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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第五部 時雨川ゆずり編
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86 月下の二人

 空から見下ろしている銀色の月を眺めながら、ゆずりは屋根の上に腰掛けている。冷蔵庫からくすねてきたコーラを傍らに置いて、優雅に足を組んでいた。

 月見酒(実際はコーラだが)には、少々湿り気が気になる雨後の夜だったが、光の粒が零れ落ちそうなほどに見事な満月は、そんな不快感などさっぱりと払い落としてくれる。

 一日の終わりに見るには、少し豪華なほどにも感じる。

 一方、ゆずりの横、つまりはコーラと逆の位置だが、そこにはぺたんと腰を下ろした緋桐乃夜叉媛の姿があった。つるつるとした瓦に足を滑らせないようにか、周囲に気を配りながら、座っている。

 その横顔は陶然と月を見上げるゆずりとは違い、少々疲れているようにも見えた。


「それで、時雨川のことは彼に何て話してるんだい?」


 しばらくして、ゆずりが横目で夜叉媛を見ながら聞いた。

 春臣が一日の短い覚醒時間を終え、再び眠りに落ちてしまった後。

 ゆずりと夜叉媛は現状報告をするために、こうして屋根の上に来ていた。何もわざわざわこんなところでしなくても、と思われるだろうが、部屋でするよりもこちらの方が開放感があり、気分がいいというゆずりの提案で、屋根の上での話し合いとなっている。


「もう、彼から聞かれたんだろう?」


 再びの問いに、緋桐乃夜叉媛は短く頷く。


「もちろん、大したことは話しておらん。大まかに、わしの仲間、という程度じゃの」

「……少年は、何か疑っていたかい?」


 すると、夜叉媛はちらとゆずりを一瞥してから、悩ましげに目を伏せがちな様子で答えた。


「さほど詮索はしてくる様子はなかったが……それも時間の問題かもの」


 これは意味深な発言だ。


「ほい? それはどうして?」

「聞く前に自分の行動を振り返ったらどうじゃ? あんな奔放な振る舞いをしておれば、いつ犯罪者として警察に突き出そうと春臣が思い至るか、分からんからな」


 腕を組んで鼻を鳴らした彼女に対し、ゆずりはくっかかか、と腹を押さえて笑った。


「食い物を食べ過ぎだってことを言ってるのか? 残すよりはよっぽどいいと思うぜ」

「わしは人の家の物を勝手に食っておることを言っておるのじゃ。そもそもお主に食べていいと許可した記憶はない。じゃから、残す残さぬに限らず有罪じゃろうが」

「ほほう、世の中は厳しいね。少しくらいいいじゃない」

「よくないのじゃ。軽口を叩く前に、まず世の中の決まりを知れ」


 彼女の目がかなり真剣だったので、ゆずりはふざけすぎたかと、後悔する。


「……分かったってば、努力するさ」


 少し、面倒だがな。

 普段、人と商売以外の面で深く接することのないゆずりにとっては、彼女の注文は少々難しいことだった。ルールというものは他人がいて初めて発生するものであって、一人でいる時間が多いゆずりには、そういう堅苦しいものに頓着しない傾向があるのである。

 法律だの礼儀だの規則だの、数え上げれば切りがない決め事で溢れた社会は、ゆずりとって窮屈なものでしかない。だから、いつもであれば、人との接触はあまり長期間ならないよう気をつけている。そうしなければ、いろいろとボロが出て、ゆずりの決まりにルーズな面が他人を不快にするからだ。

 しかし、今回の場合、そうともいかないだろう。いやが上にも、他人と時間を共有しなければならない。自らの失敗が招いた状況なのだし、そこからは逃げられそうにもないしな。

 ゆずりはそう思って一口コーラを飲んでため息をつく。

 すると、それを見た夜叉媛の眼光が強くなる。げっ、と咄嗟に口元を押さえた。もちろん、そのコーラだって、春臣から許可をもらって飲んでいるわけではないからだ。

 夜叉媛はそれについて続けて文句を言おうとしたようだが、しかし、何か諦めたようにむすっとした表情のまま、そっぽを向いた。これはさすがにまずいと思い、笑ってごまかす。


「ごめんごめん。今度から自重するからさ」

「……もうよい」


 彼女は呆れたように言う。


「そんなことより、お主の正体のことじゃ」

「……」

「大丈夫じゃと思うが、くれぐれも春臣に話すでないぞ。その点に気を配ってくれ」

「はいはい、分かってますとも」


 ゆずりは頷く。


「きちんと約束・・したからね」


 それは、ここに来てから了解したことだった。


『時雨川ゆずりの正体に関わる情報を榊春臣に口外するな』


 という彼女からの半ば強制的な命令のことである。


 どうしてそうなったのかというと、ゆずりが人間とは違う、少々特殊なタイプの存在であるせいだった。特殊であるがゆえに、ゆずりは人間と一線を画す超人的な身体能力を発揮し、さらに、不可思議な神力を発現することさえ出来てしまう体なのである。

 他にもいろいろと秘密があるのだが、そこで問題になるのが、もしもそれらの情報が彼に伝わると、夜叉媛にとって困ったことに発展する可能性があるということなのである。

 捕捉すると、彼女がこれまで春臣に対し、頑なに守ってきた秘密が露呈するかもしれないのだ。

 ゆずりとしては、その可能性は少ないと踏んでいたが、彼女としてはそうだとしても危険性の芽は摘んでおきたいらしく、だからこそ、ゆずりにこれまでの経緯を説明した上で、こう突きつけてきたのである。

