37 お菓子な信者
作者のヒロユキです。
今回でようやく暮野木犀編が終わりました。な、長かった。椿編よりも、疲れました。どうして、こう、計算しているものよりも長くなってしまうのでしょうか。書いても書いても終わりが見えませんでした。
まあ、それはさておき、暮野木犀完結編です。ごゆっくりどうぞ。
居間に戻ってくると、暮野木犀は座布団を枕代わりに頭を乗せ、ふてぶてしく横たわっていた。
これには春臣としても、かちんと来た。人の家に、それもこんな夜中に上がりこんでいながら、この傍若無人の態度はどうしたものかと拳が硬くなる思いだった。
彼は春臣が入ってきても構わず、まるで我が家であるかのように、寝転んだまま手を振る。お願いだ、正座くらいしろ。
「おう、戻ってきたか。体調が悪そうだったが、大丈夫か?」
「ああ、問題ないよ。どうやらいつものことらしいからな」
「いつものこと?」
木犀が机の向こうで首だけを回転させ、こちらを見る。
「ああ、実はこの家さ。出るんだよ」
「でる? まさか幽霊とかベタなこと言うんじゃないだろうな。俺はそれくらいじゃびびらねえよ」
「……違うよ」
襖を閉めながらおもむろに言った。あぐらをかいて春臣は座る。
「じゃあ、何が出るっていうんだ?」
「そりゃあ……」
少し間を置き、
「神様さ」
「かみさま?」
意味が分かっていないのか、木犀はおうむ返しをした。
「神様だよ」
「髪様か? 榊、おまえは髪に敬称つけるのか? おおげさだな。大丈夫だって、まだまだ禿げないから」
余計な心配をするな。それから、素直に文字を解釈してくれ、どうしたらそんなひねくれた言葉になる! 脳内文字変換ソフトが壊れてるのだろうか。
よっぽどそう叫んでやろうかと思ったが思いとどまった。
すでに作戦は遂行中だ。黙っていなくては。
すると、ポケットの中の媛子が息を吸うのが分かる。
「暮野木犀」
「あん?」
「暮野木犀」
「……なんだよ」
どこかから響いてくる声に、木犀は春臣を指さして「お前か」と聞くが、首を振って否定した。彼は眉間に影をつくり、怪訝そうだった。
「これがかの有名な、髪様か?」
「神様だ。イントネーションが違う」
「暮野木犀!」
リアクションの薄い木犀にしびれを切らしたのか、媛子がぴしゃりと言う。
「は、はい!」
「わしが見えるか?」
迫らず、焦らず、超然と媛子が語りかける。やはりこういうときの彼女はなんと言っても神様だ。言葉だけで自然と人間を従えさせるような、そんな高貴な威厳を感じさせた。
「い、いえ。あのう、どちらに?」
「わしはこの家に住まう神なのじゃ。頭が高い! とりあえず土下座しろ」
「は?」
彼は困惑し、きょろきょろと神の姿を探していたが、やがて素直に、綺麗な土下座した。春臣は目が点になる。
世の中には物事を信じ易い人間はごまんといると思うが、彼はその中でも筋金入りなのだろうか。普通、正体不明の声から命じられたことを、迷いなくこんなにもすぐに実行しようとは思わない。
それを見て、媛子も滑稽だと思ったらしく、くっくと小さく笑っている。
「暮野木犀」
「な、何ゆえ、私の名をご存知なのでしょうか?」
彼は律儀に額を畳みの上につけるほどまで、土下座をしながら聞いた。
「わしは神じゃ。人の名など、一目見ただけでお見通しじゃ」
「は、ははあ。ほ、本物かよ」
どうやら、木犀は哀れにも、本気で信じたようだ。媛子が声を低くし、再び威厳たっぷりに言う。
「わしはこの家に鎮座しておる、緋桐乃夜叉媛と言う名の神じゃ。わしはこの家に住まう者の守護という役目を負うておる。それはそれは尊き、また賢き偉い神なのじゃ」
「は、ははあ」
「お主のような人の子など、小指の先で地平線の向こうじゃぞ。分かったらわしに逆らわず、言うことを聞くのじゃ」
「わ、分かりました」
「ふむ、中々に聞き分けはよいのう」
媛子は笑いを堪えているようだ。小刻みな震えが胸元の辺りから伝わってくる。
「有難き幸せでございます」
