72 内なる闇 2
4/22 急遽修正。最初の部分に新たな文章を追加しました(プラス全体修正)。すいません、書くべき部分を飛ばして話を進めていました。
「神の力を、使役する、お守りですか?」
突然の息苦しさにも持ち直して、ゆずりは聞き返す。首の付け根の辺りが、ひりつくような痛みがあった。おそらく、これは穢れの影響だろう。
「そうじゃ」
老人はゆるぎなく頷いた。
「……さすがに存じ上げませんね」
「本当か?」
「はい、いくら日本中を旅する商人と言えど、神の力を自由に操るお守りなど、ついぞ耳にしたことはありません」
おかしいのう、いかにも不思議そうに老人は首をひねる。
「しかしのう。わしはこう聞いておるのじゃ」
「はい?」
「人智を超えた、不思議な術を操るお守り商人がおるとな。そうそう、身なりもちょうど時雨川さんのような人物でのう……」
「そう言われましても」
「知らぬものは知らぬと?」
さつきは頷く。
「はい」
「いやいや、そんなはずはないじゃろう? のう、時雨川さん」
老人の白っぽく濁りかけた瞳が、急に欲望の光を放ち、ゆずりを見る。それは、獲物を前に舌なめずりをする獣のようだった。咄嗟にゆずりは目を逸らす。
「わしはどうしても、なんとしても、その力のあるお守りが欲しい」
「……」
「そのためにはのう、金に糸目はつけまいと思っておる」
それはまるでゆずりにすがり付いてくるような声で、胃の底を震わす異様な恐怖感を与えてきた。無視をすれば、そのまま老人が幽霊となって呪い殺されてしまいそうである。この様子ならば、何をされるか分かったものではない。
仕方ない。
じゃあ、自分が知る事実を話すか?
いやいや。胸中で首を振った。
こんなことで屈するゆずりではない。これでも伊達に何年もお守り商人をしていないのだ。
ふっと息を吐き、
「おい、じいさん」
と睨みつける。
すると、突然のゆずりの乱暴な口調に驚いたのか、老人は表情を凍りつかせた。
「な!」
「神の力を使役するお守りなんて、どこでそんな話を聞いたのかしらないが、年取ってもうろくしてんじゃないのかい?」
「なんじゃと?」
ゆすりは面倒くさそうにため息をつく。
「あのさ、お守り商人なんて稀有な商売してるとさ、時々妙な奴らに出会うんだよ」
「……妙な奴とな」
「ああ、何かを勘違いしている奴らにな」
言いながら、人差し指でこめかみの辺りをつついてみせる。
「……」
と、老人は深く息を吸い込んで目を閉じる。
てっきりそこで老人が憤慨するかもしれないと踏んでいたゆずりは、少々意表を衝かれた。
さすがに高齢者ともなると人生経験が豊富なのか、老人は自らの内に怒りを押さえ込み、落ち着き払う術を確立しているようだった。
いきり立って言い返すこともなく、ゆっくりと目を開け、ゆずりを見つめる。
どうやらゆずりがどうするつもりなのか、様子を窺っているようだ。どうせなら怒鳴り声を挙げ、さっさと自分を追い出してくれてた方がよかったのだが。
まあ、仕方ない。
「じいさん。ここでちょっと面白い話をしようか」
ゆずりは指を立てて薄く笑うと、正座を崩し、あぐらをかく。
老人は少し躊躇した後、
「……話してみなさい」
と促す。
「なに、短い話だよ。あるところに猟師がいた。そいつは毎日毎日山に行き、シカを狩ってそれを売ったり自分で食べて生活をしていた。半自給自足の生活って言えばいいのかな。そして、その猟師には飼い犬がいた。毎日世話していて、とても懐いている。猟の手伝いもしてくれる賢い犬だ」
「ふうむ」
「ところがあるとき、その犬はその主人が持つ猟銃を使ってみたくなった。何しろ、これがあれば獲物を一発でしとめることの出来る便利な道具だ。自分に使えるものなら、試してみたい。だから、ある晩、犬は主人が寝静まった後、その銃を取り出し、自分で使えるかどうかいじってみた。しかし、中々上手くいかない。当然だ、銃は犬が使うものじゃあない」
