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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第四部 瀬戸さつき編
55/172

55 無謀の少年

 春臣はぬくもりのない汗が頬を伝うのを感じた。


「神の力で、倒す?」


 今しがた、自分の耳に届いた言葉が嘘か真か確認するために訊ねると、彼女はふんと鼻を鳴らす。


「そうですよ。さっき、武器を持っていると言いましたよね。これがそれです」


 すっと伸ばした扇子の先を片手だけで器用に開くと、その先端を春臣の首の辺りに向けた。まるで、首をはねてやると示すかのようで、笑えない。


「にわかには、信じがたいな」


 ちらりと扇を見てから、あごを引きつつ言う。


「まあ普通の人にはそう見えても仕方ありません。この状態ではただの扇子ですから。でも、これは千両神によって特殊な念が込められた神聖な扇子には違いありません。巫女である私がこれを使えば、ほんの仮初ではありますが、本物の神の力を使用することが出来ます」

「本当に、本物か?」


 疑いの視線で見つめると、背後から明らかにいつもとは違う、怯えた神の声が聞こえた。


「は、春臣、逃げるのじゃ。そやつの持っているものは、偽物ではないぞ」

「媛子、分かるのか?」


 驚いて肩越しに確認する。


「幾ら力をうしなっておっても、神力が伝わってくる感覚は鈍らん。扉越しでも、ただならぬ空気の重さを感じる」


 まるで大洪水が目前に迫っているかのように、彼女の声には余裕がない。春臣にはこれといって武器になりそうなものとは思えないが、見た目だけで判断すると痛い目を見そうだ。

 だが、本当に?


 すると、さつきがふわりと扇で口元を隠す。それはまるで、その下に潜む、不敵な笑みを隠すようだった。


「榊さん」

「何だよ」

「千両様の力を甘く見ない方があなたのためですよ」


 彼女はやんわりと警告する。


「これは神から聞いた一つの昔話ですが、千両神はその昔、この地域の村々を襲っていた山賊たちを追い出すために、ある時、山賊たちが潜む山に向かって大風を吹かせたんです」


 言いながら、自慢げにひらりと扇で宙を扇いだ。


「その威力たるや凄まじく、幾千もの矢が突き立つかごとく木々は粉々になぎ倒され、巨人が暴れまわったかのごとく大岩が転がる音が一日村中に響き渡り、大風が過ぎ去った後は、山には何も残らなかったと言われています」

「へえ、そりゃまたずいぶん乱暴で物騒な神様だ」


 皮肉たっぷりの目で春臣が言うと、彼女がさっと険呑な目つきに変わる。


「言葉に気をつけてくださいね。私は神の力をもってすれば、人間一人どうこうするなど、あまりに容易いことだと言いたいのです」

「……もしかして、それに匹敵するほどの力が、その扇にはあるってのか?」


 春臣は眉間に皺をよせ、冗談はやめろと言いたくなる。彼女の話したことが真実かどうかはさておき、山一つを吹き飛ばす威力がある代物をここで使うのはあまりにも危険だ。

 すると、彼女は目を細めて笑った。


「まさか、いくらなんでも真の神の力には遠く及びません。が――」

「それなりに威力はあると?」

「はい。人一人ぐらいは軽く吹き飛ばせるでしょうね」


 それはまるでたんぽぽの綿毛を前にしているかのような軽い口ぶりで、春臣は狼狽した。どうやら、この自信満々の様子に嘘はないようである。


「おいおい、ふざけるなよ。そんなもん、マジで使うのか?」

「ええ、あなたがそこをどかないのであれば」


 さつきが事も無げに言って、顎でドアを示した。

 しかし、春臣にはこの場を動くつもりなど毛頭ない。

 春臣の脳裏にあったのは、唯一つ。以前彼女と交わした約束だった。


 媛子が神の世まで無事に帰れるように、それまで自分が面倒をみる。その彼女が危険にさらされようとしているのだ。

 俺が彼女を守らなくて、誰が守るんだよ。


 息を止めながら、春臣はぐっと両足に力を込める。目の前の少女を通してしまうことは、その約束の破棄に相違なかった。

 こんなことで動じていられない。


 しかし、同時に膝の辺りが震えだしているのを感じている。もしも、彼女が言う神の力が本物であり、彼女が本気で自分を倒すつもりならば、間違いなく春臣は無傷では済まないだろう。

 その恐怖はじわじわと春臣の体に染み渡っていた。


「春臣、いいから逃げるのじゃ、お主、本当にどうなるのかわからんのじゃぞ!」


 そして、恐怖を煽り立てるような媛子の言葉が聞こえる。

 でも。

 春臣は了解できない。小声で却下する。


「……出来るかよ、んなこと」


 そして、喉の奥が急速に乾くのを感じながら、頭をフル回転させた。

 くそっ。どうにかこの状況打開する策はないのか。


 このままでは本当に媛子が危ない。しかし、現状で話しを続けても、この少女は了解するほど、融通が利くとも思えなかった。

 さらに悪いことに、彼女はどうやら本気で春臣を排除しようとしている。彼女が持つ神の扇は、単なる脅しではなく、前進の兆しのない話し合いに痺れを切らした彼女の最後の切り札に見えた。

 このまま春臣が彼女の説得に応じなければ、攻撃されるのは時間の問題と思っていいだろう。


 そして、彼女に神の力を振るわれれば、間違いなく春臣などひとたまりもないに違いない。なにしろ、それに対抗する術など春臣は持っていない。

 神と人では、どう考えても圧倒的に春臣は無力だ。


 じゃあ、どうする!?

