後輩
土曜日。梶原が結衣の仕事場の近くに、迎えに来てくれることになった。一緒に、夕食を食べようと約束している。結衣は、今日も朝から、督促の仕事に忙しい。
「あなた! この間、母に電話してきた人ですか!」
そろそろ、引き落とし不能になってから3週間程経っていて、まだ支払っていない顧客は、さすがに曲者が多くなってくる。
結衣は、急いで交渉履歴を遡る。あぁ、先週、私が電話してるわ。昨日までに払うって言ってたのになぁ。
「はい、そうです。そちらは、娘さんでいらっしゃいますか?」
「あなた、何なの! 『このままでは、この先、どうなるか分かりませんよ』って、どういうこと! まるでヤクザみたいじゃない! お宅は、ちゃんとした会社じゃないの!」
何、何? 私、先週、何言った? あぁ、確かにそう言ってるわ。そうそう、のらりくらりと支払いの約束から逃れようとするものだから、ついこの言葉が出たんだったなぁ。こりゃ、いかん……。
「申し訳ありません。勘違いするような言い方をしてしまいまして……」
取り敢えず非を認め、謝った。
この顧客は、初めての延滞ではない。2、3ヶ月ごとに延滞を繰り返している。きっと、年金収入が主体の顧客であると思われた。年金は、2ヶ月に1回の支給だ。会社員の様に、毎月収入があるわけではないのに、請求は毎月来る。年金受給者の、落とし穴である。
「そうよ! 人を脅しておいて、ただで済むと思ってるの!」
そう言う自分も、随分な脅し文句を言っていることに、気が付いているのだろうか。
結衣は冷静に、なるべく小さな声で話を続けた。人は小さな声で話し掛けると、何とか聞き取ろうと、話に集中してくれる。特に後ろめたさがある相手は、こちらのいう事を漏らさず聞こうと、集中してくれる。
「ご説明させていただきます。『この先』と申し上げたのは、このまま何度も延滞が繰り返されますと、せっかくお支払いを頂きましても、カードが使用できるように戻らないかもしれないという事です」
「えっ……」
「ましてや、次の引き落とし日の前日までにお支払い頂けなかった場合、今後、今のカードは一切使用できなくなります」
「そんな……」
「しかも、当社のみならず、他社のカードも使用できなくなったり、新しいカードを作ろうと思っても、作れなくなったりするんです」
「……」
「それは、大変なことではないのでしょうか? 私は、大変なことだと考えておりましたので、そう申し上げてしまいました。申し訳ありません」
「……いえ」
相手の声が、どんどん小さくなっていった。この慌てぶりだと、きっとこの娘さんも、このカードを当てにしているに違いない。一緒に買い物をして、母親に支払わせているのかもしれない。よくあるケースだ。
怒鳴られて始まった会話だが、元々、支払いの約束を守れなかったのは、そちらなのだ。どんなに頑張っても、勝てる戦ではない。
まぁでも確かに、「どうなるか分からない」は、反社会的勢力の方々も使う常套句なので、こちらにも十分非はある。怖がらせてしまって悪かったと、心から思っては、いる。
「それでは、娘さんは今回の件をご存じだということですので、お支払いの約束をお願いできますか?」
「……はい。明日振り込みます」
「ありがとうございます。お約束頂いた娘さんのお名前と、連絡先を教えて頂けますか?」
無事、支払いの約束を取り付けて電話を切った。
「何だか今日、気合が入ってない?」
隣の遠藤から、声が掛かった。
「まあね。今日は、定時直帰だから!」
「デート?」
「うんっ」
「いいな~。そういえば、姫野さんって平日も仕事だったよね。なかなか会えなさそうだね」
「そうなんだ。久し振りに会うの」
「うぅ、眩しい……」
「やだっ、そんなに浮かれてないって~」
「羽が生えてるの、気付いてないんだ」
「やだぁ、どこ?」
「頭……」
「わー、遠藤さん、失礼だ―」
「はははっ」
「結衣ちゃん」
待ち合わせ場所に着いた結衣は、後ろから声を掛けられた。
「お待たせ」
横に並んだ梶原を、ゆっくり歩きながら見る。久し振りに会う彼は、案外元気そうで安心する。いや、久々の東京で、生き返っているのかもしれない。
「髪、伸びて来たね」
「そんなかな? 一昨日も画面で見たでしょ」
「うん。後ろから見ると、割と分かる」
そう言いながら、梶原が結衣の髪に触れ、頭を撫でた。その感触が、まるで美容師の様に優しくて、心臓が鳴る。一瞬で、先日の愛撫が思い出された。
