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旅行

 博美が今日もやってきた。

「結衣、ビール貰うよ」

「どーぞ。この生春巻き、美味しそう」

 テーブルの上には、博美がデパ地下で購入してきた、サラダや総菜が並んでいる。


 博美は、結衣の飲み友達である。お酒も好きだし、実際強い。結衣の家に来ない日でも、晩酌は欠かさない。いつも「休肝日を作れ」と注意しているが、今のところ、全く聞く耳はないらしい。

 お互いの家を行き来しているが、行く方が食事を用意して、迎える方が飲み物を用意するのがルールになっている。


「この前からさ、ウチの会社にベトナムの子が来てるのよ」

 あっという間に2本目に手を伸ばしている博美の、会社の愚痴が始まる。

「製造業は、今ホントに多いらしいね。ベトナム人」

「あの世間ズレしたウチの専務が、これから対応できるのかねぇ」

「博美の話じゃ、人の世話ができない専務なんでしょ」

「そうそう。創業者の会長はバリバリの職人だったから、その甥の専務も叩き上げなのよ。教育なんて、受けたことないわけ。座学なんて、想像すらできないだろうねぇ」

「その専務が担当するんじゃ、新人の面倒なんて見られるわけないか……。ましてや外国人なんて、無理っぽそう」

「そうよ! 初めて海外に出てきた子達なんだよ。親代わりになって仕事以外のことも面倒見てあげなきゃ、信頼関係なんてできないのに! そんなこと、想像すらしてない」


 博美のピッチが、どんどん上がっていく。まぁ、明日は私も休みだし、博美もシフトの関係で休みなので、心置きなく空き缶を増産してかまわない。

「安い労働力の奴隷でも、手に入れた気分になってるのよ」

「奴隷って……。彼らは出稼ぎにくるの? それとも、手に職を付けたいから、来るの?」

「出稼ぎ感覚じゃないかな。向こうでは、月給2~3万らしいから。期限もあるしね」

「どれくらい?」

「3年。1人の子は、大学まで出てる子なのよ。すごくない!?」

「すごいね。なんだか、工場勤務はもったいない様な……」

「そうなのよねぇ。ホントは、観光業界で働きたかったらしいんだけど……」

「日本語を覚えるために来るのかな? 確かに、帰国して日本人旅行者相手に、仕事になるわね」

「確かにね~。でも、このままでいると、日本のこと嫌いになるかも」

「何で?」

「ウチの会社のメンバーの、相手を理解する能力が欠け過ぎてる」

「例えば?」

「日本語がそれほど理解できていない彼らに、仕事の説明を、専門用語で延々としてる」

「……不毛だね」

「不毛~」

 結局、人は自分が経験した事しか、実践できないのだ。頭で理解できても、どうやったらいいのか、行動の仕方が分からない。


 手本となる人が1人でもいれば、真似ることで行動は変わってくる。だが残念なことに、博美の会社にはそんな人は1人もいないらしい。親族で立ち上げた会社なんて、そんなものだ。現実である。

