54 悪しき者
「ど、どういう、ことだ?」
目の奥がずんと沈むような、そんな衝撃の後、春臣はようやく声を出した。掌が汗ばみ、眉間の辺りが、妙に熱くなった気がする。
この状況が示す意味とはなんなのか。
さつきの敵意に満ちた行動が、なぜ自分たちに向けられているのか。
春臣は思考を巡らせるが、少しも理解が出来ない。
第一、昨日会ったばかりの人間から、これほど非友好的な接触をされるとは、誰が予想できるだろう。
そんな春臣の混乱をよそに、
「動かないでください。わ、私、武器を持ってますよ」
と、さつきは服の隙間を指差す素振りを見せる。
どうやら、冗談ではないようだ。春臣の中の僅かな希望的観測はすぐに潰えてしまう。
「金でも欲しいのか?」
一番可能性が高そうな安直な理由を訊いてみた。
「お金?」
すると、ドアに押さえつけられたままで、椿が能天気なことを言う。
「さつきちゃん、せやったら諦めなあ、榊君金欠やし」
「青山、お願いだから黙っててくれ」
「静かにしてください! 私は本気ですよ!」
椿の言葉で、場の空気が緩みかけたのを感じ取ったのか、さつきが声を張り上げる。
しかし、春臣はすでに椿の気の抜けた発言で、冷静さを取り戻していた。
「何が本気なのか、事情を説明してもらえるか? こっちは何がなんだかさっぱりなんだよ」
「と、とにかく私の言うことを訊いてそれに従ってもらいたいんです。それさえ守ってもらえれば、何も危害は加えません。青山さんも無傷で返します」
「おいおい、声が震えているぞ。そんな悪党みたいな台詞、言い慣れてないなら無理するなよ」
主導権を握らせまいと、春臣は彼女に揺さぶりをかける。
「礼儀正しく正々堂々と話合いで解決しないか? それに、そもそも青山は俺の彼女じゃない」
と、さつきの目が点になる。
「彼女じゃない?」
「第一、誰がそれにイエスって言ったんだ?」
「あれ、言いませんでしたか?」
彼女の問いに、青山は嬉しそうに首を振る。春臣も同様の反応だ。
「私を騙したんですね!?」
「違う、瀬戸さんが勝手に勘違いしてただけだ」
「……あ、あ」
先ほどまでの気迫はどこへやら、さつきがの顔が一気に上気する。
「でも、ともかく、青山さんに何かあれば、榊さんは困るはずです」
「まあ、それは間違いない。青山は大事な友人だからな」
それを聞いて青山が微笑み、小さく拍手をする。
「でしたら、そこをどいて、私に道を開けてください」
すると、彼女は椿が弱点として使えるとこを確認したようで、再び自信を取り戻したようだった。高圧的に命令する。
しかし、僅かに後ずさりながらも、春臣は視線を外さない。
「何を考えているのかは知らないけれど、血迷ったことはしない方がいい。今なら笑い話で終わらせてやるからさ」
しかし、彼女は無常にも首を振った。
「いえ、さっきも言った通り、私は本気です」
「じゃあ、要求はなんだよ? 言っておくが金はないぞ。認めたくはないが、これでも一人暮らしの学生だ。期待しない方がいい」
「生憎ですが、私はお金に困っているわけではありません」
「じゃあ、何を……」
すると、彼女は戸口に立ったまま、目を閉じる。そして、しばらくしてふうっと深呼吸をしたと思うと、目を開けた。
「二階ですね」
「え?」
これには、さすがにたじろいだ。
彼女がいったい何を念じたのかは分からないが、ずばりと媛子がいる二階を口走ったのだ。まさかとは思うが、巫女である彼女は媛子の発する神秘的な力のオーラに気付いたのかもしれない。
「間違いない。妙な気を感じる」
彼女の言葉にいよいよ確信がこもる。
「おい、ちょっと」
「二階に上がらせてもらいます。邪魔をしないでください」
人質はどうでもよくなったのか、さつきは椿を押さえていた腕を放し、足袋のままで春臣の脇をすり抜けて真っ直ぐに階段を目指す。春臣は逡巡するが、その場に座り込んだ椿の無事を確認した後で、慌てて彼女を追った。
さすがに部外者に媛子の存在を知られるわけにはいかない。
追いついて肩を掴んだ。
「なんなんだあんたは。いったい何をするつもりだ?」
問いかけに振り向いた彼女の目は冷徹そのものだった。
「ご心配なく、私は神から命じられて、悪しき者をこの地から追い出すために、この家に来ただけですから」
「悪しき者? 神から命じられた?」
思わぬ発言に、春臣は面食らうが、彼女は続けて恬然と説明をする。
「この家には、一月ほど前から、妙な気配があると神は申しています」
「神って、千両神社のか?」
「ええ、私には神の言葉が分かるのです。千両神に選ばれし、特別な血を受け継いだ一族の巫女ですから」
「巫女……」
「そして、この家に潜むものは、柊町に突然現れ、自らを神と名乗り、この地を乗っ取ろうと企んでいるのです」
あまりにも突飛な話に、春臣は両手でどうどうと制した。