ここで一呼吸入れる。
「そうこうしているうちに、偶然込められていた弾が発射され、犬は足に大怪我をした」
「……」
「どうだい、この話をどう思う?」
訊くと、老人は奇妙な表情を浮かべる。
それは怒っているわけではなく、まるで、ゆずりを哀れんでいるかのようだった。
「なるほどの、ようく分かった。実に面白い話だ」
「神の力を使役するなんて、馬鹿げている」
「ふふ、こりゃあ失敬。妙なことを頼んですまんかったの。さっきの言葉は老いぼれの妄言と思って聞き流してくれ」
「……」
「では、お守りはお返しすることにしよう。どれもわしのような者には相応しくないお守りばかりのようなのでな。すまないが、お引取り願えるか?」
「もちろんです」
そしてゆずりは頷き、好都合と言わんばかりのとびきりの嘘をつく。
「私としましても、次の予定が入っておりますので」
すると、老人は薄く笑い、今度は部屋の奥に向かって言った。
「おい、客人はお帰りだそうだ。お送りしてあげなさい」
どうやら老人はゆずりをここからつまみ出すご予定らしい。
ならばその前に、出されたお茶だけでも飲んでおくか。ゆずりは、手を止め、ひゅいと湯のみの中の温かいほうじ茶を喉に流し込む。
と、
一刻も早く自分を追い払いたいのか、わざわざ老人は並べていたお守りの一部を集めはじめた。そして、それをゆずりに手渡す。
「ひっ」
ゆずりは短く悲鳴を上げた。
老人の顔が突然近くに来たからだ。彼が耳元で小さく言う。
「お前、このわしに喧嘩を売ったこと、その内後悔することになるぞ」
ゆずりは少々驚いたものの、構わず無視して荷物を積めた。
こちらとしては、あのまま神の力を使役するというお守りのことをあれこれと追及され、得体の知れない穢れの塊である老人と一緒にこのまま時間を過ごすなど、考えたくもなかった。縁を切って逃げるのが一番だ。
昔の偉人はこう言っている。君子、危うきに近寄らず。
「残念じゃの、もう少し面白い話を聞かせてくれるなら、上手い飯も食わせてやるのに」
老人が白い歯を見せ、不吉に笑う。
しかし、ゆずりはかぶりを振ると、
「いや、もういいさじいさん。あんまり長居して、帰りづらくなったら事だからな」
そう言って荷物を持ち上げ、立ち上がった。
門を出てから、ゆずりは来た時と同じようにゆっくりとその邸宅を眺めた。
あれからほんのひと時しか経っていないというに、がらりと印象が変わってしまったような気がする。屋根の黒い瓦のせいなのか、まるで、巨大なカラスが翼を広げているようにも見えた。
同時に、ゆずりには老人のあの不気味な瞳がどこかから見ているような恐怖を感じ、背筋が寒くなった。
まったく、遠くからわざわざ出向いたってのに、ろくな客じゃなかったな。
いったいどうして、老人にあんな化物が取り付いているのか、原因は分からないが、
ともかく。うん。
ここからは離れたほうがいい。
ちりん、ちりん。
足を踏み出すたびに、急かすように鈴が鳴った。
ちりん、ちりん、ちりん。
と、
そこで、ゆずりのお腹がくぅ、と鳴る。
ああ、そうだった。
大事なことを忘れていた。
ゆずりは額を押さえた。
結局お守りは一枚も売れなかったので、依然、所持金は雀の涙である。
「今夜の晩御飯、どうしよう」
どうも。ヒロユキです。
最近、話がずっとシリアスだな、と実感している今日この頃。
さすがにタグに「コメディ」「ほのぼの」などとつけている以上、もしかして、万が一、それを目当てに読みに来る方がいるかもしれないという可能性に思い当たり、これはまずいと焦ってみた。
なので、次回はほのぼの路線。春臣と媛子が仲良く公園で遊ぶ話です。
うん? あれ、こう書くと、今までの話とのギャップからか、ほのぼのというより幼稚な話になった気がするのは僕だけなのか?