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エクボの彼女

「早かったですね。お待たせしました」

「いや、僕も今来たところだから」

 次に会ったのは、次の週の金曜夜になった。翌日、結衣はバイトなのだが、どうしてもこの日がいいと梶原に言われ、承諾した。

「この間、お仕事大丈夫でしたか?」

「大丈夫。ちゃんと終わらせたから」

 まぁ、もう少しで終電を逃すところだったが……。かなりヤバくは、あったな。

「みんな、頑張ってくれた」

「そうですか。良かったです」

 梶原の「くれた」という言葉に、会社での立場が垣間見られた。何某かの役職に就いているのだろう。

「姫野さんの方は?」

「見積り取って、発注しました。来週工事に入ります」

「早かったね。良かった」

「なんかね、梶原さんの紹介だから、のんびりしていられないって。営業さんが」

「ははっ、それは何よりでした」

「ありがとうございました」

 結衣は、テーブルに両手のこぶしをトンっと乗せて、背筋を伸ばす。

「で、今日は、この間のお礼も兼ねて、私がご馳走しますからね」

 少し大げさに、梶原は目を(みは)る。

「お金、払いたがるねぇ。君がお金持ちなのはわかったから、今度ご馳走してもらうよ。じゃないと、気楽に食べられない」

 今度という言葉に、結衣は小さく胸が鳴る。

「遠慮しなくて、いいのに……」

 口を尖らせて、何故だかガッカリしながら文句を言っている。梶原は、ふと気が付いた。この子は、甘えるのが下手なんだな。ずっと1人で頑張って来たか……。


「よし、食べよう!」

 今日梶原が誘ってくれたのは、名前の前に「隠れ家」と付いている居酒屋だ。創作料理の店らしく、ナスの煮びたしからオリジナルバゲットのグラタンまで、和洋折衷である。

「ここも素敵なお店ですね」

「美味しいよ」

 内勤だと言っていた割に、色んなお店を知っている。優しいし、モテるか……。あっ、今も、いる?

