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おやじ漬け

「結衣ちゃん、そこにいて。1時間で着くから!」

「へっ?」

 結衣は急にどうしたのかと、小さく固まる。

「もしもし、梶原さん。何? もしもし? ……切れてる」

 もう一度スマホの画面を見て、結衣は再確認した。

「えっ、私、どうすればいいの?」

 待ってればいいの? 一緒に飲みたい? ……何?


「どうしたんだよ、ほい。ウチの特製『おやじ漬け』」

「わぁ、これ大好き! ラッキー」

 まぁ、ここにいろって言われたんだから、待ってればいいかと、「おやじ漬け」に気持ちを移す。その魅惑的な「映え」に、梶原のことはそれ以上深く考えず、お腹の欲望に素直に従う。


「おやじ漬け」は、キュウリやミョウガ、長芋にピーマンなどの野菜を、豆板醤や塩コブなどが入った醤油ダレに漬けてある、ごはんのお供に最高の逸品である。もちろん、焼酎にもピッタリ。「いこい」自慢の、人気商品である。


「いいなぁ、結衣ちゃんばっかり……」

 隣でお酒を飲んでいた常連のゲンさんが、横ヤリを入れてきた。

「食べる?」

 このゲンさんとは、もう10年程の付き合いである。大学卒業後、大輔が店を手伝うようになってから「いこい」に出入りし始めた頃には、既に常連さんだった。大輔に言わせると、大輔が中学生の頃にはもういたらしいので、第2の父親みたいなものらしい。実際は、店主より年上なので、「世話焼きじいちゃん」の立場かもしれない。


 結衣が「おやじ漬け」を少し分けてやると、その隣に座っていた角さんが便乗してきた。

「結衣ちゃん、俺も頼むよ」

「え~、私の分が無くなっちゃうじゃーん」

 と言いながら、角さんにも分ける。どうせタダで頂いたものだ。皆でシェアした方が格段に美味しくなる。

 それをカウンターの中で、大輔は笑いながら見ている。満足そうな笑顔である。

「結衣ちゃんは、自分の占いはしないのかい?」

 大輔の隣にいた店主が、カウンター越しに聞いてくる。

「するけどねぇ、上手くいかないのよ。客観的にできないでしょ。優し過ぎたり、責めすぎたりで……」

「へぇ、そんなもんかい。でも、現実は上手くいってる訳だ」

「何、現実って?」

「さっきの電話、コレだろ」

 そう言って、店主は親指を立てた。表現が、昭和過ぎる……。

「やだ、おじさん、聞いてたの!?」

「何だよ、それ……」

 慌てたように、大輔が店主に聞いた。さっきまで、奥の厨房にいたので、電話の内容までは知らない。

「梶原さん、だっけ?」

「ちょっ、おじさんっ!」

「結衣ちゃんが赤くなってるぞ~」

「ほんとだ、ほんとだ」

 隣からゲンさんと角さんに(はや)されて、結衣はおすそ分けした「おやじ漬け」を指差す。

「もぅ、それ返して!」

「食べちゃったもんねぇ」「食べちゃったもんねぇ」

 と口を揃える2人と、ヤンヤ、ヤンヤと騒がしい。


 そんな3人を尻目に、店主は大輔にこっそりと話し掛けた。

「ほら見ろ。言わんこっちゃない」

「……」

 梶原……。あいつか……。

 大輔は、以前、結衣と飲んでいた梶原から、一瞬自分に向けられた鋭い視線を思い出す。

「この間、出会ったばっかりじゃないのかよ……」

「時間じゃねぇんだよ、男と女は」

 店主の言葉に、大輔は次の言葉が出てこなかった。


 さすがにそれ以上のイジリを許さなかった結衣は、今度は、町内の噂話に花を咲かせることになって、1時間程ワイワイと飲んだ。

 この2人はこう見えても、近くの商店街の会長と会計だったりするので、話題には事欠かない。あちらのコンビニの店主が浮気して、奥さんが大暴れしただとか、こちらのコインランドリーで窃盗があっただとか、面白い話が目白押しだった。


