35 ロザリオの真実
作者のヒロユキです。
以前申し上げていたことですが、作品のジャンルを「ファンタジー」に変更しました。
キーワードのタグには「コメディ」がありますので、検索には支障ないかと。一応ご報告しておきます。
「じいちゃんの知り合い?」
春臣は眉をひそめながら、不審の念を表した。
ちゃぶ台の向こう、春臣と向かい合っているのは勝手に家に忍び込んでいた少年だった。目をきょろきょろとさせながら居心地悪そうに座っている。
彼は先ほど、春臣と鉢合わせになり、とても驚いていたようだったが、春臣が以前ここに住んでいた老人の孫だと知ると、途端に静かになった。
自ら、暮野木犀と名乗り、以前までここで春臣の祖父と付き合いがあったのだと言う。
しかし、春臣にはそれが真実であるのか、疑いの視線で見ていた。知り合いであろうが、他人の家に忍び込み怪しげなことをしていた人物だ。敵意はないようだが、気はまだ許せない。
「だから、嘘じゃねえよ」
彼は肩をすくめる。
「いろいろと世話になってたんだよ」
面倒くさそうに言って、目を伏せる。
「世話になってた、ねえ」
「あんたは知らなくて当然だろ。ここにいなかったんだから」
「まあ、そうだけど。それを証明できるか?」
「じいさん本人がいないんじゃ、無理だろ」
「……」
確かに、今さら確かめようのないことだった。
「でも、本当なのか?」
「うん?」
「その、じいさんが死んじまってたっていうのは」
春臣は、静かに頷く。
どうやらこの暮野という少年は、春臣の祖父が死んでいたという事実を今の今まで知らなかったということだった。数ヶ月前からこの家が空き家になっていたということは知っていたそうだが、てっきりどこかへ引っ越したと思っていたそうだ。
そういえばと春臣は思い出す。
椿も祖父のことを知っていたが、祖父が死んだことは知らなかったことだ。
考えてみれば、祖父は息を引き取る少し前までここから遠い実家の近くの病院に入院し、ここには一度も戻らなかったのだ。そのため、この辺りの人々はその事実を知らない人間が多いのだろう。
その点を考慮すれば、この暮野という少年が言っていることは真実のようだった。
何よりもこの肩を落とした落胆ぶりは演技のようには見えない。
「残念だな。全く知らなかったぜ。弟たちにきちんと話しとかないとな」
「弟?」
「ああ、俺の弟。まだ小学生で、双子なんだが、よくあんたのじいさんには遊び相手になってもらってたんだぜ」
「へえ……」
初耳だった。祖父がここで生活していたころのことなど詳しく知らないので、つい、春臣は身を乗り出す。しかし、ポケットの中の媛子が身じろぎし、それを見られてしまってはまずいと、慌てて座りなおした。
木犀は懐かしむように話す。
「あのじいさん、手先が器用だったからよ。竹とんぼとか、独楽とか、パズルなんて作ってくれたこともあったぜ」
「じいちゃん、そんなことを」
「弟たちは今でもそれで遊んでる。気に入ってんだ」
「……思えば、俺もそんな経験あるな」
彼の言う通り、祖父が手先が器用で、その上、物作りに対する熱意はすばらしく、実家の倉には春臣が幼い頃に作ってもらった綺麗に色づけされた木馬が眠っていたりするのだ。
「よくあれに乗って遊んだっけ」
ふいに鼻元に古い木の匂いが蘇った気がした。
「少しは信用してくれたか?」
ため息をつくように、彼が訊いてきた。いい加減疑われてうんざりしているようだ。
「ああ、もう疑ってないよ」
「それは朗報だ」
「でも、弟さんたちに話すんだろう? じいちゃんが死んだこと」
「うん。もちろんそのつもりだが、まあ、ショックを受けるだろうな。一時期なんて毎日遊びに行ってたくらいだから」
「そうなんだ。心苦しいんじゃないか?」
「問題ねえよ。弟たちだってどうしようもないことにいじけるような奴らじゃないからな」
「たくましいんだな」
春臣がつぶやくと、木犀があっと口を開けた。何かを弾みに思い出したようだった。
「どうした?」
「今思い出したが、前に一度言ってたな。わしにも俺ぐらいの孫がいるって」
春臣の目が大きく見開かれる。
「え、俺のことを話してた?」
「ああ」
「な、なんて言ってた?」
すると、木犀は目を細め、天井を眺めながら言う。
「確か」
「確か?」
「あいつは俺に比べて、まだまだひよっこだって」
「……」
春臣はむっとして、閉口する。確かに、男としてまだまだだけど。
まあ、祖父らしい辛口な一言だった。
