68 緋桐守り 2
「ああ、頼りにしてるよ」
そう言って、春臣は早速作業に取り掛かる。無駄話をしている時間はあまりない。出来るだけ早く完成させて、媛子を驚かせてやりたいという気持ちがあったのだ。
分からない箇所や、自信のない箇所を椿に尋ねつつ、地道にこつこつと春臣は針を通す。
ちなみに、現在指先には三つの絆創膏が貼られているが、みんな名誉の負傷である。
「それで、榊君なあ」
ベッドに寝転がり、完全にくつろいで漫画を開いていた椿が話しかけてきた。
「うん?」
春臣は針を布に通しつつ聞いた。
「あれから媛子ちゃんとは、やっぱり上手くいかへんのん?」
「……まあ、な」
重いため息をつく。
瀬戸さつきとの一件があって、すでに、二週間近くが経つが、春臣と媛子との関係はギクシャクとしていた。
彼女が神社に向かいたくない理由については、保留にすると約束をしてあるが、春臣としては、さつきに言われたことが頭にあり、どうしても彼女を意識してしまうし、彼女は彼女で、春臣に対していつまでも口を閉ざすわけにもいかず、どうすればいいのかと、決めかねているようだった。
このために、一緒に居ても上手くかみ合わず、ちぐはぐの気持ちのまま顔を合わせ話をしても、どこか両者とも上の空、という状況なのである。
何も血相を変えて、現状を打破しなければならないわけでもないが、春臣はすでに何度か椿に相談を持ちかけていた。
もちろん、彼女にはさつきから言われたことも隠していない。つまり、春臣と媛子が恋人のように見えたという話である。
彼女はそれを聞いて最初こそ驚いたものの、確かに仲ええしな、と案外あっさりと納得してくれた。友人として、それは相談に乗らなな、と。
春臣は続きを話す。
「俺としては、媛子の決心がつくまでゆっくり待つからと言ってあるが、相当悩んでるみたいだな」
彼女は起き上がり、ベッドの上に座りなおす。
「やっぱり榊君と一緒にいたいんかな」
「さあな、それについては恥ずかしくてストレートには聞きにくいから……」
そこで一度言葉を止め、
「でも、自惚れるつもりはないけど、少なくともそれも『一つの理由』なんだと、思う。だから、ここの生活が気に入ってるなら、今すぐ向こうの世界に帰らなくてもいいと言ってある……けど」
「けど?」
「やっぱりあいつは、何かに焦ってるみたいだ。きっと考えているより早くに俺が『神社に行く』っていう方法を思いついたことで、いろいろなことに整理がつかないのかもな。こうなった以上、自身で何らかの決断を下さないといけないことは不可避の事実だ。それが、ここに居座るのか、神の世に戻るか、という選択なのか、あるいは、それに加えて別の話もあるのか、いずれにせよ、な」
「別の話?」
「ああ、別に秘密にしていることだってこともあるだろうよ」
春臣がこう言ったのにはもちろん、根拠がある。
というのも、以前から媛子は春臣たちに対して、まだ何か秘密を隠しているような素振りがあったが、それが今回のことに関係しているのでは、と思っていたのだ。
特に、神社に行きたくないと拒絶した時の彼女の態度は、以前、春臣が彼女に親の事を聞いて、一方的に話を打ち切られたときと、態度が似ている。
春臣の考えでは、それらの拒絶の先は一つに繋がっており、その先にある、彼女が頑なに閉じている心の扉に通じているのではないか、と推測していた。
神の世に戻るか否かという問題以前に、彼女はそれを自分に話すべきかどうか、悩んでいることだって充分に考えうるのである。
数週間前、さつきに媛子がここに残りたがっているのでは、と言われた時には、そのことで頭が一杯になったが、時を置くうちに、このような考えが浮かんできたのだ。
「でも、あいつも変わったよな」
春臣は一度そこで手を止めて、天井を眺める。椿が目を丸くした。
「え?」
