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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第五部 時雨川ゆずり編
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追加話(96) 椿と幽霊さん 3

 それから、どれくらい経ったでしょうか。

 気がつくと、ホットプレートの上で焼かれていたお好み焼きは黒い焦げ付きだけを残し、全て消えていました。いつの間にか、榊君は机に突っ伏して寝息を立てており、さらに、媛子ちゃんは飲み物を口に運びながらテレビに夢中になっています。

 うちは半分眠っていたのでしょうか。ぼんやりと目を擦り、今さらながら冷えたお好み焼きを口に入れようとして、ふと隣を見ました。


 あれ?

 いません。時雨川さんです。

 周囲に目を向けますが、部屋の中には姿が見当たりません。いったいどこにいったのでしょう。

 うちは立ち上がります。部屋にいないとなると、台所で何か新しい食材を探しているのかもしれない、と思ったのです。

 うちは、その辺りに放り出してあったタオルを榊君の肩にかけた後で、部屋を出ました。


「時雨川さん?」


 廊下は人の気配がなく、真っ暗でした。足を踏み出すと、板がぎしりとゆがみ、古めかしい音を立てます。

 うちは転ばないように壁伝いで明かりを探します。しかし、運悪く見当たりません。


「あれえ、どこやったっけ」


 これでは仕方がありません。とりあえず、明かりなしで進むことにします。うちは頭の中で榊君の家の廊下を思い浮かべました。確か、出てすぐに正面が台所やったはず。いくら方向音痴のうちでも、家の中で迷うほど阿呆でもありません。


 目的の台所はすぐに見つかりました。手探りで、引き戸の取っ手に触れたのです。

 しかし、残念なことに、人がいる気配はしません。そもそも、中に誰か居るのでしたら明かりがついているはずなので、考えるまでもなく却下でした。

 うちは首を振ります。


「ここやない……」


 ということは、時雨川さんはいったいどこへ?


 そう思って振り返り、うちの暗闇に慣れた目がある場所を発見しました。

 ちょうど廊下の先、階段の横手にあるドアから、光が漏れているのです。どうやら、時雨川さんはそこにいるようでした。

 しかし、そこは今まで入ったことの無い部屋です。いくらうちが榊君の家には何度から来ていると言っても、用の無い場所には入りませんから、当然知らない場所もあるのです。

 いったい中はどうなっているのでしょう。全く分かりませんが、うちは向かってみます。

 暗闇で転ばぬよう、足元を確認しつつそろりそろりと進み、そして、目的の場所へと辿り着くと、


「時雨川、さん?」


 もう一度呼びかけてから、ゆっくりとそのドアを開けました。いったい、中で何をしているのでしょう。

 ですが、一歩踏み込んで、うちは目の前の光景に驚きました。


「お?」


 そこにはなんと、脱衣かごに服を脱ぎ、裸になっている時雨川さんの姿があったのです。


「あ……あ」


 時間が凍りつき、うちはあまりのことに、言葉を失います。ですが、目だけは咄嗟に塞ぐことができずに、その白い肌を凝視してしまいました。

 その美しい陶器を思わす、流れるような体の曲線とふくよかに丸みを帯びた胸。

 そして、青い髪を揺らし、肩越しに振り返る時雨川さんの様子は、とてもヨウエンというのでしょうか、うちの目に、大変色っぽく映りました。まるで絵画を見ているような感覚になり、女のうちでさえ、目を奪われてしまいます。


「あれ、少女じゃない。どうしたの?」


 時雨川さんは、突然のことに呆然としていました。これからお風呂に入ろうという一番無防備なときに、とんだ侵入者が現れたのです。驚いて当然でしょう。


「う……う、うち、ご、ごめんなさい!」


 叫ぶようにそれだけ言って、うちはすぐさまドアの向こうに引き返しました。ばたんと勢いよく閉め、そのドアにすがりながら、大きく深呼吸をします。

 ああ、なんということでしょうか。

 とんでもなく胸がバクバクと脈打っていました。まさか、ここが脱衣場だったとは考えてもみませんでした。

 すると、目を瞑った暗闇に、時雨川さんの絹のような体の表面が、浮かび上がってきます。それを思っただけで、頭に熱が上ってきて、ああ、あわわわ……。うちは思わず両方のほっぺを押さえます。


「おーい、少女。大丈夫か?」


 すると、ドアの向こう側から時雨川さんの心配した声が聞こえてきました。


「だ、大丈夫ですー」


 うちはかろうじて理性を保ったまま返事をしました。


「逃げなくても良かったのに。こっちに戻っておいでよ」

「え、で、でも」

「一緒にお風呂に入らないかい?」


 一緒にお風呂?