 結衣の頭に、急に焦りが湧き出す。ふと、昔の不誠実だった彼のことを思い出した。

「梶原さんって、いつも夕食はご自宅なんですよね?」

「そうでもないかな。仕事、結構忙しくて……」

「えっ、じゃ、今日も大丈夫だったんですか!?」

「うん。今日は、ちゃんと大丈夫」

「……ちゃんと」

 結衣は、梶原の言葉を噛みしめて、プッと吹き出した。

「この間は、大丈夫じゃなかったですもんね」

 自分の言葉の真実を逆に指摘されて、梶原は少し不意を突かれた。それを笑顔で見守られて、……なんだろう。安堵感がやってきた。

「まいったな」

 出た言葉はこれしかなく、梶原も一緒に笑顔になった。あぁ、そうか……。今、許してもらえたんだな、失敗を……。そうだった。この子には、墓の前での姿も見られていたな。

「さて、何食べる?」

「それなのよねぇ。今日のおすすめの黒板も気になるし、人気No.1も気になるし」

「どれ食べても美味しいから、君が気になるもの頼んで。僕はそれをシェアするから」

「えっ、いいの?」

 にこやかに小さく梶原にうなずかれ、結衣は3品ほど指定してみた。

「いいね、いいチョイス。それにしよう」

 結衣は大満足である。色々な種類が、しかも美味しそうなものばかり並ぶのが、1番幸せだ。思わず、ふふんっと鼻歌が出た。

 その様子を、梶原が満足げに眺めていたことに、結衣は気が付かなかった。


「次のお店に9時前に入りたいから、そろそろ出ようか」

 そう言われたのが8時半頃だった。美味しい食事を堪能した後だ。

「次の店?」

「バーなんだけど、どうかな。今日は、そっちの方が僕的にはメインで。もちろん、君が嫌じゃなければってことだけど……」

「バー?」

「今日、ライブがあるんだ。少し変わった子が出てて」

「へぇ、聞いてみたい……」

「よかった。じゃ、行こう」

 だから、どうしても今日だったのか……。梶原にしては割りと強引だったので、何だろうとは思っていたが、結衣は「少し変わった子」というワードに、興味が湧き出した。

「じゃ、私、トイレ行ってきます」

「うん、僕もタバコ。外で待ってるよ」

「あっ……」

 外で、と言われ、結衣は改めて感謝の言葉が口に出た。

「ホントに、ごちそう様です」

「いいえ、どういたしまして。美味しかったね」

「はい、とっても。また、来たいです」

「うん。他にも色々美味しいものあるから、また来よう」

 結衣は久し振りの男性との食事で、フワフワしているところに持ってきて、更に「また来よう」でトドメを打たれる。ハイテンションでトイレに向かった。


「梶さんじゃない! どうしたの、こんなところで~」

 外でタバコを吸っていた梶原の腕に、20代前半の女性が絡みついた。

「……」

 昔、通っていた店の、元キャバ嬢である。源氏名は「ひかる」だったか……。

 私服と思われる服装は、お店のドレスとは違い、一見普通のOL風だ。そんなところも気に入ってたっけ……。

 ただ、やはりどこかセクシーな部分があって、男心を掴む術は心得ている。今日で言えば、肩が片方だけ出ていたりする。

「またお店に来てー」

 そう言って名刺を差し出してきた。

「黒服と結婚して、もう仕事は辞めたんじゃないのか」


 この彼女は、何度も指名をしたし同伴もした。1度だけアフターからの「お持ち帰り」もさせてもらったが、それっきりの仲である。そのあとすぐ、店の黒服と付き合っているのがバレ、辞めてしまったからだ。その後、その黒服と結婚したと噂で聞いていた。


「離婚したの。だから、今はフリーよ」

 そう言ったかと思うと、梶原の耳元に顔をグッと近づけて、囁く。

「梶さんになら、特別サービスしちゃうから」

 梶原が耳が弱いことを、ちゃんと覚えているらしく、そのまま左手をぎゅっと握って、さっき受け取ろうとしなかった名刺を握らせた。

「ぜひ、来てね~」

 手を振りながら、そのまま彼女は去って行った。名刺を見れば、新しい源氏名は「キャシー」と言うらしい。この場にポイ捨てするわけにもいかず、アイコスと共にスーツのポケットに入れた。

「さて、どうするかな」


 結衣は壁で身を隠しながら、その女性が立ち去るのを待っていた。

「若い……」

 彼女の第一印象は、それだ。たっぷりした黒髪を緩く巻き、可愛い笑顔で、片方の頬にはエクボができていた。クリッとした目は、キラキラと輝いていて、梶原の腕に回した手は、とても自然に見えた。


 出口の扉の前でその様子を見た時は、全ての思考がストップした。と同時に、すぐ身を隠した。どうしようかと迷いながら、でもどうしても気になって、他の窓から様子を伺った。

 梶原の背中しか見えなかったが、彼女が梶原に抱き付くように耳元に囁いた時には、見ているこっちの心臓が持たない程、鼓動がうるさかった。

 あんなに若くて可愛い子に、30過ぎのオバさんが、(かな)う訳がない……。


 かと言って、いつまでもここに隠れている訳にも行かない。とにかく見なかったことにして、早く行かないと。時間が、刻々と過ぎていく。

 彼女の姿が完全になくなったのを見届けて、結衣は両手を頬に当てた。そのまま、グ~と持ち上げる。笑顔が引き攣らないよう、必死に筋肉を緩めた。


 梶原は、ただじっと待った。さっき「ひかる」が絡んできた時、視界の隅で、結衣が店の出口まで来たことが分かった。そして、すぐに消えた。……ごめん、少し笑ってしまった。

 ああいう時、人は2つの種類に分れるのではないか。突撃するか、逃げるか。

 やっぱり君は、甘えるのが下手だ。それはつまり、人に自分の一部を託すことが苦手だという事。

「人のこと、言えないか……」

 小さいため息と共に、梶原は独り呟いた。


 さて、「ひかる」の姿はもう見えなくなった。どこかで見ているのなら、そろそろ出てきてもいい頃だ。僕なら、そうだな……、10秒位、間を開けるだろうか。

「1、2、3、4……」

 梶原は、声に出して数え始めた。

「……9、10」


「お待たせしました」

 結衣の明るい声が響いた。ゆっくりと顔を上げた梶原も、そっと笑顔になった。

「じゃ、行こうか」

「はい」

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