45 邂逅 1
こんばんわ。作者のヒロユキです。
今日はクリスマスイブですね……はい。特にネタもないんですけどね。
なんだか、部屋が寒いのでヒーターの温度を一度上げてみました。それから上着も一枚、脱いでみました。
……すいません。なぜだか、言わずにはいられなかったのです。
チリチリチリ……。
斜陽によって車輪の影が、ぐっと楕円に引き伸ばされている。不快感のない、耳障りのいい回転音がしていた。
町から少し離れた川沿いの道を、春臣は買ったばかりの自転車を押して歩いている。
柊町の北から支流を束ね、その流れを作っている、楡川があった。町の東区を通り、田畑に豊かな潤いをもたらしてくれるその川は、春臣の目の前で悠然とカーブを描き、下流へ穏やかに過ぎていく。
五月の澄んだ空の下、光を湛えた水面は静まることなく、ざわめき、揺れていた。
「……ふう、やはりたまには外の空気も吸わねばな」
長い深呼吸と共に、春臣の上着のポケットから顔を出した媛子が言った。周囲に人の気配がないのを確認して、ようやく這い出してきたのだ。
「そうだなあ。せっかく新しい服を手に入れたんだ。確かに出かけなけりゃ損だよな」
しみじみと頷いて、春臣は彼女の頭をつい、指で撫でた。彼女はいやいやをして手を払うが、小さい彼女はその見慣れぬ服装のせいかずいぶんと愛らしい。
「その服、作ってよかったわ。媛子ちゃんも気に入ってくれたみたいで」
すると、腰をかがめた青山が背後からそう言って微笑んだ。
遡ること一時間ほど前。
春臣にとって鬱屈この上ない糾弾紛いなファッションショーも終わった後のことだった。
机の上には着終えた服が散乱しており、その白熱ぶりというか、戦いの余韻というか、言葉にならない激しさを伝えていた。
さすがに疲れを覚えた春臣たちは穏やかな午後のぬくもりに、目的もなくごろりと寝転がり、無抵抗に安らぎあるまどろみの中へ誘われていた。
だが、しばらくして、媛子が突然に立ち上がった。
「せっかく新しい服を手に入れたのじゃ。気分が良い。町へ出かけるぞ」
そして元気よく跳びはね、誰の意見を聞くこともなく、すぐに榊の葉を背中にくくりつけると、遠慮なく春臣の頬を残った葉でぶったのだ。
それはさほどの痛みのない、かすかすとした微々たる攻撃ではあったが、心地よい睡魔の手招きを妨害するには充分たる破壊力があった。
止む無く春臣は起き上がり、彼女をちゃぶ台に乗せる。ふざけたことを言うな、俺は疲れているんだ、と目を擦りながらふがふがと舌が回らない口で抗議した。
しかし、それで彼女が黙るのならば、この世はもっと住みやすい快適全自動で、天国のような場所になっているに違いない。
当然のことのように、彼女は断固として意思を曲げることはなく、いつもそうであるように、天上天下唯我独尊とわがままを垂れ流した。
それはつまるところ、愛用の神楽鈴を振り回し、「天罰が下る、天罰が下る」と癇癪を起こしたわけである。
こうなれば仕方ない、そうなると手がつけられない。彼女の言うことに従うほかなかった。
軽く舌打ちながら春臣は徐に立ち上がる。
そして、ふいに先ほどの外出で買い忘れていたトイレットペーパーのことを思い出し、購入するかどうかと決めかねていた自転車のパンフレットも台所の買い物袋から取り出した。
彼女を連れ出すのならば、他にも目的がないわけでもない。どうせなら、それらの用事も済ませてしまおう。
簡単に身支度をすると、そばの壁を背もたれに、船をこいでいた椿を起こした。散歩に行くと告げると、彼女もついて行きたいということだった。
春臣としては有難いことである。
複数の人間で歩いていれば、媛子と二人で話している最中も、周りからみて不審がられる危険性が低まるのだ。
大きく背伸びした椿は元の着物姿に戻っている媛子を見てこう言った。
「ほんなら、お出かけの服を選ばなな」
「もちろん、そのつもりじゃ」
おおいに媛子は頷くと、迷うことなく一つの服を指差した。
「媛子ちゃんと言ったら神様、神様と言ったら神社、神社と言ったら巫女さんや」
連想ゲームのように椿は歩きながら言う。
「せやったら、その巫女さんの衣装を媛子ちゃんが気に入ることは間違いないで。うちの選択眼に狂いはなかった」
