ショッピングモール
「どうした……、私?」
胸の中に、モヤモヤが広がっていく。
結衣は就業後の食料品買い出しのため、ショッピングモールに来ていた。いつも歩くこの景色の中にいて、さっきから目に飛び込んでくるのは、2人連れや家族連ればかりだ。
しかも目で追ってしまっているのは、その中の男性ばかり。
「カッコいい人には、綺麗な奥さんが付いてる訳だ……」
今日見た中で、1番素敵だった男性の横には、綺麗でスレンダーな奥さんがいた。小さな子供も2人いて、彼らの装いも両親と同様にオシャレで、顔まで賢そうな造形をしている。あまりの完璧さに、嫌でも溜息が漏れた。
「今日は、土曜日だったなぁ……」
結衣は、1人を寂しいと思ったことはない。
実家を離れ、1人暮らしを始めて今年で10年になる。もちろん友達もるし、彼氏もいたし、結婚した兄夫婦との関係も良好で、甥や姪達とも仲が良い。ずっと1人ぼっちでいたわけではない。
それでも、自分の家に戻れば1人だし、休日やゴールデンウィーク等の長い休みでも、誰とも会わないこともあった。
家の中にいることは嫌いではなかったし、約束でもない限り、もうあまり積極的に外に出ることもなくなった。結果、誰とも口をきかずに土日を過ごすなんてことも、よくある。
けれどもそれを、「寂しい」と思ったことは、1度もなかった。
今日の結衣の仕事は、土・日だけの派遣のバイトだ。ショッピングカード会社の、いわゆるコールセンターのような仕事環境である。
しかし、一般的に想像される、受注や問い合わせのコールセンターとは一線を画す。結衣の業務は、カードの支払いの引き落としが出来なかった客に対する、督促業務だからだ。督促専用のコールセンターなのである。
「もしもし、私、姫野と申しますが、春子さんはいらっしゃいますでしょうか?」
「春子は、私ですが……」
「サインズカードの姫野と申します。お支払いの件でお電話致しました。今月のお引き落としができなかったのですが、お知らせは届いておりますでしょうか?」
「あぁ……、はい。すみません。来月の1日に支払います」
「1日は、ご入金のご予定でも?」
「給料日が月末なので……」
「そうですか、分かりました。では、お振込みお待ちしております。振込用紙は、お手元にございますか?」
「はい……」
「では、裏にありますコンビニからでも大丈夫ですので、お待ちしております」
引き落とし日の2日後から、1人で1日100件を超える数の電話を掛ける。そろそろ引き落とし不能だった旨の連絡が、手元に届く頃である。
電話を掛ける際、「カード」という単語は一切出さない。本人が電話口に出たと確信した時点で、初めて「カード」という単語を出す。
それは、本人以外の誰か、例えば家族でさえ、カードの支払いの件だとは分からない様に、細心の注意を払うためだ。
「お振込みの確認が取れました翌日より、カードは使用できるようになります。それまではお使いいただけませんので、お気を付け下さいませ」
職場は、ほとんどが派遣の女性で構成されている。結衣もそんな中の1人なのだが、このバイトを始めて半年ちょっとになった。これは、いわゆる副業である。
結衣の本業は、輸入アパレルの販売をしている15名程の会社での、一般事務だ。
正社員として6年目を迎えた昨年、貿易の事情により、中国からの買い付けが思うようにできず、売り上げがピーク時の2割程になってしまった。
結衣は幸い労務関係も仕事の範疇だったため、リストラされずに済んだが、他の従業員は、あっという間に半分に減ってしまった。
残った結衣達の出勤日も減り、給料も激減したため、社長に直談判し、バイトを許可してもらった。
やっと最近、商品の仕入れができるようになってきたため、多少業績も戻りつつある。しかし、私達の給料に反映されるまでには、もうしばらく時間が掛かるだろう。中小企業はいつの時代も、青息吐息で、地にへばりつくように商売をしている。
督促顧客に言われた言葉のあれこれが、まだ頭に残ったままで、土曜日だったことなどすっかり忘れていた結衣の目に、疲れたアラサーの姿が映しだされた。
イギリスの有名デザイナーによるインテリア用品が、まるでおとぎ話の様な空間を作り出している店舗の前を通った時だ。
よく見れば、ウィンドウに映った自分の姿だった。
「ふーっ」
わざと1つ大きく溜息を吐いて、自分を鼓舞した。さぁ、帰ってお気に入りのYouTubeでもチェックしよう。
翌日、結衣は今日も督促業務に励んでいる。
「これ……」
次の顧客に電話を掛けようとして、手が止まった。その名前に、心当たりがあったからだ。