 脳内の自分が急かす。


 このままでは、春臣が取れる選択肢は二つだった。

 彼女の要求を大人しく呑み、媛子を差し出すか。

 それとも、断固として意思を貫き通した結果、彼女に倒され、媛子を奪われるか。


 それだけ、だ。


 恐ろしいことに、浮かんだ結末の映像はどちらも同じだった。


「どう、したら……」


 しかし、ふいに何かが指先に触れ、


「あっ!」


 春臣が叫ぶ。


 そうか、その手があった。名案を閃いた瞬間だった。


 だが、それを言葉にする前に、突然さつきと春臣の間に割り込んできた人間がいた。

 青山椿である。


「二人とも、ストップや!」


 そう叫び、いつものふんわりとした笑顔はどこへやら、真面目な顔で春臣たちを交互に睨んだ。どうやら、一触即発で向かい合っているのに、止むに止まれず飛び込んできたらしい。


「榊君、さつきちゃん。そない睨みあわんと仲良うしよ。喧嘩したって、なんもええことないで」


 いいことは何もない。

 それは確かに彼女の言う通りだ。

 しかし、それでもさつきの態度は軟化する様子はない。即座に首を振る。


「すいませんが、青山さん。さっきから言っている通り、それは無理な話です」

「なんでや?」

「その部屋の中にいる、化け物を見逃すことは出来ません」


 すると、眉を引きつらせ、めずらしく椿は真剣に怒った顔を見せる。


「化け物やない。媛子ちゃんは神様やって!」


 さつきがぎょっとして後ずさった。


「あ、あなたまで洗脳を?」

「洗脳ちゃう、真実や! そのことは今度説明する。せやから、今日のところは、帰ってくれへんか?」

「嫌です。断固として断わります。その間にその何者かがこの土地で何か悪さをするかもしれません」

「そんなこと、絶対にないんや! 媛子ちゃんは――」


 必死に言い返そうとした彼女を春臣は抑える。


「無理だよ、どうやらとことんまでやりあうつもりらしい」


 春臣としては、この程度で帰るようでは、ここまでおおげさなことはしないだろうと踏んでいた。

 さつきは椿を人質として利用する(結果的には失敗だが)という周到な計画まで立てていたのだ。神からの命令らしいが、それだけ使命感に燃えているという証拠だろう。今さら引き下がるはずがない。


「そんなあ」

「青山、下ってろ。俺は瀬戸と決着をつける」


 春臣は彼女の手を掴みさつきの視線上から離す右脇に引っ張った。


「け、決着って、榊君?」


 彼女の黒い瞳が大きくなる。


「春臣、何を言っておる? わしの話を聞いておったのか?」


 背後からは媛子のくぐもった声が。そして、さつきの顔が半分意外そうに、半分悲しそうに歪んだ。


「まさか本当に私に倒されたいとは、予想外の答えですね。榊さんなら何が賢明な判断かくらい理解できると思いましたが」

「悪いね、逃げ出したいの山々なんだけど。媛子のこととなると、立ち向かわなきゃいけない時があんだよ」


 すると、強く芯のある春臣の声にさつきが瞠目して呟く。


「……あなたは、どうしてそんなに? もしかして……」


 その続きが何であるかは問題ではない。

 さつきは春臣の真剣な表情に、決意の固さを知ったようだった。

 きっと彼女が言う悪しき者に自らの身を危険に晒してこれほど肩入れをする人間などいるはずがない、そう思っていたのだろう。


「別に変だと思ってくれて構わない」


 春臣はそう言って一拍置き、


「……瀬戸さん、決着をつけるために、勝負をしよう」


 極めて明確に、春臣は提案する。


「勝負、ですか?」


 彼女がきょとんとした。


「ああ、一対一、邪魔の入らない真剣勝負だ。ルールは簡単。あんたがその扇で俺を攻撃し、俺がそれを凌げなければ、媛子のことは好きにしてもらって構わない。でも、もしも俺が攻撃を凌げたなら……」

