41 千両様とさつき
どうも、作者のヒロユキです。
ええ、今日はまず皆様に感謝の言葉を。
この作品もいつしか40話を越え、総PV数も三万を突破いたしました。こんな僕が書いた小説を毎度お読みいただき、ありがとうございます。
これからも一層気を引き締め、まだまだお話しを続けていく所存です。
こんな僕から読者の方へ出来ることは小説を書くことぐらいしかありませんが、そんなときこそこの呪文、
「すいきんちかもくどってんかいめい!」
読者の皆様に、幸あらんことを。
(意味が分からない方は番外編を読んでみてくださいね)
それでは、また。
柊町の北東。
小さく細いいくつもの川が交わる、楡川の上流、その近くの森。
人々が古くから踏み鳴らしてきた林道のそばに、その神社があった。
この柊の地を守る神、櫛那美千両神が祀られる、千両神社である。
古びた赤い鳥居をくぐり、短くも、大きな石段の道を上がった先にある。禍々しきものから社殿を守るように、森の木々がその周囲を囲っており、神聖で侵されざる雰囲気があった。
境内は綺麗に清掃されている。参道の入り口には門番である丸っこい狛犬が二体置かれ、その先の参道には、等間隔を置いて石灯篭が並んでいた。
神への祈りを捧げる拝殿も立派な創りであり、綺麗で繊細な装飾が施されている。
そこに漂う凛とした独特な霊気は、参拝する者の心を自然と浄化させる力を持っているようにも思えた。
しかし。
穏やかな五月の陽光が差し込むその神社に、人影は、ない。
境内には、少々時期ハズレな鶯の声がこだまする。それがなんとも、間が抜けていた。
人々が参拝に押しかけ、四六時中騒がしいのも考え物だが、逆に誰一人として神社を訪れないというものも、寂しいものである。これではせっかくの拝殿も、どこか汚れが目立ち、寂れているようだった。
と、静かだった境内に、何者かの声がした。
「うーむ。今日も相変わらず参拝者は皆無か」
それは若い女の声のようだったが、口から発せられたというよりも、洞窟の中から聞こえているような、妙な反響を持ったものだった。まるで空間に浸透していくようで、周囲の景色と同化する声音である。
「全く、いつものことではあるが、面白くない話であるな。これでもわらわはこの土地を守る氏神ぞ」
その不満に満ちた独り言は、空しくも空気に消えていく。
「昔は村の人間があれほど毎日のように拝みに来ておったというのに。千両様、千両様と、かまびすしいばかりであったのに」
ここで大きなため息。
「今では一日に一人か二人、よぼよぼのじいさんかばあさんが拝みに来るのみか。無様なものであるのう。わらわの力もずいぶんと衰えてしまった」
すると、声は急に小さくなり、まるで周囲の様子を窺っているように沈黙した。
そして、しばらくしてから、
「おーい。おーい」
誰かを呼び始める。
「さつきー。さつきはおらんのかー!」
その声に誰からも返事はない。
「分かっておるぞー。仕事は済んだのであろう? 気配は先ほどから感じておる」
「……」
「わらわの独り言などいつまで聞いておってもつまらぬであろう?」
「……」
「……ちっ、どこに行きおった。あの不良巫女めが」
「誰が不良巫女ですか!」
すると、抗議の声が拝殿の裏から上がる。人影がそこからすっと姿を現した。巫女服の少女だ。真っ白な小袖に鮮やかな緋袴を着ている。
彼女は仏頂面で拝殿へと階段を上がった。そして、その先の賽銭箱の傍ら、台に置かれている花瓶に顔を近づけると、腰に手を当て、眉を吊り上げる。
その花瓶には木の枝が差し込まれていて、ぎざぎざとした葉と葉の間から、美しい赤い実がいくつも顔を出している。
神社の神木、千両の木の枝だった。
「私のどこが不良巫女よ? 聞き捨てならないわ」
巫女服の少女はそう声を張り上げた。他でもない、目の前の木の枝に、である。
すると、なんということか。
「このわらわに乱暴な言葉を惜しげもなく使うところであろう」
木の枝が、そう答えたのである。
「はあ? 私の言葉のどこが乱暴ですって! 神の魂が宿っているとはいえ、このほっそい枝、へし折ってあげましょうか!」
少女はそう叫んで花瓶を手で高く持ち上げ、揺すぶった。今にもそれを叩き壊さん勢いである。
千両の枝が悲鳴を上げた。
