帰り道
「びっくりした~。梶原さん、車なんだもん」
「やっぱり、会って話がしたかったから」
「そういえば、何ですか?」
「うん……」
梶原は、出張の話を結衣にする。その理由を聞いて、結衣は俄かに怒りだした。
「何ですか、そのペナルティって! そんなの、ブラックだわ」
「そうだよね。でも実際、在宅勤務なんて、できるものなら誰でもしたいものだから」
「でも、お母さんのお世話のためなんだから、しょうがないじゃないですか! 誰にだって、この先あり得る話でしょ。明日はわが身、ですよ」
「えっ……」
運転しながら、一瞬、梶原は結衣の顔を見た。その顔に、驚きが張り付いているのに気付いた結衣は、「あっ……」と口ごもる。
「結衣ちゃん……、佐々木さんが僕の母だって、知ってたの……?」
「……ごめんなさい」
「どうして……」
「ウチの母とご近所さんで、佐々木さんのお見舞いに行った時、佐々木さんから聞いて……」
「……そう、だったんだ」
そのまま、梶原は黙り込んだ。
また、やってしまった……。結衣は自責の念で泣きたくなった。いつも私はそそっかしい。少しくらい腹が立ったからって、お酒が入っているからって、1番肝心なことをすっ飛ばすなんて、情けない。ほんとに、……情けない。
「あの……」「嫌じゃ……」
2人同時に声を出し、……そして引っ込めた。一瞬の沈黙の後、先に声を出したのは、結衣の方だった。
「あの、ホントにごめんなさい」
「……結衣ちゃんは、それを知って、嫌じゃなかったの?」
「嫌?」
「複雑な家庭だなって……。それに、僕はそれを、今まで話していなかった……」
結衣は、ひと呼吸、間を開けた。
それは梶原にとって、心臓が締め付けられる時間である。
「何か事情があるんだと思ってました。人に知られたくないことは、誰にでもあるでしょ。もし必要な事なら、いつか話してくれるだろうと思ってたし……」
「結衣ちゃん……」
まただ……。
「それに、梶原さんがしたことは、人として間違ったことではなかったでしょ。偉いなぁって思ってました」
また僕は、この子に許してもらっている……。梶原は、心臓がゆっくり解放されていく感覚を味わっていた。
「今日、……君の部屋に、行ってもいい?」
「……梶原さん」
結衣は少し戸惑いながらも、小さな声でハッキリ答えた。
「はい」
梶原は結衣の手を取って、握った。それに応えて、結衣もしっかりと握り返した。
結衣の部屋は、以前話していた通り、さっぱりと綺麗に整頓してあった。
「ほんとに、綺麗にして出掛けてるんだね」
「汚すのは私だけだから、実はそんなに、大したことではないんです」
それでも、自分の部屋と比べても綺麗だと思う。信念……、てことなのだろう。君は、強い……。やはり、そんなところも好きだと思う。
「お茶、入れますね。座って下さい」
キッチンに行こうとする結衣を、梶原は背中から抱き締めた。
「お茶よりも、聞きたいことがある……」
結衣は梶原の腕の中で、体を入れ替えた。正面から梶原を見る。
「何ですか?」
「さっき、彼と何を話してたの?」
「さっき?」
じっと見つめられて、結衣は必死で考えた。さっき……? 彼? あぁ……。
「大ちゃんですか?」
こくりと梶原は頷いた。真剣な目に、少し圧倒されると同時に、恥ずかしさが滲んでくる。頬が熱くなっていく。
「……あの、梶原さんは、長い髪が好きですか? 短い方が好きですか?」
「え?」
意外な問い返しに、少し驚いた様子を見せて、それでも真面目に答えてくれた。
「どちらでも、似合ってれば……」
「そっか。長い髪が好きかも知れないと思って、伸ばそうかと思ってて……」
「うん」
「私、昔から好きな人ができると髪を伸ばすのを、大ちゃん知ってて。『また、髪を伸ばすのか?』って聞かれたんです。きっと、からかうつもりだったんですよ。子供ですよねぇ」
「結衣ちゃん……」
それは、違うよ。髪が伸びていることなんて、僕も気付いていない。それに気付ける彼が、どれほど焦ったか……。手に取る様に、僕なら分かる。
「髪が長い結衣ちゃんも、見てみたいな」
その言葉に、結衣の顔がパァと明るくなった。
「じゃ、伸ばしますね……。あと……」
「ん?」
「犬と猫なら、どっちが好きですか?」
「うーん、猫」
その答えに、今度はゆっくりと微笑んで、上目遣いで小さく鳴いた。
「にぁお……」
もう、そこまで! それ以上、あざと可愛いのは許さない。梶原は、結衣をベッドに押し倒した。
「ふー」
ベッドに腰かけ、タバコの煙を吐く。この一服が、どれ程旨いか……。吸わない奴には、一生分からないだろうな。
吸い終えたところで、もう一度、結衣の隣に戻った。
20代の頃は、これができなかった。
いわゆる「賢者タイム」と言われるものだ。この時間は、なにも考えたくないし、1人にして欲しいし、ピロートークは煩わしいとさえ思っていた。
でも、努めて隣に戻る様にしたら、今はもう面倒臭いとは思わなくなった。
好きな子のために、結衣のために、できることはしてやりたい。むしろ、もう一度結衣に触れたいと思っている自分に、少し驚いているくらいだ。
「結衣ちゃん」
腕枕にして髪を撫でれば、結衣は体を丸くして、懐に入ってきた。やはり、愛おしい……。ぎゅっと、抱き締めて、おでこにキスをした。
「私、名古屋って行ったことない。1回行ってみたいな……」
「うん。僕も仕事でしか行ったことないから、美味しい所見つけとくよ」
「夜、電話はしてもいい?」
「もちろん」
「LINEは?」
「勤務が、どうなるか分からないから、返事は遅くなるかもしれないけど、ごめんね」
突然結衣が、梶原の鎖骨の下あたりに、カプリとかぶりついた。
「ん? どうした?」
「キスマーク付けたい。どうするの?」
きゅんとするというのは、こういうのを言うのかと、梶原は初めての感情に身を任せる。
「少し嚙みながら、吸ってごらん」
言われた通りにしている結衣の髪を、小さな痛みを感じつつ指で弄ぶ。
「できた!」
嬉しそうに報告する顔に、気持ちが溢れてきた。
では、僕も……。
「あっ……」
胸の膨らみの少し上、自分と同じ場所に付けてやる。そんなことをしていたら、もう一度体が反応してきた。こういうのは随分、久し振りだと内心驚いた。
「結衣ちゃん、大好きだよ」
荒々しかったさっきとは違う指の感触に、結衣は翻弄される。まるで、羽で触れられているかの様に、優しく全身に触れていく。
こんな感じは、初めて……。触れられた場所から、また体が、一気に熱くなった。
「いっ……、もうっ、……っ」
「んっ」
結衣の何度目かの頂点に、梶原は、自身も解放させた。
どう考えても、離したくない。梶原の中で、確信に変わっていく。理屈ではなかった。
「結衣ちゃん」
もう一度抱き締めれば、結衣もグッと抱き締め返してくれた。
「梶原さん、……大好き」
相手の言葉が、これほど自分の体に大きなダメージを与えることを、梶原は初めて知る。
ずぅうんと、腹に満ちる「大好き」に、思わずもう一度、結衣をしっかりと抱き締めた。
そのまま寝てしまった梶原は、明け方、結衣の部屋を後にした。あけぼの色をした空を眺めながら、車を走らせる。
「もう会いたいと思ってる……」
自分に呆れて、小さく笑った。