「凌げたなら?」

「文句を言わず、媛子は諦めて帰ってもらう」


 さつきの扇を掴む手に力が入ったようだ。僅かに扇の骨が軋む音が聞こえる。


「なるほど、面白いですね。私に挑戦ですか」


 どうやらかなりの好感触だ。

 これは春臣が予想した通りの反応だった。


「受けるのか?」


 確認すると彼女は間髪いれずに了解する。


「ええ、もちろん受けてたちます。千両様の力が負けるはずなどありませんから。でも、私としてはむしろ、あなたに訊ねたいのです」


 真っ直ぐ真摯な彼女の眼差しが春臣を見つめる。何のことか分からず、首を傾げた。


「本当に、本当にいいんですね? 言っておきますが、私は手を抜きませんよ」


 なんだ、そんなことか。


「ああ、男に二言はない!」


 春臣はきっぱりとたたきつけるように言い放った。


「春臣! お前!」


 すると、またしても扉の向こうで媛子が叫んだが、聞こえない振りをして無視した。


「外に出よう、ここじゃ勝負は出来ないだろう?」

「そうですね、ここで部屋ごと吹き飛ばすのもいいと思ったのですが。まあ、家の裏辺りが人目につかなくていいんじゃないでしょうか?」

「じゃあ、そうしよう。先に行っていてくれ」


 春臣が指示すると、さつきは身を翻し階段に向けて歩き出す。と、すれ違い様、彼女は一つ釘を刺した。


「どうするつもりか知りませんが、半端な小細工で神の力に勝てるとか、そんな浅ましいことを思わないでくださいね」


 目を合わせずに、春臣は冷静に返す。


「……ああ、分かってるよ」


 そして、彼女が階段を下りていき、足音が遠ざかると、椿がすぐに泣きそうな顔をして振り向いた。


「な、何で勝負するやなんてこと言うたん? なあ、榊君?」

「媛子を差し出さないなら、ここは俺が行くしかないだろ? 話し合いで分かってくれそうにもなかったし」

「じゃが、それではお主が危険な目にあうではないか!」


 すると、それまで静かにしていたはずの媛子が再び叫ぶ。


「大丈夫だよ、なんとかしてみせる」


 あっさりと春臣は答えるが、


「なんとかしてみせる、じゃと? たわけたことを」


 ついに、彼女の怒りは頂点に達したようだった。

 どん、とドアが軋む。

 おそらく彼女が向こう側が叩いたのだろうが、あの小さな体で、音がするほど力を込められるとは春臣たちには到底考えられなかった。


「お主、もう少し頭の良い奴かと思っておったが、とんでもない大うつけ者じゃの。神の力を前になんとかなるなど、そんな楽観的な物言いが出来るとは! 神の力は自然の力じゃ。天災によって日々、人々がどれだけ命を落としておるか、それをお主は知っておるのじゃろう?」


 怒らせるつもりもなく、春臣は自身の認識のレベルを告げる。


「もちろん、それくらいのものだって承知してる」

「だったら、なぜ!!」


 その詰問に対し、


「……意地、かな」


 まるで、そよ風が通り過ぎたように、春臣は静かに、穏やかに答えた。


「意地じゃと?」

「ああ、あの世のじいちゃんに笑われたくないからだよ」


 これは、嘘偽りのない、春臣の本心だった。


「俺がこんなことで簡単に引き下がり、大切・・な媛子を危険に晒したなんてことになれば、絶対に馬鹿にされる」

「……春臣」

「だからこそ、俺は簡単に負けるわけにはいかない」

「……」

「というわけで、ちょっと行って来る。青山は……」


 振り返ろうとして、彼女が春臣の腕にしがみついてきたのに気がついた。


「あお、やま?」

「うち、嫌や。榊君に何かあったら、うちはどうすればいいん?」


 いやいやをするように、彼女は揺さぶってくる。

 困った奴だ。こう思いながらも、そんな少女の雨模様の気持ちに、安心させるための微笑を作った。


「大丈夫だって、さすがに瀬戸のやつも俺を殺しはしないだろうし、俺だって何も考えてないわけじゃない……でも」

「でも?」


 不安げな椿に、春臣は最悪の事態を想定した対処方法を、ゆっくりと告げる。


「もしもの時は青山、媛子を連れて逃げてくれ」

「春臣?!」

「え、そんなんうち……できひん」


 突然の頼みごとに、椿の瞳が色を失う。当然だろう、それではまるで春臣を見捨てろと言っているようなのものなのだ。しかし、それを承知で春臣は深刻ぶらずに首を振った。


「いいか? これは本当にもしも、万が一のことだ。だから、おそらくそんなことにはならないと思う。必ず戻ってくるから、媛子がここを出ないように見張っててくれ」

「え、せやけど」

「頼む。友人としてのお願いだ。俺を信用してくれ」


 春臣が頭を下げ彼女の顔をのぞきこむと、もう無駄だと思ったのか、しぶしぶながら椿は頷いた。


「……うん、分かった」

 

 そして、ようやく歩き出そうとすると、


「春臣……行くな」


 今度は追いすがるような媛子の声がした。それは高貴な神である、彼女らしくないなんとも弱弱しい懇願だった。まるで後ろ髪を引かれるようで、胸が締め付けられたが、もちろん、春臣の考えは変わらない。


「残念ながら、神様の命令だとしても、それは聞けない。俺はあの巫女さんみたいに忠実な下僕ってわけじゃないんだ」

「……!」


 すると、一気に火がついたように小さな神がわめく。


「この、強情者がぁ! たわけ者がぁ!!」

「何とでも言え。そんな罵り、戻ってきたらいくらでも聞いてやるよ」


 それだけ言い残して、春臣は階段を下っていった。

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