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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第五部 時雨川ゆずり編
91/172

88 閉ざされた場所 2

「話、ですか?」


 春臣はきょとんとした。


「そう、君とはまだ二人だけでゆっくり話をしていないだろう?」


 ゆずりは壁にもたれかかったままで、前髪をいじっている。


「……確かにそうですが」


 何の話をするつもりだろうか。それも、こんなに改まって。春臣は不思議に思った。

 まさか、こんなときに自分と世間話がしたいってわけじゃないだろうし、でもそうでなければ、何の話だろう。悩み事、とか?

 しかし……うーん。

 春臣は心の中で首を傾げた。

 それは考えにくい話だ。目の前にいる、この白装束の謎めいた女性が、自分などに悩み事を話すことなどあるものだろうか。そんな柄ではない気がするし、そもそも悩みなどあるのかどうかも疑わしい。

 となると、これはいったい……。

 ふいに、彼女が突然立ち上がった。かと思うと、ずい、と春臣のすぐ傍まで来る。

 そして、す、となよやかな白い手を伸ばし――


「え?」


 ぼうっとしている春臣の頬に添えると、自分の顔の方へ近寄せた。


「あ……」

「さほど時間はかけないつもりだがね。真剣に答えてもらいたいことがあるんだ」


 春臣の目の前で、彼女の赤く艶やかな唇が動き、そこから、漏れる吐息が肌に触れた。


「……答えてもらいたい、こと?」


 急な彼女の接近に心臓が高鳴るのを感じつつ、春臣はぼんやりと繰り返す。ゆずりから漂う、底知れない大人の女性の匂いは脳内の思考回路を少なからず、ショートさせたようだった。見えない力に抗うことが出来ず、彼女の手を振り払えない。

 こんな雰囲気でいったいどんなことを聞かれるのだろうか。妙な考えが浮かびそうで、春臣の視線は一箇所に留まらず、どぎまぎと右往左往してしまった。

 しかし、ゆずりと目が合ったとき、あれ、と思った。彼女の大きな瞳には真っ直ぐな真剣さが強く宿っていたのである。いつものように、どこか気を抜いている雰囲気はなかった。

 春臣は目が覚めた気分になる。


「そ、それって、どんなことですか?」

「なに、簡単な質問に答えて欲しいんだよ」


 彼女はそう囁いて、春臣からするりと手を離すと、そのまま数歩下った。何をするのかと思うと、立ったまま思案顔で春臣の顔をじいっと見つめる。そしてさらに、落ち着かないように部屋をあっちへこっちへうろうろしてから、最終的に勉強机の椅子に座った。その姿はまるで推理に煮詰まった探偵のような挙動だった。

 質問の内容を考えているのだろうか?

