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町内会費

結衣(ゆい)、広報配るついでに、佐々木さんとこの町内会費、貰ってきてー」

「佐々木さんの所だけでいいの?」

「佐々木さんが最後だから。何回行ってもいないのよ〜」

「分かった。領収書は?」

「台所の引き出しの、いつもの所」

 姫野(ひめの)結衣(ゆい)は、1ヶ月振りに来た実家の玄関を出た。広報を各家のポストに配りながら、最後に佐々木邸に向かう。


 今年結衣の実家は、町内会の班長が回って来た。28世帯あるこの班の内、16戸が戸建てで、残りは2つの共同住宅の住民だ。借家の住人には、町内会の「役」は回らないので、持ち家の16世帯で色んな「役」を順に担っていく。結衣の実家も、班長は16年振りという事になる。


 共同住宅の町内会費の回収は大家が代行してくれので、班長は戸建ての家を回る。年度初めの4月、この町内で一斉に行われる1番厄介な仕事である。やはり、現金が絡む仕事は、小さなことでも気を付けなければならない。

 

 結衣は佐々木邸の前に到着した。開けっ放しの門扉の外から、庭を覗く。ホンダのフィットが車庫にあった。

「ちゃんと、いるんじゃない」

 小さく文句を言いながら、玄関に向かう。2、3歩進んだ所から視界に入る広縁に、男性がいるのが目に入った。新聞を床に広げて、胡坐(あぐら)で読んでいる。……誰だろう。佐々木さんの家に、こんな人いたっけ……。


「こんにちは。町内会の者ですが……、町内会費の回収に伺いました」

「……」

 梶原浩明(かじわらひろあき)は、庭先のアプローチから覗いている結衣を、遠慮することなく、まじまじと見つめた。

 その目は涼しげで、結衣は少したじろいだが、そんな気持ちを悟られない様にゆっくりと玄関に向かう。

 梶原は広縁から玄関の方に回って、結衣を出迎えた。そこで改めて、困った顔をした。

「すみません。この家のものではないので……」

 思ったより血の通った、優しい声だった。

「あの……、佐々木さんはご在宅ではありませんか?」

 一瞬、逡巡(しゅんじゅん)した様子を見せた梶原は、小さな覚悟を決めたかの様に話し出した。

「佐々木さんは入院しました」

 結衣はビックリする。母はそんなこと一言も言ってなかったから、きっと知らないだろう。

「えっ……、いつですか?」

「先週です」

「それは……、大変……」

 思わず容態を確認しようとする自分を、結衣は抑え込む。

 ここの住人の佐々木さんは70近いご婦人である。若い人とは違い、入院となればどんな状況もあり得るわけで、それを今こちらから確認するのは、色々、時期尚早な気がする。


 が、町内会費は回収しなければならない。回収できなければ、町内会を強制脱会になってしまう。市の「広報」も配られない。

 それより何より、班長としてのこちらの対応が、色々面倒臭い。


「戻られるご予定とか、分かりますか?」

「1ヶ月程、掛かるようです」

 良かった……。すぐさま、命に関わるわけではないらしい。それは良かったのだが……、参った。

 町内会費の回収には、当然期限がある。1ヶ月後では間に合わない。結衣は目を泳がせた。

「おいくらですか? 僕が払います」

「えっ……」

 梶原はまっすぐ結衣を見つめながら、静かに答えた。


 結衣は改めて梶原を見る。黒いままの髪は、緩く七三分けにされており、額がきっちり出ている。家の中にいるのに、何故だか白いカッターシャツを着て、スラックスまではいている。

 このままネクタイをしてジャケットを着せれば、どこから見てもサラリーマンと思われる風貌だ。結衣より少し上くらいの年齢だと思われるが、簡単には人を寄せ付けない空気を(かも)し出している。


