墓参り
梶原は、着替えが入った紙袋を下げ、病室に入る。4人部屋の廊下側の2人は、既にベッド上に人がいない。リハビリか、入浴か……。
残りの窓際の2人がまだ在室していた。右手の、半分開かれているカーテンに向かって、声を掛ける。
「佐々木さん、開けます」
「あぁ、浩君、来てくれたの」
「……」
佐々木美津子は、自由にならない右足をかばいつつ、体を起こした。そんな佐々木に手を貸すこともなく、梶原はロッカーのハンガーに、着替えを掛けていく。下着やタオルを棚に詰めて、扉を閉じた。空いた紙袋に、汚れたパジャマなどを詰め込んだ。
「ありがとね、浩君」
「……何か足りないものは、ありますか」
その声も、その表情も、全く感情が見られない。赤の他人でも、これほど冷たくあしらうことは憚られる態度である。
それでも佐々木は、柔らかい表情を崩すことはなかった。
「浩君、申し訳ないんだけど、1つお願いがあるの」
「……何でしょう」
「お墓参り、行ってくれないかな。今日、命日なの……」
「……」
返事がなかった。
向いのベッドで、カーテン越しにそのやり取りを聞いていた垣田は、他人事ながら緊張した。もちろん、口出しはしないが、さすがに気になる2人の関係である。
この男の人、随分冷たいのよねぇ。この会話聞いてるこっちが、小さくなるわ……。
そんなことを考えながら、垣田はイヤホンが繋がっているテレビの音量を小さくして、次の会話に集中した。
「場所を、教えてください」
やっと帰ってきた梶原の返事に、カーテン越しの垣田もホッとした。
「ありがとね」
そういう佐々木の声は、とても柔らかいものだった。
「あっ、お花代は、退院したら返すから……」
「……分かりました」
後は、お寺の場所を説明する声が続いて、終わったところで冷蔵庫を開ける音がした。
「これ、浩君食べて。昨日リハビリで、また売店まで行ったから、買っておいたの」
「……」
お礼の言葉もないまま、何某かを紙袋に詰めている音がした。
「明後日、また来ます」
カーテンが閉められる音がして、その足音は部屋を出ていった。
垣田は「はーっ」と、溜息をつく。ホント、毎回キンチョーするわ……。
ベッドから出た垣田は、立て掛けてあった杖を使って、佐々木のベッドサイドに移動した。
なんとなく様子を伺う垣田に、佐々木は眉を下げる。
「ごめんなさいね、垣田さん。ホント、愛想がない子で」
「いいえ~、私は全然~。それより、命日って、旦那さん? 親御さん?」
「あぁ、子供です」
「あら、そうなんだ。ごめんなさいね、変なこと聞いちゃって」
「いえ、もう随分昔に亡くなった子なので……」
「……そうなんだ」
佐々木はそのまま視線を落とした。
わりと何にでも遠慮がない垣田だが、さすがにこれ以上は聞けない雰囲気を感じる。
「さっき、何あげたの?」
「プリンを……。あの子、プリンが好きで」
「ふーん」
ひと時の静けさを叩き起こすように、病室にリハビリの理学療法士が入ってきた。
「垣田さーん、リハビリに行きましょう」
「はーい。今日は、階段? あれ、きついわぁ。ケガする前でも、階段なんてほとんど使ってなかったんだから」
「だから、転びやすいんですよ。ちゃんと、筋肉付けて、股関節の可動域広げましょう。血圧、測らせて下さい」
「はい、はい」
リハビリに出ていった垣田を見送って、佐々木も自分のリハビリに出掛ける準備を始めた。
窓の外を見れば、昨日まで少ししか咲いていなかった桜が、あっという間に5分咲きになっている。
「また、桜の季節になったのねぇ」
小さく呟くその声は、誰もいなくなった病室の中では、聞き留める人もいなかった。
「お母さん、ちょっと『桜会』に行ってくるね」
「ああ、菊花ちゃんによろしく言っといて」
結衣は今日、実家に来ていた。本業の会社が、交替で従業員を休ませている休日だ。土日に休めなくなった結衣は、平日、実家に顔を出すことが多くなった。
