はカードを切る結衣の手元を眺めている。
「僕の何を占うの?」
「うーん、全体運?」
「信じないよ」
「分かってるって。練習させて」
不承不承ではあるが、協力してくれるらしい。ここで私がカードを選んでもいいが、それでは説得力に欠ける。シャッフルし終えたカードを伏せたまま、スーッと横に滑らせながら、テーブルに広げた。
「はい、1枚選んで」
「僕が引くの?」
「そう!」
ニコニコ笑っている結衣に、梶原もそうそう悪態はつけない。言われるまま、1枚を選んだ。
そのカードを開いた瞬間、結衣の顔から笑顔が消えていく。ゆっくりと、梶原の顔を見た。
「梶原さん、寝られないの……?」
梶原が、結衣の目を見て固まった。結衣が、辛そうな顔をしている。
どうしてそんな、君が辛そうな顔……。
どんなカードだったのかと、改めてカードをしっかりと見た。ベッドの上に身を起こした人物が、両手で顔を覆って泣いている。その上に、剣が9本並んでいる。
「当たってない……」
「……そっか、よかった」
そう言っている結衣の顔は、まだ晴れない。当たっていないと言ったことがショックなのか、それとも、当たっていると信じているからこそ、なのか……。
「ごめん……」
「あっ、やだっ、こっちこそごめんなさい。信じてない人に、無理矢理ゴリ押ししちゃって。まだまだ未熟者だなぁ、私」
無理に作った笑顔のまま、もう1回引いてみるかと梶原に聞いたが、「やめておくよ」と冷静に断られた。
結衣がカードを仕舞う手元を見ながら、梶原はアイコスを手に取った。
「ちょっと、行って来ます」
「あっ、はい、どうぞ」
「ふー」
外に出て白い煙を吐きながら、梶原は気持ちを落ち着ける。そして少し笑った。
「まいったな……」
「結衣―、カウンター空いたぞ。移動するか?」
大輔の声で、結衣は我に返る。カウンターを見れば、空いたのは1席だけだ。
「う~ん。やっぱり、こっちでいいや」
「……」
大輔は黙って結衣の顔を眺める。
「約束……、してたのか?」
「ん? 何?」
大輔にしては珍しく小さな声で何かを聞かれ、結衣は「焼きタケノコ」を頬張りながら聞き返す。
「いや……」
何でもないという様に、大輔は小さく首を振りながら、奥の焼き場に引っ込んでしまった。
それを横目で見ていた店主が、結衣に声を掛けた。
「結衣ちゃん、あのお客さんは知り合い?」
「ウチの町内の人の、お知り合い」
「そうかい。町内って、誰?」
「佐々木さん。紫陽花が綺麗なお宅なんだけど、おじさん、知らない?」
「あぁ……、あの家か。どんな人が住んでるかは、詳しく知らないけどな……」
ふと、何かを思い出しているのか、左斜め上に目線を向けている。
「洋治が、誰か骨折したって話、してたっけ……」
洋治とは、住職のことだ。大輔の家も同じ檀家仲間である。
住職は、この店主の高校時代の後輩なので、呼び捨てなのだ。名前で言われると、いきなり住職から、1人の人間になってしまう。
「そうなの。入院されちゃってねぇ。梶原さんは、留守を預かってる人だよ。おじさんも、怪我は気を付けてね。家の中が、意外と危ないんだから」
「ははっ、年寄り扱いされたなぁ」
「ごめん、ごめん。でも、階段とかでの骨折は、若くても年取ってても、発生率は変わらないらしいから、気を付けてよ~」
「おぅ、結衣ちゃんもな」
返事をしながら、いつの間にか隣に戻っていた大輔の方を、店主はチラッと見た。
チッ……。オヤジのドヤ顔に、大輔は内心で舌打ちした。
そろそろ21時近い。さすがに家に帰ろうと、スマホの時計を確認した。
梶原が席に戻ってからは、梶原の仕事の話を聞くことができた。東京で素材開発の会社に勤めているとのことだ。研究職ではなく、システム関係を担っているらしい。結衣にはさっぱり見当がつかないが、何やら梶原にピッタリな気がした。
スマホを気にしている結衣に向かって、梶原が聞く。
「そろそろ、帰る?」
「うん。今日は、東京の自宅に戻るの。電車だから」
「えっ、そうなの? じゃ、急ぐんだね」
梶原も一緒に出ようと、身支度を始めた。
「ゆっくりしていけば、いいのに……」
「ん、大丈夫」
2人で店を出た。今日は風が少しあるが、随分温かくなってきた。
どこからか、優しい香りが漂ってくる。
「わぁ……」
結衣は思わずその香りの元を探す。小走りになって、2軒先の垣根にその木を見つけた。2m程の高さだが、小さいチューリップの様な、クリーム色の花が咲いている。少し肉厚な花弁である。
「ん~、いい匂い~」
花に顔を近づけて、胸一杯に息を吸い込む。すぐ後ろで、シャッター音がした。
「へぇ、バナナみたいな匂いがするな。しかも、こんな木に咲いてる花なんだ」
梶原がスマホを構えていた。結衣はもっと花が近くで撮れるように、場所を譲る。
