39 番外編 椿と双子 2
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻したうちとその男の子達は、向かい合って座ることになりました。先ほどの騒動のことはとりあえずお互い忘れることにして、初対面同士、礼儀正しく自己紹介です。おそらく、これが本来の対人関係における、よりよい関係を作り上げるための正しい順序なのでしょう。
それはええことです。
しかし、うちは思います。
これはいったいどういうことなのでしょうか?
うちの前には先ほど共に騒動を起こした二人の男の子が座っているのですが、どう見ても、どの角度から眺めても、同一人物にしか見えないのです。まるで鏡で合わせたように瓜二つなのです。
うちにはその謎がさっぱり分かりません。忍者です。きっと分身の術なのです。
しばらくじっと二人を凝視し、座っていると、向かって右手の分身がおもむろに口を開きました。
「……えっと、とりあえず、俺が暮野金犀」
「はあ……」
「それとこっちが弟の……」
「暮野銀犀です」
もう片方の分身が頭を下げます。
「はあ……」
うちの前で同じ顔した子が同じ顔をした子の紹介をしています。これはなんたることやねん。
しかも、金星と金星?
名前まで同じとは、いよいよ分身の術という考えに信憑性が生まれてきます。
すると、また右側の分身が言います。
「あのう、分かってると思うけど、俺たち……」
「忍者?」
「何で!?」
そう絶叫して、男の子の目が点になります。
「だって、そんなに顔がそっくりで、名前も同じやん。同じ人が分身してるとしか思えへんて」
「いつの時代の話? この現代に忍者なんていないって。それに、俺たちは列記とした『双子』だから」
「双子?」
ああなるほど、とうちは合点承知しました。しかし、男の子は胡乱な目つきです。
「普通、そっちを先に思いつくでしょう」
「えっへん、その発想がなかっただけや」
「……はいはい。あと、それから俺の名前は金犀で、弟が銀犀。濁点がついてるから、一応違いはあるよ」
濁点。濁った点です。文字の上についている小さな点々のことでしょう。
うちは目の前の少年を指差しました。
「銀犀君?」
「違う、金犀」
今度は隣の男の子を指差してみます。
「金犀君?」
「僕、銀犀なんだけど」
「ややこしいなあ、因数分解よりややこしいわ」
「まあ、もうどっちでもいいよ。いちいち説明するのも面倒だし」
銀犀君はもううちの相手に疲れてしまったのか、その場にごろりと寝転がります。口をへの字に曲げ、ふんと鼻息を出します。
すると、隣の金犀君が頭を下げました。
「それで、お姉ちゃんの名前は?」
「うち? うちは青山椿。大学生や。よろしくな」
うちは手を差し出し、金犀君がそれに応じます。
「あ、よろしく。それで、お姉ちゃんはここで何をしてたの?」
それを聞かれてうちははっとします。周りを見渡し、再び愕然としました。
そこは周囲を林に囲まれた丘の上の野原です。前方は少々開けた斜面となっていまして、そこから視界一杯に広がった我が愛しき町、柊町が一望できます。家々の屋根、道路を横断する自転車、上流から豊かな水を運び流れる楡川。全てがミニチュアサイズで、なんと綺麗なんでしょう。
しかし、それだけの視覚情報がありながら、ここがいったい町のどの辺りなのか、よく分かりません。ただ、高いところであるらしいのは判ります。
思い返せば数時間前、自宅を出たうちは、とりあえずと目に付いた山の頂上を目指して、普段は近づくことのない林の中の道を進んでいきました。
登山道などという看板がいくつか見え、その度に分かれ道があり、そこでうちは何を思ったか転がっていた枝を立てて倒し、倒れた方へと迷うことなく進んでいきました。ざくざくと。ずいずいと。この広い宇宙の中で、わが道を、ぐいぐいと進みました。
しかし、今考えてみれば、看板どおりの道を進んでいれば今頃は山頂にたどり着いていたかもしれません。全ては、自分は迷うはずがないという、ふわふわした綿菓子のような脆い妄想に洗脳されていたせいなのです。
ああ、どうして今日に限って、そんな妄想に取り付かれてしまったのでしょうか。不甲斐ない話です。
「あ、あの、青山さん?」
気がつけば、金犀君が肩を叩いています。
「へ、ああ」
「ここで何してたのって聞いたんだけど」
「そ、そのことか」
「はい」