そんな思いが、伝わってしまったらしい……。
「そんな目で、見ないで。このまま、君の部屋に行きたくなる」
「……っ」
耳元で囁かれた梶原の声に、結衣は顔が熱くなった。
「やだっ、もう」
なんとか虚勢を張って、真剣な顔を創り出す。そんな結衣に、梶原は追い打ちを掛ける。
「僕は、それでもいいけど」
いつもの様にやさしく微笑んでいる梶原を見て、「ぅわっ、ずるい~」と心の中で叫んだ。
「お腹が減りました。夕食、食べましょ」
結衣の少し怒った顔を見て、梶原は吹き出した。もう一度結衣の髪に触れ、頭をポンポンとする。
「ははっ、分かりました。お仕事、お疲れ様。じゃ、行こうか」
しっかりと結衣の手を握り、歩き始めた。
なんと今日は、イタリアンレストランに行くという。今まで割と「大人カジュアル」なお店が多かったので、場所を聞いて驚いた。すぐ近くの、シティホテルの中にある。
「えっ、私、こんな普通の格好……」
「いいよ、十分。僕も普段着だから。宿泊客の顔してれば、心配ないよ」
「なるほど……。でも、どうしてそんな所。いつもの感じで良かったのに……」
「僕、釣った魚にエサを与えるタイプ」
へっ……。あまりに分かりやすい説明で、一瞬足が止まった。
「もぉ、ほんと梶原さんって、ギャップ~」
何故だかドヤ顔の梶原を、結衣は笑ってしまう。つい、好きだなぁという感情に満たされてしまう。やっぱり、ずるい……。
コースのメニューにワインまで頼んでくれた。ほんと、立派な「エサ」である。
「で、1ヶ月で帰ってこれそうなの?」
「う~ん、よく分からない。会社がどうしたいんだか……。ラインの仕事をさせるなんて、制裁の意味だけとは、ちょっと思えないんだよね」
「……そうなんだ」
「うん。それに週明けからは、別のラインだって言われてて」
「少しは、楽になる?」
「どうだろう。本社にはないシステムばかりだから、やってみないと分からないんだよ」
結衣にはさっぱり分からないが、ただの単純作業をさせられている訳ではないらしい。確かに、梶原のスペックを無駄に1ヶ月以上も遊ばせておく企業は、バカだと思う。
「予定より長くなると、生活も大変でしょ。足らない物は、ないですか? 必要なものがあれば、送りますよ」
前菜の後のパスタを捌きながら、梶原は少し考え、こちらに笑顔を向けた。
「結衣ちゃん」
「……」
呼び掛けられているのかと、結衣は次の言葉を待つ。すると、もう一度梶原が言い直した。
「足らないものは、結衣ちゃん」
「……」
パスタを口にしようとしたところで言われ、口を開けたままで止まった。何でしょうか、この甘い言葉の数々は……。
「もぉ、食事が喉を通りません」
と、パスタをパクリと口に入れる。それを見て、梶原は珍しく声を上げて笑った。
「ははっ、ホントだ。通ってないね」
32歳だからこそ分かる、チヤホヤされることの悦び……。20代前半では当たり前だったということを、今更ながら噛みしめる。それに、まぁ、純粋に照れるから、ちょっと控えめにして欲しい。
「今日、実家に行きました?」
「いや」
「じゃ明日、寄ります?」
「いや、そのまま帰るよ」
「いいの?」
「うん、いい」
やっぱり家の話をすると、少し梶原に拒否反応が出る。
「そうだね。子供じゃないもんね」
「そう。せっかくの1人暮らしに、水を差すことない」
「楽しんでるんだ、1人」
「うん、ビックリするくらい」
その落ち着いた笑顔が、嘘ではないと物語る。仔牛の柔らかい肉を楽しみながら、赤ワインを口にした。どの料理も本当に美味しくて、改めて感謝の意を伝えようと口にした。
「ホントに、どれも美味しい。素敵なお店です……ね……」
「ホントだね。久し振りだったけど、ここにして良かった……よ……」
結衣の視線が、自分の後ろに釘付けになっていることに気が付いた梶原は、言葉を返しながら小さく振り向いた。
「主任! 東京にいらしてたんですか!?」
「鈴木さん……」
そこに立っていたのは、梶原の会社の後輩だった。隣の課の、新人女子社員である。
「主任、急に長期出張になられたので、心配してたんです」
何の憂いもない美しい肌に、ほんのりとチークがのせられている。唇は柔らかいピンクで、シャープなアゴのラインに、ふんわりと緩やかな髪が触れている。
テーブルの横までやって来て、梶原に体を向けているその「可愛い」彼女に、結衣は咄嗟に身構えた。
「お元気でしたか?」
