華厳の滝
「では、お振込の確認ができるまで、カードはご使用できませんので、お気を付け下さい」
今日も結衣は、督促のバイトに勤しんでいる。
「ねぇねぇ、この人すごいんだよ」
隣にいるのは、今日も遠藤だ。督促リストの1巡目が終わったところで、話し掛けてきた。
「何が?」
「宝くじが当たったから、残額も全部払うって言うの」
「……」
「ホントかなぁ、いいなぁ」
ホントの訳がない。そんな口から出まかせ、信じる人がいるんだ……。遠藤さん、きっと純粋な人なんだな。人を疑うことを知らない。
「いくら当たったんだろ~」
羨ましさを前面に出した顔でパソコンを見ている遠藤に、結衣は夢を壊さない様、ツッコむことは止めておいた。
ふと気づくと、男性社員が数名、打ち合わせをしている。滅多に土日には見ないメンバーだ。そろそろ、揃って出掛ける準備をしている。
「今日、訪問日なんだね」
「そうだね。晴れてて、良かったじゃん」
いつまでたっても連絡が付かない会員には、次の引き落とし日が近くなってくると、直接自宅訪問をする。もちろん、連絡が付く限りは、そんなことはしない。人が動くということは、経費が掛かるのだ。
訪問先で直接現金を回収できることもあるし、取り敢えず約束だけ取り付けることもある。不在の場合は伝言メモを残し、家族がいれば、会社名を名乗り連絡をする様伝えてもらう。この時点で、家族に秘密にしていたならば、結果バレることになるだろう。
質が悪いのは、居留守の場合だ。電気メーターやクーラーの稼働を確認し、その場で携帯に電話し、部屋の中からコールが聞こえた場合は、少し多めに玄関チャイムを鳴らすことになる。
もちろん、反社会的勢力の方々の様に、手荒なことをすることは当然ない。ただ、逃げ回る人物であると、会社側の心証は極めて悪くなる。
どちらにしろ、延滞が許されるのは、1ヶ月だ。それを過ぎると、結衣のいる部署から、長期返済の部署に移っていく。2ヶ月過ぎれば、信用情報がブラックになり、他社で新たにカードを作ろうと思っても、できなくなるという仕組みだ。
もし引き落としができなかった場合、とにかく掛かってきた電話には出るべきだ。支払いの目処が立たなくても、とにかく出るべきだ。その方が、結衣の仕事も楽になる。
「今度の日曜日、遠藤さん出勤?」
「うん」
「私、年休もらったの。1人減るけど、ごめんね」
土日だけの出勤でも、半年たてば「有給」が発生する。もちろん日数は非常に少ないが。
「何~、デート?」
冷やかし満載の顔で、期待通りツッコんでくれる。
「へへっ」
何とも言えない満足感に、結衣はデレッとなった。
「やだ、ホントにデートなの!? 姫野さん、彼氏いないって言ってたじゃない」
更に期待通りに焦ってくれて、予定調和がハンパない。
「へへっ」
「ホントなのぉ……。いつできたのよ」
「この間……」
「もぉ、いいなぁ……」
土日に副業するなんて、彼氏がいない証拠の様なものだった。この遠藤もいないと言っていた。
「どこ行くの?」
「ドライブにね~」
「はぁ、いいなぁ……」
遠藤のテンションが、その後しばらく低かったのは、私のせいではないと思いたい。
ちなみに、やはり「宝くじの会員」からの支払いは無く、次の部署に移っていかれたのは、また別のお話……。
「ほんとにいい天気だね~」
「うん」
結衣は、梶原のハリアーのパノラマルーフから、晴れ渡った空を見上げた。
「華厳の滝なんて、久し振り」
「結衣ちゃんが、車に酔わない人で良かった」
「昔から、酔ったことないです。あっ、でも、運転は無理ですよ。こんなくねくね道……。高速なら大丈夫だけど」
「いいよ。僕、運転好きだから」
「この車ですもんね」
「ははっ。運転しやすいよ」
いろは坂を走行しながら、車窓も楽しむ。梶原の運転はスムーズで、もちろん安全運転である。19歳の時の彼氏は、手に汗握る程の無謀な運転で、泣きそうになりながら家に到着したのを思い出した。あれはホント、2度と経験したくない。
「わぁ、綺麗~」
途中、中禅寺湖を望む「明知平展望台」に寄る。ここからは華厳の滝も見ることができ、まさに絶景である。
「華厳の滝って、ホントに中禅寺湖の水なんだね……」
「ははっ。この景色、分かりやすいよね」
笑いながら、バカな発言にも同意してくれて、梶原はやっぱり優しい。
「ソフト食べる?」
「食べる~」
名物の「ゆばソフト」を並んで購入。やはりソフトクリームは、甘いものが苦手な男性でも好きらしい。そういえば、結衣の父も好きだった。父はドライブも好きで、小さい頃はよく家族旅行で出掛けたものだ。
