46 邂逅 2
「どうも、こんにちわ」
「……ああ、どうも」
春臣は突然のことに驚いたが、すぐに軽くお辞儀をする。
「どうしたんや?」
すると、突然の他人の出現に驚いたのか、青山が駆け寄ってきた。そして、立っている少女の服装を上から下へ、眺めてから、目を丸くした。
「ああ、もしかして……」
口走って春臣の腕を掴み、ぐっと引き寄せると、物珍しそうに目の前の少女を指差した。
「わあ、榊君。本物の巫女さんやで!」
「大きな声で言わなくても分かるって」
すると、にこやかだった巫女の少女の表情が一瞬、僅かに険しくなったように見えた。マスコット人形を前にしているような、椿の言動を無礼に思ったのだろうか。
彼女を刺激しないように、春臣は極力穏やかな声で訊ねた。
「ええと、何か用ですか?」
「いえ、人の姿が見えたので、挨拶をしておこうかと」
「挨拶、ですか?」
「はい。私、向こうの森の中にある千両神社で巫女を務めている者で、瀬戸さつきといいます」
彼女は再び頭を下げた。春臣は、その丁寧な挙措に物腰の柔らかそうな印象を受ける。やはり巫女だけはあって、日ごろから人々への礼儀は鍛練しているのだろう。
そう思ってから聞きなれない神社の名前を春臣は鸚鵡返しする。
「ええと、千両神社、ですか?」
「ご存知、ありません?」
「すいません。最近ここに越してきたばかりで、土地勘がなくて……青山は知ってるか?」
真横に首を向けると、彼女は静かにふるふると首を振った。
「ううん、うちもよう知らんわ」
「まあ、なんとなくそんな気はしたが。えっと、この辺りでは有名な神社なんですか?」
春臣の言葉に、瀬戸さつきと名乗った巫女は苦笑気味に口元に手を当てた。
「まあ、有名と言えば有名ですが、昔ほど知名度はないかもしれませんね。もう年に一度の収穫を祝うお祭りも行われなくなりましたし。神社に足を運んでくれる人もほとんどいません」
「そ、そうなんですか」
「でも、どうしてそんなことに?」
すると、さつきは顔に影を作り、少し悲しい笑みを浮かべた。
しまった。深く話を聞くべきではなかっただろうか、春臣は少し後悔する。
「ほら、やっぱりこの辺り田舎ですし。若者は大きな街に出て、人口もどんどん減ってるんですよ。そうなると自然に伝統を受け継ごうっていう風潮も薄れていって、今では見事に寂れてしまってます」
予想していたことではあったが、実際そう聞くと、気の毒な感情が先回りし、どう返答すればいいのか迷ってしまった。
つい、
「それは……残念な話ですね」
と何の慰みにもならないことを言ってしまう。
すると、場が沈黙した。先ほどまで達者に喋っていた青山も寂しそうに俯いている。やむを得ず、再び口を開いた。
「自己紹介、まだでしたね。僕は榊春臣って言います」
「榊、さん?」
「ええ、この四月から近くの翌檜大学に通っていて、祖父が住んでいた家で暮らしてます」
「へえ、大学生の方なんですか」
話題が変わったためか、さつきの表情がふっと和らいだ。
「うちは青山椿。うちも榊君と同じ大学の学生やで。学部もいっしょやもんな。な?」
すると、それに便乗してか、椿もはしゃいだ声を出す。腕を組んだまま、春臣の顔を覗きこんできた。突然彼女が近くに出現し、少しドキリとしてしまう。
「あ、ああ」
すると、さつきの目がきらりと光った。
「あのう、初対面でこんなことを聞くのは不躾かもしれませんけど」
「え?」
「お二人は付き合っていらっしゃるんですか?」
そのストレートな問いに、春臣は弁解のしようがないほど赤面してたじろいだ。すぐさま椿の腕からすり抜け、首をちぎれるほど横に振った。