あぐらをかいたまま二人の会話を聞き、春臣はいったい今自分の目の前で起こっている状況は、いったい何なのだろうと、馬鹿らしくなった。
そもそも何で木犀は、こんなにも僕台詞が上手いんだろうか。その点も気になるところである。
「木犀よ。お主は罪を犯した。こんな真夜中に不届きにもわしらの家に侵入し、この俗世をさ迷う哀れな子羊、榊春臣を無意味に恐怖に慄かせた」
「そんなに慄いてねえよ」
春臣がつぶやく。
「しっ、静かにするのじゃ。お、オホン。木犀よ、どう思う? それは人として、あってはならぬ行為ではないか?」
「仰られるとおりでございます。髪様」
「これ、神様じゃ。か、み、さ、ま。言いにくいのか?」
「はい、普段『かみさま』などという言葉を使用しないため、少々不慣れなのでございます」
そんなことを大真面目に言う木犀に春臣はつんのめる思いだった。いやいや、むしろ、髪様のほうが不慣れだろうが。
「では、お主には特別に緋桐様、と呼ぶことを許そう、以後、わしのことはそう呼ぶがよい」
「よ、よろしいのですか? ひ、緋桐様」
「お主は緋桐教、最初の信者じゃ。わしがじきじきに任命しようぞ。言うておくが、これはとても名誉なことじゃ。一生の誇りとするがよい」
「ははあ、有難き幸せでございます。緋桐様」
「……」
そのやり取りに、春臣は呆れて口が開いたままになってしまった。またしても媛子の悪い癖である。新しく知り合った人間を自分の信者にしようとするのだ。
椿のときも確かそうだった。
無理やりやめさせてもいいが、このまま事の成り行きを観察するのも面白いため、そのまま傍観することにした。
「して、木犀よ。お主は菓子は好きか?」
媛子が話を変える。突然、神の口から菓子などいう単語が飛び出したために、木犀は驚いたようだ。
「お菓子、ですか?」
「左様、おぬしからはなんとも芳しき甘い砂糖菓子の匂いが漂ってくる。相当な甘党と見た。わしの鼻はごまかせぬぞ」
「は、さすが緋桐様。なんでもお見通しなのですね」
「そうであろう、そうであろう。もっと褒めよ、崇めよ」
「しかしお言葉ながら、わたしは特に甘党というわけではございません」
彼は額を畳みに擦りつけながら首を振る。ざりざり。
「なに、では何ゆえ菓子の匂いがするのじゃ?」
「はい、実は私、町の小さな製菓工場でアルバイトをしておりまして、きっとそこでの作業中、匂いがうつってしまったのでしょう」
「な、なんと。そういうわけであったか。とんだ早とちりであったの」
媛子が驚嘆の声を出す。おそらく彼女のことだから、彼に頼んで菓子でも貢がせようとしたのだろう。しかし、その目論見は失敗したようで、春臣はうすら笑う。
が、木犀は媛子が何を求めているのか察知したようで、こう言ってきた。
「緋桐様、緋桐様。もしかして、お菓子がお好きなのですか?」
「お、おお、その通りじゃ。人間界の食べ物ではあれが一番上手いのう。特にチョコレートなるものは天下一品に値するぞ」
「それでしたら、私、お力になれると思われます」
それを聞いて彼女がポケットの中で飛び跳ねる。
「なに、それはどういうことじゃ?」
「はい。その製菓工場に勤めておりますと、時々、製品とならなかった不良品のお菓子が出てきます。じつは私はそれを時々、弟たちに分け与えるためにもらってくるのですが、もしよろしければ、緋桐様にお持ちいたしましょうか」
「そ、そんなことがあるのか!?」
春臣には聞き覚えがあった。
いわゆる、ワケあり商品というやつだろうか。最近はそういったものがブームになっているという話を聞いたことがあったのだ。不良品などは、多くは捨てられてしまう商品であるため、販売者も捨てるよりは欲しい人間に売ったりあげたりする方が、お得なのだろう。
「そんなことがあるのです。緋桐様に献上するものでございますので、綺麗な製品が最上とは思われますが、そちらのお菓子でも、味は製品のものと遜色がないということでございます。その証拠に、我が弟たちはいつもそれを喜んで食べております」