今ではすっかりインドア派になった結衣だが、外の空気の清々しさは、ちゃんと記憶に根付いている。
「梶原さんも子供の頃、家族でドライブ行きました?」
「年に1回くらいかな。夏休みとか……」
「ウチはね、食いしん坊家族なの。潮干狩りとか、いちご狩りとか。夏は、桃狩りで旅行に行って、秋には、ブドウ狩りに始まって、リンゴ狩りに栗拾い。休む暇がない」
「すごいな。果物狩りって、家族で行ったことない。桃って、どこでやってるの?」
「山梨だったと思うんだけど、よく覚えてないなぁ。それにね、桃狩りもそうだけど、子供のお腹では、現地でそんなに食べられないのよね。1個がせいぜいで、2個は食べきれない」
「あぁ、そう言われればそうか。リンゴ、大人でも2個食べないもんな」
「そうでしょう! 唯一、いちご狩りだけだったな。採ったどーって思えたのは」
「ははっ。でも、栗は拾ったでしょ」
「あぁ、そうそう。確かに栗は、一杯拾った。イガの中から、足で挟んで、ギュッとね」
「僕も遠足で行ったの、今、思い出した」
「確かに一杯採ったんだけどね……」
「食べられないんだよね」
「そぉー! その場で、食べられないのよね、栗は」
「はははっ」
結衣は思う。梶原は、本当に家族の話を向けると、必ず空気が一瞬変わる。やはり、複雑な家庭環境で育ったのかもしれない。
――きっと僕はまた、母につらく当たってしまう
演奏会の時の「母」は、佐々木の事ではないだろう。あの時の顔は、本当につらそうだった。それに、墓地での背中……。いつか、教えてくれるのだろうか。
華厳の滝は外国人観光客も多く、割と混んでいた。修学旅行の時期ではないからと安心していたが、50年前に修学旅行で来た、と思われる年代の方々が大勢いらして、賑やかしていた。
「やっぱり、どこに行っても人口比率通りだね」
などと、妙なところで梶原が感心していたので、結衣は笑ってしまった。
そういう視点で周りを見たことはなかったが、梶原によると、外国人から見れば、日本はどこに行っても老人しかいない、ということになるらしい。大丈夫か、日本……。
エレベーターで「観爆台」に降りる。ひんやりとした空気が、岩盤をくり抜いて造られた設備なのだと物語る。エレベーターを降りて、滝の前に立った結衣は、今日2度目のセリフを口にした。
「ほんとにいい天気だねー!」
「虹が綺麗だ」
滝の轟音と共に、イオン効果が凄まじい。滝つぼの辺りに虹が見えた。こんな絶景、絶対残さないとね!
「写真、撮ろう!」
壮大な滝をバックに、結衣がスマホを手に、梶原の腕を引き寄せせる。
「……ここでは、止めておこう」
「えっ、何で?」
まさか断られるとは思わず、何度もねだったが許可が出なかった。さっき休憩した展望台では、ちゃんと2人で自撮りしたのに……。
「はい。機嫌直して」
いつもの優しい笑顔で、そう手渡されたのは、「ゆばフライ」。名前の通り、ゆばをスティック状にまとめてフライにしてある名物である。駐車場に戻る途中、売店で買ってくれた。
「実はね、あそこ心霊写真が撮れるので、有名らしい」
「えっ、やだ、そうなの……?」
「うん。だから、撮るなって助言された」
「誰に?」
「会社でね」
「そうだったんだ……。あの場で教えてくれたらよかったのに」
「周りがみんな撮ってたから、言いにくかった」
「うーん、確かに……」
梶原は、こういうところがある。自分の欲求より、周りの平穏を優先する。それが優しさになる。フラストレーションが溜まらないのだろうか……。
とりあえず納得して、ゆばフライにかぶりついた。
「わっ、美味しい」
「うん。ホントだね」
大して期待していなかったのだが、ゆばの味が口の中に広がり、ふりかけた塩が優しい味を引き締める。アラサーには堪らないファストフードだ。
食べながら梶原の顔を観察した。相変わらず優しく微笑んでいるその奥を……。
「ん?」
結衣の視線に気づいた梶原が、「何?」と目で聞いてくる。
「梶原さん、ちゃんと寝られてますか?」
「……」
梶原は一瞬驚いたが、ニッコリ笑って結衣の頭をポンポンとした。それが答えなのだろう。いつかぐっすり寝られる日が、来るといい……。
その後は、「竜頭の滝」「湯滝」にも寄り、湯元温泉の足湯で疲れた足をほぐした。途中、カフェやら食べ歩きやらで、夕食にと予定していたお店の付近では、お腹が一杯になっており、一旦東京に戻ってからの夕食にしようと話し合った。




