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結衣の父

 事故渋滞が起きていると、ナビが報告してきた。東北自動車道でのことだ。

「夕食どうしようか。予定より遅くなりそうだ」

「サービスエリアで食べよう。運転も、休憩した方がいいし」

「……そうしようか。ごめんね、中途半端になって」

「何言ってるんですか。サービスエリア、私大好きです。ドライブの醍醐味!」

「よしっ。じゃ、次入ろう」


 なんとそこは「鬼平犯科帳(おにへいはんかちょう)」の世界だった。知らずに足を踏み入れた2人は、目を瞠る。

「何、ここ~!」

「変わったなぁ」


 この羽生パーキングエリアの建物は、江戸時代の町屋造りになっていた。

 冠木門(かぶきもん)の立派な入口は、まるで入場料を払わないと入れないかと思わせる威厳を持っている。白い漆喰(しっくい)の壁に瓦屋根。建具は全て木材で、雨に痛んだかの様なアンティーク加工までされている。窓には格子がはまり、屋根の上には梯子(はしご)に半鐘まである。建物の前には、天水桶や柳の木まで用意されており、まるで時代劇の撮影所の様だ。


 昔、この辺りに「関所」があったことから、このコンセプトが生まれたらしい。

 一般道から入ることもでき、ここを目的地として楽しめる、テーマパークの様な場所だ。近年、このスタイルが各地の高速道路で増え始めた。


 建物の中も木材で統一されており、天井は照明で朝夕の時間を表現するらしい。

 肝心の食事場所はフードコートスタイルなのだが、店舗がどれも、作中や作者の池波正太郎ゆかりの、実存する店が監修したとパンフレットにある。

 「日本そば」や「鰻」など、どの店からも美味しそうな匂いが漂っている。


 結衣と梶原は迷いに迷って、結局、「しゃも定食」と「中華そば」を選んだ。

「『中華そば』って江戸時代にあった?」「江戸風なんだって」などとコンセプトにツッコみながら、2人でシェアして楽しんだ。


「お土産も見たい」

「じゃ、見てて。タバコ行ってきます」

「はーい」

 結衣はお土産コーナーを、ゆっくりと見て回る。ここも、両国広小路の賑わいをイメージした造りになっており、江戸風情が味わえる。

 つくだ煮を購入した後、カステラ焼きも手に取った。「鬼平犯科帳」の主人公「長谷川平蔵」の役職「火付盗賊改ひつけとうぞくあらため」をイメージしたパッケージが、いかにも土産品らしくて楽しい。

 梶原を待ちながら、食後のデザートチェックも忘れない。「味噌エクレア」や「くず餅」の専門店まである。自然と足が止まる。美味しそ~。


「悪い、平田。ちょっと、こっち頼むわ」

「は、は……、はい」

 結衣の耳に、少し先の店舗から声が届いた。何気に見返すと、厨房から平田と呼ばれた男性が出てきて、注文を受ける係に変わった。どうやら、呼んだ方の男性が、調理の手伝いに入ったらしい。


 結衣は、この平田が「吃音症」だと、すぐに気が付いた。

 こういう人を見ると、頑張ってて偉いなと、純粋に思う。しかも人前に出る仕事をしているということに尊敬の念まで抱く。どれ程の勇気と決意がいったのか……。でもこれも、やはり偏見なのかもしれないな。パールマンと一緒で……。


「なに、あれ。いぃぃぃ、いらっしゃい、だって」

 ププッと、小声にすることなく、ギャルが笑う。

「うわっ、めんどくせぇ」

 連れのギャル男も、意味もなく声が大きい。

「モッチー、あたし~、お腹減った~」

「あんなのが注文確認してるんじゃ、遅くなるばっかじゃん」

 いかにも能天気なカップルが、平田の前の列に並んで、文句を言っている。結衣の眉間に、自然にシワが寄った。

 早く先の店員が受付に戻らないかなと、ハラハラしながらその場を離れられない。


「はい。こっ……、こちらは、テテテッ、テイクアウトですね」

 今注文しているお客さんは中年カップルで、特に不快感を示すことなく、スムーズにチケットを渡している。そもそも自動券売機で券を購入しているのだから、その確認などは大して時間は掛からない。皆、分かっている。

