ご奉公
「梶原主任、ちょっといいかな」
来たか……。梶原は覚悟ができている顔で、課長のデスクの前に立った。
「中部支社で製品ラインの設備が新しくなる。そこで支援要請が来ているんだが、梶原君行ってくれるか」
「……はい。いつからでしょうか?」
「来週からだ。こっちは大丈夫だな」
「はい、問題あません。課長、期間をお聞きしても」
「1ヶ月の予定だが、現地の状況次第だ。軌道に乗せる手伝いを頼むよ」
「分かりました」
席に戻った梶原は、横田を誘って喫煙室に向かう。アイコスにタバコをセットし、電源を押した。
「ご奉公が決まったよ」
「えっ、いつですか?」
「来週から1ヶ月だそうだ」
「……そうですか」
「留守中、またよろしく頼むよ」
「……はい」
横田はその実力と年齢から、順当にいけば、次かその次くらいには、主任になるだろう。よって、梶原の留守中は、彼が代わりを務めることになる。梶原の在宅勤務中も、そうだった。
「でも主任……、ホントにご奉公ってあるんですね」
煙を1つ吐いて、梶原は遠くを見る目になった。
「そうだな……」
梶原は佐々木のことで、1ヶ月の在宅勤務をした。しかし、実はこれは、かなりのリスクを伴う行為だったのだ。
我が社の働き方として、基本的に在宅勤務はない。ただし、特別な理由が認められた場合のみ、それは認められている。
しかも、近年始まったばかりで、まだまだその権利を取得した人間は限られている。それは、男性の育休よりも断然少ない。
それはそうだろう。皆、家で仕事ができれば、それに越したことはないのだから。そんなことを簡単に許したら、社員の中での不公平感が、ハンパないことになる。
そこで俄かに出現したのが、在宅勤務を取得した人間に、ペナルティを与えるという「措置」だ。もちろん、これは正式な就業規則でもなければ、懲罰でもない。
しかし社員の間では暗黙の了解とされ、それを断ることは、会社を辞める覚悟があるか、もしくは、以降の昇進を全く諦めたかの、どちらかと見なされる。
通称、「ご奉公」と呼ばれており、在宅勤務をした同等かプラスαの期間、本社以外での勤務をさせられることになる。しかもその仕事内容は、本社での仕事とは全く関係のない、現場作業になる可能性もある。
それが嫌で、皆、在宅勤務は申請しないのだ。もちろん、キャリア的にも大きなハンデになることは否めない。
分かっていて、梶原は在宅勤務を選択した。
「場所は、どこです?」
「中部支社」
「名古屋ですか……」
「西日本じゃなくて、よかったよ」
「広島、遠いですもんね。彼女さん、知ってるんですか?」
「……いや」
「ご奉公のことは、少しも説明してないんですか?」
「まぁ……な」
「きっと、寂しがるでしょうね」
「……そうだな」
いや、彼女より、こっちの方がヤバそうだ……。
「まぁ、名古屋なら片道2時間ですし、LINEもZOOMもありますしね」
「……うん」
タバコの煙と共に、梶原がため息の様に吐き出した。
いつもより覇気がない梶原を見て、横田がビビる。
「ちょっとぉ、主任がマジで落ち込んでるの、俺初めて見ますよ。在宅勤務申請した時は、大したダメージはないよって、飄々としてたのにぃ」
「……まぁな」
事情が、変わった。あれは、結衣に合う前だったからな。遠距離は、自然消滅になりやすい。僕はまだしっかりと、彼女と繋がっていない。体だけではない。僕の中で占める割合と同じくらい、結衣の中に自分が入り込めているのか、自信がない。
「今日、話すよ」
「そうして下さいよ。……あの、そろそろ、写真見たいなぁ、なんて……」
「華厳の滝」で写真を撮ってはいけないとアドバイスをくれたのは、この横田である。その恩があるので、以前の様に、ひと睨みで拒否することもできない。
スマホから、ドライブデートの時の写真を選んで、横田に画面を向けた。
「……」
画面と梶原の顔を交互に見る横田に、梶原は不機嫌な声を向けた。