結衣は、歩いてお寺に向かう。
梶原が、全額一括支払いの約束をした日から、10日経っている。あの後1度だけデータを確認したが、本当に全額完済されており、結衣は驚いた。
もちろん、佐々木に頼まれて、振り込み作業のみ梶原が代行したのかもしれないが、そんなことができるなら、そもそもリボ払いにするだろうか。リボ払いは、分割よりも利息が高いのだ。
全く余計な邪推だが、もし梶原が自分で支払ったのならば、留守を頼まれているだけの人がする行為ではない。一体、何者なのだろう……。バタバタしていて、母に聞く暇がなかった。
「今日は天気もいいから、割と人が集まったわね」
「本当にね。住職も、これなら力が入るわね。2、3人だと、世間話になっちゃってねぇ」
と、菊花は笑った。
結衣が来た「桜会」とは、お寺の説法会である。姫野家の菩提寺であるこのお寺で、毎月1回催されている。開催される月により、名前が変わる。来月は「緑会」だ。
いつもは母が参加しているのだが、まだ完全に捻挫が治っていない母では、とても座布団には座れないとのことで、結衣が代理出席することになった。
別に強制ではないから来なければいいだけなのだが、実家に来たついでに、菊花と久々に会おうとやってきた。
結衣と立ち話をしている菊花は、この寺の「お庫裏さん」であり、結衣の同級生である。家が近いので、小・中学校はずっと同じ学校に通った。
それが寺の嫁になると聞いた時は、大丈夫かと心配したものだ。菊花は随分「お転婆」だったので。
「おばさん、大丈夫なの?」
「大したことないよぉ。今日もホントは来たそうだったんだけど、さすがに座布団は無理らしいわ」
「そっか。確かに、おばさんのお仲間、今日も来てるから」
「そうそう。法話より、その後の喫茶店が楽しみなんだから」
「まぁ、そんなきっかけにしてもらえれば、ウチは十分なんだけどね」
「ごめんねぇ。せっかくのありがたいお話が、二の次で」
「いいって~」
結衣もお茶配りを手伝い、15名程集まったところで、桜会は始まった。
梶原は、仏花を手に寺の墓門の前に立った。
佐々木が描いたメモを確認する。この地域は寺も多いため、各寺はさほど大きな敷地を有しているわけではない。それぞれにある墓の数も、霊園とは随分違う。それでも、ざっと見て100基程あれば、探すのは手間かと思われた。
手水所にあった桶に水を汲み、メモに従って歩く。門からまっすぐ進み、立派なお墓の前を右に曲がる。
春らしい陽気の、爽やかな風が吹いている午後である。
「佐々木家の墓」を見つけた。側面を見れば、何人かの名前と没年が入っている。この墓で間違いはないらしい。その前で、梶原は真っ直ぐお墓に向かって立った。
そしてその目は、やはり、何の感情も宿していない……。
「お疲れ様~」
「結衣ちゃん、お母さんの調子はどう?」
桜会が無事終わり、本堂から出てきたところで、結衣は母の「喫茶店仲間」に声を掛けられた。皆、小さい時からの付き合いだから、結衣の事を知っている。
「もうほとんどいいんですよ。今日も、皆さんとお茶したかったって、残念がってました」
「あら、じゃ、今から喫茶店に来たらいいのに。電話したら、来るかな?」
「してあげて下さい、暇してますから。私、車で送りますから」
「あら、そう? じゃ、そうしようか」
母のケガの事も、知らせたわけでもないのに、皆が知っている。きっとここの住職が、それぞれのお宅のお勤めの際、そんな噂話をして回っているのだろう。都会では有り得ない、情報ルートである。
「じゃ、急いで帰らなきゃ」
結衣はそそくさと、仲間の輪から外れた。
「はぁ、セーフ……」
小さく溜息をつきながら、足早に自宅に向かう。
あのご婦人方に捕まってしまえば、結衣はあれこれと世話を焼かれてたまらない。早く結婚しろだとか、子供はどうするのだとか、最近では家族でも言わなくなったことを、地元の他人はいつまでも容赦がない。