 彼は、ちゃんと、仕事をこなしている。

「テテテッ、テイクアウト」

「ハハッ。お前、上手すぎ~」

 またキャラキャラと、平田を真似してバカップルが笑う。


「味は、うーーーぅ薄口にもでます。うっ、薄口ですね」

 平田が何かを言うたびに、バカップルが笑うのを、不快に思うのは結衣だけでない。皆、チラチラとバカップルを見始める。が、そんなことに気付く2人ではない。

 どんどん列が進んで行き、とうとうその2人がチケットを渡す番になった。


 彼の方が、カウンターにチケットを置く。

「かかっ、唐揚げ定食と、ぉぉぉ親子丼ですね」

 彼女がくっくっくっと笑っている横で、彼がついに直接文句を言い出した。

「お前さぁ、うざいから、復唱すんな」

「……す、すいません」

「大体さぁ、チケットに印刷してあるんだから、お前がしゃべる必要ないだろ」

「……確認っ、が、必要ですので」

「みんな急いでるんだからさ、お前は中で皿洗いでもしてろよ」

「ぉぉぉ親子丼は、卵を、ょょょ4つ使っていますが、よろしい、でで、ですか?」

 平田は、それでも注文の確認をし始めた。緊張から、更に吃音が酷くなるのが分かる。最初の言葉が出てこない。

「えぇ、私、4つもいらなーい」

「……でっ、では、さっさっさっ、最後の生卵は、なっなっ無しにしますか?」

「だから! 4つもいらないって言ってんだから、無しに決まってんだろ!」

 男が平田に詰め寄った。


「いい加減にしなさいよ」

 横から間に割り込んだのは、結衣である。

「何だ!? お前」

「あなた達、彼に失礼だと思わないの?」

 結衣は、冷静な声で、ゆっくりと話す。

「何だよ、あんたに関係ないだろ」

「あるわ。みんな、あなた達の言動を不快に思ってる」

 相手の目を見て、声を落とす。その事に、ギャル男は更に腹を立てたのか、(わめ)く。

「こいつが遅ぇから、悪いんだろうが!」

「彼はちゃんと自分の仕事をしてるわ」

「客をイライラさせるのが、仕事なのかよ!」

「少しくらい待てないの。イヤなら、ここの料理を食べなきゃいい」

「こっちが金払ってんの。あんたに文句言われる筋合い無いね」

「店にだって、お客を選ぶ権利はあるわ。そんなことも知らないの」

 結衣は、自分の感情が抑え切れない。嫌味まで言ってしまう。注意しているのか、ケンカを売っているのか分からない。

「はんっ! みんな俺達と同じこと思ってるよ。イライラしてんだ!」

「あなた達、どんな教育を受けてきたの。人として、最低だわ。間違ってる」

 怒りで、声が震えそうになる。

「何だよ、絡んでくんなよ! おばさん!」

 とうとうギャル男がキレて、結衣の左肩をグンッと突いた。さすがに結衣がグラついた。


「何してるんだ」

 男の手首を掴んで、結衣の前に立ちはだかったのは、梶原だった。

「何だよ、今度は、おっさんかよ!」

 喚く男の声に、やっと厨房の中から人が飛び出してきた。

「すみません、お客さん。どうされました?」

「こいつが、おっせぇんだよ!」

 平田を指さして、ギャル男が悪態をつく。

「申し訳ありません。すぐ代わりますので、注文は唐揚げ定食と親子丼でよろしいですね」

「そうだよ」

「卵はどうされますか?」

「生卵は、いらな~い」

 女の方が、かったるそうに答えた。

「ほら見ろ、普通ならあっという間に終わるんだよ! このババァが!」

 結衣に向かって、捨て台詞を吐いた。結衣の体にもう一度力が入った。

「結衣ちゃん、行こう」

 梶原は結衣を抱えて、その場から離れた。


「結衣ちゃん、もう大丈夫。君はよくやった」

