お盆休み
お盆休み初日、結衣は今日、グアムに出発する。
「行ってきまーす」
そんなLINEを最後に、さっさと空港に向かった結衣を尻目に、梶原は昼間からビールに手を伸ばす。
「で、お前は置いてきぼりか?」
「そういうこと」
「そりゃ、グレたくもなるわなぁ」
「彼女もいないお前に、言われたくない」
「絡むなよー。俺は今、好きでフリーなの。作ろうと思えば、すぐできるの、彼女は」
「それはどうかなぁ。男も38にもなると、思ったようにはいかなくなるからな」
「だから、絡むな。まったく」
梶原と一緒に餃子を頬張っているのは、熊谷茂。梶原の高校時代の同級生だ。
名前の通り熊の様な体格で、学生時代女子からは、茂とプーさんで、シゲプーと呼ばれていた。
「お前、東京にいつまでいるんだ」
「水曜まで。帰りの渋滞を避けるために、早く帰る」
熊谷は現在、長野に住んでいる。東京が実家なのだが、旅先で出会った信州ワインに惚れ込んで、移住してしまった。今、ぶどう作りに奮闘している。
ただ、彼の両親は東京にいるため、こうやってたまに帰って来る。そんな時は、必ず梶原と会っていた。
「梶、お前、何か雰囲気変わったな」
「……そうか? 老けたとか、言うなよ」
「逆だよ。若くなったっていうか……、年相応になったっていうか……」
「なんだ? それ」
「お前、ちょっと達観したところがあったからさ。実年齢より上に見えるんだよな」
「達観って……。寺の坊主じゃないんだから」
「いや、そんな感じがあったんだよ。何だろうなぁ、どっか、人生を割り切ってるみたいな? 諦めてるみたいな?」
「……なんだよ、それ」
梶原は、熊谷の言う意味が、少し分かる気がした。
離婚は、さすがにダメージが大きかった。この人となら、と見込んだ女性に去られ、自分の立場を自覚した。
両親が健在の一人っ子は、同居前提での結婚は、大変難しい。もちろん、最初から同居しなくてもいいのだが、いずれ面倒を見なくてはならない舅、姑の存在は、梶原を婚活市場から追い出した。
実際、梶原も結婚には二の足を踏むようになった。彼女ができても、深く関わることをしなくなった。1度失敗した人間は、2度と同じ過ちを繰り返したくないと思うものだ。
それを「達観」と言われれば、そうだったかも知れない。
そこに、結衣が現れた。
「本気みたいだな、今度の彼女」
「うん……、まぁな」
「お前、タバコ止めただろ」
「まだ、途中。取り敢えずは、続いてるけどな」
「そういうのって、あるよな。男って」
「そういうの?」
「彼女のためとか、子供のためとか、ってやつ」
「……あぁ」
「どんな子だ?」
「許して、受け入れてくれる」
「若くて、可愛い子じゃないのか?」
「お前、まーだそんな事言ってるの? 長野には、そんなに女の子がいないのか?」
「えっ、いるから言ってるんだろ」
「違うだろ。そんなステレオタイプ、僕等の様な歳には、東京でも相手にしてもらえない。妄想の中でしか、存在しないんだよ」
「うへっ、相変わらず現実主義だな。お前も夢を持て! 将来の俺の隣には、若くて可愛い奥さんがいるに違いない」
「お前は、相変わらず夢追い人だな。僕は、彼女を現実として見てる。目を覚ませ」
「置いてきぼりが、ほざけ」
「うっ……。それも、現実……」
2人して大笑いした。
梶原は、冷やし中華の最後の一口を啜った。外に目を向ければ、陽炎が見える程、気温が上がっている。こんな日は海にでも出掛けて、その後しっぽりと温泉でくつろぐに限る。結衣の水着姿を見られなかった悔しさが、また込み上げて来た。
「でもま、盆過ぎはクラゲが出るしな……」
外をぼんやり眺めながら、ビールのグラスを持つ手が止まっている梶原に、熊谷は吹き出した。
「梶、でっかい独りごとだなぁ」
「……えっ」
今、声に出てた?
