73 雨後の公園
作者からの報告です。
前回の部分で、一部、話の内容を飛ばしている部分がありました。そのため、修正をしていますが、もし読まれていない方がいらっしゃれば、再読されることをお薦めします。
のどかだな。
日曜の昼下がり、自宅からさほど離れていない公園で、錆びた鉄棒に寄りかかりながら、榊春臣はそう思った。
梅雨という恨めしき湿っぽい季節のせいもあって、ここ最近は雨ばかりの日々だったが、今日は久しぶりに雲の切れ間から太陽がその顔をのぞかせている。それはまるで目の前を遮る邪魔者の隙を窺うように、太陽はどこか控えめな様子で、じんわりと大地を温めていた。
公園内には、近所の子供達なのだろう、数人の少年たちが滑り台の周囲を駆け回っている。よく見ると、互いに叫びながら泥団子を投げ合っていた。
不幸にも戦場の舞台に選ばれた滑り台は、少年たちが投げつけた泥によって無惨にも泥にまみれ、汚れていた。しかし、心地よい陽光を浴びているそれは、心なしか、歴戦を勝ち抜いた勇者のようにも見える。遊具は汚れてなんぼ、と胸を張っているようだった。
のどかだな。
春臣は思う。
日常にありふれた、穏やかな午後だ。
だが。
だが、一体あの中の何人の子供が、こんな普通の公園に現在、「神様」がいるなどという事実に気がつくことができるだろうか。鉄棒に身を預けて、ぼんやりと佇む少年のシャツのポケットに、この世界に異質な存在がいることを。
おそらくは、ゼロだ。
いや、間違いなくゼロだ。
今のところは、だが。
と、
「春臣!! あれは、どういうものじゃ!?」
シャツのポケットからその神様が顔を出した。
「あんまり騒ぐなよ」
春臣は極力小声で注意する。
「外に出るときは、周りに気づかれるとまずいってことを理解してるよな」
「無論じゃ、お主に言われるまでもなく分かっておる」
彼女は春臣の忠告に一瞬、むっと口を尖らすが、しかし、久しぶりに外へ出てうれしくてしょうがないのか、
「しかし、それでも気になってしまうのが好奇心というものじゃろ? じゃろ?」
と、すぐに満面の笑みに戻る。
それを見て春臣は、複数の感情の入り混じった息を吐いた。
あまりはしゃがれるのも困るが、最近は鳴りを潜めていた彼女本来の明るさが戻ってきたことに、正直ほっとしていたのだ。彼女の胸元の、春臣お手製のお守りに目が行く。
数日前の夜。
つまり、春臣が自作のお守りを媛子に渡したあの晩のことだが、その後、泣き止んだ媛子に春臣は再び今後のことについて話し合いをしようと申し出た。言い出すならば、このタイミングが一番だと思ったのである。
もしかすると、未来のことについて話すことに彼女が抵抗感を示すかと春臣は懸念していたが、彼女としてもこあのままうじうじしているのが嫌だったようで、すぐに了解してくれた。
そして、その話し合いの結果、一つの結論にたどりついたのだけれど――
「春臣、何をぼうっとしておる!」
いきなり彼女が服を引っ張った。
「え?」
「ほれ、あの鎖に繋がれた板は何じゃ?」
ポケットの縁に乗り出しながら、媛子は指差した。視線を向ける。
すると、幼い頃によく遊んだ懐かしい遊具が目に映った。
「何だ、ブランコか」
「ぶらんこ?」
「あの板の上に乗って、前後に揺らして遊ぶんだよ」
「……あの板に?」
すると、彼女は急に真面目な顔になり、
「あれで遊ぶ……ふむ、なるほどのう」
と、少し思案して、
「人間はまことに、単純な生き物のようじゃ」
そう言った。
「はい?」
「ただ板に乗って揺れるだけで楽しいとはの」
「……」
