66 春臣の頼み事
「でも、ほんまにすごい映画やったな、榊君」
揺れるバスの車内。
隣の席の椿が興奮冷めやらぬ様子で春臣に語っている。先ほど二人で見たアクション映画の主人公をまね、彼女はどう見てもぎこちないパンチを宙に繰り出している。
どう見ても貧弱すぎる勢いのない動きは、子供に避けられてしまいそうだ。
笑うの堪え、春臣は窓の外へ目を向ける。
窓の向こうはすっかり闇だ。
すっかり見えなくなった夜道をバスのヘッドライトが照らし、掻き分けるように突き進んでいる。
車内には椿と春臣以外の客は見られず、椿が喋っている以外はバスのエンジンが低く響いているのみである。
「榊君!」
ぼうっとしていると、椿にひじで小突かれた。
「何だよ」
「話、聞いてんの? うちが今何を聞いたか分かる?」
どうやら何か話を振られていたようである。
春臣は逡巡して、
「ああ、確かに主役はあの俳優が適役だったよ」
と適当に答える。
すると、案の定は答えはかみ合っていなかったようで、彼女はむすりと頬を膨らませる。
「そうやのうて、最後の敵。とどめ刺されてほぼ死んでんのに、昔話とかぺらぺら喋りすぎちゃうか、って聞いたんや」
ああ、そういうことか。
「……別にいいんじゃないか?」
春臣は答える。
「どうせ、フィクションだし。シナリオ上、リアリティが損なわれるのは当然だよ」
「まあ、せやな。やっぱりそこは突っ込んだらあかんか」
とはいえ、あれは確かに興ざめだったことは事実だった。映画のクライマックス、主人公にとどめを刺された悪役が、今さら自身の激動の人生を振り返り始めるなど、もっと事前に思う存分回想しておいてほしかったものだと、心内で春臣は舌打ちしていたのだ。
まあ、フィクションだけれども。
「でも、それはさておき。車に仕掛けられた時限爆弾が爆発するとこなんか、迫力満点やったな」
椿は今でも脳内でめくるめく壮絶戦闘シーンが再生されているらしく、弾んだ声で語っている。
「敵に追い詰められてビルから飛び降りるシーンとか、うち、驚いて呼吸停止や」
春臣をそれを聞いて、噴出した。いくらなんでも、停止はまずい。
「ハハハ、驚きすぎだよ」
しかし、彼女は笑われたのにも気に留めず、
「今の気分なら、ブルースリーにも勝てるで」
などと自信満々に言ってのける。
「……何を根拠もなく」
春臣は呆れて半眼になった。
だが、なぜか彼女はしたり顔でにやついている。
「根拠はなくても否定は出来へんやろ?」
「うん?」
少し考えて、
「……ああ、確かにそうだな」
彼女の言う通り、既に亡くなっている人間に勝てるかどうかなど、この世では実証不可能だ。
神様の力で蘇らせてもらうとかならともかく、さすがにそんなことは出来ないのだから、彼女の話は肯定も出来ない代わりに、当然、否定も出来ない。それ以前の問題である。
まあ、だから何だ、という話ではあるが。
「でも、ほんまに奢ってくれてよかったの? 榊君」
ふいに、彼女は眉をひそめて聞いてきた。
「え?」
「いくら、いつもノート見せてるお礼や言うても、見たかった映画にまで連れてってくれるなんて、大そうなことをせんでも」
「そうか?」
春臣は首を傾げる。
彼女はこう話した。
「それに、元々、榊君は昼ごはん奢ってくれることもあるやん。それで貸し借りはなしなんちゃうん?」
「ああ、言われてみればそうかもな」
「せやから、なんかあるんちゃうんかと」
春臣は一瞬口ごもる。
確かに彼女の指摘どおり、数時間前、講義終わりの彼女を捉まえ、映画代をおごり、彼女が見たがっていた映画を見せてやったのには、きちんとした理由がある。
これは後日に話そうと思っていたのだが。
春臣は再び窓の外に目をやりつつ、椿に話す。
「この前のこと。覚えてるだろ」
「この前?」
「瀬戸さんが、俺の家にやってきたときのことだ」
「ああ」
彼女は合点がいったようで、大きく首を上下させるのが窓に映る。
二週間前のあの唐突過ぎる巫女の襲来は、春臣と媛子に大きな衝撃を与えた事件だった。
春臣は未だによくあれほどの騒動で、誰にも被害がなかったものだと、奇跡のように思うこともあった。
「それが、どうしたん?」
彼女はきょとんとしている。
「青山、危険な目にあったじゃないか。そのお詫びだよ」
「……まさか、さつきちゃんに、人質にされかかったこと?」
「まあ、な。俺もいろいろ心配もかけたし」
春臣は自分がさつきと対決すると告げた時の彼女の不安げな表情を今でも覚えている。無事であったとはいえ、そこには紛れもなく、迷惑をかけた彼女に対する罪悪感がわだかまっていたのだ。
「あれは本来、榊君のせいやあらへんのに」
納得がいかなさそうに彼女は眉根を寄せた。
「そうかもしれない。でもな、青山は元々、あの場に関係のない人間だっただろ?」
「へ?」
春臣は説明する。
「あの騒動は、巫女である瀬戸と、あの家に住む俺と、神様である媛子がいれば決着のつく話だったんだ。青山はそれにたまたま運悪く巻き込まれたんだよ。たとえ俺に非がないとしても、多少筋違いかもしれないけれど、せめて、これくらいはと思ってな」
「え、え?」
「話しておくべきだとは思ったんだが、楽しい映画を観る前や後に、嫌なことを思い出させるかな、って考えて、また今度説明を……」
急に隣が静かになったので、不審に思って振り向くと、彼女は険呑な顔つきで春臣を睨んでいた。
