追加話(94) 椿と幽霊さん 1
どうも、ヒロユキです。
今回は時雨川ゆずり編の番外編ではなく、追加話(まあ、番外編と呼んでも差し支えないと思いますが)です。物語に進む前に一応説明が必要だと思うのでここで作者から話をしておきます。
このストーリーは時系列で見ると、ちょうど割り込ませた場所、「月下の二人」の前の話、という設定です。つまり、媛子がまだお守りの力で元の体に戻ろうとしている前、ミニ夜叉媛のときの物語ですね。ですから、春臣もまだ呪符のせいで、苦しんでいる状態でして、ゆずりがその治療の準備をしている段階です。今回はそこでの青山の椿の活躍(?)を描いた物語になります。
以上の点を理解したうえで、読者の方に読んでもらうと混乱することはないかと思われます。長々と書いてすいません。それでは本文へお進みください。
「はあ……」
うちは大学の教室で、空いたままの隣の席を眺めながら大きくため息をつきました。
先ほどから教授の事細かな講義が始まっていますが、そんなものは目にも耳にも入っていません。もちろん、ノートを取る気にもなりませんでした。
そんなことより、重要なことがうちの頭の中をいっぱいにしています。
それが、隣の席にいるはずの彼なのです。
いったいどういうことなのでしょうか。
彼からは何の連絡もないまま、今日で大学に来ていないのは、もう三日目になりました。
「榊君……」
うちは知らず、不在の彼の名前を呟いていました。携帯電話をポケットから取り出し、電話帳から彼の名前を呼び出します。そして、そのままもう一度深いため息をつきました。
「一体、どうしてしまったんやろ」
彼――榊春臣君は、うちと同じ大学に通う友達です。この春からうちの近所で一人暮らしを始めた男の子で、引っ越してきた次の日からうちとは仲良うなりました。
よく、ぼうっとしてるとからかわれるうちとは正反対に、頭が良くて、ハキハキものを言い、そこらへんの道では迷わないというすばらしい超能力を持っている人です。
彼とは同じ学部ということもあり、毎日一緒にバスに乗って大学に通ってました。それが日常であり、今までそれが乱れるなどということは一度もありませんでした。
しかし、ここ数日は違います。なぜなら、榊君が何日も連絡がないまま、学校を休み続けているからです。
それが、今日で三日目。
これは果たして、単なるサボりなのでしょうか?
うちはよくよく考えます。
確かに、榊君は講義中によく眠って授業をサボります。一人暮らしが忙しいのか、それとも、単に講義が面倒くさいのか、机に臥せってノートも取らずに目を閉じてぐうぐうとやっています。そんなことやから、毎度うちにノートを借りる羽目になるのですが……しかし。
とは言っても、学校そのものをサボってしまうほど適当にのらりくらりと日々を過ごす人でもありません。現に大学が始まってから一度も講義を欠席したことは無いはずです。一緒にうちも講義に出ているので間違いはありません。
となれば、この連日の隣の欠席はどうなるのでしょうか。うちはそこで直感的に事件の匂いを嗅ぎ付けます。
うちは思い出しました。実は、榊君はしっかりしているようで、いつも何か揉め事に関わってしまうおっちょこちょいな人なのです。
ひょんなことから神様と一緒に暮らしている上に、それに関係していろいろな厄介事に巻き込まれています。この前だって、その神様、媛子ちゃんを狙ってさつきちゃんが家にやってきたし、つい最近では、媛子ちゃんとの仲がうまくいかないらしく、お守りの作り方を教えてくれと、せがんできました。
全くもって、はらんばんじょう。うちがきちんと見てあげなければ、きっと榊君は一人で暮らしていけないに違いありません。そうです、榊君には、うちが必要なのです。
まあ、そんな感じで、うちはとりあえず、不在の榊君に連絡をとろうとしました。また厄介なことに巻き込まれていては、うちが助けにいかなあきません。
