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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第六部 黎明の炎編
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97 遠き日の夢

どうも、ヒロユキです。予定より早く書けたので更新しました。


「おばあちゃん、死んだの?」


 母親が運転する車の中で、春臣はそう聞き返した。窓の外はまだ夜が明けきる前で、静まり返った町並みが見える。通りに面して軒を連ねる店のシャッターはことごとく閉まり、歩いている人々もまばらだった。

 心なしか、漂う空気が白んでいるようにも見えた。昨日までの人々の活気を含んだ空気が、夜の時間を経て、綺麗に洗浄されてしまったかのようだった。


「それ、本当?」


 春臣は現在の状況に対して、まだ明確な理解が出来ていなかった。つい数分前に母親から聞かされた事情は、近くの病院に入院していた祖母の容態が、今日の未明に突然悪化し、そのまま祖母は息を引き取ってしまったという簡単な内容だった。それにはどんな病気であったのか、どんな最後だったのか、などの情報は含まれていない。


 おばあちゃんが、死んじゃった?

 あの優しくて、いつも微笑みながら自分の頭を撫でてくれた、おばあちゃんが?


 春臣の頭の中では考えが上手く進まず、先ほどからひれを動かすことを知らない動きの鈍い魚が泳ぎ、ただぷかぷかと泡を吐き出しているだけのようだった。


 死んでしまう、ということは、もう動かなくなることなのだろう。そして、動かなくなってしまって、もう会えない、ということなのだろう。試しにそう考えてみるが、いまいち実感が沸かない。


 幼い春臣は死をよく知らなかった。大人からそれがどんなものであるのか、話として聞いたことはあるが、実際にそれを目の当たりにしたわけでもなし。当時の春臣にとって、所詮、死とは言葉で構築されただけの脆い知識であって、それ以上のことは当然、上手く理解出来るはずがないものだったのである。


 しかし、

 しかし、少なくとも、それがとても悲しいことだということを、春臣は同じように、言葉で構築された知識として知っていた。だからこそ、必死でそれを自分に分からせようと頭の中で言葉を繰り返していた。


 おばあちゃんが死んだ。

 それは、とても悲しいこと。

 悲しい、悲しい――。


 けれど、どれだけ思っても、春臣の心の中はいまひとつ空っぽで、どうにもぎこちない。自分の周囲が暗いムードに包まれている一方で、自分だけがどこか半信半疑の夢見心地でいるようだった。


「そう、母さんは、死んだの」


 ハンドルを握る母が、何かを堪えるように、声を絞るようにして、数分前の言葉を繰り返した。その視線は春臣の方を向くことはなく、前方の赤くなった信号を、哀れむように見ている。


「もう、死んじゃったのよ」


 それはまるで、自分に言い聞かせるかのようだった。


「おじいちゃんは?」


 春臣は堪らなくなって聞いた。

 いつも会いに行くたびに、たくましくでっかい手で春臣の頭をぐしゃぐしゃと撫で、大声で笑う優しい祖父は、春臣にとって、とても頼りがいのある人物だった。

 あの祖父が今ここにいてくれればどれほど心強いだろう。そう思うと、春臣は今すぐにでも、祖父に会いたかったのである。


 すると、母はなぜか一度自分の頬を叩いた後で、


「もう、先に病院に行ってる。おばあちゃんと、一緒にいるわ」


 と答えてくれた。


「おじいちゃん、いるんだね」


 それを聞いて、春臣は少し安心する。あの祖父の顔を見れば、この拠り所のない浮遊するような気持ちを、いつもの笑顔で消し去ってくれると思ったのである。この先の知れない、一本の綱の上を歩くような気持ちを。

 おじいちゃんに会えば、きっと大丈夫。

 春臣は、そのときまで、そう、考えていた。




 病院に辿り着くと、春臣の母は入り口の自動ドアをくぐり、受付を見ることもなく、真っ直ぐに歩き、正面のエレベーターのボタンを押した。ピン、と妙に高い音が鳴り、すぐに扉が開いて乗り込む。

 祖母の病室は五階にあった。エレベーターを降りて、廊下を進む。以前に来たときは、窓の外から景色を眺めて、とても綺麗だったことを覚えているのだが、その日、祖母の病室の窓は閉まったままだった。そのせいか、空気に皺が入ったように、まるで活気がない。


 祖父は、ベッドの傍に座っていた。

 春臣はその姿を見るや否や、駆け寄ろうとして……止めた。なぜなら、祖父の俯いた暗い表情が目に入ったのである。

 それは春臣が今まで見たことも無い、弱弱しい老人の顔をした祖父だった。長年の苦労が蓄積したような数々の皺に、生気の抜けたその目には、杖をついてしか歩けないような、歯がすべて抜け落ちてしまったかのような、頼りなさがあった。

 自分が入ってきたのに、祖父はベッドに目を向けたまま、動かない。まるで春臣がそこに存在していないかのような振る舞いだった。

 おじいちゃんが、悲しんでいる。

 いつになく萎んだ様子の祖父を目の当たりにし、春臣は直感的にそう思った。

 ふいに、祖父の掌は小さく震えているのが見えた。春臣は、唾を飲み込む。そのまま何も言えなかった。


 今度は母に肩を抱かれ、春臣はそこで初めてベッドに横たわる祖母を見ることになった。

 祖母は、確かに死んでいた。まるでおとぎ話に出てくる天使のような白い顔をして、目を閉じていた。


『春臣が大人になって、どんな男前になるか早く見てみたいものだわね。きっとおじいちゃんみたいに二枚目になるわ』


 祖母がいつかそんなことを言っていたのを、なぜか、なぜだか、思い出した。

 そして、その言葉を聞くことは、もう二度とない。


 ああ、

 これが、

 死んでいる、

 ということなのか。


 そう思って、春臣は急に寂しくなり、祖母から目をそらした。とても耐えられない。


 しかし、その先で次に見たものは、母に肩を叩かれ、支えられながらゆっくりと立ち上がる祖父だった。

 その目にはやはり、いつものような、溌剌はつらつとした明るさはなく、まるで飛ばなくなった風船のようだ、と愕然とする。


 いつものじいちゃんはどこへ行ったんだよ。

 おばあちゃんを、元気にさせてよ。


 そう声を出そうとしたが、喉から出たのはなぜか擦れたような吐息のみだった。不思議に思い、頬に触れて、一筋の涙が零れていることに気がつく。


「あ、ああ……」


 それによって、春臣は自身の中で、何かが決壊したのが分かった。

 次の瞬間、病院中に響くような大声で、春臣は泣き始めた。

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