 その一言に、うちの頭はまたしても沸騰寸前にまで温度が上がります。とんでもありません。うちがあんなすばらしいスタイルの女性と一緒にお風呂に入るやなんて。


「いえ、う、うちはええです。着替えないし」


 苦し紛れにそう言うと、


「そっか、残念だな」


 と言って、時雨川さんはお風呂に入っていったようでした。すぐに諦めてくれたようでうちはほっとします。


 しばらくすると、部屋の奥からシャワーを浴びる水音が聞こえ始めました。

 そして、うちはそれをしっかりと確認してから、何を思ったのか、呼吸を整えた後で、恐る恐るもう一度部屋の中に入ります。その時は無意識のうちに、時雨川さんに近づいて、彼女のことをもっと知りたいと思っていたのかもしれません。

 脱衣場の先には、浴室があります。曇りガラスの向こうで、もくもくと湯気が立っていて、そこから陽気な鼻歌が聞こえていました。どうやら時雨川さんが歌っているようです。

 うちはまたしても胸がドキドキしていることに気がつきました。いけないことをしているような気持ちになります。

 すると、いきなり鼻歌が止み、


「おや、少女、入ってきたのかい?」


 と時雨川さんに呼びかけられました。


「え?」


 うちはその場でビクンと跳ね上がります。まさか気配に気づかれていたのでしょうか。注意して、音を立てないようにしていたのに。


「ハハ、入ってこなくてもいいからさ。ドア越しだけど、ここで少し話でもしないかい?」

「話、ですか?」


 てっきり怒られるかもしれないと思ったのですが、これは思わぬ申し出でした。


「そうそう、少女は中々にユーモアがある子みたいだからさ。もっと楽しい話を聞かせてよ」

「楽しい話……ですか」

「何かないのかい?」


 そう言われても、ぱっと思いつきません。うちが困っていると、先に時雨川さんが話しかけてきました。


「ほら例えば、時雨川がどんな風な幽霊に見えたとか、さ」

「え、それはうちが勘違いして――」

「いや」


 と、うちの言葉の途中で、時雨川さんが口を挟みます。


「……それは、あながち間違いでもない」

「ど、どういうことですか?」


 あまりのことに、うちは激しく動揺しました。

 しかし、そんなうちとは裏腹に時雨川さんは不気味なほどに落ち着いて言いました。


「時雨川はさ、幽霊みたいなもんなんだよ」


 それはまるで、誰に向けるわけでもなく宙に放った、儚い吐息のようでした。ドア越しの時雨川さんの気配が急に薄くなってしまったようです。


 うちは、とても困惑しました。その言葉がエコーのように脳内に響きます。

 自分のことを幽霊みたい、なんて言うやなんて――。そんな、恐ろしい。

 うちには、とてもそんな気持ちは分かりません。


 でも、確かなことは、そう言った時雨川さんはどこか寂しそうで、なんだか、そのまま水蒸気の一部になって、どこかに消えてしまうような気持ちがしたことです。

 なんやろ……この感じ。

 その時うちは気づきました。

 うちと時雨川さんの間に、飛び越えることの出来ない溝が隔たっているような、そんな感じに、です。


 うちが、

 どこまでいっても、

 どこまでいっても、

 時雨川さんの傍にたどり着くことが出来ないような、漠然とはしていますが、そんな絶望的な隔たりが、あるような感じがしたのです。


 時雨川さんとは、もしかすると、永久に友達になれへんのやろか。

 そんなおかしな考えさえ浮かびます。



 違う、違う……。

 うちは強く首を振りました。片方の拳をぎゅっと握り締めます。


 違う、それは絶対違う。

 時雨川さんはそんな幽霊みたいな人間とちゃうんや。


 うちの中で押さえようのない気持ちがぶるぶると震えだしていました。

 だって、こんな綺麗で優しい人が、そんな恐ろしい幽霊なんかなはずがないのです。それ以外に、大した根拠なんてありませんけれど、絶対にそうです。


 ちゃうと言うたら、ちゃうのです!


