表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/33

手すり

「結衣、ウチにも手すり付けてー」

 母から電話があったのは、前回実家に行ってから2週間後のことである。

 どうやら、佐々木邸にリフォーム工事が入ったらしい。図々しくも家を見学させてもらった母の、競争心に火が付いた。


 結衣は梶原に相談することにした。LINEで連絡すれば、会って教えてくれるという。こちらからお願いするのだから、梶原の休みの土曜日の夜はどうかと提案したら、結衣の次の休日を聞かれた。

 火曜日だと返信すれば、夜7時ならOKだとのこと。母の勢いを考えれば、早いに越したことはないので、会社の近くまでこちらから出向くと伝える。指定されたのは、小さなカフェ・レストランだった。


 19時を少し過ぎたところで、梶原はやって来た。

「待たせちゃって」

「いいえ、こちらこそわざわざすみません」

「お母さん、どう?」

「足はすっかり良くなってるんですけど、佐々木さんが羨ましいみたいで……」

「ははっ、そんなに大したことでもないのに」

「大事件ですよ、田舎では。……あの、食事はどうします? 素敵なお店ですね。メニューも魅力的」

 メニューを覗き込みながら、結衣がソワソワと聞く。梶原は自然に頬が緩んだ。

「嫌いじゃないなら、ローストビーフがお勧め。僕、今日はちょっと飲めないんだけど、姫野さんよかったら飲む? ワインも美味しいよ」

「どうしたんですか? 調子悪い?」

「いや、今日だけ」

 はっきり言わない梶原に、結衣は心配な顔をする。その顔を見て、梶原はやっぱり小さく笑った。

「来週、健康診断でね。只今、調整中」

「そっか、よかった。じゃ、私もいりません。ご飯、食べましょ」


 梶原が依頼した業者は、有名なハウスメーカーだったらしく、名刺を見せてくれた。スマホで撮って、説明を聞く。

「君の事、話しておいたから」

「ありがとうございます」

「その営業マンがいいからね。ちゃんと動いてくれる」

「助かります」

 梶原は3社の相見積もりを取ったらしく、口コミもちゃんとチェックし、最後は直接会って決めたらしい。結果、満足しているとのことで、値段も結衣が覚悟していたものより安くて安心した。


「佐々木さん、退院早かったですね」

「本当はもう少し入院している予定だったんだけど、家に帰りたいって言い出してね。リハビリは通うからって」

「入院していた方が、しっかりリハビリできるのに」


 佐々木は最初の総合病院から、リハビリ専門病院に転院した。

 専門病院なので、入院していれば、毎日1日に2回、しっかりと練られた計画の下、リハビリに専念できる。しかし、通いとなると毎日通う事もできないし、回数も1回しかできない。

 日常の自発的な細かな訓練も、モチベーションが保てず、おざなりになってしまう。早く治したいなら、入院するに越したことはない。


「佐々木さんは、あんまり社交的な人じゃないから」

 佐々木さん……か。

 梶原の言葉に、結衣は改めて不思議に思う。息子なのに、やはり他人行儀を貫いている。どんな事情があるんだろう……。

「そうですね。佐々木さん静かな人だから、羨ましい」

「羨ましい?」

「うん。ウチの母なら、ずっと入院していたいって言うから」

「そうなの?」

「もうね、あの人、口から生まれた人なの。家で1人でいるより、病院なら誰かがいるでしょ。通院していた時も、待ち時間に知らない人にすぐ話し掛けて、ずっとお話してる。病院なのに、楽しいって言うのよ」

「ははっ、姫野さんも? お母さん似?」

「似てないって思いたいけど、自分じゃ分からないから、すごい恐怖です。実際に私、ぼやきも多いし」

「ぼやきが多いこと、自覚してるなら違うよ」

「そうかなぁ」

「そう」

 梶原は、ローストビーフをナイフとフォークで捌いていた手を止めて、わざわざ結衣の顔を見てそう断言する。やっぱり、小さく微笑んでいる。

「……ありがとう」

 結衣は、また耳が赤くなるのを自覚する。それをごまかす様に、次の言葉を探した。


「最近、無口だった父親の気持ちが分かる様になってきて」

「どんな?」

「母に口ごたえは、厳禁!」

「どうして?」

「10倍になって帰って来る!」

 笑ってもらえるかと思ったが、何故だか梶原は笑うことなく結衣の顔をじっと見ていた。その顔は、不思議そうな、珍しいものを見るような目で、結衣は少したじろぐ。

「ん?」

 頭を少し傾けて、何? とジェスチャーで梶原に問いかけてみたが、「いや……」と言ったきり、またローストビーフに戻ってしまう。

「ねぇ、何、何? 教えて下さい」


「明るい家庭なんだな……って思って」

 少し間があってから、梶原が答えた。普通だと思うけどなぁ、と考えつつ、問い返す。

「梶原さんのお宅は?」

「……普通だよ」

 ほんの小さな違和感が、結衣を不安にさせた。今までの柔らかい笑顔が、今は明らかに消えてしまった。何か、触れてはいけないものに触れたかの様で……。あの、墓地での背中が脳裏をよぎった。


 突然、梶原のスマホが鳴った。梶原は、少し慌て気味に電話に出た。

「はい。……分かってる。はい。すぐ……。じゃ」

 電話を切ると、食べかけていた肉を口に頬張り、ノンアルコールで流し込んだ。

「ごめん。行かなきゃ」

「えっ! もう、帰るの……?」

「うん。呼び出された」

 えっ、誰に?

