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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第五部 時雨川ゆずり編
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93 別れの言葉

 旅の身支度は十分ほどで済んだ。ちょっとした衣類や、ほとんど空っぽの財布、お守りを作る際に使う道具などを荷物にまとめる。お守りを除いてしまえば大したものを持ち歩いているわけでもないので、もっと早く終わっても不思議ではなかったな、とゆずりは思う。


 それから、居間を少し眺めて、短い間ではあったものの、ここで過ごした日々を思って感慨に耽りつつ、くるりときびすを返した。

 もう、出て行く頃合いだった。


 ゆずりは玄関でいつものように鼻緒に鈴がついた下駄を履いて、外に出た。

 頭上を仰ぐと、空が赤く色づいていた。風に乗って、近づく夜の気配もしている。さらに、天に向かって縦横に膨らみ始めた雲は、遠くない夏の到来を人々に示していた。直に蝉も鳴き始めるだろう。


「また、季節が巡るな……」


 どこかしんみりとゆずりは呟く。

 夏が来て、秋が来て、冬が来て、春が来て……そしてまた、夏が来る。そう、全ては何も変わらない、その繰り返しなのだ。人も神もその終わらない繰り返しの中を、生きている。

 ゆずりは、歩き出した。一歩踏み出すたび、しゃりん、しゃりん、と鈴が物悲しげに鳴る。

 と、


「時雨川さん!」


 呼び止められた。

 振り向くと、春臣が玄関端に立っていた。彼は驚きと困惑が混じった顔でゆずりを見ている。


「挨拶もなしに出て行くのは、あんまりにも常識知らずってもんじゃないですか?」


 彼の両手には取り込まれたばかりの洗濯物があった。居間の前の物干し台の辺りから自分が出て行くのが見えたのかもしれない。これは迂闊だった。やれやれ、と肩をすくめる。

 ゆずりは、こう返した。


「少年、君は時雨川に常識があるって思ってるのかい?」


 すると、春臣は確かに、と眉をひそめた。


「考えてみれば、今まで常識的な態度をしてくれたことが記憶にあまりない気がします」

「そうだろうそうだろう」


 と調子に乗って胸を張る。


「それ、自慢できませんよ」


 笑われてしまった。


「本当に変な人ですよね、時雨川さんって。でも、別れの挨拶くらいしてくれてもいいんじゃないですか?」


 言われて、ゆずりは少しげんなりと俯いた。


「その、なんていうかさあ。『じゃあね』とか『ばいばい』とか『お元気で』とか言うやつだろう。そういうの苦手なんだよね」

「苦手って、そういう問題ですか?」


 春臣はあきれてしまったようだ。

 しかし、ゆずりは構わず、


「そういう問題なんだよ」


 と、だだを捏ねる子供のように言い返す。なぜなら、ゆずりは本当に挨拶のような人と人との決まりごとの類が不得意なのである。

 特に、別れの挨拶というのは、他のものとは違う特別な意味を含んでいるので、さらに嫌だった。

 ふっと目の前の景色が歪み、ゆずりの胸の奥底に眠るはるか昔の記憶が蘇る。

 ゆずりの背が低くて、目の前に立った誰かは腰をかがめてこちらを見ていた。


『お別れの挨拶っていうのはね、また今度会いましょう、っていう人と人との約束みたいなものなのよ』


 あれは、

 あれは、誰の言葉だっただろうか。今はもう、時の砂に埋もれてしまって定かではない。 でも、


『約束?』


 そう無邪気に問いを返したあの頃のゆずりは、確かに、まだ――だった頃で。

 ゆずりは奥歯をかみ締めた。

 この記憶を思い出すと、ゆずりの心は見えない渦に吸い込まれてしまうような、いてもたってもいられない切なさを感じてしまうのである。

 ああもう、上手く、忘れてしまえればいいのに。


 ふと気がつくと、春臣が目の前に立っていた。洗濯物を玄関に置いてきたのか、手には何も持っていない。


「本当に何も言わずに行くつもりだったんですか?」


 彼の瞳は空の色を映して綺麗な茜色だった。なぜだか、思わず目を逸らしてしまう。


「媛子にも、何も言ってないんですか?」

「彼女はまだ眠っていたよ。大きな体に慣れないうちから無理しすぎなんだ。うれしいのは分かるが、くれぐれも無茶はするなって言い聞かせておいてよ」

「はい、分かりました。他に俺たちに言うべきことはないですか?」

「……う、うーん、ええと……」


 それきり言葉が見つからず、ゆずりは口をもごもごとさせた。ああ、やっぱりだめだ。こういう別れの雰囲気にはそもそも体が慣れていない。

 すると、急に春臣が頭を下げた。


「え?」

「あの、時雨川さん、ありがとうございます」


 いきなり礼を言われて、ゆずりはまごつく。


「な、な、なんのことさ?」

「呪符を剥がしてくれたお礼、そう言えばまだ言ってませんでした」

「なんだよ。そんなのこっちが悪いってのに」


 むしろ、こちらが謝らなくてはならないくらいだ。

 しかし、彼は首を振る。


「いえ、そういうことじゃないんです」

「え?」


 春臣が微笑む。


「俺は、他でもない『時雨川さん』にそれをやってもらって、嬉しかったから、お礼を言うんです」


 どうやらそう言われて、柄にもなく、ゆずりは照れてしまったようだった。ほんのりと顔が熱を帯びるのが分かる。

 ったく、なんだか別れ辛いじゃんか。


「分かったよ、そのお礼はありがたくもらっとく」


 私のことなんて、

 気にしてくれなくていいのに。


「も、もうそろそろいいかな?」