 もし今以上に会社を大きくしたいならば、トップの中に、外の人間を置くべきであろう。

 もしくは、次期社長になる予定の息子に、外に修行に行かせ、他の会社のやり方を見させるべきだ。でなければ、きっと博美の会社も、3代で潰れてしまう。


「まっ、私も、結婚したら辞めるし」

「結婚って……」

「いつかよ、いつか!」

 博美には、現在2年付き合っている彼氏がいる。ただその彼氏には、奥さんもいる。

「彼、何か言ってるの?」

「相変わらず、奥さんとは上手くいってないって言ってるけど。私といると、落ち着くらしいわ」

 そうビールを(あお)る博美は、昔より随分柔らかくなった。


 私達が出会ったのは、25歳の頃。たまたま居酒屋で仲良くなり、それ以来ずっと友達だ。出会った頃はもっと血気盛んで、会社で嫌なことがあっても、

「男が何だってんのよ! 女がいなきゃ、あんた達も生まれてこなかったのよ!」

 と豪語していた。


 結衣が相手のことを知った時には、もう2人の関係は始まっていた。


 相手に最初に会ったのは、いつもの居酒屋に、博美が連れて来た時だった。

 指輪こそしていなかったが、彼の年齢や落ち着いた態度を見れば、すぐに既婚者だと判断できた。

 飲み友達と紹介されたが、あの勇ましい博美が、彼の前では可愛い子犬の様になっていたから、あぁ、そういう事かと認識した。


 そんな博美は、ゴールデンウィークや年末年始など、1人でいたくないと言う様になった。昔は平気だった年中行事が、堪え難い行事になったらしい。

「でさ、今年のお盆、どこに行く?」

 ビールを片手に、博美が聞く。いつも旅のプランは結衣が考える。博美はとにかく、東京にいたくないだけだから。

「グアムは、どう?」

「えっ、ハワイじゃなくて?」

「うん。バイトあるからあんまり長く休めないし、旅費も掛けられないし。安いもんね、グアム」

「でも、小さな島だよ。何すんの?」

「水中スクーター!」

「何、それ?」


 グアムがハワイよりも人気がないのは、もちろん小さな島であり、観光地も少ないというのもあるが、気候も大きな要因になっている気がしている。

 どちらも熱帯気候には変わりはないのだが、1年を通してほとんど高音多湿なグアムは、やはりリゾート地としては適さない。ハワイの様にカラッとして、めったに猛暑にもならない土地とは、全く別物だと思っていいだろう。

 しかし、旅費で考えれば、半額以下であるグアムは魅力である。土日のバイトで日々を繋いでいる結衣にとっては、最適の旅行先だと選出した。


 博美に「水中スクーター」の動画を見せながら、熱意を込めてプレゼンをする。随分前から、やってみたいと思っていたのだ。

「バイクに乗って、水中散歩するんだよ」

「何これ。まるで宇宙服だね」

「そうなのよ。これなら空気は普通に吸えるし、歩くスピードだって言うから、危険も少ないよ。面白そうだと思わない~?」

「今年は、これにするか……」

「うん、しよう!」

「よし、決めた。今年のお盆は、グアムで決定―!」

「やった! 今年は、いい事ばっかりだー!」

 両手を上げて喜ぶ結衣に、博美は少し冷めた目を向けた。

「……彼氏と、どうよ」

「うん。上手くいってるよ」

「お主、我が世の春を満喫してるな」

「ハッ! 久々の春を、満喫し切っております!」

 右手で敬礼をしつつ、博美に向かって胸を張る。

「しょうがない、付き合ってやろう。最新の写真でも、見せたまえ」

「班長、了解でありまーす!」


 もともと結衣は、恋バナをするタイプではない。

 恋バナは聞いている分には楽しいのだが、こちらが話すとなると、彼とのやり取りを、何でもかんでも話すことになり、結衣にはそれがなんとも、違和感があった。彼に対して、裏切り感のようなものを感じてしまうのだ。

 オープンな女子だと、夜の営みのあれこれまで詳細に話し出す。そうなるともう、こちらは気分が悪くなってくるほどで、どんどんそういった友達は、友達ではなくなっていった。

 それは社会人になっても変わることはなく、この博美とはそういったところも馬が合った。彼のことも近況報告くらいで、それ以上は踏み込んでこない。


「で、出張中はどうしてるの?」

「うーん、やっぱりLINEかな。どうやら彼、ブルーカラーの仕事をさせられてるらしくて、体がキツイみたいなの。だから、電話は可哀想で……」

「ホントは確か、システム関係だよね。バリバリのホワイトなのに」

「そうなんだよね。結構、ひどいよね。私の方が、いつも会社に文句言ってる」

「彼はなんて言ってるの?」

「笑ってる。それより、……会いたいって」

「ぅわっ、新婚カップルなわけ!?」

「へへっ」

「その、へへっもなんか、ムカつくわ~」

「へへっ」

 たっぷりとノロけて、後は旅行の話を具体的にスケジューリングしていった。



 梶原は、やっと部屋にたどり着いて、冷蔵庫からビールを取り出した。

「はーっ、ウマ!」

 名古屋に来てから梶原が就くことになったのは、製造ラインの仕事だった。

 約束が違う、と文句を言うわけにもいかず、黙々と目の前に流れて来る品物と向き合う。最初の1週間が、キツかった。体力的なことが一番で、足と腰が真っ先に悲鳴を上げた。38歳を、改めて自覚した。