 まだフォークとナイフを手に持ったまま、席を立つ梶原をボー然と見ているだけの結衣は、改めて自分も出なくちゃっ、と慌てだした。

「いいよ。君は最後まで食べてって。駅まで送れなくて、ごめん」

 そう言うと、結衣を置き去りに出口に向かって行ってしまう。会計の所で支払いをしているのを見て、また結衣は慌てた。

 ダメだよ、今日は私が来てもらったんだから、私が払おうと思ってたのに!


 とにかく支払いだけはしなくてはと、バッグから財布を取り出し席を立とうとしたところで、アイコスがテーブルに忘れてあるのに気が付いた。

「梶原さん! タバコ!」

 小走りで会計に辿り着けば、梶原が支払いを終えてしまったところだった。

「梶原さん、今日は私が来てもらったのに、支払います!」

「いいよ、僕がここを決めたんだから。それに、もう終わったし」

「あぁ、もうっ!」

 怒る結衣に、梶原は小さく笑って結衣の手からアイコスを受け取る。

「タバコ、ありがと。ごめんね、バタバタして」

 また、梶原のスマホが鳴る。店のドアを開けながら、スマホに応えた。

「今から戻るところだから。すぐ行くから、もう少し待って」


 走り出そうとしたところで、不意に、グッと腕を後ろから掴まれた。驚いて振り向けば、自分よりももっと驚いた顔で、結衣が必死に腕を引っ張っていた。

「梶原さん、もしかして残業、抜け出してきました!?」

「あっ、いや……」

 梶原の動揺に、結衣は確信する。だから、飲めなかったんだ……。

「やだっ、もう! ほんと、ごめんなさい。無理させちゃって!」

 全力での申し訳なさが、顔に出ている。

 いや、そんな顔……。

「急にトラブって、残業が伸びちゃっただけだから……」

「ドタキャンで良かったのに。ホントに、ごめんなさい。LINEで済む用件だったんだから……」

 そこで急に何かに気づいたかの様に、掴んでいた手をパッと放して、結衣が一歩後ろに下がった。

「あっ、引き留めてごめんなさい。どうぞ、戻って下さい」

 だから、そんな顔……。


 梶原は、急いだ気持ちを切り替えて、改めて結衣の正面に立った。


「LINEじゃなくて、会いたかったから、僕が」


 結衣は、小さく口を開けて固まった。

 まだ、そんな顔……。

 梶原は少し腰を折って、結衣の顔の真正面に高さを合わせた。


「今日のお別れだよ。笑ってないよ」

「あっ……」

 耳どころか、顔まで赤くなるのが、結衣は自分でも分かった。

「お仕事……、頑張ってください」

 やっと出た言葉と共に、結衣は精一杯の笑顔を付けた。

「はい。頑張ります」

 そう笑った梶原は、結衣に見送られて、走って仕事に戻って行った。


「主任、どこ行ってたんですかー」

 会社に戻った梶原は、横田に、割と真剣に怒られる。他に3人残っているのだが、梶原に遠慮なく文句を言うのは、この横田だけである。

「悪い。どうしても外せない用があって」

「えぇ!? 中抜けするならするって、言ってってくださいよ。『ちょっと、出てくる』って行ったきり、さっぱり戻って来ないんですから」

「はい、すみませんでした。これ、差し入れ」

 残っているメンバー4人分の、サンドウィッチとコーヒーをデスクに置く。

「……、贈賄ですね」

「そうそう。しっかり、収賄してください」

「まぁ、そういう事でしたら……」

 4人がサンドウィッチに噛り付いたのを確認して、梶原もキーボードに手を掛けた。確かにヤバい状況ではある。


 その時、梶原のスマホがLINEの着信を知らせた。

「ごちそうさまでした。もったいないので、ちゃんと全部平らげて帰りました」

 ふっと、思わず笑った息が、小さく洩れる。

「あと、手すり工事も、早速手配します。ありがとうございました」

「それと」

「私も会えて嬉しかったです」

 梶原の眉が、片方だけ上がるのを見て、横田は口をモグモグさせながら半眼で見る。

「主任~、顔ニヤけてますよ。今は、彼女さんは後にして下さーい」

「悪い、悪い。マッハで終わらせるから」

 もう一度、スマホがピロンと鳴る。

「今日はゆっくり寝られるといいんですけど。お休みなさい」

「だから……」

 思わずスマホに向かって小さく呟いた。当たってないって言ったこと、やっぱり信じていない。

「主任~、手が止まってまーす!」

「分かった、分かった」

 梶原は、「お休み」のスタンプだけを、辛うじて返した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