お通し
「ほい、南蛮漬けとライム」
大輔が結衣の前に「お通し」と焼酎のボトルを置いた。
夜、結衣は「いこい」に来た。明日は仕事だから、早く自分のアパートに帰らないといけないのだが、もしかしたら梶原に会えるかもしれないと思ったからだ。
会って、何をしたいのかは分からない。どうするという、当てもない。でも、もし会えるなら、会いたいと思った。
「いこい」に、梶原の姿はなかった。まだ6時だから、居酒屋に来るには早すぎるのかもしれない。結衣はさっそく、新しいボトルを手に取る。
「サンキュ」
ボトルと一緒に油性マジックを渡され、自分の名前をラベルに書く。
その横に、カラーペンを借りて円を描いた。その中に更に円を描く。繰り返して4重の円を描いて、1番外から「青」「白」「水色」「青」の順で塗り潰す。
「それ、何? 前から思ってたんだけどさ」
大輔がその絵を見て、結衣に聞く。いつも結衣のボトルに書かれている。
「ナザール・ボンジュウ。トルコの魔除けよ」
「へぇ」
「ほら、美女は魔物に襲われやすいでしょ」
「もう、襲われるっていう歳でもないな」
「ふん! 私は美魔女なのよ」
いつものボケとツッコミである。予定調和で、安心する。別に、若く見られたいという固執はない。
本物のナザール・ボンジュウの「青」は、日本人が見ると「紺」に近い。目玉の様な魔除けである。昔、会社の同僚がトルコ旅行の土産にくれて、個性的で気に入っている。
今日はカウンターが一杯で、テーブル席に着いた。4人掛けに1で座るのは申し訳ないが、仕方がない。カウンターが空いたら、移動しよう。
結衣はバッグからカードを取り出す。時間がある時は、よくカードを引いている。
最初は、1枚引きから始めた。次は3枚、次は5枚と、どんどん枚数を増やしていって、今は21枚を引くことが多い。カードの意味を暗記する為にも、とにかく引き続けることが肝心である。
「そういえば、真由子ちゃん、あれからどうした?」
隣のテーブルに料理を出しに来た大輔を捕まえて、真由子の様子を聞く。
「さぁ、あれっきり会ってないな」
「薄情ねぇ。アパートも近いんだから、連絡すればいいのに」
「大の大人が、そんなことやってられっか。俺は忙しいの」
さっさと厨房に戻っていった大輔を尻目に、結衣はその後の真由子の恋愛運を、カードに聞いてみる。
何枚か引いたところで、前回と様子が変わっていることに気が付いた。
「あら、真由子ちゃん、前の彼とお別れした?」
1人でクスッと笑いながら、リーディングを終える。
もう一度カードを切って、今度は自分の為に引いてみる。2枚引きだ。「ブロック」と「アドバイス」として、カードを引く。
「またか……」
出てきたカードに小さく溜息をつく。毎度、同じようなカードが出続けている。いい加減、良くなってもよさそうなものだが、いつも大体「手放せ」カードか「インナーチャイルド」関連だ。
「何を手放せって言うの……」
結衣はカードに向かって、ブツブツ呟いていた。
「ここ、座ってもいいかな」
あっ……。
顔を上げれば、梶原が優しい顔で目の前にいた。結衣の前に、座ろうとしている。墓地での梶原が人違いかと思われるほど、優しく微笑んでいた。
「どうぞ」
結衣の胸がグンッと圧力を増す。中心がじんわりと暖かくなって、会えた喜びをそのまま顔に出した。
「カード? 随分難しい顔してたけど」
「練習してたの」
「へぇ、練習なんてするんだね」
「うん。あんまり離れてると、鈍くなるから」
「直感とかが?」
「そう。宇宙からのメッセージが、届かなくなっちゃう」
「へぇ、宇宙ねぇ……」
「またぁ、信じてないでしょ」
小さく笑った結衣に、梶原も小さく笑った。
「……いらっしゃい。何にしますか?」
大輔が注文を取りに来た。随分かしこまった声を出している。この前から何日も経っているから、もう常連になっているかと思ったけど、違うのかな……。
「瓶ビールを」
「はい」
そのまま立ち去ろうとする大輔を見て、結衣は慌てて梶原に確認する。
「梶原さん、お通しは何にします? 大皿の中から、選んじゃっていいんですよ」
「あっ、そうなの? じゃあ……」
梶原が席を立って、カウンターの大皿を見に行っている間に、結衣は大輔を睨む。
「教えてあげればいいのに……」
「悪いかよ」
何故だかぶっきらぼうな大輔が、悪びれもせず教えていないことを認める。
「もう、常連さんでしょ」
「あの人は、オヤジの担当なの」
「何それ。この店で担当なんて、聞いたことないわ。大ちゃん、キャバ嬢なの」
「ほっとけよ」
「ホントに、どれでもいいんですか?」
戻ってきた梶原の問いに、大輔が答えない代わりに、結衣が答える。
「どうぞ、どうぞ。何にします?」
「じゃ、あの魚の卵の煮付けを」
「あぁ、あれ美味しいですよ。私も、迷った~」
「なら、シェアする?」
「わぁ、いいんですか?」
「いいですよ」
「……」
2人のやり取りを聞いていた大輔が、ムッとしていることに、結衣は気が付かない。
「早く! 大ちゃん持ってきて」
結衣に急かされ、大輔はカウンターの中に戻った。そんな大輔の背中を、梶原は一瞬だけ目で追った。
結衣の取り皿に、花を咲かせた真鱈の卵を取り分けながら、梶原が聞く。
「平日に来ることもあるんだね」
「ええ。土日、バイトしてて。この前が、特別でした」
「バイト……。それが仕事?」
「いえいえ、事務の正社員の仕事をしてるんですが、今不況で……。社長に直談判して、バイトを許してもらいました」
「それは、大変だね」
「ほーんと! まぁ、あと少しだと信じて、頑張りますけどね」
「偉いな」
最近褒められることがめっきり減った結衣は、嬉しくなる。そうそう。私は、褒められて伸びるタイプなの!