「あれ……?」
自宅に近い裏門から出ようと向かったところで、男性が墓地に入っていくのが目に留まった。
梶原だった。
満月の晩に、送ってもらって以来である。
「お墓参り?」
別に後を付けたわけではないのだが、寺の裏門は、墓地の中を通ってその先にある。自然に、梶原の後ろからついて行く形になった。
梶原は誰かのお墓を探しているらしく、メモを手にゆっくり進んでいる。手伝ってあげようかなと思って、小走りになった。
この墓地には、大きな桜の木がある。戦前からあった桜が、1度病に掛かって、40年ほど前に新しく植樹したらしい。結衣が大きくなるのと同じく生長してきた木は、この辺りでは割と早咲きで、今年ももう8割程咲いている。充分、花見ができる見事さだが、さすがに誰も、墓地では花見をしない。
その下で、梶原は立っていた。結衣は先にいる梶原に、声を掛けようと足がゆっくりになった……。
「バシーン!」
梶原が、手に持っていた仏花を、目の前にある古い墓石に向かって、下から斜め上に向かって叩き上げた。それはまるで、刀で人を斬り上げるかのごとく……。
サァーと音もなく、桜の花が散った。
結衣は衝撃で、その場で体を硬直させた。
そのまましばらく、梶原はその墓石を見下ろしていた。後ろ姿なので、どんな顔をしているのか、結衣には確認のしようがない。
次に梶原が動き出した時には、まるで何もなかったかの様に、墓参りが始まっていた。
叩きつけた時に散ってしまった花弁を拾い集め、そこにある雑草も抜く。花立てに、残った仏花を立て、桶から柄杓で墓石に水を掛けた。
最後に線香を取り出したところで、結衣は逃げる様に、来た道を戻った。
「どうしたっていうの……」
呆然と歩いているうちに、実家に着いた。
「結衣、やっと帰ってきた。喫茶店に送ってって」
「あぁ、そうだね……」
結衣の帰宅を待っていた母に急かされ、2人で車に乗り込む。お寺のすぐ近くの喫茶店に行きたいのだが、細い道で一方通行が多いため、少し遠回りをしなくてはならない。
「ねぇ、お母さん。この前、佐々木さんのお見舞いどうだった?」
まださっきの衝撃が体から抜けない結衣は、それでも質問せずにはいられなかった。
「佐々木さんねぇ、玄関の上がり框を踏み外しちゃったんだって。あそこ、ほら、バリアフリーの家だから、上がり框も低いんだけど、それでも足首骨折しちゃったんだって」
「そう……」
「リハビリも始まってたけど、あれは家中に手すり付けないと、帰ってこれないよ。どうするのかねぇ」
「あの留守番の人が、面倒見るの?」
「さぁ、そこまでは聞かなかったわよ。リハビリ病院に転院することになるんじゃない」
「……あの人、誰だって?」
結衣は心臓の鼓動で、指先までジンジンしてきた……。
「あぁ、あの人はねぇ、息子さんだって」
「えっ!」
息子……。さっきの梶原の後姿が、頭をよぎる。
「でも、苗字違うじゃない!」
「何? 結衣、知ってるの? あの人の事」
「あっ、うん。ほら、町内会費の時、少しだけ話したから」
その後、大輔の店で一緒に飲んだことは、面倒臭いので説明を省く。
「なんかね、離れて暮らしてた息子さんらしい。その後、佐々木さん黙っちゃったからさ、それ以上は、ちょっと聞きづらい雰囲気でねぇ」
「……」
「酒井さんとも話したんだけど、佐々木さんの子供って、小さい時に亡くなってるから、他にも息子さんがいるなんて、全然知らなかったって言ってた」
「亡くなってる……」
あの墓は、亡くなったお子さんのものなのだろうか……。
「あ、来てる来てる」
母の声で我に返る。到着した喫茶店の前には、檀家仲間のご婦人たちの、自転車が並んでいた。
「また、迎えに来るから」
心を落ち着かせることができないまま、結衣は自宅に戻った。
途中、佐々木邸の前を通る際は、思わずその家を眺めながら通過した。
もう彼は、帰宅したのだろうか……。