授業中ですが、彼のアドレスの電話番号に発信します。
トゥルル、トゥルル――
しばらくして、誰かが電話に出ました。
「もしもし、榊君?」
「何じゃ? お主は誰じゃ」
すると、意外なことに、榊君の携帯に出たのは彼ではなく、一緒に彼と住んでいる神様の媛子ちゃんでした。
「え、媛子ちゃん?」
うちは訳がわかりませんでした。
どうして、榊君の電話にかけたはずが、媛子ちゃんに繋がるのでしょう。
しかし、媛子ちゃんはうちの気持ちなどお構いなしに、
「椿か、ちょうどよかった」
と嬉しそうな声を出し、
「今ちょうど、お主の助けが必要じゃったのじゃ」
とそのまま慌てた様子で切り出しました。
そこで頭の回転のいいうちは、ハハンと閃きます。どうやら、またしても榊君は厄介事に巻き込まれているようなのです。だからこそ、榊君の携帯に連絡して媛子ちゃんに繋がるなどという異変が生じるのでしょう。
「のっぴきならない事情が発生してしまっての……」
そう言う媛子ちゃんの声は深刻さを帯びていました。やはり、うちの予感は的中したようです。
うちはすぐさま、二つ返事で了解しました。
「おっけえやで」
「おお、それは助かるぞ」
と、媛子ちゃんは安心したようです。
「お主が引き受けてくれねば、また別の人間を探さねばならんところじゃった」
「何があったん?」
うちが訊くと、彼女は二三回咳払いをして、
「実はの――」
と、なにやら事の成り行きを話し始めました。どうやらとても重要な話のようです。
うちは耳を傾けます。
しかしながら、媛子ちゃんの言葉が早すぎるのと、意味の分からないたくさんの事情説明とで、うちは全く理解が追いつきません。
「あ、あの、媛子ちゃん?」
「じゃからわしとしてはどうすることも出来ずに春臣を――」
そんな感じのままに話が進んでいき、
「それではよろしく頼むぞ、椿」
とついに一方的な様子で通話は切れてしまいました。
「あれ、媛子ちゃん? もしもし、もしもーし」
と呼びかけたのも、時既に遅し。返事は返ってきません。
うちは首を傾げながら、台風が通り過ぎた後のような呆然とした気持ちでした。一体全体なんだというのでしょう。
しかし、かろうじて、ノートに聞き取った文字は、
『食料の買出し』
そう書かれていました。
なるほど。うちは手をぽんと叩きます。媛子ちゃんたちは、どうやら家から出られない状態のようで、そのため、うちに食料品の補充を頼んできたらしいのです。
それならば話は簡単でした。
「よっしゃ、うちが料理を作ったる」
そう言って指を鳴らします。
こういう時、友人を作っておいてよかったと榊君に思い知らせてやるのです。
そうと決まれば、後は行動あるのみ。
早速、学校の帰り、近くのスーパーに向かうことにします。
よしよし、こっちで間違いないな。
うちは迷わないようにひとつひとつの目印を確認しながら道を進みます。
町の中心地でバスを降り、郵便屋さんの角を曲がり、動物の鳴き声が聞こえるペットショップの前を通り、そして、いつものスーパーの前まで……来ました。
しかし、うちはそのスーパーの入り口の自動ドアで立ち止まってしまいました。
というのも、
なんと、そこには不思議な格好をした人物が、ぬうっと立っていたのです。その方は、何とも言葉にしがたい青く綺麗な髪を長く伸ばして、時代劇で見るような古風な帽子を被っていました。さらに、全身を真っ白な着物で覆い、さらに履物は今時の靴ではなく、鈴のついた、下駄。
そして、どこか、恨めしそうにスーパーのお肉売り場を眺めているその様はまるで――
「ゆ、幽霊や!」
うちはつい声を上げてその人を指差してしまいました。しまったと口を押さえても後の祭り。その人はうちの声に当然気づいて、やはりぬうっと振り返り、うちに顔を近づけてきました。
「ご、ご、ごめんなさい」
うちは震えながら必死に謝ります。