 そして、今回の件で、明らかに自身に落ち度があるゆずりとしては、当然拒否するわけにもいかず、それを呑んだわけなのだ。

 しかし、


「でもさ」


 とゆずりは言う。


「夜叉媛ちゃんのやり方に文句を言うわけじゃないけれど、いつまでも『そのこと』を彼に秘密にしておくのはどうかなあ」


 そこで、もう一度コーラを飲み、


「夜叉媛ちゃんだって、彼に隠し続けているのは辛いんだろう? だったら、綺麗さっぱり話しちゃえばいいのに」


 すると、夜叉媛の眉がぴくりと不機嫌そうに動く。


「そんなことは、最初から分かっておる。それが出来ぬから苦労しておるのじゃろうが」


 そして、どこからかちゃっかり自分用に持ってきていたおちょこを取り出すと、ゆずりに向けてきた。コーラを注げというのだろう。了解、とゆずりはペットボトルを持ってちょこに傾けた。小さくしゅわしゅわと泡が立つ。

 それを見ながら、ゆずりは訊ねる。


「まさか、彼との関係にひびを入れてしまうかも、とためらってるのかい?」

「あ、当たり前じゃ!」

「ふふーん、夜叉媛ちゃんにとって、それだけあの少年は特別な人間なんだ」


 すると、それを聞いた彼女は飲みかけたコーラを気管に詰まらせたのか、途端に咳き込んだ。


「ぐっ……ゴホゴホ」


 それを見て、ゆずりはにやついた。


「まあ、二人の様子を見てれば嫌でも分かるよ。だからこそ、夜叉媛ちゃんはそのことを言いたくないわけだろうし。うーん、じゃあいっそのこと、もう何も話さなければ分からないんじゃ」


 しかし、夜叉媛は強くを首を振った。


「そういうわけにもいかん。どのみち神社に赴けば、土地神がそのことを見過ごすわけがないじゃろうし。それに、そうなる前に、わしは春臣に話すと約束しておる。このことは、わしが、決着をつけたいのじゃ」

「……そりゃまた厄介なことだね」


 ゆずりはくしゃりと前髪を手で押さえる。そして、苛立たしげにかき回した。


「迷惑をかけてる手前、何か私に出来ることがあればいいと思ったんだけど、この様子じゃ、夜叉媛ちゃんに心の整理がつくのを待つしかなさそうだね」


 ゆずりはふっと息を吐く。


「……せっかくだ、他に何かあれば話を聞くよ」


 すると、彼女は少し思案した表情になり、目を落とすと、急に顔を上げた。


「じゃったら、聞いてもらいたいことがある」

「お、なんだい?」

「う、うむ。わしは今、一日中眠っておる春臣のために何か役に立てればと思っておるのじゃが」

「というと?」

「つまりの、お主が出かけた後に、何とか春臣に楽をさせようと家事をしようとしたんじゃ。じゃが、当然一人ではどうにもならん。それで、わしの信者を一人呼んでやらせたわけじゃが」

「信者、ねえ」


 そんなものがいるのか、とゆずりは少々驚いた。

 夜叉媛の話は続く。


「しかし、考えてみれば、それは他人に仕事を押し付けただけで、実際にわしがやったわけではない。春臣のために何かしようと思っておるのじゃが、わし自身では、結局何も出来ておらんのじゃ。この小さな体で、力も使えず……それを、今日実感した」


 彼女のちょこを持つ手が震えている。きっと自らの無力を感じて、もどかしいのだろう。それほどまでに、彼女は彼のために必死なのである。たかがそれくらいで、と鼻で笑うことは出来るはずもない。

 ゆずりはそのどこへ向かうこともできない彼女の苛立ちの感情を肌でひりひりと感じるほどだった。


「わしは、わしは……」


 すると、彼女の小さな手が胸元のお守りに触れる。そこで、はたとゆずりの目が止まった。


「それ」


 と指差す。


「う、なんじゃ?」

「いいお守りだ」


 骨董品を眺めているように、ゆずりは感心のため息を漏らした。


「分かるか? 春臣がわしに作ってくれたものじゃが」

「もちろん、時雨川は専門家だぜ」


 どれ、と手を触れてみる。

 すると、目を閉じたゆずりの視界に温かい色をした力の波が広がっていくのが分かった。まるで、春風のような穏やかさで、体の内側をエネルギーが満たしていく。


「ふうん、作り手の思いが伝わってくるね。余程一生懸命作ったんだろう。その熱意を指先で感じるよ。時雨川が作るお守りとは、また違う良さがある」

「うん?」

「人が誰かを想う気持ちってのはさ、それだけで強い力になるんだよ。純真で清らかな魂の力さ。神の力に匹敵するとまではいかないにしても、十分、相手を守ってくれる。フフフ、つまり夜叉媛ちゃんはこんなに彼から思われているわけだ。幸せだねえ」

「な、からかうようなことを言うな!」


 しかし、彼女の頬がぼんやりと赤くなったのをゆずりは見ていた。 

 と、


「あれ?」


 ゆずりはそのお守りのあることに気がつく。


「……ふふっ、こいつは面白い」

「どうした?」


 怪訝そうにこちらを振り向いた彼女に対し、ゆずりは含み笑いをする。


「もしかすると、夜叉媛ちゃんに力を貸してあげられるかもしれないよ」


 そう言って、残りのコーラを一気に飲み干した。

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