そう話し掛ける鈴木に、梶原はやっと我に返った。
「ああ、元気でやってるよ。偶然だね、鈴木さんも食事?」
「そうなんです。友達と」
そう視線を振った先のテーブルには、同い年位の女性が1人座っている。
「以前、主任にここの上のバーに連れてきてもらった時、このお店が美味しいっておっしゃってたから、気になってたんです。それで、来てみました」
「……」
梶原は、ゆっくりと笑顔を引っ込めた。そして、結衣の顔をしっかりと見た。
「結衣ちゃん、彼女は会社の後輩の鈴木さん。隣の課に、この春入った新入社員だよ」
「初めまして。とても、可愛い新人さんですね」
結衣は、ニッコリと笑った。梶原が「結衣ちゃん」と呼び掛けた時、明らかに眉根を寄せた鈴木に、どう対処したものか、頭をフル回転させる。
「初めまして。いつも主任には、相談に乗ってもらっています」
「そうですか。梶原さんは、頼りがいがありそうですね」
「ええ、とっても。1ヶ月もいらっしゃらないと聞いて、不安でした。でも、今日偶然会えて、嬉しいです」
「……」
何ともまぁ、私の中にはない要素を一杯持った女性である。周りの友達にも、こんなタイプはいなかった。この押しの強さと可愛さがあれば、どんな男性も手中にできるだろうなぁ……。
どうしようかな、と思案しているところに、梶原が入ってくれた。
「鈴木さん、お友達が待ってますよ。料理が冷めるから、早く戻った方がいい」
意外と冷たい声に、結衣の方が驚いた。こんな顔も、するんだな……。
「えぇ!? せっかく会えたんですから、これからご一緒しませんか? 私達この後、上のバーに行く予定なんです。いかがですか?」
と、最後は結衣に向かって笑顔で問う。おぉ、なかなかに強い心臓をお持ちです。結衣は困った笑顔を貼り付けて、こっそり梶原の顔を見た。あっ、マズい……。梶原の目が、小さな怒りを宿し始めている。
「ごめんなさい、鈴木さん。私も今日は、大事な相談に乗ってもらっていて、もう少し時間が掛かりそうなの」
鈴木は結衣を見たまま、あからさまに半眼になった。が、すぐに笑顔に戻って、梶原に顔を向け直す。
「残念です。では主任、また相談に乗って下さいね。お邪魔いたしました」
最後は一応丁寧にお辞儀をして、自分の席に戻って行った。
ほんの5分程の会話なのに、半端なかった緊張感が去る。
ちょっと、気が抜けた……。
「ごめん、結衣ちゃん」
「すごい偶然、でしたね」
「……。彼女とは、1度ここのバーで飲んだことがあって……」
さすがに気まずそうに、言葉が止まる。
「いや……、聞きたくないね。こんな話……」
梶原が気を回して、話を止めようとしている。いやいや、それでは逆に、きっといつまでも引きずってしまう。
結衣は、ナイフとフォークを皿に置いた。
「ううん。ちゃんと説明して」
梶原は、その言葉に少し驚いたように、伏せていた目を上げた。結衣は怒っている様には見えない。が、どこまで話すべきなのか……。
1つ小さく息を吐いて、姿勢を正した。
「彼女が隣の課に配属になって間もなくの頃、ちょっと声を掛けたんだ。実は、隣の課長は、部下を面倒見られない人でね」
あら、梶原さんの会社にも、そんな人がいるのね。中小企業だけじゃないんだ……。
「それまでにも何人か揉めて、入れ替えが激しい課で、人が定着しない。皆、遠回しには見てるんだが、手を出す余裕はない」
「うん」
「案の定、彼女も仕事を教えてもらえなくてね。教える予定の先輩が、彼女と入れ替えに異動しちゃって、引継ぎもしてもらえなかった」
「あら、じゃ、大変だったんだ、鈴木さん」
「そうなんだ。大抵いつ見ても、仕事してなくてね。やることが無いから、新人教育の時の資料ばっかり読んでた」
あんまり真面目に話すので、結衣はちょっと、からかいたくなる。
「よく、見てたのね。彼女の事」
その言葉に、梶原は慌てる。
「いや、机の配置がそんな場所だっただけで……。特に気にして見てたわけじゃないよ」
「ふ~ん」
計画通りの反応で、結衣は内心、可笑しくて笑ってしまう。さっ、続きをどうぞ。
「それで?」
「あっ、うん。それで、1度声を掛けた。『仕事、分かる?』ってね。そしたら、その場でポロポロ泣かれちゃって……」
「あら、大変」
「うん。とにかくその場は何とか泣き止んでもらって、それからは、ウチの部署の新人に、様子を見るよう指示したんだよ。隣の課の仕事も、ウチとそんなに変わらないからね。特に新人の頃は」