 2週間目がやっと終わりを迎え、体は徐々に慣れ始めている。会社が借り上げている、この共同住宅の社宅も、随分過ごしやすくなった。家具や電化製品は元々備え付けられていたが、細かい物はやはり足りなくて、やっと揃った感じだ。


「今日は、初めての飲み、だからな」

 結衣とは毎日LINEをしている。声が聞きたくて、電話にしたことがあったのだが、体の疲れに負けて寝落ちしたことがあり、それ以来、結衣が電話をさせてくれなくなった。

 そこで梶原は、体も慣れてきた昨日、オンライン飲み会を提案した。画面で相手が見られれば、寝落ちになることもないし、何より結衣の顔が見たかった。


「お待たせ―」

 結衣が画面にやってきた。ベッドを背に、テーブルにはビールが置かれている。

「結衣ちゃんは、ビール?」

「そう! 乾杯しよー」

 変わらない結衣の笑顔に、梶原はやっと自分の時間が戻ってきた気がした。

「ねぇねぇ、どんなお部屋? 見せてー」

 結衣に急かされて、ノートパソコンを持ってグルっと1周する。

「2DKって、すごいね。広~い。それに、綺麗にしてるー」

「うん。昨日頑張って、掃除しました」

「ははっ、気にしなくて良かったのに~」

 改めてテーブルに落ち着いたところで、結衣がニッコリと笑った。


「元気そうで、安心した」

「少し、落ち着いて来たよ。仕事も慣れてきたし」

「よく眠れてますか?」

「うん。ちゃんと、眠れてる」

「よかったぁ。ずっと、寝られてなかったでしょ」

「……それ、結衣ちゃんの思い込み」

「うそっ。いつ引いても、カードがそう言ってたよ」

「……いつも、引いてたの? 僕の?」

 あっ、という顔をした結衣を、梶原は見逃さない。目線が泳いだ後、「へへっ」と笑う結衣を、可愛いと思わずにいられない。


「結衣、会いたい……」

 梶原は画面の結衣に触れる様に、指を伸ばした。困ったように笑った結衣を見て、決心する。

「土曜日、結衣の部屋に泊めてくれる?」

 土曜日、結衣は仕事だ。泊ったとしても、翌日も仕事なので、ゆっくり一緒にいられるわけでもない。そんな事は分かっているのに、そうしたいという梶原を、結衣は心配する。きっと、ホントに疲れているのだ。癒してあげたい。

「うん、いいよ。待ってます……」

 嬉しそうに笑った梶原を見て、結衣の体の中心が、きゅぅっと締め付けられた。


「梶原さん、初めてのひとり暮らし?」

「そういえば、そうだな……」

「どう? 大変?」

 聞かれて、改めて考える。高校、大学、会社と、ずっと家から通っている。実家から離れて暮らしたことはない。敢えて言うなら、佐々木の家にいた1ヶ月が初めてだった。しかしそれは、やはり他人の家で、どこか緊張が取れなかった。