「何だ?」
「主任~」
横田が、人をイジる時の定番の顔になる。だから、見せたくないんだ……。
「なんか、キラキラしてますよぉ」
「何が」
少しイラつきながらも、付き合わざるを得ない。
「もちろん、主任がです~」
「どっちを見てるんだ……」
「綺麗系なんですね、彼女さん」
「……」
系じゃなくて、綺麗なんだよ。それに、可愛いだろうが、笑った顔が。
「という訳で、今日、19時に上がらせてもらうよ」
「分かりました」
「じゃ早速、仕事に戻るぞ」
「えっ、俺まだ、タバコ終わってません」
「残りは後で吸え」
「もぉ~」
結衣には今夜会えないかとLINEを入れておいた。今日、結衣は休みのはずだ。会社の近くで会えるといいのだが……。
皆より早く帰るためには、それなりの成果を出しておかないといけない。とはいえ、理想通りに事は運ばない。会社を出るのが、19時30分近くなった。
途中何度かLINEを確認したのだが、返信がなかった。そもそも、この時間になっても既読になっていない。どうなってる……。
梶原はスマホを手に取った。
「で、この間の続きでいい訳ね、真由子ちゃん」
「うん。ちゃんと、前の彼とは別れたから」
結衣は、「いこい」に来ていた。真由子に呼ばれたのだ。
「泣かれなかった、彼に?」
「泣かれないわよ。もう、フェードアウトしかけてたんだから」
結衣はカードをシャッフルし始めた。今日は正逆も見ていこう。さてさて……。
「おっ」
「どう?」
真由子には応えず、更にカードをめくる。
「おぉ、なるほど……」
「どぉなの? 結衣ちゃ~ん」
「『カップの3』。皆でお祝いするカードよ。仕事が上手くいったのかな」
「そう。やっと終わったの。この間打ち上げがあって……」
「その時に、真由子ちゃん告白したな。カードに出てるよ」
「うっ! すごい、結衣ちゃん」
「じゃ、カードに聞かなくてもいいんじゃない?」
「返事、くれないの。ダメならダメって、言ってくれればいいのに」
「じゃ、その辺りを聞いてみようか」
「うん。お願いします」
20分程続けて、最終的には希望の持てる結果が出て、真由子は意気揚々と帰っていった。
「結衣、いい加減、真由子から金取ったら?」
大輔がカウンターの中から、声を掛けた。
「いいのよ。お金貰ったら責任が発生する」
「占いに、責任も何もないだろ」
「じゃ、大ちゃんが1品ご馳走して」
「それとこれとは、別」
「ケチねぇ」
「あぁ、そうだ。1品出して、真由子にツケとく」
「わぁ、いいってば、もぉ……」
文句を言っている横で、結衣のスマホが鳴った。梶原からだ。よく見ると、その前にもLINEが何通か来ていた。ひぇっ、気が付かなかった。
「もしもし、ごめんなさい。今、LINE見ました」
それを聞いて、梶原は気が抜けた。
「今日、会えないかと思ってたんだけど。会社、休みだよね」
「ごめんなさい。今日、実家に来てて」
しまった。その可能性を忘れていた。梶原の声が、落ちる。
「そうか……」
「どうしたの、急に?」
「いや、できれば会って話したいことがあったんだけど」
「今から帰れば、9時過ぎには家に着くから、Zoomしますか?」
「うん。そうだね……。じゃあ、そ」
そうしようか、と言おうとしたところで、結衣の後ろから、声が聞こえて来た。
「結衣―、しょうがないから1品おごってやる。ありがたく思えー」
「大ちゃん、今、電話中!」
大輔の声に、梶原は歩いていた足が止まった。一旦小さくなった結衣の声が、戻ってきた。
「ごめんね。えっと、じゃ、帰ったら連絡しますね」
突然、結衣が遠くにいる実感が襲ってきた。
電話の向こうの「いこい」の店内が目に浮かぶ。何人かの常連に囲まれて、笑って飲んでいる結衣の情景が頭を覆う。自分を抜きにして、楽しんでいる結衣が、まざまざと目に浮かぶ。
いや、そういうことではない。常連に囲まれていても、問題はない。が、
彼は、ダメだ!