あの「佐々木」である。パソコン画面で住所を確認すれば、間違いなかった。
「まいったなぁ……」
こんなことは、結衣は初めての経験だった。カード会員の数から考えても、知り合いのデータに遭遇するなんてことは、奇跡に近い。もちろん、個人情報は厳重に管理されているから、佐々木が督促対象にならなければ、こんな情報に巡り合うこともない。
「入院してるからなぁ……」
履歴を見れば、初めての延滞である。
元々、経験が半年程度の結衣ごときには、延滞を繰り返している強者の顧客は回ってこない。強者専任のベテラン派遣が、きっちりと回収していく。
金額も大したものではないから、きっと入院で身動きが取れず、諸々手配ができなかったのだろう。今自宅に電話を掛けても、きっと出ないだろうな。携帯は、登録がないし……。
そこでふと、梶原の顔が浮かんだ。もしかしたら、彼が電話に出るかもしれない……。
「どうしたの、姫野さん」
隣で電話を掛けていた派遣仲間の遠藤が、声を掛けてきた。2歳年下だが、仕事は半年先輩の派遣さんである。
「これ、遠藤さん掛けてくれないかなぁ」
「どうしたの? 大変そうな人?」
電話でのやり取りは、担当者が変わっても履歴が分かる様に、全て記録されている。その日の担当者はそれを確認しながら、業務を進めていく。
いつ、誰が、どんな会話をしたのか、そのまま記録し、罵倒されれば、されたままの言葉を残していく。もちろんこちらからは、丁寧に「お願い」の言葉を並べるだけなのだが……。
「ううん。実はこの人、私の知り合いで」
「へぇ、そんなことあるんだ」
「うん。ちょっと掛けづらくって……。今、多分、不在だと思うんだけど」
たかだか半年務めた派遣先である。いくら仕事といえども、知った顔のプライバシーに土足で踏み込むだけの、プロ根性はない。
「いいよ、番号教えて」
「ありがとう」
会員番号を伝えて、結衣は次の顧客に電話を掛ける。のんびり結果を待っていては、100件を超す電話は、捌き切れない。
「払ってくれるって」
少し長かった電話を終えた遠藤が、教えてくれた。
「えっ、本人に連絡ついたの?」
もう、退院したのだろうか。あれからまだ2週間しか経っていない。
「男の人が出てね、支払ってくれるって」
「……、名前聞いた?」
「もちろん。息子さんかと思ったら、違った。『梶原』っていう人」
ホントに留守番、してるんだ……。
「カードの支払いのこと、知ってたのかな?」
「督促状のこと知ってたから、知ってたんじゃない」
「……そっか、よかった。ありがとうね」
取り敢えず礼を言って、次の顧客に気持ちを戻し掛けたところで、更に遠藤が話を続けてくる。
「それがね、残りも全部払ってくれるっていうの。すごくない?」
「えっ……」
慌ててデータを確認すれば、確かにリボ払いになっている残高が、かなりあった。
「これ全部?」
「そう。何者かしらねぇ。こちらとしては、あんまりありがたくないけど、佐々木さんにしたらありがたい話よねぇ」
「……、そうだね」
リボ払いは利息率が高い。一括で支払われてしまっては、カード会社としては利息分の損失となる。
「とにかく、ありがとう」
遠藤に、もう一度礼を言っておいた。
夜、自宅で缶ビールを飲みながら母にLINEをした。
「佐々木さんのお見舞い、行った?」
「ちょうど、明日行く予定」
「やっぱり行くんだ。もう、お母さんの足の捻挫は大丈夫なの?」
「酒井さんが、車に乗せてってくれるって」
まったく、野次馬根性丸出しである。母は、こういうことには、無理をしてでも駆けつけるタイプだ。そういうところが、やはり「友達」にはなれない1つでもある。
「どこの病院か、分かってるの?」
「留守番の人が、教えてくれた」
お母さん、梶原さんに会ったのか……。
「あの人、まだいたんだ」
「あれ、誰だろうね」
「さぁ?」
「それも明日、聞いてくる」
ぅわっ、ホントに野次馬である。
「あんまり根掘り葉掘り、聞いちゃダメだよ」
「分かってるって」
はぁ……、母の「分かってる」は、全く信用できない。
「事情があるかもしれないんだから」
「大丈夫」
同じく「大丈夫」も信用できない。……が、
「何か分かったら、教えてよ」
「了解」
LINEを終了しながら、結局自分も母の血を引いているのだと、自覚する結衣である。
「だってさぁ、あの金額を一括返済してくれるって、どんな関係なのよぉ……」
誰に責められているわけでもないのに、独り言にしては大きい声で言い訳をし、缶ビールを飲み干した。