「いや、楽……だな」

 出た答えに、自分でも少し驚いた。本当に「楽」なのだ。もちろん、掃除や洗濯は面倒だ。しかし、自分以外、誰もいない空間は、本当に楽だった。

「そうだと思った。私も、そうだったから~」

 そう笑う結衣を見て、何だろうと、梶原は少し引っ掛かった。

「それに梶原さん、家から少し離れた方が、いいのかもって思ってたし」

「……なぜ、そう思ってたの?」

「この前、演奏会の時に……」


 ――きっと僕はまた、母に辛く当たってしまう


 結衣は、そうつらそうに吐き出した時の、梶原の顔を思い出す。

「あぁ……、覚えてた?」

 小さく頷く結衣は、また少し困った顔で微笑んだ。まただ……。

「食事はどうしてるの?」

 結衣が話を変える。

「こっちの喫茶店ね、モーニングっていうサービスがあるんだよ。コーヒー頼むだけで、パンとか卵とか、バナナまでタダで付いてくるんだ」

「それって、セットなんじゃないの? コーヒー代に、いくらか余分に払う、みたいな」

「そう思うだろ。これが、違う。店によっては、おにぎりに味噌汁に、茶碗蒸しって所もある」

「えっ、それもタダなの?」

「そう!」

「何かすごいね、名古屋。それで、お店は儲かるのかなぁ」

「儲かるんだろうね。喫茶店の数も多いしね。ここから会社に行くまでに、何件もあるんだ。しかも、全てのお店にモーニングサービスがある」

「すごい~。じゃ、朝は毎日、しっかり食べる様になったんだ」

「うん。工場は、腹が減る」

「はははっ」

 たわいもない話になったことを感じながら、梶原はいつもの感情に浸っていた。また僕は、結衣に許されて、そして、受け入れられている。


「今日は、結衣ちゃん何してたの? 休みだったよね」

「実家に行ってたの」

「また、呼び出された?」

「そうなの。もうお母さん、すっかり足はいいはずなのに、広報配り手伝えって」

「ご苦労様」

「ホントよぉ。自転車に乗って喫茶店には行けるのに、ご近所さんをチョコチョコ歩いて配るのはできないらしい。はぁ、甘え癖がついたんだわね」

「『いこい』には行ってこなかったの?」

 梶原の頭には、大輔の顔が浮かんでいた。

「行ってたら、今ここにはいないよー」

「そっか」

「そうだよ~」

 からから笑う結衣は、少しアルコールが回ってきたらしい。梶原も、2本目のビールに手を掛けた。


「でね、今日、佐々木さんの家にも広報配ったんだけど……」

 梶原の手が止まった。

「いつもはね、ポストに広報入れて終わりなんだけど、ちょうど行った時に『ガチャン』て音が、庭の方から聞こえてきてね……」

「えっ」

「私も驚いて、門の中に入ったの」

「うん」

「杖を、落としただけだったんだけど」

「あぁ……」

 梶原の顔が、安堵したのが分かる。やはり、胸の奥では心配しているのだと、結衣は確信した。ならば……、話をしよう。


「紫陽花の手入れをしてたみたい。そしたら佐々木さん、持ってけって言うから、紫陽花。お宅におじゃましました。……ごめんね」

「……別に、謝ることじゃないよ。僕は関係ないし、結衣ちゃんは、同じ町内なんだから……」

「うん。でね、お茶でもって誘われちゃって。みんな暇なのよね、家に1人でいると。ウチの母も、いっつもそう言ってるから」

「……」

 なぜ、この話を長引かせるのかと、梶原の顔が言っている。それでも結衣は、続けた。

「だから、少しお話したのね。そしたら、梶原さんの話になって」

「えっ……。まさか、僕たちの事、話した?」

「ううん、話してないよ。大丈夫」

 それを聞いて、梶原の顔が安堵した。が、少し不安気な表情が残っている。

「家の中にね、手すりがあるから、すごく助かってるって。それで、梶原さんの話になって。佐々木さん、すごく嬉しそうに自慢してた。息子が付けてくれたって」

「……結衣ちゃん、もうよそうか。この話」

 梶原が本当に嫌そうな顔をしたが、結衣は止めなかった。

「うん、あと少しだけ……。写真をね、梶原さんの小さい時の写真、いっぱい見せてくれたの」

「……いっぱい?」

 梶原の小さい時の写真は、全て実家のアルバムにあると思っていたが、別れる時に、何枚か抜き取って持っていったのかもしれない。

 実際、始めて佐々木の家に行った際にも、寝室で、小さい梶原が写った写真立てを見つけた。しかしそれも、別れる前の写真だったのは確認している。


「梶原さん、小学校の運動会、足が速かったんだってね。あと、学芸会の写真もあったな。ダンス上手だったって言ってた。以外だった~」

「えっ……」

 笑う結衣を置き去りに、梶原は一気に疑問だらけの思考になった。

 どうして、そんな写真があるんだ……。しかも、まるで見ていたかの様な……。どの話も、離婚した後の話だ。どうして……。

「佐々木さん、必ず見に行ってたみたいなんだけど、覚えてる?」

「……」

「やっぱり、知らなかった?」

「……」

 小さく目が泳いだ。まだ納得していないらしい梶原をそのままに、結衣は話を終える。

「佐々木さんの話は、それだけ。ごめんね、長かったね」


 梶原が、ふいに席を立った。「ビール」とひとこと言ったきり、画面から消えた。

 結衣は待った。梶原の気持ちが収まるまで、待とうと決めて。

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