「な、なんということか。お主は神か!」
「失礼ですが、神は緋桐様のほうであるかと存じますが」
木犀が春臣の代わりに冷静なツッコミをみせた。
「は、しまった。つい取り乱してしまった」
どうやら、媛子はお菓子の妄想に放心していたようだ。ほっぺたをつねっている。
それにしても、この神様、取り乱すのは趣味なのだろうか。春臣は思う。
「緋桐様さえよろしければ、次に製菓工場でそれをもらった際には、こちらのお宅へ一部をお持ちいたしましょう」
木犀が恭しく提案すると、媛子は喜びの声を上げた。
「それはまことか。木犀、おぬしは中々によい男じゃのう。さすがわしが信者一号に任命しただけはある。ならば、その菓子をわしに持ってくるがよい、いつでもよいが、なるべく早くせよ」
「ははあ」
すりすり、すりすり、木犀がまたしても畳に額をこすりつける。尻を高く上げ、地面を這うカタツムリのようだった。傍から見れば無様なこと、この上ない。
「では、面を上げよ、木犀」
「はい!」
「今日はもう帰ってよい。天罰を下すか迷っておったが、菓子の件でそれは帳消しじゃ。よいか、以後、同じ過ちを犯すでないぞ」
「恩情あるお言葉、心より感謝いたします。この木犀、緋桐様のお言葉を胸に刻みつけておくことにしました」
そして、大仰にも彼は深々とお辞儀をすると、ゆっくりと後ずさり、縁側のガラス戸を開け、再び丁寧に一礼し、去っていった。足音が小さくなり、消える。
と、突然に媛子が噴出して笑った。
「く、くく、くっ、ワッハッハッハ」
「ふふ、ふ、ハハハハハ」
堪える理由がなくなった春臣も同じように、風船が破裂するかのごとく突発的に笑い始める。抱腹絶倒。身体を捻らせながら、春臣は寝転んだ。笑いの連鎖が後から後から押し寄せて、おかしくておかしくて、なかなか終わってくれなかった。
時計の針はもう二時半。
こんな時間に、これほどの大笑いをしたのはきっと生まれて初めてだった。
世界中の人、ごめんなさい。こんな時間に、こんなにおかしくてごめんなさい。
春臣は心のなかで連呼する。
でも、それくらい馬鹿馬鹿しいことだった。
面白すぎて、アホらしくて、春臣は目頭にうっすら涙が出ているのを感じて拭った。
「ハハハハハ……」
「フフフフフ……」
そうしてどれくらい経ったか、ひとしきり二人で笑った後で、春臣は座りなおした。
「まさか、こんなに上手くいくとはのう」
「ああ、暮野の奴、あそこまで本気で信じるとは思わなかった」
そして、そう言ったきり、なぜか言葉が続かなくなった。あれだけ笑った後の反動なのか、息をするだけで精一杯な気がした。充分時間が経過して、春臣はようやく言葉を紡ぎだす。
「はあ、はあ、ああ疲れた」
「……」
「ああ、もうこんな時間だ。明日は寝坊必至だな」
「……」
「そうだ、聞いてなかったけど。明日の朝飯、晩飯の残りでいいか?」
「……」
「……おい、さっきから少しは返事しろよ」
そしてふと媛子を見て、春臣は息を止めた。彼女は自分のポケットの中で、すやすやと小さく寝息を立てていたのだ。
「う、ううん……」
服を布団だと思っているのか、ぐいぐいと引っ張っている。
そんな彼女を見て、春臣は小さくため息を吐いた。
「ったく。世話のかかる神様だぜ。いったいいつの間に寝たのやら」
まあ、いいか。春臣はゆっくりと彼女を起こさないよう、階段を上がる。
「今日はいろんなことがあったしな。疲れるのも無理ないだろう」
部屋に入り、いつもの場所に彼女を寝かせる。そして自身も敷いていた布団の中に入り込んだ。電灯の明かりを消し、ゆっくりと溶けるように睡魔に誘われていった。こうして、二人の一日が終わる。
しばらくして、カーテンの隙間から月の光がのぞき、柔らかく、横たわった二人を照らし出す。
すると、眠ったままの媛子の顔が、ひっそりと微笑んだ。
忘れておりましたが、作品の評価をしてくださった方、ありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。