「あの、あなたは……、佐々木さんとはどういう……」

 結衣は、お金を預かる以上、いい加減な人から受け取るわけにはいかないだろうと考える。しっかりと目を見返して聞いた。

「留守を頼まれました。おいくらですか?」

 こちらの詮索を(うと)んじる様な表情を、少しされた。ちゃんと払うんだから、いいだろう。とでも言っているかの様だ。

 やだ、私、そんなに「知りたいおばさん」じゃありませんよ。結衣は(さげす)まれた気分を味わった不快感を、1割程含んだ声で金額を伝えた。

「3千円です。助かります」


 梶原は一旦奥に戻り、黒の2つ折りの革財布から紙幣を出した。領収書と広報を引き換えに手渡して、任務は無事完了である。

 (きびす)を返して玄関を出ようとしたところで、奥の空間から、情熱的で特徴のある音が聴こえて来た。

「あら……」

 結衣がその音に反応して、振り返って視線を宙に泳がせた。


 ……何? 梶原は、動かなくなった結衣を、見守る形になる。

 先程の事務的な結衣の声が、柔らかい声に変わった。

「チゴイネルですか?」

「……」

 梶原があからさまに固まった。急に違う方向から槍を突き出された雑兵(ぞうひょう)の様である。

「あぁ……、そうですね」

「パールマン?」

「……」

 さっきまで梶原は、YouTubeを聴いていた。ヴァイオリンコンチェルトを流していたのだが、どうやらそれは終わったらしい。次のおすすめ動画が、自動再生された様だ。

「……そうみたいですね」

「あっ、テレビか何かなんですか?」

「いえ、YouTubeで……」

「あぁ、いいですよね、YouTube。聞きたいものが、すぐ聞けて」

「……そうですね」

 合わない焦点のまま、結衣は音楽を確認していたが、すぐに現実に戻る。梶原に視線を合わせた。

「では、失礼します。ありがとうございました。佐々木さんによろしくお伝えください」


 外に出た結衣は、安堵の足取りで門を出た。

 後ろでカラカラと格子戸の玄関を閉める音がして、カチャリと鍵が掛けられた。背中でそんなことを確認しながら、結衣はなんとなく振り返って、佐々木邸を仰ぎ見た。

「今まで、この家からクラシックが流れてくることなんて、なかったよね……」


 広縁に戻った梶原は、スマホを手に取る。やはり、その小さな画面の中では、天然のクリクリ頭で、いつも(たた)えている笑顔のまま、軽やかに1人の男性がヴァイオリンを弾いていた。まだ若かりし頃の姿である。

 梶原は、躊躇(ちゅうちょ)することなくすぐにその動画を終わらせ、次の動画を再生させた。

「好きじゃないんだよな、パールマンは……」


 読みかけていた新聞を片付け、居間に移動する。ノートパソコンを開いてのリモートワークは、まだまだ終わりそうにない。休憩のつもりの新聞も、中途半端になってしまった。

 慣れない空間での生活は、リズムを掴むのに苦労する。……と、ふいに顔を上げた。

「あの人、音だけでパールマンって当てたな……」

 机の上に置かれた領収書をもう一度眺め、次のコンチェルトを聞きながら、しばらく動き出すことはなかった。


「お母さん、佐々木さんの町内会費、貰って来たよ」

 自宅の玄関を上がりながら、結衣は母のいる部屋に声を掛けた。そのまま預かった現金を母に手渡す。

「へぇ、よかったわぁ。佐々木さん居たんだ」

 頭を左右に振りながら、結衣は答える。

「佐々木さん、入院しちゃったんだって」

「えぇ! いつ!?」

「先週だって」

「どこが悪いって?」

「知らな~い」

「知らないって……。あんた、誰からお金もらってきたの?」

「なんかね、留守を頼まれたっていう男の人」

「男の人? 誰、それ?」

「知らないわよ。お母さんが分からないのに、私に分かる訳ないでしょ。見当つかない?」

「佐々木さん、親戚なんか近くにいないはずだけど……」

「うーん、親族っぽくなかったけどなぁ。佐々木さんの事、『佐々木さん』って呼んでたし……」

「どんな感じの人?」

「年齢は、私より少し上かな。サラリーマンっぽい人」

「誰だろ……」

「まぁ、いいんじゃない。立て替えてくれたんだから。こっちは、回収できて助かった」

「そういう訳にいかないでしょ。お見舞い、どうするか酒井さんに聞かなきゃ……」


 酒井さんとは、結衣の家のお向かいさんで、結衣も小さい時からお世話になっているピアノの先生である。

「ウチの時は、来てもらったの?」

「お父さんの時?」

「そう」

 結衣の父は、4年前に病気で亡くなっている。1人になった母には、近くに住む兄家族との同居も視野に入れているが、取り敢えず自分で動けるうちは、1人暮らしを頑張ってもらっている。