 何かを振り払うようにゆずりは言う。


「ええ、言いたいことはもうないような気がします」

「そうか」


 そして、自分がそう言ったのを合図に、ゆずりは夕風に蒼い髪をなびかせて、一思いに彼に背を向けた。

 視界が、夕陽に照らされて、大きな木々から伸びた長い影を捉える。それは、ゆずりがこれから進む田舎道でまるで通せんぼするように横たわっていた。

 ゆずりが通れば、きっとすっぽりとその影に覆われてしまうだろう。

 いいよ、構わない。ゆずりは小さく微笑む。

 時雨川を存分に飲み込んでくれるといい。

 ゆっくりとそこへ向けて歩き出す。


「ゆずりさん!」


 するとまたしても、呼び止められた。

 何か痺れのようなものが体に走って、ゆずりは、わざと振り向かずに、答えた。


「何だよ、春臣君」

「最後に、一つだけ聞かせてくれませんか」

「……ひとつだけ、だからね」


 彼が背後で深呼吸をしたのが分かった。


「ゆずりさんの、その蒼い髪、どんな秘密があるんですか?」

「……!」


 そうか、やっぱりきたか、とゆずりは言葉を失った。彼は言葉を続けた。


「媛子も、不思議な色の髪の毛をしています。あの、燃える炎のような色です。あいつは、いつだったか、自分の髪の色は神の世の中でも自分一人くらいだと言ってました。俺は、もしかすると、それには何か、特別な意味・・があるんじゃないのか、って考えたんです。自分に、黙っていなければならないようなことです。そこでゆずりさんも、同じように不思議な髪をしているから、聞いてみようと……あいつが秘密にするようなことで、何か、心当たりはありませんか?」

「……そんなに気になるかい?」

「ええ」


 彼はどうやら頷いたようだった。

 そうか、知りたいのか。

 しかし、そこで、ゆずりの脳内に夜叉媛の言葉が響いてきた。


『絶対に、春臣に言ってはならんぞ』


 彼女の真剣な表情。

 強く引き結ばれたその口元。

 自分が話すと言った、その決意。

 はいはい。分かってますってば。


「それはだね、少年」

「……」

「今、時雨川が言うことじゃない」


 そう言って、彼は今、どんな顔をしているのだろうと思った。

 これは、半分答えてしまっていることになるのかな。ゆずりは静かににやつく。


「でも、少年。近い未来、それはきっと分かることだよ。ただ、今は待っているといい。必ず、分かるから」

「……はい!」


 いい返事だな。ゆずりはかみ締めるように聞く。そして、こう思った。


 もしすると、

 私はこの少年のことが、

 好きなのかもな。


 心の水辺に、ぱっと飛沫が舞い散ったようだった。

 ハハハ、ありえないよ。


 でも、もし、

 もしも、少年が時雨川にとって、

 そういう意味で、

 特別な人間・・なのだとしたら、

 仮に、そうだったなら、

 最後に遣り残したことがあるんじゃないのか?

 そんな心の声が聞こえてくる。


 私は、別れの挨拶なんてしないけれど。

 けれど――。


「少年」


 彼を呼ぶ。


「何ですか」


「君とは、またもう一度、会えるような気がする」


 それはどこか、ゆずりの心の奥底から響いた、小さな叫びのようだった。決して、さようならや、また会おうなんて分かり易い言葉ではない。誰かからもらった大事なお守りにささやかな祈りを込めるような、そんなちっぽけな言葉である。


 けれど、それが、今のゆずりに出来る精一杯、唯一の別れの台詞だった。


 さあ、どうなる?

 そのままゆずりは、唾を飲み込んで、彼からの答えを待った。

 そして、返ってきた言葉は、


「俺も……俺も、そう思います」


 その瞬間、自分の中で温かい空気が膨らんだような気がした。


「そうか」


 答えながら、久しぶりに胸がどうしようもなく、ドキドキとしているのを感じる。思わず、声が震えていないかどうか、不安になった。ゆずりはこのとき、確かに感動していたのである。


「じゃあ、また会ったときには、食べ物をたくさん用意しておいてくれ」

「分かりました。じゃあ、時雨川さんはその時に今回のツケ、払ってくださいね」


 その春臣の思わぬ切り返しに絶句しながらも、ゆずりは、新しい希望を胸に歩き出していた。

 これから始まる旅の目的に別の目的が加わったのだった。

 こりゃ、のんびりばかりもしていられないな。

 しゃりん、しゃりん、しゃりりん。

 鈴の音が跳ねる。


 眩しい夏は、もうすぐそこだった。

 どうも、ヒロユキです。


 今回で長かった時雨川ゆずり編も終了です。次回は番外編、そしてまた新しい章ということで、心機一転頑張るつもり……だったのですが、ここで、少々心残りなことがあります。

 というのも、一生懸命書いてきたゆずり編なのですが、もう少しゆずりと春臣たちのふれあいの部分を書いておくべきだったかな、と書き終わった後でふと思いました。読者の方がどう思われたかは、作者ゆえ、分かりかねるのですが、どうにもあっさりし過ぎたような気がするんです。

 そして、うんうん唸って考えた結果、その点がどうしても納得が出来ないので、今回は前のように番外編をやらないということに決めました。それでどうすんのや?というと、代わりに追加話ということで、新しく後半の物語に関わっていなかった椿の視点のストーリーを書き、ゆずり編の途中に挿入するという方針にしました。

 ですので、次回は物語の途中にいきなり新しい話が食い込むということになると思いますので、よろしくお願いします。

 ええと、長々と書いてすいません。以上、作者からの報告でした。ノシ

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