 それからしばらくどちらとも喋らない時間が続き、ついに耐え切れなくなった春臣は、半分ほど手を挙げながら聞いた。


「あの、話は?」

「少年、君は……」


 すると、一拍遅れて、ゆずりがようやく口を開いたところだった。


「何です?」

「うむ……君は、もしも、『誰か身近な人が君を裏切っていた』として、それを知ったとき、君はいったいどうする?」

「な、何ですか、藪から棒に!」


 春臣は思わず素っ頓狂な声を出した。


「いきなり脈絡のないことを聞かないでください」


 しかし、彼女はそんなことはお構いなしに、口調を強めてさらに言った。


「そんなことは関係ない。時雨川の質問に答えるんだ」

「ちょっと待ってください。いったいそれは何の質問ですか?」

「意味が分からないか? 特に意味不明な言葉は使用していないが」

「質問自体の意味ではなく、なぜ、そんな質問をするのか聞いているんですよ」


 身近な人間が裏切っていた時、自分がどう行動するか、だと。

 そんなことを聞いて彼女に何のメリットがあるというのだ。春臣は彼女をじっと睨む。

 いったい彼女は何を企んでいるのだろう。

 考えてみれば、彼女の様子は先ほどから変だった。何かそわそわしている。

 それに……。

 春臣は思った。

 それに、そもそも結界を張ってここを封鎖空間にしているという話も、何だかおかしい気がする。

 まるで、自分を逃がさないようにしているかのようだ。

 そう思った春臣は、さらにこう問い詰めた。


「時雨川さん、いったい何を考えているんですか?」

「私は私なりに考えているさ」

「はぐらかさないでください!」


 そう怒鳴って、ぎり、と強く歯に力を込める。

 と、その春臣の様子をさすがに変だと思ったのか、ゆずりは立ち上がって、春臣を見た。そして、諭すようにこう言う。


「いいかい、少年」

「な、何ですか?」

「言っておくが、これはとても大切な質問なんだ。ふざけているわけでも、少年を陥れようとしているわけでもない。少年に関係する重要な話なんだ」


 彼女の口調はいつものようでなく、厳しいものだった。これには、春臣の中で彼女を疑おうとする気持ちが揺らいだ。ゆずりの顔は、とても嘘を言っているようには見えなかったのである。

 だとすれば、これはいったいどういうことなのだろう。

 春臣は彼女から目を逸らさないままで、


「答えたら、ここから出してくれますね?」


 と確認のために聞いた。


「それは当然だろう。せっかく呪符が外れたのに、少年をいつまでもここに閉じ込める理由なんてないんだから」


 ゆずりは何を下らないことを、と言いたげだった。

 春臣は心の中で頷く。どうやら、信じてもよさそうだな。


「……分かりました」


 と、長く息を吐いた。


「答えればいいんですね」

「うん、そうしてくれると助かる」


 自分を裏切った人をどうするか、か。

 さて、と考える。難しい話だな。

 そして、しばし沈黙した後、考えがまとまった春臣は口を開いた。


「俺は……」

「うん?」

「俺だったら、きっと相手を『許す』と思いますよ」


 それを聞いたゆずりは一瞬、目を見張り、


「許す、か」


 と呟いて、それまで硬かった表情をほころばせた。それはまるでコーヒーに溶けるミルクのようで、春臣はほっとする。それまで収縮していた空気がまた元の大きさにまで膨らんでいき、重苦しさが消えていくのが分かった。


「なるほど、君は実に寛大だねえ」


 彼女はからりと笑う。


「でも……どうして、そう思うのかな?」

「……そうですね……」


 春臣は一瞬詰まってから、


「俺、生きていくには、『誰もが傷を背負わなけりゃいけない』って思うんですよ」


 と答えた。


「というと?」

「生きていれば、皆、誰かを傷つけずにはいられない、ってことですよ。嘘をつかない人はいないし、喧嘩だって誰でも一度はするでしょう。相手の気持ちが分からず、無神経なことを言ってしまうこともありますし、大切な約束を忘れていたり、つい意地悪なことを言ってしまったり……。身近な例だけでも挙げればきっと切りがありません。この世にいつまでもはびこる犯罪、国や民族間の戦争紛争、ネット社会の誹謗中傷。そのどれもこれも、我々人間が引き起こし、衝突し、傷つけあってるんです」

「ふうむ」

「裏切るという行為だって同じ。明らかに人を傷つけてしまうものです。確かに簡単にゆるされることではありませんよ。でも、生きていく上で、人を傷つけてしまうことなんて数え切れないほどあるなら、俺は、もっとその先を考えるべきだと思うんです」

「その先、とは?」

「受けた傷をどう癒すのか。お互いにその傷跡をどう受け止めるのか。過ちから、いったい何を学び取るのか。きっとそれこそが大事なことだと思うんです。裏切られたのなら、その事実を見つめ、そこから新たな一歩を踏み出す。だから、だからそのためには、こちらからも相手に歩み寄らないといけません」

「なるほど。そのために、許すのか」


 すると、ゆずりは言葉をかみ締めるように、少しの間目を閉じていたが、やがて嬉しさを表現したいのか、微笑えんだまま、ぷくう、と頬を膨らませる。そして、まるで春臣の頭を自分の子供のようにくしゃくしゃと撫でた。

 いまいち何が起こっているのか分からないまま、春臣の視界がぐらぐらと揺れる。しかし、どうやら褒められているようだと分かり、なんだか恥ずかしくなった。

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