もしも、幽霊であれば取り憑かれてしまうかもしれません。そんなことになろうものなら、暗い部屋に押し込まれて『悪霊退散、悪霊退散』と唱えられながらうんうん嫌な汗を掻きつつ唸らなければならないでしょう。そうなったら家族も知り合いもみんな悲しみます。
しかし、その人はうちの目の前でにやりと笑うと、
「幽霊なんて言われたのは初めてだな」
と言って、うちの頭を撫でました。
思わぬことに、うちは、
「ひっ!」
と小さく悲鳴を上げて、後ずさります。
すると、その幽霊らしき方は手を引っ込めると、申し訳なさそうに頭を下げました。
「ごめんごめん。驚いたかな?」
「あ、あの……」
「少女はもしかしてここに用があったの?」
「え、あ、はい」
うちは答えながら、そこでようやくその人の顔をしっかり見ました。てっきり半透明に透けているのだと思っていましたが、つるんとした白い肌の若い女性で、とても綺麗な人でした。少しも幽霊には見えません。
すると、
「時雨川は幽霊じゃないよ」
さらに女性の方からも言われました。どうやら、しぐれかわ、というお名前の人のようです。
しかしながら、ずいぶん変わった名前やな、とうちは思いました。それに、自分のことを苗字(まさか名前ではないでしょうし)で呼ぶとは、さらに変わった人です。
「ここに、お買い物かな?」
うちは頷きます。
「は、はい。実はうちの友達が大変なことになっていて家から出られへんみたいなんで、夕飯の買い物を頼まれたんです」
「……!」
途端に、その人の顔つきが変わりました。
「それで、買い物を?」
「は、はい」
おどおどと答えると、その人がまたしてもぐっと顔を近づけてきました。うちは驚きましたが、避けるのも失礼な気がして、なんとか踏みとどまります。
すると、その女の人は何かを小声で呟いているようでした。
「たしか夜叉媛ちゃんがこっちの事情を知っている近所の子に頼むって言ってたな……」
その表情が妙に真剣で、うちは立ち去るに立ち去れません。
「あ、あの」
「少女、君、もしかしてその友人というのは、榊、という名前の少年ではないか?」
うちはとても驚いて、その場で飛び跳ねてしまうかと思いました。
「ど、どうして、それを?」
なぜ、榊君のことをこの人は知っているのでしょう。
しかし、うちの困惑をよそに、その人はこの上なく嬉しそうに笑います。
「ああ、やっぱりそうか。ちょうど良かった」
ちょうど良かったということは、この人にとって何かうちが都合の良い存在であったようです。全く意味が分かりません。
その瞬間、うちは、もしかしてと思いました。背筋が氷が伝ったようにひやり、とします。
もしかすると、この人はやっぱり幽霊で、その幽霊が持つふわふわと宙を漂う能力を駆使して、他人の家に入り込み、その人の情報を何でもかんでも入手しているのでは、と考えたのです。幽霊であれば、壁をすり抜けることは簡単でしょうし、うちがどこで何をしているかなんて全てをお見通しなのでしょう。
うちは頭の中がパニックになりました。そうなれば、この人はきっとうちと榊君が友達と言うことも知っていて、きっと媛子ちゃんのことも知っているに違いありません。そうです、間違いありません。
プライパシーのシンガイ、とか言う奴です。立派な犯罪なのです。
「や、やっぱり幽霊なんやな!」
そう思ったうちは、ずばり、言い放ちました。
「は?」
時雨川さんの目が点になります。きっと正体を見破られて驚いたのでしょう。
しかし、うちは構わず腕を振り回しました。
「う、うちに近寄るな。け、警察呼ぶで!」
「おいおい、少女、落ち着くんだ」
言いながら、時雨川さんは焦った様子で辺りをきょろきょろと見回しました。うちも見回すと、どうやら今の声で、他の買い物客の人たちがこちらを不審げに見ているようなのでした。
しかし、これに冷や汗を掻くというのが、ますます怪しい。うちはまた大声を出しました。
「だれかー、だれかー、たすけてくださーい!」
「わあー、違う違う!」
「この人、幽霊なんですー!」
「違う違う、いろいろちがーう!」