 様々な不安や不便がある中、それでも何とか1人暮らしが続けていられるのは、酒井さんやお隣の奥さんと、楽しくお付き合い出来ているからであり、結衣もこの地域のコミュニティには大変感謝している。自分では到底、母の「友人」にはなれない。


「酒井さんには来てもらったけど、佐々木さんは来てもらってない」

 4年も前のことだから、思い出すのに時間が掛かるかと思えば、あっさりと答えが返ってきた。こういうところが、結衣が母の「友人」にはなれない理由だ。実に、執念深い……。

「じゃ、別に行かなくてもいいんじゃない。そんなに、お付き合いしてないんでしょ」

「まぁねぇ……。いいわ、明日にでも酒井さんと相談するわ」


 18時頃、母との夕食を終え、結衣は近くにある居酒屋にやってきた。結衣の同級生、広田大輔(ひろただいすけ)の親が、30年以上前からやっている小さな居酒屋である。

「いこい」と書かれている暖簾の、1か所上げてある下をくぐり、足を踏み入れた。


「らっしゃい」

 いつもの声が飛んでくる。昔は自称イケメンで鳴らしたその人の、随分寂しくなった頭にはバンダナが巻かれ、紺の作務衣を来た店主が、結衣を認めて笑顔を向けた。

「帰ってたのかい、結衣ちゃん」

「うん。相変わらず、忙しそうで何よりね、おじさん」

「お陰様でね」

 そう言いながら、カウンターの奥にある階段の上に向かって声を張った。

「おーい、結衣ちゃん来たぞー」

「今行くー」

 2階は自宅になっていて、この店主が1人で暮らしている。返事をしたのは大輔の妹、真由子である。大輔と真由子は、それぞれ近くにアパートを借りて、1人暮らしをしている。


「おぅ、いつものでいいか?」

 カウンターに座った結衣の前に、焼酎のボトルを持って、奥から大輔がやって来た。ボトルには、結衣の名前が大きく書かれている。

 短髪でガッシリした大輔の体格は、32歳になっても崩れることなく保たれている。それは、小さい時からずっと続けてきた野球を、いまだに青年会のチームで頑張っているお陰であり、結衣にとっては見慣れた姿だ。


 大輔は、焼酎のボトルを、トンと結衣の前に置いた。

「ありがと。今日は水割りにするから、氷もくれる?」

「レモンは?」

「あっ、あるならライム」

「あるよ。……で、今日は、どれにする?」


 この店のお通しは、カウンターの上にいくつかある大皿の中から1品、客が選ぶことができる。まぁ、常連にだけ許されたルールなのだが、結衣は遠慮なく好物の「湯の花」を指名した。

 大輔がそれを小鉢に取り分け始めた頃に、上からバタバタと真由子が降りてきた。

「結衣ちゃーん、待ってた!」


 真由子は今年26歳になるOLだが、見た目はもっと幼く見える。ガッシリ系の父とも兄とも似ておらず、母に似たことが功を奏して、実に女の子らしい風貌のお嬢さんである。


「もぅ、どうしたらいいんだか! さっそく、お願い~」

 真由子は結衣の腕にしがみついて、おねだりモード全開である。

「おい真由子。結衣はまだ一口も飲んでないんだぞ。一応、お客さんだ」

「え~」

 大輔に注意された真由子は、大いに口を尖らせた。

「一応って何よ、大ちゃん! いいよ、真由子ちゃん。飲んじゃうと手元も狂うから、飲む前に見ちゃおっか」

「やったー。やっぱり結衣ちゃんは優しい。お兄は、さっさと仕事に戻れ」

 顔のパーツを全部中心に寄せて文句を言っている妹を見て、大輔は大きく溜息をついた。

「はー。結衣、腹は減ってないのか?」

「大丈夫。食べて来た」

「じゃ、ライムは後で切るから。終わるの待ってたら、干からびそうだ」

「サンキュ」

 大輔は厨房の奥に、戻って行った。


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