「いやなに、以前までのあいつなら、話さないの一点張りで態度変えなかっただろうが、媛子もここに来た当時と今ではいろいろと変わったと思うんだよ。現にきちんと理由を話してくれるって言ってるしな。パラダイムシフトっていうと大げさだけど、価値観の変革があったんだな。俺に対する態度も以前のような、有無を言わせない横柄さは少しずつなくなってるし。むしろ、その、愛情ようなものを、感じる時だって……」
「愛情のようなもの?」
分からない、と春臣は首を振る。
「でも、一つ確かなことは、以前の彼女ならこんなこと、悩みもしないで切り捨ててただろうと思んだ」
「……そう」
椿は、少し微笑んで、すぐに表情を固く戻す。
「じゃあ、榊君は、どうなん?」
唐突に聞かれて、春臣は面食らう。
彼女の真っ直ぐな澄んだ瞳が春臣を見つめていた。
「媛子ちゃんが榊君に打ち解けてきてるのは分かる。でも、榊君の気持ちはどうなん? 前に比べて変わった? 媛子ちゃんのこと、好きなん?」
ふいを衝かれてドキリとした。
「俺の気持ち?」
「うん」
それは全く考えていないことではなかったものの、いざ、口に出そうとすると、難しい。
「……俺だって、媛子のことは嫌いじゃない。わがままだけど、悪いやつじゃないし。時々、無償にかわいいって思うこともある、けど。でも、好きかって言われると、靄がかかったみたいになんだよ。まるではっきりしない。俺もそのことについては結論を出すべきなんだろうな」
「男らしいないな」
椿は口をへの字に曲げ、腕を組む。
「そ、そうは言っても仕方ねえだろ。分からないんだから」
彼女から視線を逸らし、春臣は再びお守りに目を向けた。
「でも、今考えていることには、あいつには安全な場所に帰ってほしい」
「へ?」
「今の状況が長引くと、このまま周りに秘密にしておくわけにもいかねえだろう。現に青山と瀬戸にばれてるし、遅かれ早かれ親にもばれるだろうな。それも問題だ。それに、外の世界に出ればいつ何時消えちまうかもしれない危険な体のままここに置いておくのも、難しい」
「……」
「そして、何よりあの小さな体だ。このところずっと身長の伸びもどん詰まりって感じだし、どうやら現状ではあれ以上の伸びは見込めそうもないみたいだ。つまりだな、この世界はあいつが暮らすにはリスクがでかすぎんだよ」
「そうか、そやな」
「まあ、絶対に無理ってわけじゃないけれど、元の世界に戻るべきなんじゃないか、と思ってる。無理強いはしない、けど……うん、ごめん、何を言ってるのかな。中途半端な考えだよな」
春臣は言葉を無くす。明確な指針を示せない不甲斐なさが、喉元を占領したようだった。
「青山は……どう思う?」
視線を上げる。彼女は急に問いかけられ、きょとんとしていた。
「え、うち? うちは……媛子ちゃんがこっちに残りたい言うんなら、それでええと思っとったけど……榊君の言うことも分かる。せやから、その……うーん、うちもよう分からん」
「そっか、だよな。だからこそ、今すぐ無理に全部に結論を出す必要はない。瀬戸さんも言ってた。俺たちにはお互いを分かり合う時間が必要だ」
春臣は作りかけのお守りに目を落とす。
「こいつは、だからさ、それを示すためでもあるんだよ」
「どういうこと?」
「このお守りはな。もちろん媛子を守るためでもあるが、それ以前に、これは『使われるべきもの』だ。あいつが混乱した現状で、すぐに神の世に戻れば不必要になるが、俺が作ったものをすぐにゴミにしたいと思うほど、あいつも無神経な奴じゃない」
言いながら、春臣は布に針を通す。すると、驚くほど、すっと滑らかに針が通った気がした。
「今のあいつなら、これを使わなくちゃならないと思ってくれると思う。それでこっちの世界に少しでも留まらなくてはならない理由に、その口実なるなら、一番いいと思うんだ」