……とっ、バイトの話をしたら、あの一括支払いの事を思い出した。聞いてみたい気持ちをグッと抑えて、違う質問をする。
「梶原さんは、ここの他にお店見つけました?」
「あぁ、あと2軒ほど。お昼もあるしね。でも、夕食はここに決まりつつあるかな」
「じゃ、他の常連さんと仲良くなった?」
「……いや」
「紹介しましょうか? 皆、気さくな人達よ」
「いや、いいよ……。1人で飲むのは慣れてるし、いつまでもこっちにいるわけじゃないから」
「……そっか」
残念そうに目を伏せた結衣の顔を見て、梶原は声を掛ける。
「それに、君もいるし」
「……」
その言葉に顔を上げた結衣は、耳が赤くなるのを自覚した。ドキドキしている鼓動を、耳の奥で確認する。それを知ってか知らずか、梶原は続ける。
「知り合いなんて、そんなに大勢いらない」
知り合い……。そうよね、やだっ、ドキドキしちゃった……。
「あの……、佐々木さんが退院されたら、梶原さんはどうされるんですか?」
「東京に戻ります」
「お宅、東京なんだ」
「ええ」
私も東京なんですよ、と言いそうになって、結衣は言葉を呑んだ。
「知り合い」だもんね。なにガッついてるんだ、私!? 自分を諫めながら、南蛮漬けを口にした。
「そっちは何?」
結衣のお通しの小鉢を、梶原は目で示す。
「南蛮漬けです」
「それ、僕も迷った」
「……あの、口付けちゃったけど、食べてみます?」
「うん」
それこそ、大の大人に失礼だと思ったが、梶原は意外にもあっさり同意する。結衣は、心のつかえが取れたかの様に、可笑しくなった。色々気にしているのは、自分だけらしい……。
「じゃ、召し上がれ」
自分の箸で、口を付けていない方の1切れを梶原の取り皿に取り分ける。そのまま口にした梶原は、納得の顔をした。
「うん、美味い」
2人で、笑い合った。知り合いなら、これで充分だ。これ以上の詮索は、やめておこうと思ったところで、梶原が続けた。
「姫野さんも、こちらで住んでるわけじゃないんだよね」
「……はい。何故、分かりました?」
「この前、呼び出す口実だとか、今度いつこられるか分からないとか、言ってたから」
ちゃんと、聞いてたんだ。大ちゃんとそんな話をしたような……。
「東京です」
「こっちは実家?」
「そう。生まれてずっとここですよ。大学は通いましたけど、就職してからは東京で独り暮らしです」
「彼は?」
彼? 梶原の視線の先を見れば、カウンターの中にいる大輔のことを聞いている。
「大ちゃん?」
梶原は、小さく頷いた。
「同級生です。小・中一緒で、高校は違ったのに、大学でまたばったり。もう、腐れ縁?」
ははっと笑う結衣と大輔を、梶原は交互に見ながらコップのビールをグッと飲んだ。
「……そう」
梶原のコップが空になる。瓶ビールを手に取り、結衣が注ぐ。
昼間の母の言葉が、胸につかえている。
――息子だって
「梶原さんは、こちらに住まれたことは?」
「ありません」
「……そうですか」
結衣は、聞くことをやめた。誰にでも、人に知られたくないことはある。そこに踏み入っていいのは、本人がそれを許した人のみだ。
ただ、あの墓地での後ろ姿は、結衣の心に大きな衝撃を与えたままだ。ほんの少し、その衝撃を取り除きたかった。
「梶原さん、カード引いてみません?」
本人が話してくれないのなら、カードに聞けばいい。
「騙されたと思って、1回だけ」
乗り切らない顔の梶原に、結衣は拝んでみせる。あんな背中、いつまでもしてていいことなんて、ない……。