「梶原さん……」

 急に力が抜けた結衣を、建物の外に連れ出した。

 張りつめていた感情が、溢れだす。涙が、せり上がってきた。

「ごめん……、私……」

「いいから」

「悔しくて……」

「ん」

「あの人、ちゃんと仕事してたのに……」

「うん」

「笑うなんて……」

「うん」

 柳の下に腰を落ち着かせて、結衣の涙が収まるまで、梶原は待つ。結衣の頭を撫でながら、静かに待った。


「梶原さん、ごめんね。ありがとう。もう、大丈夫」

 やっと落ち着いてきた結衣は、1つ大きく息を吐いた。

「お水、飲む?」

 小さく首を振る結衣を確認して、梶原はいつもの笑顔になった。その顔を見て、結衣も心の奥がいつもの場所に納まった。

「じゃ、行こうか」

「……うん」


 歩き出したところで、後ろから誰か2人を引き留める声がした。

「お、お、お客さん、まっ、待って下さい」

 振り向くと、さっきの店員、平田が走ってやってきた。

「ささささっきは、……ありがとうございました」

 ペコンと頭を下げた。

「やだっ。頭なんて、下げないでください」

「っっっ迷惑、掛けてしまって、すす……すみませんでした」

「本当に、謝らないで下さい。あなたは、なにも悪い事してないのに……」

 結衣は必死に、平田から罪の意識を取り去ろうとする。

「彼女の言う通りです。君は、何も悪くない」

 後ろから梶原も、援護する。その言葉に、平田の下がった眉が元に戻っていく。

「僕は、なっ慣れているので、大丈夫です」

「……」

 小さく笑う平田に、結衣は返す言葉がない。そうか、彼にとっては、これが日常なのだ。

「でも、お礼が言いたくて」

「いえ、こちらこそ、かえって大騒ぎになってしまって……」

 結衣は、自らの短慮な行動を顧みて、(うつむ)いてしまった。

「店長さんから、叱られたりしませんでしたか?」

 梶原が話を継いでくれる。

「はい。てっ店長が、ちゃんとお礼を言ってこっこっ、来いって」

「それなら、よかった」

「本当に、あっありがとうございました。お気をつけて、おっおっお帰り下さい」

 平田が話を終わらせようとしているところで、結衣が急に顔を上げて、小さく叫んだ。

「私のっ!」

 結衣は、グッと唇を噛んだ。

「私の父も、吃音症だったんです」

「あっ……」

 平田が、驚いた顔をした。梶原も……。

「でも、私は父が大好きでした。優しくて物静かで、自慢の父でした」

「結衣ちゃん……」

「だから、あなたも、素敵なパパになります。子供達に心から愛される、素敵なパパになります!」


 平田は結衣の顔を凝視しながら無言になり、2呼吸ほど後に「ありがとうございます」と頭を下げた。そのまま彼は仕事に戻って行った。2人でその背中を見送る……。


「すごいな、結衣ちゃん。今の言葉は、彼の人生を変える」

「……そんなことない」

 結衣は小さく首を振った。梶原は、しょげた結衣が回復しないのを、不思議に思った。


 再出発した車内で、梶原からは話をせず、結衣が話してくれるだろう言葉を待った。

「あれは、私の本当の気持ちだったけど、母は違ったから」

「そう……」

「ウチの両親は、見合い結婚だったんです。だから母は、顔で決めたんだな、きっと」

 いつもの様に、結衣が少し話を茶化す。梶原は、そんな結衣の言葉を黙って聞いた。

「イケメンだったんですよ、父は」

「へぇ」

「最近になって、母は父の昔話をする様になったんですけど、この間ポロっと『お父さん、どもってたし』って言ったの。あぁ母は、それがやっぱり嫌だったんだなって、初めて気が付きました」