「おうおう、げに恐ろしい娘だの。野蛮さが口元からこぼれ出ておる。顔を近づけるな。汚れた魂がわらわを毒すかもしれぬであろう」
「すいませんねえ。これでもこの神社を管理している巫女なもので。休みの日にこうして一日中千両様の愚痴を聞いてると、心が自然と毒されるんですう」
彼女はまるで怒りを発散させているかのように、半笑いだ。
「何を言うておる。わらわの声を聞けるというだけでも、人の心は清らかに澄んだ湖のごとく、無駄なものがなくなるくらいにすっきりするはず」
「自意識過剰ですね。私だって一応年頃の女の子なんですよ」
彼女は気が済んだのか、ごとりと花瓶を元の場所に戻すと、くるりと反転し、ポニーテールにまとめた髪を寂しげに一撫でして、ため息を吐く。なんとも傷心の面持ちである。
「だからなんなのだ?」
「こんな休みの日くらい、同じ年頃の男の子とあまーいランデブーとしゃれ込みたい気分なのに、なんでこんな寂れた神社の掃除なんて、毎週毎週させられなくちゃいけないんですよ? その上、神様の愚痴を一日中聞かされたりすりゃ、そりゃあ心も毒されて、精神が崩壊します」
瞳を潤ませた少女は指で涙を拭う仕草を見せる。その悲しげな表情はなかなかに絵になっていて、同情を誘った。
すると、神の魂が宿った千両の枝が反論気味に言う。
「ううむ、そうであるが、お主がこの神社で代々巫女を務めてきた『選ばれし一族の人間』ということは分かっておるであろう?」
「なんです? これはわらわが定めた運命であるぞ、逃れられぬ、とか神の特権を振りかざす気ですか?」
少女が一層悲愴な声を出す。ばたばたと地団太を踏んだ。
「別にわらわはさつきの運命に関わっておらぬ、さつきの運命はさつきが作り上げていくものであるぞ」
「うがあ! 来たよ。ここに来て神の放任主義宣言です。お前は自由だとか言われながら、神に散々こき使われた上で、どうとでもなれとぼろ雑巾のように道端に捨てられるんだ。そのときにはもう、身も心も荒れ果て、とてもお嫁になんていけない」
大げさすぎるさつきの落胆ぶりには、さすがに千両の枝に宿る神も呆れたようだ。
「そんなことまでするつもりはない。わらわは別にさつきのことを奴隷と思っておるわけではない」
「選ばれし一族、でしょ? 私がここにいるのは。つまり、神の声が聞こえる存在だからですよね」
それに神の声が答える。
「そうじゃ、瀬戸さつき。おぬしの一族は代々優秀なシャーマンを生み出してきた一族なのじゃ。神の声が聞こえ、神に力を貸し、神と共にあり、時に、神力の顕現のその媒体ともなりえる貴重な人間なのじゃ」
「つまり神様の道具ですね」
意地悪のつもりか、彼女はここぞとばかりににやつきながら言う。千両神はさすがにたじろいだ。
「心が痛い言い方をするな。わらわはさつきに力を貸してもらいたいだけなのだ」
「でも、そこにわたしの意志は反映されてますか?」
「むう」
神は言葉に詰まる。答えはほぼ否だった。自分が日ごろ、彼女をあごで使っていると言える状況がそこにはある。
この巫女、瀬戸さつきは幼い頃より、自身の意思とは無関係に神社に連れてこられ、この千両神と引き合わされてからというもの、千両神の言う通りに仕事をさせられている事実がある。
それはシャーマンとしての彼女の能力を向上させるためもあったし、自分がこの世界で自由に動けない分、自由に動ける彼女に直接意思を伝え、働いてもらいたかったという面もある。
そんな彼女も以前までは従順で、千両神の言うことには二つ返事で了解したが、ここ数年は違う。
彼女の中で思春期特有の様々な願望が溢れ、神の言葉に束縛されることに嫌悪を示すようになった。
小さな頃から彼女と付き合いがある千両神は、これは一種の親に大して向けられる反抗期と同種のものであると考えていた。
さつきは髪をいじりながら抗議する。
「こうして千両様と話をするだけで自分の人生が無為に過ぎていくのが分かります。かけがいのない私の人生が、です。世のミュージシャンは青春を謳歌せよと高らかに歌っている。町では私と同年代の友達は自由奔放に遊びまわっているというのに。わたしはこんな神社で拝殿の掃除。しくしく……」
「あ、お、さ、さつき」
今度は嘘泣きではなさそうに見え、千両神は慌てる。どうにか彼女の顔を上げさせたいが、実体を持っていないため、ただ千両の枝から見つめることしか出来ない。