媛子が着ているのは確かに縁起物を表す紅白の巫女服である。シンプルな色の組み合わせがすっきりとしていて良く、これまでの着物のように、幾重にも布がかぶさった重量感がないので、ずいぶん、身軽に見えた。心なしか、彼女の身長も伸びたような気がする。
「しかし、青山もがんばるよな。あれだけ服も持ってきたり作ったりしたわけだろ? 媛子の寸法を取りに来てから一、二週間。その間で用意できるとはとても思えん」
「ああ、これは友達と一緒に作ったんや。人形の服を作るゆうてな」
彼女はそう言って、大学の友人の数名の名前を挙げる。どうやら、それなりに大人数で取り組んだらしい。彼女の友人が協力してくれたことは有難いが……しかし。
まさか、人形ではなく神様の服を作らされていたとは夢にも思っていないだろうな、と滑稽に思った。
「へえ、そうなんだ。ハハハ」
「何がおかしいん?」
「ううん。ちょっとね」
それから、媛子の方へ視線を落とす。
「とはいえ、考えてみれば、神が巫女の服を着るのはどうなのかな?」
「うん、なんじゃ春臣」
彼女が怪訝そうに顔を上げる。
「巫女ってのはだいたい神に傅く人間のことだろう?」
先ほどのメイドではないが、神と巫女との間には完全なる上下関係があるように思う。この世において最も高貴なる存在の神に対し、舞いを奉納したり、神社の運営に携わり、それらの補助的な仕事を任せられる女性というイメージが、春臣にはあった。
それを言うと、彼女は首肯する。
「確かにそうじゃのう。じゃが、それ以上に巫女とは重要な人間じゃ」
「重要?」
「春臣の言う通り、そういった仕事も巫女の役目じゃ。しかしの、巫女にはそれとは別の役目もある。前にも申したことがあるじゃろう、神の依り代の話じゃ」
「依り代、ええと、この世における神の魂の容れ物か」
春臣は彼女が話していたことを記憶の倉庫から引っ張り出した。
本来、神とはこの世に存在するのではなく、神の世で暮らしているものだ。その神がこの世になんらかの干渉を行う際、つまり、人々に意思や行動を示す時に、その魂が乗り移るための容器が必要になる。それが、依り代である。
「ふむ。よく覚えておったの」
「ええ、うち、よく分からんのやけど」
隣で聞き耳を立てていた椿が困惑しているが、媛子は、
「どうせ、椿に話しても理解できぬじゃろうが」
と一蹴した。何もそこまで直接に言わなくても、と思うが、
「まあ、それもそか」
彼女はあっさりと納得してしまう。全く、椿も椿である。
ともかく、春臣は話を戻す。
「で、神の依り代がどうかしたのか?」
「言うたであろう? 依り代とはこの世の森羅万象どんなものでも成り代わることが出来る。もちろん、人においても同じことが言える」
「人が依り代に?」
「そうじゃ、今ではどうかは知らぬが、その昔、巫女は神の依り代となる役目を負うておった。通常の人間でも、もちろん可能じゃが、巫女は他の人間とは違う性質を持っていた。電気を通し易い水や金属のようなもの、元々の素質として神との同調率が高いのじゃ」
媛子がしゃりんと鈴を鳴らして、先端を春臣に向けた。
「ふうん、にわかには信じがたいけど、神が憑依し易いってことか」
「ほれ、他にも聞いたことはないか? イタコやら、シャーマンなどという言葉じゃ」
「ああ、占い師みたいな怪しげな人間のことだろう? 神のお告げを口にしたり、いろいろと呪いをする」
「まあ、一般に普及しておる知識としてはそんなものが妥当か。しかし、彼らもまた巫女と同じものじゃ」
「俺は以前からそういう胡散臭いものは信じてなかったけど、実際にそういう人たちも神の依り代となってたってことか?」
訊くと、媛子は事もなく頷いた。
「今のわしのような特殊な場合でない限り、神はこの世で人々に意思を伝える『口』を持たぬ。それゆえ、神にとって巫女や、それに代わる人間はなくてはならぬ重要な存在じゃ。神社などの霊域において、人々が崇める神は彼らに乗り移り、世のためにあれこれと指示を与えた」
「うん」
