満月
「もう今は、彼も演奏活動より、教育に力を注いでるんだそうですよ」
「確か、70歳過ぎてますよね」
「うん。今年75歳だったかな。嫌いな割に、意外と詳しいよね」
自嘲する梶原に、結衣も笑う。
結局、それ程人を惹きつける存在であるという証だ。彼のドキュメンタリー映像でも目にしたら、結衣も見入ってしまうに違いない。
「前、オバマ大統領がパールマンの事を語っててね」
「テレビですか?」
「そう、BS。オバマが、好きな音はどんな音かってパールマンに聞いたら、『玉ねぎを炒める音だ』って答えたって話を、披露してた」
一瞬想像して、結衣はうなずく。
「あぁ……」
「分かるよね」
「えぇ、分かりますね」
また、会話が止まる。「なるほどな……」と、結衣が小さく呟けば、梶原は隣で焼酎をコクリと流し込んだ。
「ここ、美味いですね」
「初めてですか?」
「3回目です。夕飯にいいところはないかなって……。正解でした」
自炊はしないのだろうか。……あぁ、
「そっか。台所、使っちゃいけないんですか?」
「……使ってもいいんでしょうけど、面倒臭いですから」
「そうですよねぇ……」
佐々木との関係を聞いてみたいが、やはりそれは立ち入り過ぎだろう。聞いてしまうと、何となく心を閉ざされてしまう様な気がする。サヨリを食べ終わるまでは、それをする必要はないだろう。
「そういえばタロットって、どういう仕組み?」
結衣の「おやっ」という顔を見て、梶原は少しまた微笑んだ。
「あぁ、当たるとか当たらないとかは興味ないけど、ルールとかがあるなら、後学のために聞いてみたいな」
「ははっ、いいですよ。大したルールではありませんけど」
結衣はカードの袋を、バッグから取り出した。
気が付けば、結衣が来てから2時間ほど経っていた。周りの客が、随分入れ替わっている。
梶原が途中で何品か追加注文したから、大輔からは文句を言われずに済んでいるが、結衣1人なら、無理矢理ボトルを入れさせられていただろう。
常連にも厳しい「いこい」である。
「ということは、結局、カードを引いた人の解釈次第ということなんだね」
「そういうことです。メッセージを受け取ることが大切ですから。だから私達は、カードを『読む』って言うんです。『リーディング』です。トランプの様に、ゲーム性があるわけではないですから、はっきりとした答えがあるわけじゃないんですよ」
結構、真面目に話を聞いてくれた梶原に気をよくして、結衣は「オラクルカード」の説明までしていた。やはり、好きなことを人に話すというのは、楽しい。カードをバッグに戻したところで、奥から大輔がやってきた。
「結衣、ボトルどうする?」
「また今度入れる。次、いつ来られるか、分かんないから」
「そうか。おばさん、良くなったって?」
「うん。全然平気。大げさに言うから、心配しちゃったわよ。いつものように、呼び出す口実だったわね、あれは」
「そりゃ、よかったな。何かあったら、ウチも頼ってよって、おばさんに言っといて」
「ありがと。ホント、助かる」
結衣はスマホを見て、時間を確認した。
「では、そろそろ、その母上様に文句を言われる時間だから、帰るかな。大ちゃん、いくら?」
大輔がカウンター越しに、結衣の手元のお皿などを確認しようとしたところで、梶原も声を上げた。
「じゃ、僕も帰ろうかな。こっちも、お勘定」
「……、お待ちください」
伝票を確認するために、大輔が奥に引っ込んだところで、結衣は梶原に謝った。
「すみません。何だか私ばっかり話してて」
「いいえ、面白かったですよ。知らないことを知るのは、何でも楽しいものです」
「……でも、いいんですか? まだ9時前ですよ」
「もう、大丈夫」
そう言って、席を立った。
店を出ると、意外と外が寒くないことに気付く。風がないからか……。
結衣は漆黒の夜空を見上げた。星も出ていない。
「あれ、風が止んでるな」
後から出てきた梶原が、暖簾をくぐりながらそんなことを言う。
「月も出てないや。今日は満月だから、大丈夫かと思ったんだけどな……」
夜空を見上げている梶原の顔を、結衣はもう一度しっかり眺めた。そう、今日は満月……。
「梶原さんは、いい『リーダー』になりそう……」
「ん?」
不思議そうな目で問いかけられたが、「何でもありません」と答えておいた。