「な、泣くことはないじゃろう?」
「あります!」
「へ?」
「今朝だって、ご神木である森の奥の千両の木の前に呼び出されたと思ったら、周辺の草むしりよ。歳頃の女の子がすること!?」
むうう、と彼女は口元に深い皺を寄せる。
「それはさつきの偏見であろ? 草むしりぐらい誰だってする」
「偏見でもなんでも、こんなことはもう嫌なの。ああ、もう死んでしまいたいい」
さつきはよよと袖で目頭を押さえる。さすがに千両神も気の毒になるが、残念ながらそれは出来ない相談なのだ。
「それはならんぞ。さつきが居なくなれば、わらわはさらに力を失ってしまう」
悲しげに、千両神はそう言った。
力を失う。
それは千両神社の参拝客の減少に大きく関わっている。
というのも。
神とは太古より、常に絶大な力を持ち、大いなる権力を持って人々の生活に計り知れない影響を与えたきた。しかし、その一方で、人々に祈りを捧げられ、敬われ、感謝されてこそ、神としての力を維持できるという側面があるのである。
神は人々からその大きな存在を認められてこそ、巨大な力を持ち、その力を維持し、また人々に力を還元し、繁栄させることが出来るのだ。
しかし、反対に人が神を崇めなければ、必然的に神はその力を失っていく。
数十年前ならまだしも、時代が移り変わり、積極的に神を敬おうという人々の熱は次第に冷めていっている。千両神社もその例外ではない。
この神社に祀られている櫛那美千両神も、力を失っている一柱の神なのだ。
そして、そんな千両神に力を貸し与えてくれる存在が、さつきのようなシャーマン。特殊な力を受け継ぐ瀬戸家の人間がある程度傍にいなければ、神としてこの世に繋ぎとめられている鎖が脆くなり、千両神が神の世に戻らなければならなくなるのだ。
千両神としては、そのため、さつきを出来るだけ傍にいさせなければならない。
もし、さつきがいなくなり、神の世に戻るということになればこの土地を守れなくなる。
そうなれば、人々に大きな悪影響が出るという悲惨な結果になりうるのだ。
「まだ、この土地からわらわはいなくなるわけにはいかん。さつきの気持ちも分かるが、その、済まぬ」
「謝ったって許すわけにはいかないです」
「すまぬ。本当に申し訳ないと思っておるぞ。じゃから、機嫌を直してくれ、さつき」
すると、さつきは顔を上げ、心底困っている千両の枝を見た。そして、満足そうに笑う。
「……ふふ、わかってるって、千両様。ちょっと意地悪言ってみたくなっただけですよ」
「そ、そうなのか?」
「わたし、これでも千両様のこと大好きですから。神様と友達なんて、家族以外の人間に言えないけれど。でも素敵なことでしょう?」
神に対する愛情を恥じらいもせず、口にするさつき。
しかし、千両神は同時に、彼女の内に潜む悲しみの影があることをすでに看破していた。
いくら毎日ではないといえど、思春期の貴重な一日をほとんど誰とも会わずに過ごすというのは退屈なものであろう。
それに、昔からこのさつきには他の子供達とあまり遊ばせず、いつも千両神に付き添わせてきた。好きなこともさせず、舞いの修行や、巫女としての礼儀作法など、そんな様々な知識も次々に教え込んだ。その積み重ねが彼女の心に不和を呼んでいる。
こういうときの神の目というものは本当に厄介じゃの。気付きたくないものまで、何もかも見通せてしまう。
しかし、だからこそ、千両神は出来るだけの愛情を込めて彼女に語りかける。
「さつき。わらわもお前がわが子のようにかわいくてならぬ」
妙に照れくさいが、これでさつきが少しでも元気なれるのであれば、神としての役目を少しでも果たせたことになるだろう。
「あ、それでなのだがの、さつき……」
すると、急に千両神は沈黙する。息を止めたようで、さつきは目を瞬いた。
「どうしたんです?」
「穢れし者が無遠慮にも境内に入ってきたようだの」
「え?」
さつきが振り返ると、拝殿の外、参道をゆったりと歩いてくる男の姿があった。さつきはそれを確認するや否や、表情を固くして口元に力を入れ、彼の名を呼んだ。
「おはようございます。杉下隆二さん」
そう言えば、次回から媛子と春臣の話に戻るっていったのに、今回登場してませんね。
すいません。次回も出ないと思います。