「さて、そろそろ私帰るわ」

 結衣が話を切り上げる。これ以上ここにいて、梶原が店に入って来た日にゃ、何を言われるか分かったものではない。外で待とうと、算段したのである。

「今から東京に帰るのか?」

 お釣りを結衣に手渡しながら、大輔が尋ねた。

「うん。明日も仕事だからね」

「気を付けてな」

「はーい。ごちそう様。皆さん、お先に~」


 結衣が出ていった店の中で、ゲンさんと角さんが、結衣の席の片づけをする大輔を捕まえた。

「いいのかねぇ、大輔。結衣ちゃんを、このまま帰して」

「そうだぞ。このままだと、嫁に行っちまうぞ~」

 苛立ちを隠そうともせず、大輔は荒々しくカウンターを拭いた。

「何だよ、みんなして。関係ないだろ!」

「いやさぁ、俺としては、結衣ちゃんがいる店に飲みに来たいわけよ」

「そうそう。昔はみっちゃん居たから、よかったけどさぁ」

「悪かったよ。むさ苦しい男2人で」

 みっちゃんとは、店主の妻であり、大輔の母である。5年前に突然の病気で、亡くなっている。それまでは、一緒に店に出ていた。

「やっぱり、『(しゃく)はタボ』だもんなぁ。真由子ちゃんでもいいんだけどさぁ、店手伝う気、ゼロだろ」

「ゲンさんも角さんも、勝手なこと言ってら」

 大輔はボヤきながら、目が小さく泳いだ。

「今引き留めれば、間に合うかもよ」

 角さんが熱燗をお猪口に注ぎながら、呟いた。

 さすがに大輔の心も動くが、店を放って行くわけにもいかない。

「今なら、いいぞ。大丈夫だ」

 物知り顔で店主まで言う。それを聞いてゲンさんも、早く行けと手を払った。

「何だよ、みんなして……。行けばいいんだろ、行けば」

 大輔は、不承不承の体で店の外に出て行った。


「あの、慌て様……」

 ゲンさんが呆れる。

「あいつは昔から、反応が鈍いんだよな」

 角さんも頷く。

「そうそう、盗塁下手なんだよなぁ。いつも出遅れる」

「間に合うかねぇ」

「さあねぇ。結衣ちゃん、今日、輝いてたからなぁ。恋する女の輝き?」

「あぁ、懐かしいねぇ」

「ほんと、懐かしいねぇ」

「ゲンさんも角さんも、いつも悪いね」

 店主は、注文にはない「あさりのつくだ煮」を、そっと2人の前に差し出した。


「結衣!」

 大輔は、結衣の背中に声を掛けた。駅に向かって歩いているかと思っていたが、意外にも店の少し先で、ポツンと立っていた。

「あら、どうしたの? 大ちゃん」

 振り向いた結衣を見て、大輔は小さく息を呑んだ。

「お前……」

 キョトンとした結衣に向かって、大輔は腕を伸ばした。そしてその髪の一束を、そっと手に取る。

「また、髪を伸ばすのか……?」

「えっ!?」


「結衣ちゃん!」

 その時、少し後ろで車が止まり、運転席の窓から強い声が飛んだ。

「あっ、梶原さん」

 振り向いて、車に向かおうとする結衣の腕を、大輔がグッと掴んだ。


 それを見て、梶原は奥歯を噛みしめる。大輔の目を見据えながら、運転席から降りた。大輔も、梶原から目を離さない。

 2人共、その場を動かず、無言で睨み合う……。


「大ちゃん、離してくれる?」

 結衣の声に、大輔の力が緩む。結衣の顔に視線を戻した大輔は、ピクッと眉を動かした。


 結衣は「何してんの?」と、純粋に不思議そうな顔をしていたのだ。その表情には、全く思惑というものが含まれていなかった。


「いや……、何でもない」

 やっと手を離してもらい、結衣は梶原の元に小走りで向かった。

「乗って」

 と小さく言う梶原に従い、結衣は助手席に乗り込む。その間梶原は、ずっと大輔を睨み続けていた。結衣が閉めたドアの音を確認して、やっと梶原も車に乗り込んだ。


 2人の乗った車を、大輔はただ黙って見送ることになった。

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