風や月や、そんなことに敏感な人は、潜在的スピリチュアル能力が高い。もしタロットを引かせれば、良いカードリーダーになる。けれど、そんな風に言われても、きっと彼は嬉しくないだろう。
「やっぱり、一緒に出てよかったな」
2人で並んで歩き出した時、梶原がそんなことを言った。どういう意味だろう……。
結衣たちが帰った後を片付けながら、大輔はカウンターの中にいる父親に問い掛けた。
「ここにいたお客さん、オヤジ、知ってる人?」
「いや。今日で3回目になるな」
「3回目……。俺、覚えてないわ」
「ああ、昨日お前、野球で遅くなっただろ。その時間に来たからな。その前はビール1本で、すぐ帰っていったし」
「そうか……」
店主は大輔の顔を、チラッと確認する。
「知らねぇぞ」
ぼそっと言った店主に、大輔は少しイラっとしながら答えた。
「何が!」
「何でもねぇよ」
「……」
大輔は舌打ちしそうになるのを我慢しながら、結衣の空のボトルをゴミ箱に捨てた。
「『月』のカードは、どういう意味だったっけ」
「不安とか、恐れとかが基本的な意味ですね」
「恐れ?」
「自分の中にあった無意識の不安が、表面化したりすることです。恋愛だと、まだまだ成就は難しい。相手のことをカードに聞いた時にこれが出ると、浮気してる可能性もあったり」
「へぇ……、そんなことも分かるんだ」
「ふふっ、信じてないでしょ」
笑いながら結衣に顔を向けられて、梶原は一旦考える様相になった。が、また少し笑いながら、もう一度前を見て歩き続ける。
「まぁ、カード1枚で決めつけられても、困るかなとは思うけどね」
「ははっ。意外と当たるんだけどなぁ」
結衣も笑いながら、それでも一応反論しておく。リーディングする者が信じていなければ、「占い」の根源に係わる。
かといって、梶原の様に信じていない人に対して、怒りなどは微塵も感じない。きっと、そんなことに頼らなくても、しっかり生きてこられた人なのだろうと認識するだけだ。
自分は、こんな不確かで胡散臭いものにでも縋らないと、生きてこられなかったのだから……。
10分も歩けば、佐々木邸の前に着いた。結衣の家は、ここから100m程先にある。結衣は一旦足を止めて挨拶をした。
「じゃ、お休みなさい」
「家まで、一緒に行こうか?」
「……。えっと、大丈夫ですよ。そんなに、酔ってませんし……」
酔っ払いみたいな態度だったかな……。結衣は少し、自分の行動を顧みる。
「いや、暗いから」
「……」
言われて初めて、結衣は自宅までの帰り道をもう一度眺めた。
そういえば確かに、ここに街灯が1本あるだけで、あとは戸建て住宅から漏れる明かりだけである。そんな風に見たことがなかったため、暗いという認識もなかった。……あっ。
――やっぱり、一緒に出てよかったな
「あの……、送ってくださったんですか?」
「1人よりは、安全だろうから」
「……」
梶原は、特段気構えているようには見えない。笑顔を向けられているわけでもなく、特別な感情を持っていると、邪推させる雰囲気は全く見られない。
結衣は、この人は「丁寧な人」なのだと、一瞬にカテゴライズした。
「あの……、梶原さんは、佐々木さんが退院されるまで、こちらにいらっしゃるんですか?」
「はい。その予定です」
「そうですか……」
何故そんなことを聞いたのか、自分でもはっきりとは分からない。けれど、このまま途切れてしまうのも、なぜだか「惜しい」気がした……。
「何か困ったことが合ったら、ウチの母に声を掛けて下さい。町内会の班長ですから、遠慮はいりませんから」
「ありがとう」
そのまま梶原を残して、結衣は歩き出した。
この角を曲がれば、もう振り返っても、佐々木邸は見えなくなってしまう。という場所まで来た。
やせ我慢して、途中振り向かなかった結衣だが、やっぱり我慢しきれずに振り向いた。
もう、家の中に入ったよね……。
彼は、まだそこに立っていた。
街灯に照らされて、梶原はまだそこに立っていた。じっとこちらを見送ってくれている。
子供のように、結衣は嬉しくなった。
思わず、右手を一杯に伸ばして手を振ったら、釣られる様に、梶原も小さく右手を上げてくれた。何とも、「バイバイ」が似合わない人である。
またそれが可笑しくて、結衣はもっと嬉しくなった。
「今日のお酒は、美味しかったなー」
伸びをしながら庭に入れば、母の部屋の明かりは、もう消えている。玄関の引き戸を、なるべく音がしない様に、結衣はそっと開けた。