「うん」

「私は、父が吃音症だったなんて、その時まで忘れてたんですよ。だから、父がその事を苦しんだだろうなんて想像、一度もしたことなかった」

「あぁ……」

「だから、ちゃんと伝えたかったなって……。生きてる時に」

「何を?」

「大好きだったよって。言葉の事なんて、全然気にならなかったよって」

 最後の言葉が、少し震えている。


「ちゃんと、伝わってたと思うよ」

 結衣の胸に、梶原の言葉が刺さる。弾かれた様に、顔を見た。

「梶原さん、ホントにそう思う?」

「うん、思う」

「そっか……。そっかぁ……。ちゃんと、伝わってたかぁ……」

「うん」


「比べないでよ」

 しばらく言葉が途絶えていた後、梶原が突然そんなことを言った。

「何を?」

「お父さんと」

 キョトンとした結衣に、梶原はそれ以上の説明をしてくれない。

「勝てそうにない」

 あぁ、やだっ。

「ははっ、梶原さんの方が断然カッコイイです。余裕でぶっちぎりです」

「……」

 いつもの様に笑って返しが来ると思ったら、返ってこない。梶原をチラッと見れば、結衣の言葉を意外と真っ直ぐに受け取ってくれたらしく、顔がほんのり赤くなっていた。

「ふふっ」

 結衣は満足して、平田への小さなわだかまりを忘れることにした。


「梶原さんのお父さんは?」

「……」

 ほんのりしていた空間に、急に小さな緊張が走った。

「……普通の男性」

「梶原さんのお父さんだから、イケメンでしょ?」

「どうかな。男同士だから、あんまり分からない。普通じゃないかな」

「お父さんのこと、好き?」

「いやっ!」

 秒で返ってきた強い否定に、結衣は少し驚いた。その事を察したかのように、珍しく梶原が慌てる。

「ほら、マザコン男って聞くけど、ファザコン男って聞かないでしょ」

「そうかなぁ……。じゃ、マザコン?」

「……」

 自分の言葉に詰んでしまったように、梶原はとうとう答えなくなってしまった。


 それでもなんとか紡ぎだしてきたらしい言葉が「あんまり、両親がどうのって、考えたことないから……」だった。

 きっと、嘘だ。いつも的確な言葉をくれる梶原が、いかにも表面的なごまかし方をしている事が、逆に傷の深さを物語る。結衣は、やっぱりそれは、とても嫌だった。

 嫌な沈黙が訪れた。


「布団がね~」

 脈絡もなく、結衣が突然言い出した。

「……?」

「吹っ飛んだ~!」


「プッ! 何それ!?」

 梶原が噴き出した。

「日本で1番使われてる、ダジャレー。あははっ」


 自分で言って、すっかり自分でウケている結衣を見て、梶原も一緒に笑った。

 そして、やはり安堵する。いつも結衣には、許されている……。


「梶原さん、私、梶原さんに幸せでいて欲しいです」

「結衣ちゃん……」

 梶原の心臓が、キューと締め付けられた。何度目だろう。結衣がくれる言葉が、まるで小さな羽毛が積み重なっていく様に、心の中に温かい塊となって溜まっていく。


 心に負った全ての傷が、癒されることなどない。

 けれど、その痛みを和らげる術はあるのだと、結衣はいつも教えてくれる。前を見ながら微笑んでいる結衣に、梶原は改めて気持ちを溢れさせた。

 僕は、君が好きだよ、結衣ちゃん。


 無事渋滞を抜けたところで、結衣は記憶がなくなった。


 カチカチカチ……。

 ウィンカーの音で、結衣は目を覚ました。

「起きた?」

 梶原の声で、車の中だと気付いた。

「ん……、ごめんね。寝ちゃったんだね……」

「もうすぐ、着くから」

 辺りを確認すると、結衣のアパートに続く道に入ったところだ。良く寝た……。

「うーん」

 結衣は両手を上げて、伸びをする。まだ、目がしっかり開かない……。

 上げた手を下ろしながら、梶原の左腕に絡ませて、体を預けた。

「今日は、楽しかったです」


 いきなり結衣の柔らかい感触が腕から伝わって、梶原は衝動のままブレーキを踏んだ。

 そのまま、結衣の顎を指で上げる。大好きだ。

「んっ……」

 梶原の柔らかい唇で塞がれた結衣は、気が気ではない。道路だよ、ここ……。

「大丈夫、車は来てない」

 結衣の心配を察したのか、梶原はそんなことを言いつつ、すぐにブレーキを外して発進させる。結衣は姿勢を正して、小さく文句を言った。

「もぉ……」


 結衣のアパートの前に車が到着したところで、結衣は思い切って口にした。

「部屋に、上がっていきますか?」

「……いいの?」

「はい、大丈……ふぁ……っ」

 梶原の少し驚いた顔に気が緩んだのか、あくびが出そうになったので、慌てて引っ込める。一瞬呆れた顔になった梶原が、またいつもの優しい笑顔になった。

「ははっ。やっばり、止めておこう。疲れてるみたいだから」

「……ごめんなさい」

「いいよ」


 車から降りて、助手席の窓から覗いた結衣に、梶原が言葉を掛ける。

「結衣ちゃん、次のチャンスは、早めに下さい」

 改めて言われて、思わず頬が火照った。

「はい……」

 優しい笑顔が、更に大きな笑顔になったのを確認して、結衣も肩の力が抜けた。きっとすぐに、次はやって来ると期待しながら「お休みなさい」と挨拶を交わした。


 バックミラーで、結衣がアパートに入って行くのを確認しながら、梶原の顔から笑顔が消える。

「ちゃんと、話さないとな……」

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