「何て名前の木なのか、知ってる?」
「カラタネオガタマ。アップしちゃう?」
「いや、しないよ」
「なーんだ、インスタしてるのかと思った。残念」
小さく笑った梶原は、スマホをそのまま上着のポケットに突っ込んだ。
「それにしても、ホントにバナナみたいだな」
駅に向かって歩き出しながら、まだ追いかけて来る香りを楽しんでいる。
「この香り、花が咲いて2日くらいで無くなっちゃうの」
「へぇ、短いんだね」
「まぁ、次々花が咲くから、全体としては10日くらい楽しめるんだけどね」
「詳しいね」
「小学校の校庭にあったの。ほら、あんまり美味しそうな匂いでしょ。だから、1度みんなで花を取って、食べちゃったの。先生に怒られたなぁ。あれは、花の命が短いんだぞって」
「ははっ。で、味はどうだった?」
「何の味もしなかった。ホントに匂いだけ! すっごく、ガッカリした」
優しく笑う梶原は、佐々木邸に曲がる角を通過しても、結衣の横を歩いている。また、送ってくれるらしい。
「あの……、大丈夫ですよ。ここから先は、明るいし……」
「いいよ。こんな時間に駅に向かう人、少ないでしょ」
確かに、駅から家に向かう人がほとんどで、その人数も大して多くない。
「ありがとうございます」
小さくお礼を言って、また歩き出した。結衣も、もう少し話していたかったから、自然と笑顔になった。
駅まで、まだ少しある。会話が途切れても、変な緊張感がなかった。そんな梶原に、結衣はどうしても伝えたい言葉がある。
「梶原さんって、向田邦子、知ってる?」
急に何だろうと、梶原が少し戸惑いを見せる。
「ん? 聞いたことあるくらいかな……。作家さんだっけ?」
「そう。直木賞作家で、ドラマの脚本やエッセイでも人気があった人」
「そうなんだ」
「私の叔母さんが、ファンでね。影響されて、私も少し読んだことがあって」
「うん」
「生涯独身だったのね。それで、旅行好きだったんだけど」
「うん」
「旅行に出る時は、いつも部屋を綺麗にしてから、出掛けるようにしてるって書いてて」
「へぇ」
「もし旅先で死んだら、自分の部屋に、自分以外の誰かが必ず来るのよね」
「あぁ……なるほど」
「実際、向田邦子は旅行中の飛行機事故で亡くなったの」
「……」
「それで、私も1人暮らしをするようになってからは、できるだけ部屋は片付けてから家を出るようにしてるのね」
「へぇ、偉いね」
「できるだけ、よ。できるだけ」
「ははっ」
梶原は、話をじっくり聞いてくれる。途中で自分の話に持っていくこともなければ、豆知識をひけらかすこともしない。相づちも、とても穏やかである。
なのに、あの後ろ姿なのだ……。
「人は、いつ自分の人生を終わらせることになるのか、分からない」
結衣は足を止め、梶原の顔を見る。駅前に到着したが、この言葉を伝えるまでは、駅舎に入ることはしない。
「だから、どんな小さな別れでも、笑顔にすることにしてるの。相手にとって、最後の私になるかもしれないから」
真っ直ぐ見つめられて、梶原は結衣の笑顔から目が離せない。
「私、今日、お墓で梶原さんを見ました」
「えっ……」
息が止まった。
あれを、見られた、のか……。
一気に血が全身を巡る。体の内側が大きく波打っているかの様に、制御しきれない焦りが全身を包み、言葉が……、出てこない。
「私、梶原さんのことも、笑った顔で覚えておきたい」
梶原は、静かに瞠目した。あれを見ても、君は逃げないのか。
「姫野さん……」
結衣の要求を理解して、もう一度、戸惑いと焦燥感が、梶原の全身を包んだ。
君みたいな、そんな心からの笑顔は、僕にはできない。あれを見た君なら、分かるだろう……。
「だから、笑って」
またニッコリと笑った結衣を前に、梶原は……、目を閉じた。
しばらくそのままだった梶原が、1つ大きく息を吐いて、目を開く。ゆっくりと、視線を結衣に合わせた。
「LINE交換しない?」
そう言った梶原は、笑ってはいなかった。
「へっ……」
驚きながらも、慌てて結衣はスマホを取り出す。すると、近くの遮断機の音が鳴り出した。すぐそこまで、電車が来たらしい。
結衣がQRコードを表示したと同時に、梶原がそれを読み込んだ。そのまま改札に走り込む。ホームに着いたのが、電車と同時になった。急かされるように、結衣は乗り込んだ。
ピロン! とスマホが鳴り、友達申請が来た。ホームからは、改札の外にいる梶原の姿は確認できない。慌てて登録すると初メッセージが届いた。
「お休み。気を付けて帰って」
メッセージを確認しながら、発車した電車から梶原を探す。もう少し行けば駅舎がなくなり、線路脇にいてくれれば、その姿が確認できるはずだ。
梶原がそこで待っていた。
結衣を認めて、小さく手を上げる。その顔は、今日一番の優しい笑顔だった。