「時雨川さんは……ちゃいます」


 抑えきれず、声が出ていました。


「え?」

「幽霊なんかや、ありません」

「……どうして、そう思うんだい?」


 不思議そうに、時雨川さんは問い返してきました。その声には小さな驚きと、なぜか、ほんの少しの期待が混じっているようでした。


「だって、だって、だって……」


 うちは必死で呼吸するように、逆転の言葉を探しました。

 あれでもない、これでもない、それでもない。

 そして、握り締めた掌をじっと見つめて、あっと思います。


 そうや――。

 うちは時雨川さんに箸の持ち方を教えたのを思い出していました。

 あの滑らかな、柔らかな、肌触り。でも、うちにはそれの他にも、じんわりと伝わってきたものが確かに、あるのです。


「だって、時雨川さんの手ぇ、温かいんです」


 うちは、それを告げました。


「え……」

「もしも幽霊なら、そんなことありません。命が無いから、死んでいるから、幽霊の手ぇは、冷たいんです。けれど、時雨川さんの手ぇは、温かかった。それは、生きてるから、血が通うてるから、温かかったんです」


 うちは上手く喋れているのか、とても不安になりながらも、必死に言葉を続けました。


「せやから……せやから、時雨川さんはちっとも幽霊なんかやありません」


 目を閉じて思い浮かべるのは、

 重ね合わせた、

 手と手。


「うちとおんなじ。あったかい手ぇしてます」

「……」


 時雨川さんはしばらく無言でした。体を動かす音はおろか、滴る水の音も聞こえてきません。

 うちは急に怖くなりました。もしかすると、うちが話している間に、彼女はどこかへと消えてしまったのでしょうか。本当に幽霊やったのでしょうか。

 返事が欲しくて、話しかけました。


「あ、あの、時雨川さん? うちが言うてること、変ですか?」


 すると、


「……フフフフ、ハハハハハハハ」


 ドアの向こうから、いきなり豪快な笑いが返ってきました。


「あ、あの?」


 それはまるで嫌な空気を空へと吹き飛ばすような笑いです。


「そうか、その通りだな、少女。幽霊には体温なんて、ないんだよな」

「時雨川、さん……」

「はあ……我ながら少々卑屈なことを言ってしまったようだよ。ありがとう、そう言ってくれて」


 その瞬間、うちには、何とも言えないきゅうっとした気持ちが喉元にこみ上げてきまして、何だか、目頭が熱くなり、涙が零れそうになりました。


「いえ、うちは、大したことはしてません」

「ううん、そんなことはない。君は、君が思っている以上に、周りの人に幸福を振りまいているんだよ」

「そう、ですか?」

「そうだよ。時雨川・・・が言うんだもの。間違いないさ」


 うちはそう言われて、きょとんとします。いったい、何が間違いないのでしょう。

 そんなことが簡単に決め付けられるほど、時雨川さんはすごい人なのでしょうか。うちはなんだかおかしくなってきました。堪えきれず、笑い出します。


「ふふふふ……」


 全く、時雨川さんは、本当に不思議な人です。


「な、何だ、少女。何がおかしい?」

「ふふふ……」

「時雨川がおかしなことでも言ったか?」

「ふふふ、秘密です。教えません」


 そして、

 うちに負けず劣らず、ユーモアのある人なんでしょう。


「どういうことだよ、全く」

「ふふふふ……」


 ふと顔を上げると、脱衣場の窓から、外の暗闇がこちらを見ていました。

 まるで、笑い声が気になっているようです。

 たとえ、そこに幽霊がいたとしても、

 今のうちには、少しも怖くないように思えました。


どうも、ヒロユキです。


これで番外編も終了し、ゆずり編はすべて終わりですね。今回のゆずり編はお守りの話をベースにいろいろと話を発展させてみましたが、読者の方々、いかがでしたでしょうか(話におかしなところなどがあれば言ってください)。

ええ、次回からは本筋の話に戻り、新章に突入ということになります。確か、どこかで言いましたが、次章でこの物語を終わらせる予定です。長々書いてきましたがようやくゴールが見えてきました。

気がつけばもう一年も連載をしている話なんですね。正直、よくここまで書き続けられたと自分でも信じられない気持ちでいっぱいです。自分の性格から考えれば、奇跡みたいなもんですよ。しかし、それは読んでくださる方々がいてくれたから頑張れたのだと思います。そうでなければ、きっとどこかで心が折れていました。こんな後書きではありますが、この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございます。


p.s. 次回更新は次章の話を組み立ててから書くので、ちょっと遅れると思います。だいたい25日頃くらいには出来るかな。

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