表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/33

5回分の着信音

「結衣―、今日遅くなるから、夕飯要らない」

 バタバタと、梶原は玄関に向かう。

 昨夜の少し長い営みのせいで、今朝は2人して寝坊した。新婚で遅刻すると、色々と皆にからかわれて面倒くさい。しかも事実だけに、強く否定もできず、煩わしいから遅刻はご法度!

「分かった。はい、お弁当」

 玄関で愛妻弁当を受け取って、カバンに入れた。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

「あっ、また忘れるとこだった」

 玄関を出掛かって、慌てて結衣の所に戻る。唇にキスをして、玄関を出た。

 行ってきますのキスは、結衣はどっちでもいいらしいが、梶原はできるだけする様に心掛けている。


 いつそれができなくなるかなんて、神様しか知らないのだ。それを教えてくれたのも、結衣だ。


 ――人は、いつ自分の人生を終わらせることになるのか、分からない


 キスをすれば、必ずお互いに笑顔になれる。条件反射みたいなものだ。今後、夫婦喧嘩をした時にも、きっと役に立ってくれると信じている。


 結衣との結婚は、やはり母がケチを付けた。きっと相手が誰でもケチを付けただろうから、想定内のことではあった。

 しかし名古屋に出向になる事実に押されて、そのケチも半減して、梶原は随分楽ができた。確かに一度に色々と起こると、1つの事に集中できなくて、怒りも分散するらしい。

 これが結衣の言うところの、「誰でもバタバタ」状態なのだと実感した。


 ただし、結衣には先に宣言された。

「私、お義母さんと仲良くするつもりだし、大切にもしたい。だけど、お義母さんに負けるつもりはないからね。梶原さんに愚痴も言うし、お義母さんを傷つけることも言っちゃうかもしれないから、先に謝っとくからね」

「分かりました。その時はちゃんと、結衣ちゃんを守ります」


 僕としては、母のことを共感できる相手ができて、ある意味「渡りに舟」だ。それに結衣なら、きっと前の彼女より上手く立ち回ってくれると信じている。それは数々のことを受け入れてもらった僕だからこそ、分かることだ。


 子供はまだ作っていない。2人の年齢のことは気になるが、せめてあと半年は環境に慣れたい、という結衣を尊重することにした。

 実際、僕としても、やっと結衣とゆっくり一緒にいられるようになったのだから、もう少し2人の時間を楽しみたいと思っていたので、全く不満は持っていない。


 最近、結衣といると、先回りしてあれこれ考えることが、少なくなった気がする。一人っ子というのは、1人で考えて動く癖が付いているから、これほど身近に相談できる相手がいる現実は、梶原に新しいゆとりをもたらせてくれた。

「喜びは倍に、悲しみは半分に」とはよく言ったものだと、今まさに体現しているところだ。


 とはいえ、2人での生活は、まだまだ擦り合わせ途中である。お互いに今まで「当たり前」と思っていたことの違いを、日々確認、修正をしているところだ。

 バスタオルを洗うタイミングとか、トイレの蓋をどうするかとか、小さな違いがごまんとある。新しい発見も多く、今の所、調整は上手くいっている。

 まぁ、ほとんどは結衣に合せているのだが、僕はそれで問題ない。ただ、スキンシップだけは主導権を譲れない。いつでも結衣に触れられるというのは、夫婦ならではの特権だ。これを譲るつもりは、当分ない。

 もちろん、結衣にウザがられない様に、細心の注意を払って。


 そういえば、結衣のタロットカードが、結構(まと)を得ていることに、今更ながら驚いている。

 誰かが、占いは「相手が喜ぶ嘘をついて、金を巻き上げる仕事」だと言っていたが、僕はそこまで現実主義者ではない。本当に手探りで動かなければならない時、ちょっとした心の糧になることがあるのだ。


 今の所、専業主婦をしている結衣が、そのタロットでYoutubeを始めた。当初、乗り気ではなかった結衣だったが、毎日カードを練習しているのを見て、僕の方がもったいないと思ったのだ。

 結衣の素敵なところを僕が独り占めするのではなく、もっとみんなに知ってもらいたいというのも、少しあったかな。

「君の声と話し方は、説得力があるよ」と勇気づけたら、「じゃ、取り敢えず、やってみようかな」と、始めることになった。


 最初は、映像の編集作業を手伝ってあげていたが、すぐに結衣もやり方を覚えて、今では登録者が3000人を超えたと喜んでいる。きっとすぐに、1万人くらいになるんじゃないかと、僕は密かに目論んでいるが、結衣的には今のままでも充分らしい。