「な、ち、違うよ。ただの友達さ、な、青山」
「へへえ、さつきちゃんにはそう見えるん?」
「青山、へらへらするな。今すぐ、明白に明確に明瞭に否定しろ! 勘違いされるから」
「お友達、なんですか?」
疑わしそうに、さつきはじろじろと春臣たちを見る。まるで、春臣と青山の間にある見えない、ふわふわとした人間関係の糸を観察しようとしているようた。
「その割にはスキンシップが過剰のような」
「元々、青山は他人に触れることに抵抗心がないんだよ。他人を人形とか、ぬいぐるみの類だと思ってるんだ」
春臣がジョークでかわそうとすると、椿は髪を指に絡ませ、不機嫌な顔になる。
「なんやの。うちは榊君を人形なんて思うとらんで。そんなものより、もっともっと特別な存在や」
「や、やっぱり……」
それを聞いたさつきは何かを確信して唾を飲み込む。これには、春臣も緊急事態だと弁解体勢を整えた。場の空気を変えようと思って自己紹介をしたが、それは勘違いという予想外の展開で裏目に出ることになった。
頭を抱えながら、青山に注意をする。
「青山、勘違いを誘発する発言は慎め。瀬戸さん、違います。全身全霊で否定します」
「で、でも、その自転車……」
彼女は震えた指でまるで幽霊でも見たかのように、春臣の傍らを指し示す。
「これが?」
「い、言わなくても分かります。二人乗りですね」
彼女はそう言ってこくりと頷いた。
「は?」
そして何を思ったのか、さつきは見る見る真っ赤になり、恥らうように口元を手で覆った。
「ドラマや漫画で見たことがあります。男の人が自転車をこいで、女の人が荷台に乗って、後ろから、その手を回して、坂道を下って……あ、そ、それ以上はとても言えません」
この少女はいったい何を言っているのだ。
「あのう、別に二人乗りなんてしませんけど。危ないですし」
「でも、恋人同士なら、誰もが一度は通る道なんですよね?」
どこの国の常識だよ。これは明らかにドラマや漫画の見過ぎが引き起こす過剰で甘美なご都合主義の妄想の類であった。現実でそうそうあることではない。
春臣は猛烈に突っ込みたくなるが、相手は初対面の女性。そこはぐっと堪える。
「だとしたら、申し訳ないです」
すると、急に彼女が謝ったのでどうしたのかと思う。
「何がですか?」
「うちの神社は縁結びの神様は祀ってないんです。主に五穀豊穣、商売繁盛の神でして」
「だから、付き合ってないって!」
「ああ、デートの途中ですよね。すいません。これでお邪魔虫は退散しますから」
先ほどの落ち着いた様子とは異なり、ばたばたと何度も何度も頭を下げる。
どうやら、かなり思い込みが激しい性分らしい。春臣の否定の言葉も届いていないようだ。
これでは、あれだ。自分が向かうべき方向を一度見定めたら一直線、後を振り返らない猪である。
「あ、あの。瀬戸さん……」
再び呼びかける春臣の声も無視して、彼女は原付に颯爽と跳び乗った。その身のこなしの軽やかさ、いや、逃げ足の速さというべきか、それは巫女には思えないほどである。
黒髪のポニーテールが夕陽にくるりとしなって跳ね上がる。
「それでは、ごゆっくりお散歩を……」
「だから、違いますって!」
春臣は最後の望みをかけて、手で×のマークを作るが、時既に遅し。
エンジンがかかり、無常にも、原付は走り出してしまう。夕闇に長い影を従えて、追いすがる暇もなく、彼女の姿は道の向こうへと消えていった。
「ほんならなあー! さつきちゃん」
それに対し、椿は無邪気に道の真ん中まで駆け出し、手を振った。こちらの心情を全く無視した楽しげな行動に春臣は長くため息を吐く。これはきつく灸を据えておかねば。