金犀君のきらきらした邪気のない純真な瞳が見つめています。
うちは一瞬、その無垢なる眩しさに、正直に迷子になったことを白状するべきかと考えましたが、それはそれ、やはり、うちにもプライドというものがあります。
さすがに無様な真実は言えません。
うちはすぐさま頭をフル回転させた上で、それに代わるクールで知的な理由を思いつきました。
「それはもちろん……」
「もちろん?」
「光合成や!」
「へえ……葉緑体があるんですね」
金犀君は思いのほか、さらりと受け流しました。場の空気の流れが一瞬、滞ったように感じたのはきっと気のせいでしょう。
「じゃあ、金犀君はここで何してるん?」
「あの、金犀は俺なんだけど」
「え?」
「ふざけてやってます?」
寝転がった彼が起き上がります。少々ご立腹なのか、眉毛に急な傾斜がついていました。
「そんなことないって。うちはいつでも大真面目や、ええと」
「金犀です」
「せやせや。金犀君やね」
うちが名前を確認し、満足に頷いていると、隣の銀犀君がにこりと笑いました。それが不機嫌そうな金犀君と対照的に目に入り、うちは変わった双子やなと思いました。顔はそっくりでも、中身の部分で特徴が違うようです。
銀犀君が前方に広がる景色を指差しました。
「ここは僕達の秘密の遊び場なんだよね。ほら、いい眺めでしょう?」
「銀犀、それを言ったら秘密にならないだろう?」
「はう! ご、ごめんお兄ちゃん」
銀犀君はすばやく口を塞ぎますが、生憎とすでにうちの耳には入った後でした。時は金なり(作者による訂正:時既に遅し)。にやにやと微笑んでしまいたいのですが、ぐっと堪えます。
「へえ、ここは秘密の場所なんかあ。秘密かあ、へへ。秘密やねんなあ、ふふ」
「お姉ちゃん、そんな嬉しそうに連呼されると誰かが聞いちゃうよ」
「構わないよ。大した秘密でもないし」
金犀君が手をひらひらとさせます。しかし、大したことがなくてもうちは感動していました。秘密の場所なら、偶然、口笛を吹きながら歩いたところで、そうそうたどり着ける場所ではないはずです。
それをうちは「小枝の気分次第」という、あまりにも安定性に欠ける『勘』で探り当ててしまったのですから、それなりにすごい、という計算になります。
「この場所は二人が見つけたん?」
訊くと、銀犀君が首を振ります。
「ううん、おじいさんに教えてもらったんだ」
「二人の?」
「違うよ。知り合いのおじいさん。ほら、この竹とんぼもその人に作ってもらったんだ」
ふふ、と笑いながら彼は竹とんぼをうちの目の前に突き出し、指の先でくるくると回転させてみせました。
「すごく手先が器用な人なんだよ」
「へえ、こんな場所を知ってて、竹とんぼまで作れるなんて、それはすごいやん。是非ともお会いしたいわ」
しかし、うちが感嘆の声を出すと、途端に、二人の表情がどんよりと曇ります。これはどうしたことでしょう。
うちは所在無げに交互に二人の顔を見比べます。
「実は、この前聞いたんだけど。そのじいさん、死んじまったんだって」
金犀君が憂鬱そうに、ぼそりと言いました。
「し、死んだ?」
「うん。実際に亡くなったのは、もう数ヶ月以上前。僕らはおじいさんが引越したものと思ってたけど、ずっと病院にいたんだよね」
銀犀君が隣の金犀君に話しかけます。
「まあ、変だとは思ってたよ。あのじいさんが俺たちに何も言わずに引っ越すなんてことはないと思ってたし。近いうちにどこに行ったのか調べようとは思ってたんだけど、その矢先に聞いちまって……」
「……」
「お、お姉ちゃんまでそんな悲しい顔しないで」
どうやら、うちの顔は気付かないうちに銀犀君に心配されるほど暗くなっていたようです。しかし、びっくりしたのですから当然でしょう。
なにしろ、榊君の家におったおじいさんも死んでしまったということを聞いたばかりでしたし。こう立て続けに死という言葉を聞くと嫌が上にも、胸の中に黒雲のようなもやもやが広がります。なんとか笑おうとしますが、しんみりとした気持ちはうまく出て行ってくれません。
「ああ、もう! 辛気臭い話は嫌いなんだ。これで終わり!」
ぴしゃりと言って、金犀君がぴょんと立ち上がります。そして、俯いているうちをちらりと見てから、こう言いました。
「銀犀、ついでだ。そのお姉ちゃんもあそこへ連れてくぞ」
「あそこ?」
すると、彼は鼻を擦って笑います。
「秘密の場所その二ぃー」