「お前~、彼女と海水浴に行く事、考えてただろ」
「考えてない」
「高校生かよ」
「いいんだよ。今度、温泉行く約束、頂きましたんで」
「くぅ~、俺も行きて―」
「お前は、1人で行け」
いつまでもバカ話が終わらない、気安い友との時間は、結衣といるのとはまた違った貴重な時間である。
店のテレビがニュースからワイドショーに変わっていて、そろそろ14時近いことを知らせている。
「次の話題です。事故のニュースの続報です。本日正午過ぎ、成田空港に向かっていたバスがトラックに追突され、多くのケガ人が出ている模様です。中継が出ています」
「こちら、事故現場の上空からお伝えしております。お盆休みと重なり、乗客は満席に近い状態だったようです。バスは横転し、トラックの前面が、原形を留めていない程、潰れてしまっています」
ヘリからの中継は、事故現場である道路を、大きく画面にアップで捉えていた。
「うわー、こりゃ酷いや。せっかく旅行に行く予定だったんだろうにな」
熊谷の言葉に、梶原は自分の後ろにあるテレビの方に、振り向いた。そこには、横転したバスの周りに、トランクや荷物が散乱した様子が映し出されている。救急車と消防車の姿も確認できる。
「けが人がかなり出ている模様です。現在分かっている情報では、トラックの運転手は死亡。バスの乗客の内、女性2人が意識不明の重体、重傷者が3名、軽症者が多数出ている模様です。ケガ人の中には、子供も含まれているとのことです」
「あの潰れ方じゃ、運転手、助からないわな。子供は、大丈夫なのか……」
熊谷が独り言のように呟いた。が、その声は、梶原の耳に届かない。
「……」
梶原は、背中がゾワッとした。……結衣は、バスで行くと、言ってなかったか。
いや、空港に向かうバスが、何台あると思ってるんだ。……でも、一応確認はしてみるか。心配し過ぎだって、結衣に笑われるかな……。まぁ、無事が分かれば、それでいい。
嫌な胸騒ぎが止まらない。梶原はテーブルの上のスマホに手を伸ばした。
LINE通話は……、ダメだな。相手の電話がどんな状態でもコールし続ける。現状を確認するには、一般の電話じゃないと分からない。
通話ボタンをタップした。
「お掛けになった電話番号は、現在使われていないか、電源が入っておりません」
ガタンッ!
梶原が、椅子を倒しながら、その場に立ち尽くす。他の客も、店主も注目した。
「おい、梶、どうした?」
熊谷の問い掛けにも、梶原は反応しない。テレビに意識が集中している。
「おい……」
梶原は、一心不乱とでもいえるほどの勢いで、また電話を掛け直した。
画面では、事故現場の後ろにできた長い渋滞が映し出され、間もなくこのニュースが終わることを告げている。
そんなテレビを呆然と眺めながら、梶原は電話をし続ける。
「梶」
熊谷が再度呼びかけた。が、梶原は視線が定まらないまま、スマホを耳に当てていて、熊谷の声に応じる気配はない。
相手が出ないのか、またすぐに電話を切った。スマホを睨み、その表情は、必死に何かを言い聞かせているように見える。
呼吸が荒くなってきているのが分かり、さすがの熊谷も、ほっとくことはできなくなった。
「梶、一体どうしたんだ」
しっかりと肩を掴み、梶原をスマホから引き剥がした。
「結衣が……」
心臓が、鼓動を早くしていて、梶原は息が吸えなかった。
手の震えが、止められない。グッと手を握り、指の感覚を取り戻す。もう一度、結衣の名前をタップした。
繋がらない……。
いや、大丈夫だ……。一時的にバッテリーが切れたか、電波が届かない場所に入り込んだに違いない。
そう思おうとすればするほど……、そうじゃない可能性も同時に膨れ上がっていく。
「おい、落ち着けって。結衣って、彼女の名前か?」
「電話に、出ない……」
「あのバスに、乗ってるのか? 間違いないのか?」