「待て待て待て。いったいどこからそんな情報を? それも神が言ったのか?」
「榊さん、暮野さんをご存知ですか? 私は彼から話を窺いました」
「な、何だと……」
「この家には神がいると、そう仰ってました。かわいそうに、暮野さんはあるはずのないまやかしに騙されていたのです」
心臓が急に縮まった気がした。
もちろん、春臣は彼を知っている。記憶が一気に巻き戻された。
数週間前の真夜中に不法侵入をしてきた少年の名だ。そしてあの日、弟たちが隠したというロザリオを取り戻しに来たという彼に、春臣と媛子は協力して、あるイタズラを彼に仕掛けた。
媛子が姿なき神を演じ、彼を騙したのである。それは他愛もない遊びのはずで、それで後は特に問題もないと思っていた。
でも、まさか彼がそれを他の人間に話し、それを信じた巫女がここにやってくると誰が予測できるだろう。
「そ、それは、違うんだ」
「違う? 何がです? もしかして榊さん、あなたも騙されているのですか?」
ふいにさつきの目元に哀れみの影が差す。それはまるで、真実を知るのは彼女一人で、春臣たちはいい按配に詐欺師に引っかかった被害者としか見られていないようだった。
「この家にいるのは、我々人間に仇なす者です」
ひどく断定的に、彼女は言う。
「ふざけるな。俺は騙されてなんかいない!」
当然のことながら、春臣は反駁した。
神である媛子の存在は本物だと、心から信じていたからだ。
それにもしも、彼女が人々に害を成す存在であれば、春臣が今まで無事なはずがない。
しかし、彼女は冷たい眼差しのままだ。
「そうですか。まあその如何に関わらず、私はこの家に潜む悪鬼の類を追放する方針は変わりませんが」
そう突き放すように言って、彼女は春臣の手を振り払い、迷うことなく階段を上っていく。
おそらく、彼女はそのまま二階の部屋のドアを開けてしまうだろう。
それをさせるわけにはいかない。
咄嗟に判断した春臣は、一気に階段を駆け上がり、ドアの前に仁王立ちで立ちふさがった。
「止まれ!」
「邪魔をしないでください。大丈夫です。すぐに済みますから」
さつきの言葉は、まるでロボットが発しているかのようだった。扉の向こうにいるのは紛れもない敵、そう信じて意思に揺るぎはない。
しかし、春臣は威嚇するように両手を広げた。
「残念ながら、俺の本能はあんたを通しちゃいけないって言ってる。ここを簡単にどくわけにはいかない」
「まさか、榊さんは悪しき者の存在を知った上で、かばおうとしているんですか?」
彼女は怖気が走ると言わんばかりに口元を手で塞ぐ。
「悪しき者なんかじゃない。あいつは、本当に神様なんだ!」
すると、言い争う声が聞こえたのか、中から媛子の声が聞こえる。
「春臣、何かあったのか? どうしたのじゃ?」
「悪しき者の、声?」
さつきがはっと身構えた。
「媛子、静かにしてろ。そこを動くなよ!」
「榊さん、やはりあなたも騙されているんですね? かわいそうに」
「違うってさっきも言ったはずだ。残念だけど、媛子をあんたに差し出すわけにはいかない。帰ってくれないか?」
あくまで、穏便に、懇願するように、春臣は頭を下げた。女性を相手に、無用な争いはしたくなかったのだ。
だが、春臣が思う以上に、彼女の意思は固く、強情だった。
「嫌です。いきなり人の家に現れるような得たいの知れない存在が、神様なはずがない! 人を騙していいはずがないんです!」
どうやら、我慢も限界にきたようだった。
「何度言ってもだめか? 媛子は神なんだ」
「私が真に神と認めるのはこの地を統べる千両様のような存在だけです」
「どうやら、ずいぶんとその神様に心酔してるようだな。まあ、それはあんたの勝手だ。だが、いくら神の命令とはいえ、こればかりはおいそれとは従えない」
「そうですか、仕方ありませんね。あなたがこれでもどかないというのなら……」
彼女は言葉を切り、すっと胸元から扇子を取り出して春臣の鼻先に突き出す。
「私は神の力を持って、あなたを倒します!」
はい、どうも。ヒロユキです。
さつき編もそろそろ佳境です。話がどんどんシリアスになっていきます。でも、よく考えてみれば、以前はコメディ作品として投稿していたはずが、今ではこの有様ですね。まともなお笑い担当は椿ぐらいしかいません。
どうしてなのか、僕の作品はいつでも書けば書くほど真面目で、シリアスなものになっていくのです。といっても、別になんか暗い性格というわけでもないのです。大抵のお笑い番組は欠かさず観るほど、笑うことが好きです。
なのに、なぜだ。なぜなんだ。こういう感じのお話しが好きな神様に憑かれているのかもしれません。
はっ! あとがきなのに、ついこんなに書いてしまいました(話が長い、悪い癖です)。これ、怒られたりするのかな。えっと、長々とすいませんでした。