春臣は半眼になった。彼女の明るさが戻ったはいいものの、いつもの神としての上から目線も引き連れて戻ってきたらしい。
「どうした?」
「確かに言葉で説明するとなんとも味気ないが、実際にやってみると案外楽しいもんだぜ。俺も昔は友達とよく遊んだもんだ。乗りながら思い切り靴を飛ばしてさ。案外気持ちいいよ」
すると、今度はぷっと媛子が噴き出すのが分かった。
「ふふふ、靴を飛ばす? お主、阿呆なのか?」
「あ、阿呆?」
「そんなことをしたら板から下りれなくなるではないか。靴を履いて歩く人間には自殺行為のようなものじゃの。くっくっく」
彼女は口の端を吊り上げて意地悪く笑っている。
「片足で飛び跳ねて靴を取りに行くから問題ないんだよ。そうやって皆遊んでたんだ」
「わざわざか?」
「そう、わざわざだ。まあ、馬鹿にするなら馬鹿にすればいい」
そこで、春臣はブランコの方を向いたまま、横目で媛子を見、
「けど……あの楽しみをやってもいないのに否定するのは、もったいないと思うがな」
と、酷く残念がるように言ってやった。
「でも、神様がするには、少し幼稚すぎるかな?」
「……」
媛子が急に俯く。どうやら、何か考えがあるのだろうか。
春臣はなんだか嫌な予感がした。少しムキになってしまったのは失敗だったかもしれない。
「そのくらい楽しいとな?」
「まあ、な」
「本当じゃな」
「……ああ」
「よし。じゃあ、わしもやってみたい」
やっぱりな、と春臣は肩を落として脱力する。
「お主、わしを乗せたままやってくれぬか?」
「おいおい、つまり俺に大学生にもなって、ブランコをしろと?」
もう一度ブランコに目をやる。丁寧にピンクのペンキで塗られたその遊具は、どう考えても子供サイズのであり、乗るとすればかなり恥ずかしい。
しかし、彼女はそんなことはお構いなしに、
「何じゃ? 言うことが聞けぬのか? でないとわしが不機嫌になるぞ」
といつものわがまま攻撃を開始した。
「……」
「ああ、まずいのう、このままでは大声を出して喚いてしまうかもしれん。ああ、どうしたらいいのじゃ、困ったのう」
結局、春臣が折れた。
「ちっ……分かったよ。一度だけだぞ」
渋々ベンチから立ち上がると、ブランコに向かう。
どうして、こんな休みの日の公園で、一人寂しく(一応媛子はいるが、傍からみれば間違いなく一人)ブランコをこがなくてはならないのか。甚だ疑問で、心底恥ずかしかったが、まあ、たまには童心に帰ってみるというのもいいのかもしれない。
春臣は諦めて鎖を握り、板に足を乗せた。ぐらりと揺れる。
「お、おお、不安定そうじゃが大丈夫か?」
媛子が不安そうにこちらを見上げる。
「問題ないよ。ちゃんと持ってるから」
そう言って、もう片方の足も乗せると、身体を揺らし、少しづつ反動で振り幅を大きくする。
きいきいと金属の音がし、ゆっくりと視界がスライドし始めた。徐々に、頬に当たる風が強さを増す。媛子が小さく悲鳴を上げた。
「おい、春臣、お、落ちるぞ」
「平気だって、その内慣れるよ」
春臣は調子に乗って、さらに高くこぐ。
と、
そこで、たまたま視線が滑り台の方へ向いた。
あれ、と思う。
そこに、子供達がいなかったのだ。つい先ほどまで、元気に遊んでいたというのに、今や泥だらけの滑り台が空しく佇んでいるだけだ。
「あ……」
もしかすると、ぶつぶつと独り言を言いながらブランコをこいでいる自分を頭のおかしい不審者と思い、帰ってしまったのだろうか。あの白熱の戦いが途中で終わるとすれば、考えられる可能性は、それくらいだ。
春臣は、自分の声のボリュームに後悔した。
媛子と話すうちに、気づけばそれなりの大きさの声になっていたのだ。
