69 焔の記憶
目に映るものは、黄金の空。
ここは、世界の始まりなのか。
それとも、終わりなのか。
もしくは、そのどちらでもない、
虚無と混沌の海なのか。
体がひとところに留まることなく、
ただたゆたっている心地がする。
揺れる波が打ち寄せ、
乾かすことなく、
頬を濡らす。
目に映るは、あの、高き空。
美しすぎる、黄昏の空。
自分は、いつかあそこに行けるのか。
それを、自分は許されるのか?
それを思うと、いつだって胸が苦しくなる。
恐怖と、焦燥。
怒りと、諦め。
悲しみと、孤独。
いつの間にか、
声を、出していた。
声を出して泣いていた。
それが自分だと分かる。
耳に、その声がかろうじて届いている。
世界は、生きていた。
世界を、生きていた。
揺れている、自分。
意識が鮮明になり、
鳴り響く自分の声が、
空で弾けた。
燃えている。
そこは、海ではなかった。
全てを溶かしつくすような、
鮮やかな深紅。
それが、体を覆っていた。
緋桐乃夜叉媛ははっと身を起こした。
どうやら、転寝をしていたようである。
また、あの夢、か。
夜叉媛は顔を俯け、額の汗を拭う。
と、
自分の姿を見て、一瞬言葉を失った。
目に飛び込んできたのは、赤。
「――!」
途端に、先ほどの夢がフラッシュバックした。体を覆う、あの、一面の、無垢なる焔……。
茫漠たる心もとなさと共に、押さえようのない悲しみが蘇る。
が、
しかし、それは違った。
以前に椿に作ってもらった、ドレスという着物だったのである。何でも元々日本ではない外国の服だということで、珍しいものだと夜叉媛はかなり気に入っていた。
なのに、それで思い出してしまうだなんて。
「……」
夜叉媛は絶句する。
そのことは、もう忘れようと決意したではないか。前向きに生きると、決めたではなかったのか。
肩にかかる自らの髪を、一束、手で掴む。
「これは、わしの誇りのはずじゃ。誇りの色のはずじゃ」
しかし、そう言った声はあまりにも力なく、儚げだった。
心がとても、寂しかった。
この世界に来て、色々と楽しい物を発見したが、最近は、そのどれもが夜叉媛に対してこぞって背を向けたように、何をしても楽しくない。満たされない。
詮無いこと。
いつか全ては、こうなると、分かりきっていたことだったはず。
けれど。
それは当初、夜叉媛にとって、良かれと思って選択していたことだった。それが、こうして心の枷になってしまうなどとは。
少し、この世と交わりすぎたのか。
原因はそこじゃな。
見上げた時計の針はもう十一時を示していた。静かな夜は深まる一方だ。
夜叉媛をいつも気遣ってくれる優しい少年の姿は、傍にはない。いつもは気づかないそのぬくもりがない寂しさを夜叉媛は、今、ひしひしと感じていていた。
不覚なものじゃな。
この世に舞い落ちて、あのような人間のことをこんなにも強く想っている。
自分はこれからどうすればいいのか。答えはまだ見つからない。
彼と離れたくはない。
しかし、
その選択は、
彼を『傷つけてしまう』かも、しれない。
それに、それ以前に、自分は今、彼に……。
いや、もう止めよう。夜叉媛は思考を中止する。
これ以上考えていても、名案は浮かびそうもない。しかし、我ながら、この世界に来てずいぶん弱気になったものだ。情けないことだ。
ばたり、とその場に仰向けに寝転がる。無造作に転がした手足が重かった。
するとふいに、
「ただいまー!」
階下から聞き慣れた少年の声が聞こえた。
「はる、おみ」
待ちに待った、この家の主の帰宅だった。
どうも、作者です。
今回は物語始まって以来、初の夜叉媛視点ということで、かなり注意して書きました。元々彼女の話を書くつもりはなかったのですが、どうしてもストーリーの進行上、重要且つ、避けては通れない道でしたので、まあ、仕方ないかな、と。
いかがでしたでしょうか。
またしても内容が少し短いので、近いうちに続きを更新しますね。それでは。