熊谷は、あり得ないと思う。どんなニュースでも、自分に関係のある人間が関わっている事なんて、ほとんどの人は一生体験しないんじゃないかと思っている。田舎の小さな町でもそうなのだから、東京なら尚更だ。
そんなこと、冷静な梶原ならよく分かるはずだが、一体どうしたんだ……。
「梶、よく考えろよ。そんなわけないって。そんな偶然、滅多に起こるわけないだろ」
それまで熊谷には一切反応して来なかった梶原が、その言葉に、にわかに熊谷の顔を見た。
その顔が、徐々に怒りを含んでいく。
「そうじゃないって……、そうじゃないって、お前……、証明できるのか!」
梶原の震える声で一喝され、熊谷の顔から、中途半端な笑顔が消えていった。
それからのことは、熊谷がいてくれたからできた事で、混乱していた梶原1人では、とうていできなかった事ばかりだ。
ツイッターを探ったり、事故がリアルタイムにUPされるネットの地図などを活用して、所轄の警察なども探し当てたりしてくれた。
すぐに連絡してみたが、ケガ人の情報や、ましてや運ばれた病院などは、個人情報として全く教えてもらえなかった。
新聞に載る頃になれば、どの病院に運ばれたかなどの情報は掲載される。しかし、報道関係もまだそこまでは把握していないのだろう。オンラインニュースでも、まだ上がっていなかった。
無事、飛行機に搭乗したことが分かれば、全て解決すると考え、航空会社への連絡も試みた。しかし、やはりここでも、個人情報である搭乗者名簿を開示してくれるはずもなく、それも確認できなかった。
とにかく、梶原はその場にじっとしていられず、すぐにでもどこかに行きそうになる。それを、熊谷が必死に抑えていた。外に出れば、灼熱の太陽が待っている。
「まずは、お前は一旦家に帰れ」
そう言われ家に戻ることになり、熊谷が自宅まで車で送ってくれたのだが、これもほとんど覚えていない。この頃にはもう、梶原の頭の中では、結衣が意識不明で運ばれた姿しか思い浮かばない状態になっていた。
いつか見た、ストレッチャーの毛布の下に垂れ下がった腕が、結衣の姿に重なっていく。
そうだ! 結衣の実家に行って、連絡が来ていないか確認すればいい!
自宅の前まで戻った時、やっと回り出した頭で、唯一の手掛かりを思い出す。慌てて車庫に向かった。
「梶、車なんかで、どこ行くんだ!」
「結衣の実家……」
車のドアに手を掛けている梶原を、熊谷が引き留める。
「分かったから、俺が運転する。道を、教えろ」
熊谷の運転が、これ程イラついたことはない。なに、安全運転してるんだ!
「梶、俺達が事故ってどうするんだよ。……しっかりしろよ」
梶原は、いつまでも鳴りやまない心臓の鼓動が、うるさくてしょうがなかった。
「誰もいないな……」
結衣の実家の前で立ち尽くす梶原の後ろで、熊谷がそんなことを言った。
「病院に行ったのかも……」
梶原が言う言葉に、熊谷は小さく溜息をついた。
「いいか、梶。良く聞け」
「……」
「これ以上、動かないほうがいい。彼女の家族の中に、お前のことを知ってる人はいるのか?」
「それは……」
目が泳ぐ梶原に、熊谷は静かに言い聞かせた。
「お前、彼女の家族に、まだ挨拶なんてしてないんだろ。じゃ、残念だが、お前に連絡が来るのは、もう少し後になる。それは……、どんな状況にしろ、だ」
「……」
「辛いのは分かるが、お前は家にいた方がいい。俺の言ってることが、分かるか?」
「……ああ」
「それに、本当に彼女があのバスに乗っていたかどうかも、まだ分からないんだぞ。もしかしたら、すっかり飛行機に乗ってるかもしれない。そしたらきっと、グアムに着いたって連絡が来るだろ? その時にスマホのバッテリーがなかったら、どうするんだよ」
「あっ……」
梶原は、慌ててスマホを確認した。よかった、まだ電池はある……。が、結衣からの連絡は、やっぱり来ていなかった。
「……分かった」
2人は、梶原の家に戻ることにした。