「人々にとっても、神の言葉を授けてくれる巫女は特別な存在じゃ。この世にいない神が人として姿を現すのが、その巫女じゃからの。その状況において、人々には神と巫女が等号で結ばれるうる高貴な存在であることが言える」
「巫女、イコール、神か。なるほど」
じゃから、わしがこの服を着ても、一概に間違いであるとは言えぬ。媛子は言う。
「昔はそのような立場の人間が強い権力を持っていたこともある。神の声を聞けるわけじゃからの。人々も恐れる存在となったのじゃ」
彼女はここで言葉を切り、ガードレール下を流れる楡川を眺めた。春臣も首を向ける。
枝から千切れた木の葉がその流れの中、あちらへこちらへと翻弄されている。あれが人々が乗った船だとすれば、その船長として人々を導いたのは、神と繋がる力を持つ、巫女なのだろう。
媛子がしばらくしてつづけた。
「じゃからただの神の召使という考えは一方向からの見え方に過ぎぬ。巫女は神からも共存すべき欠かすこと出来ない存在であり、一般人からも特別視される存在であったのじゃ。まあ、といっても、それは大昔の話じゃがな」
「神様と同調することで、権力をほしいままにしていた巫女もいるのか……でも、代わりに体を神に乗っ取られるわけだろう? いい気持ちはしなさそうだな」
「うーむ、そうか?」
媛子はぴんと来ていないようだが、春臣としては他人に体を好き勝手に使われるというのは想像するだけで総毛だってしまいそうだ。
「……媛子は、人間を依り代にしたことはあるのか?」
ふと思いついて、訊く。すると、なぜか彼女の表情が一瞬暗くなった。
「ん、わしか、わしはそんな経験はない。土地を守るであるとか、この世に何か仕事を与えてもらっておるのであれば、その必要もあるのじゃろうが……」
「あ、ああ。そうか」
春臣はふいに彼女が仕事を与えてもらったことがないという話を思い出した。彼女は周囲に仕事を任せられるほどの神として認められていないのだ。踏み込んではいけないデリケートな領域に首を突っ込んだ気がして、春臣は心の中で後ずさる。
依り代についてはそのまま深く言及せず、巫女のことを考えることにした。
「巫女ってどうなんだろうな」
「うん?」
「どういう気分なんだろうな。神に仕えることって。神に体を乗っ取られたり、いくら権力があっても、周囲から恐れられ一目置かれたり、孤独そうだよなあ。それでもうれしいことなのかな?」
「うーむ。それはわしにも分からんが」
彼女が首を捻ると、遠くから椿の声がした。
「おーい、榊君、媛子ちゃん」
彼女は道路脇に立っていた。排水の流れる側溝を越えた先、木々が生い茂る林の入り口で宝物でも見つけたのか、大きく手を振っている。
先ほどから会話の蚊帳の外にされ、退屈だったのか、気付けばそんな場所にいたのだ。
傍まで自転車を押して行くと、彼女は笑いながら林の奥を指差してこう言った。
「ここや、この前この辺りで、うちが迷子になったんや」
唐突な話に、春臣は面食らう。
「はあ?」
「何の話をしておるのじゃ、こやつは」
どう考えてもその歳で迷子は笑えない。
と、ふいに道の向こうから小さくエンジン音が聞こえてきた。目を向けると、川の上流の下り坂から誰かが原付に乗ってやってくる。白い土煙がタイヤの後から巻き上がっていた。
春臣は通行の邪魔にならないよう、自転車を道の端へと寄せる。
原付か。よく見かけるな。
聞いた話によると、この辺りの道は狭いものが多いためか、移動手段として自動車よりもこんなバイクが重宝されているのだそうである。大抵の民家には最低一台の原付か、バイク、自転車などが置かれているということで、道で行き交うことは頻繁だ。だから、それは何の変哲もない風景である。
しかし、その原付を駆る不釣合いな人物の姿を見て、春臣は瞠目した。
「巫女さん、だ……」
すると、媛子がひゅっとポケットの中に収まる。他人の姿を警戒したのだろう。
用心にするに越したことはないが、さすがに相手の移動速度を考えると、小さな媛子が見えるはずもない。一瞬で通り過ぎてしまうに違いない。
しかし、予想に反して原付がスピードを緩めた。ブレーキをかけ、春臣の手前で止まる。
どうしたことかと思っていると、巫女姿の女性はヘルメットを取り、そっと笑い、会釈をした。
「どうも、こんにちわ」