 夫として応援してやりたいとの思いもあり、僕も新しい職場で、女性社員に結衣のチャンネルを進めたりして、こっそり布教している。もちろん、妻とは言わずに。

 彼女たちの評価が良くて、僕は1人でご満悦である。


 それにしても、占いなどほとんど信じていなかった僕が、パートナーが好きなものは案外あっさり受け入れてしまっていることに、少し驚いている。夫婦が似てくるというのは、こんなことの積み重ねなのかもしれない。


 結婚が決まった際、佐々木にも2人で挨拶に行った。結衣のお母さんに挨拶に行った帰り、結衣が行こうと誘ってくれたからだ。

 実は僕も迷っていたので、背中を押される形になった。


「えぇっ!? 2人が結婚するの!」

 佐々木の驚きは当然で、その興奮はしばらく続いた。

「この家で、初めて会ったんですよ」

 結衣がそう言ったのを聞いて、佐々木も感慨深い顔をしていたが、僕も思うところがあった。「お母さん」とは呼べないが、前よりは話すことに抵抗がなくなっていた。

「僕の、写真があると聞いたんですが」

「浩君……」

 初めて目にする、小さい時の自分の写真を見ながら、佐々木がポツリポツリと話す昔話を聞くことになった。

 結衣が隣にいてくれることが、どれほど心強かったかは言うまでもない。


「浩君、カードの支払いしてくれたのね。少しずつだけど、必ず返すから」

「……分かりました。でも、無理はしないで結構ですから」

 手切れ金だと突っぱねる気持ちは、もうなかった。逆に、それで細い糸が繋がっていることの方が、いいのかと思える様になっていた。

「また、来ますね」

 別れの挨拶をしている結衣の隣で、その時は僕も隣にいるだろうと確信して、佐々木の家を後にした。


「結衣、ありがとう」

「いいえ。佐々木さんがいなければ、梶原さんが生まれることはなかったんだから、大切な人です」

 そう言われた時は、さすがにグッとくるものがあった。

 結衣には、父と佐々木との関係を話してあったので、こんなことまで背負わせて、との思いが、少しだけ軽くなった。


 最後に、用意してきた花と線香を持って、歩いて寺に向かった。

「どんな声だったんだろう」

 到着した弟の墓の前で、結衣はそんなことを言った。

 あの日、初めて見た佐々木家の墓を前に、無性に腹が立った。

 こいつは、なんの苦労も知らずに、母の愛を独り占めして……、家族をバラバラにして……、自分ばかりさっさと楽になって……!

 そう、花を叩き付けた。


 だが、今は違う。

 父を知らず、丈夫な体を持てず、大人にすらなれなかった。

 どんなに寂しかったか、どんなに苦しかったか、そして、どんなに生きたかったか……。

「今度、録音が残ってないか、聞いてみよう」

「そうだね!」

 嬉しそうに笑った結衣を見て、更に思った。

 愛する人に出会うこともできなかった弟。お前の分まで、僕は幸せになるよ……。



 もうすぐ1Fだ。エレベーターを降りれば、後は駅まで5分歩く。東京と違って、名古屋は通勤時間が50分掛からない人が多い。梶原も、35分程で到着する。地方都市特有の生活のし易さを、結衣と2人で実感し始めている。


 梶原は、昨夜のことを思い出していた。結衣を抱いていた時、ふと、ある思いに体中が満たされた。


「今、僕達は、体を分け合ってるんだな」


 1つになっていた時だ。この快感は、結衣がいるから叶うものだ。そしてそれは、結衣も同じ……。僕がいるから、叶っている。


 途端に、愛おしさが溢れた。

 いつまでも、君を分けて欲しい。僕もずっと、分け続けるから。

 もちろん、体だけではない。時間も、空間も、そして、心も。


 いつだったか、自分の一部が溶け出して、結衣に流れ込んだ時を思い出した。あの時の様に、結衣の一部も僕に渡してほしい。そうやって、2人で分け合って生きていきたいと、いつまでも結衣の体を手放せなかった。


ピロン!

ピロン!

ピロン!

ピロン!

ピロン!

 梶原のスマホが、5回分のLINEの着信を知らせた。

「あ、い、し、て、る」

 スマホから目を上げマンションを見上げると、結衣がベランダから手を振っていた。その笑顔が、朝日に照らされて輝いている。

「愛してるよ」

 小さく声に出しながら、梶原も大きく手を振り返した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