「……ところで、その隣の課の主任は、どうしてたの? 課長のほかにも、上司はいるんでしょ?」
「ああ、彼もダメなんだ。何せ、その課長の下でずっと働いてるから、自分も面倒を見てもらってない。それでも、成果は残してるから、大したもんなんだが……」
「自分がしてもらってないことは、人にしてあげられない……ってことね」
「そうなんだ。自分で考えて動け、というタイプでね」
大体のあらすじは、これで分かった。しかし、肝心なのは、ここからである。
「で、どうして、ここのバーに来ることになったの?」
「それは……、彼女に相談があるって言われて……」
まぁ、当然の成り行きだよねぇ。梶原さんは、彼女の中では完全にヒーローだもんねぇ。
「うん」
「ご存じの通り、僕もそんなに暇じゃないから、仕事の合間にって思ってたんだけど……」
どんどん言いにくそうになっていく。
結衣は、少し助け舟を出すことにした。時間がもったいないし、ワインも、もうすぐ無くなってしまう。
「彼女の方が、2人きりで外で話したいって、言った?」
驚いた梶原の顔が、答えになる。やっぱりか……。
結衣は置いていたナイフとフォークを持って、残りの肉を食べ始めた。その様子を見て、結衣がもうここで、この話を、終わらそうとしていることに、梶原は気が付いた。
「冷める前に、食べちゃおう」
そう笑う結衣を見て、梶原は、やっと結衣の真意が分かった気がした。
結衣は、ちゃんと言い訳をさせてくれたのだ。そして、その話の結末がどんなものでも、受け入れる気でいる。つまり、本当は聞きたくないのに、聞いてくれた……。
でも、ここで終わっては、その覚悟が台無しだ。最後まで、ちゃんと聞いて!
「結衣ちゃん、僕と彼女の間には、何もないよ。確かに、残業上がりまで待つと言われて、ここのバーを指定はした。でもそれは、駅がここから近いことと、会社のメンバーもよく使う場所だったからだ。もちろん、部屋も取ってやしない」
今度は、結衣の方が驚いた。急に結論を話し出した梶原の目は、先程までの迷いが消えている。
「相談っていうのは、僕へのお礼と、今後どうしたらいいかって話だった。僕としては、彼女のしたいようにしてもらえばよかったから、異動もありかと助言したよ。もしこのまま頑張れる様なら、今まで通り、ウチの同期に聞けばいいからって伝えた」
「……はい」
梶原の迫力に、結衣は思わず食べる手を止めて、返事をした。梶原は続ける。
「『帰りたくない』と、言われたよ。確かに、そう言われるかもしれないと、バーで会った瞬間に思った。マズいな……、とね。でも、彼女の言葉に乗るつもりはなかった。最初からね」
「どうして? お互い、フリーだったんでしょ?」
別に、いいのだ。私達が出会う前の話しだし、あんなに若くて可愛い「据え膳」である。男の甲斐性だし、「食わぬは恥」なのではないのか。そこに、不快感はない。
「本気じゃないのに、抱くつもりはないよ」
真剣な目に、たじろいだ。
梶原を、一般的な枠に括りつけて決めつけていた自分を、反省しつつ思い出す。そうだった。梶原は「ペンタクルのナイト」だったな……。
「うん、分かった……」
その言葉に、梶原も一息ついたのが分かった。
「どちらにしろ、嫌な思いをさせて、悪かった」
「ううん、もういいよ。きちんと説明してくれて、ありがとう」
「結衣ちゃんこそ、ちゃんと聞いてくれて、ありがとう」
やっと笑顔になった2人は、残りの食事を再開した。
デザートの時、結衣が突然会話を止めて、身を乗り出した。梶原の顔に近づいて、内緒で何かを言おうとしている。何だろうと、梶原も顔を近づけた。
「後ろ、見ないで」
「え……」
結衣の視線を確認すると、レストランの出口の方を見ている。そして、取って付けた様に、梶原を見つめながら笑顔になった。
「……どうした?」
「彼女、今、帰って行った」
「あぁ、そうか」
「梶原さんに挨拶したそうだったから、邪魔しないでってオーラ出した」
「……結衣ちゃん」
「ちょっと、仕返し。へへっ、ごめんね」
「うん、……いいよ」
いつもの梶原の優しい笑顔を確認して、結衣は本音をポロリと口にする。
「だって、あのキャラクター、驚いたんだもん」
「あぁ、実は僕も、少し驚いた……」
顔を見合わせて、2人してクスッと笑った。人の悪口はお互い好きではない。でも今回は、これくらいは許してもらおうと笑った。