「春臣、なかなか楽しいものじゃの!」
すると、ブランコの揺れにも慣れてきたのか、媛子が嬉しそうにはしゃぐ。
「あ、ああ」
「何じゃ? 元気がないぞ」
「気にするな。世間の目の厳しさを俺が知っただけだ」
「はあ?」
こうなったら、ヤケだ。もっとこいでやる。
「おう、まだ行けるのか」
「もちろんだ」
春臣はしっかりと鎖を持ち、さらに足元に力を込めた。
スピードを増すブランコに対し、視界に映る景色は次第に曖昧さを増し、揺れる残像だけになっていく。そのタイミングで媛子が、
「では春臣、そろそろではないか?」
と訊いてきた。
「何が?」
「靴を飛ばすのじゃろう?」
「え?」
「そうやって遊ぶのではなかったのか?」
この神様は何を言い出すのだ。
「あのな、それは子供の頃の話で――」
「やってみると良い!」
有無を言わせない命令口調。
「……」
まあ、いいか。どうせ誰もいないし。春臣はブランコを揺らしながら器用に片方の靴を爪先に引っ掛けるように脱がすと、
「それっ!」
タイミング見計らい、靴を蹴り飛ばした。
「おお!」
媛子が歓声を上げる。
靴が大きく円を描いて、宙にふわりと飛んだ。
そして、公園の入り口付近にバウンドしつつ、落ちる。
春臣は目を見張った。
少なくとも自身の記憶では、あれほど遠くに飛ばしたことはない。おそらく、新記録だろう。
知らず、不思議な高揚感に満たされ、無意識に、
「やったー!」
と叫んでいた。
これなら、もう片方も飛ばしてみるか。靴を脱ぎかけ――
「あのう、榊さん?」
「へ?」
急に呼びかけられ、横を振り向くと、そこに立っていたのは私服姿の瀬戸さつきだった。
「お、お待たせして申し訳ありません。えっと、服を選ぶのに手間取ってしまって」
「あ、あ、あ……」
開いた口が塞がらない。
「それで……あの、何をしていらっしゃるんですか?」
「あ、こ、これは」
頬が沸騰したように熱くなるのを感じるのと同時に、すぐさま、ブランコのスピードを落とす。
「その、媛子が……」
やれって言ったんですよ。
「春臣、勝手に責任転嫁するでない」
「な! そっちがブランコに乗れって言ったんだろ?」
見ると、彼女は春臣が動揺しているのを面白がっているのか、さらりと嘘をつく。
「そんなことは忘れた」
「お、お前……」
「あのう、榊さん?」
この思わぬ状況に、顔に困惑の感情を浮かばせてさつきはおどおどとしている。
「ああ、もう。下らん言い訳は耳障りじゃ!」
そこで媛子は断ち切るようにそう吐き捨てると、さつきを見て、
「済まぬが、ちょっと巫女の娘」
「は、はい」
「春臣の靴を持ってきてやってくれぬか?」
と、頼んだ。
「お、おい。それは俺が――」
「あんな距離まで飛ばして、自分で取りに行けるとでも言うのか?」
「ぐ、ぐう」
春臣は返す言葉がない。
公園の出入り口付近まで飛ばすという、これまでの最高記録をたたき出したわけだから、どう考えても、片足とびではたどり着くまで持久力が持たないだろう。我ながら、浅ましいことをしたものだ。
「榊さん、いいですよ。持ってきます」
そして、快く応じてくれた彼女に、
「ええと、あの……すいません」
ただ謝り、春臣は所在無げにぐったりと項垂れるしかなかった。
うう、作者です……。
本当は昨日更新しようとしていたのですが、何だか文章に納得がいかずに何度も書き直してました。どうしても集中力を持って出来なかったので、ちょっと今回のところはいつも以上に下手かもしれません。
というか、最近気づいたのですが、僕は三人称の文章よりも、一人称の文章の方が向いている気がする。いまさらですが。