「そんなことはどうでもええ」
「ど、どうした? 怒ってるのか?」
意味が分からず、春臣はうろたえた。何か気に障るようなことを言ってしまっただろうか。
「榊君の馬鹿! うちが関係ないって、どういうことや?」
「いや、だってさ――」
「だってもへちまもない!」
ぴしゃりと言われ、春臣は口を噤む。椿の目は真剣だった。映画の悪役のように敵意をむき出しにし、隙あらば殴ってきそうである。
「榊君は、なんでうちのことを仲間はずれにするん? うちは、確かに、神様でもないし、巫女さんでもない。榊君みたいに、媛子ちゃんと一緒に暮らしてないかもしれへんけど、うちは、榊君の友達やろ」
「……あ」
「そうや、友達なんやから、関係ないとか、そんなんないんや。榊君が困っとったら、助けに行くし、問題を抱えてんねやったら、話聞いたげる。運悪く巻き込まれたからお詫びなんて、そんな他人行儀なことせんでええんや!」
返す言葉がなく、春臣はまたしても黙す。
しばらくつんとした彼女と申し訳なさそうな顔をした春臣が隣同士に座ったまま、沈黙が流れた。緊張で、眉間の辺りがピリピリとしている。
「その、すまん」
ようやく、声を出した。
「反省した?」
「ああ……もうしないよ」
「それならよし」
彼女はむすりとしたまま頷く。
とりあえず、怒りの矛は下ろされたようだ。が、場の空気は間違いなく危うげなものになってしまっていた。うう、気まずい。
「……でも、青山もたまには良いこと言うんだな……ハハハ」
春臣としては場を和ませようと、ちょっとした冗談のつもりでそう言った。
しかし、
「――!」
今度は呆れたと言わんばかりに椿は目を丸くした後、
「榊君なんて……もう知らん!」
と、とそっぽを向いてしまった。
さすがにこの真剣なムードでの茶化しはまずかったか。全く格好がつかない春臣は心底困って頭を掻く。
どうにか謝意を伝えなければ。
「青山……ええと、あのな」
「……」
「俺があまりにも馬鹿な上に阿呆で、救いようのない無神経で、先天性の唐変木で、これまで気付いていなかったことがあったから、今、言う」
「……」
「あのとき、青山がいてくれてよかった。すげえ感謝してる」
しばしの沈黙。
と、衝撃。
「ぐっ!」
彼女はふいをついて後ろ向きのままで春臣のみぞおちを殴ってきていたのである。
意外にも鋭いパンチで、息が詰まった。
「うう……」
春臣は腹を押さえる。
それは当然、ブルースリーを倒せるほどではないものの、少なくとも、春臣の心に、ずしりと、重く、響いた。
「これで、チャラにしたる……」
彼女がぼそりと言った。
バスを降りてからだった。春臣たちはお互いの自宅までの共通の道のりを歩いていた。
春臣が考えごとをしていると、
「でも、あのヒロインのことやけど」
と椿がつぶやいた。
「なんだ、まだ映画のことを考えてたのか」
てっきり春臣は、先ほどのバスの中で話題の波は過ぎ去ったものだと思っていた。
しかし、彼女は意外そうに片方の眉を動かした。
「当たり前やん。一度映画観たら、四日後の朝まではそれでパンパンや」
「ふーん」
そうなのか。
まあ、あくまで彼女の常識である。そして、その常識は往々にして春臣の常識と食い違うものだ。
「それでヒロインが何だって?」
春臣は話を戻す。
「あの女の人、最初は主人公の味方やったのに、途中で敵のスパイやってばれるやん」
「ああ、うん。あれはなかなか意外で秀逸な展開だったな。で、それが?」
「どういう気持ちなんやろって思ってな」
急に彼女は声のトーンを落とした。
「は?」
何を言うつもりなのだろうか。
「だってほら、ずっと主人公を騙してたわけやろ。ボスの命令やいうても」
「まあ、そうだな」
「秘密を隠し続けるのって、辛いことやと思うで」
「……え」
「うちやったら、とてもやないけど耐えられへんもん。ましてや、その相手が好きな人やったら……」
そう言われて春臣が咄嗟に思い浮かんだのは、媛子のことだった。
瀬戸さつきとの一件からもう約二週間が経つが、春臣に対して、彼女は未だに何かを隠し続けているのではないかと思うような態度に加えて、神社に行きたがらないという問題を解消できていない。
きっと彼女もそんな風に苦しんでいるのだろうかと思い、春臣は鬱屈とした気持ちに駆られる。
どうにか、今の現状を打開したいものだ。
「青山、ちょっといいか?」
そこで、春臣は彼女の肩を抑える。
「へ?」
「バスの中で言ってたこと。友達なら、困ったら助けてくれたりするんだよな」
「うん。助けたるで」
彼女は迷いなく首を縦に振る。
良かった。
春臣はすっと息を吐き、
「だったら、一つ頼みごとがある」
「榊君の頼みごと? 何なん?」
「それは……」
「それは?」
「さ、裁縫を教えて欲しいんだ」
どうも。作者です。
書きながら思ったのですが、春臣と椿は案外いちゃいちゃしていると思う。一緒に飯食って、映画見に行って、付き合っていると思われても、無理はない。主人公、自重しなさい、と思う。
でも、他に春臣といつも一緒にいるキャラクターを作ってないので、こういう状況になっても仕方ないだけれど。
初期の頃に、もう一人くらい男のキャラクターを作っておけばよかったと、今さらながら、悔やまれる。
以上、作者の一言でした。(すいません、読み流してください)