「はあ、それじゃあ、そろそろ話しを戻そうか?」
春臣は机の上に肘をつく。意外にも祖父の話に花が咲いてしまったので、重要なことを忘れるところだった。
「どの辺りまで?」
「あんたが、なんで、俺の家に、忍び込んでいたのか、ってことだ」
「ああ! なるほど」
どうやら、彼は当初の目的をすっかり失念していたようだった。それだ、と春臣の顔を指差す。
「で、どうなのよ」
「実は探し物をしてた。以前、ここに来たとき、弟たちがあるものをここに隠したらしいってことを最近知ってな。それを取りに来たんだけど。昼間に来たらさ、人の気配がないし、見事鍵がかかってて」
それは当然だろう。春臣はいつも施錠には気を遣っている。
「空き家だったってことを思い出してさ。で、ご近所の方に聞いたんだけど。この家を管理しているのが、杉下さんらしいって聞いてな」
「ああ、以前まではな」
春臣はここへ最初に引っ越してきた日のことを思い出す。康夫からそのことを説明されて、あの杉下老人の家に向かったのだ。春臣は杉下老人が漂わせていた妙な気配は今でも思い出すことが出来る。
しかし、その一方で、どこの近所に聞いたのだか知らないが、どうやら春臣がここに引っ越してきたという事実を知らない人間もいるらしかった。
考えてみれば友人となった青山椿以外の人間とは、道で出会えば挨拶をする程度なため、当然と言えば当然なのだろう。
今度からはきちんと名を名乗って挨拶をしなくては。近所付き合いは大切だ。
ふと見ると、木犀が表情を曇らせているのが見えた。
「どうかしたのか?」
「いや、あの杉下家っていうからよ。なんだか嫌でさ」
「何が?」
「ああそうか。まだここに来て一ヶ月だったな。知らなくて当然だろう」
「というと?」
春臣はそう訊いた。あの老人に関することなら聞いておきたい。
すると、彼は声をひそめながらこう言った。
「あの杉下家ってのはこの辺りじゃ、あんまりいい噂を聞かないんだよ。この地域のことを裏で牛耳ってるって」
「……!」
「昔から権力のある一族なんだよ。お偉い武将の家系だかなんだか知らないがな」
これはそれなりにショックな事実だった。祖父が懇意にしていた老人の一家が、そんな黒い噂がある一族だったとは。
「知らなかった」
「まあ、それはいいさ。おいおい耳に入ると思うし。でも、ぺらぺら喋るなよ」
「あ、ああ」
動悸を抑えながら、頷いた。
「とにかく、それを聞いた俺はわざわざ事情を話しに杉下家に出向くつもりはなかった。小さな貸しでも、作ると何されるか分からなかったし」
「まさか、だからこんな強盗紛いなことを?」
春臣は今度は呆れた声を出した。なんて行儀の悪いことだろう。
「まあな。昼間に忍び込んでたら、近所に見つかるかもしれないし、真夜中ならこの辺り、出歩く人間はいないからな。それで、ちょいと家の周りを回ってたら、縁側の戸が開いてたんだ」
それは間違いなく春臣の落ち度だった。よりによってこんなときに鍵をかけ忘れるとは。
しかし、謎はそれだけでは終わらない。
「じゃあ、あんたが、強盗紛いなことまでして探してたものって何なんだ?」
「そのこと、ええと、あれだよあれ」
困ったように指を差されるが、春臣には分かるはずもない。残念だが、それだけは自力で思い出してもらうほかない。
と、彼が歓喜の声を上げる。
「そう、そうだ。ロザリオ!」
「……ロザリオ?」
戦慄が走った。それと同時に、悪寒もする。
まさか、この人物からそんな言葉を聞くことになるなんて、予想外も甚だしことだった。ずしりとめりこむようなあの感触が手のひらに蘇って、春臣はズボンの裾をぐっと掴む。
すると、媛子がポケットの中で皮膚を小突いてきた。
分かってる。分かってるったら。
今はびっくりいているだけだ。
「ロザリオだ。どうやら弟どもが家から持ち出したらしくってさ。この家に遊んでで隠してたらしいんだよ。宝探しごっことか言ってな」
「……」
「ほら、ロザリオって綺麗な首飾りだし、いかにも宝物っぽいだろ?」
すると、呆然としている春臣に気がついたのか、木犀が目の前で手のひらを上下させる。
「おーい、起きてるか?」
「あんたの、ものだったんだな」
「は?」
「ちょっと待っていてくれ」
春臣はすぐさま、二階に上がり、媛子が見つけていたロザリオを小箱から引っ張り出してきた。
待っていた木犀にそれを見せ付ける。
「これか? これのことか?」
大切な確認の作業だったが、結果は一目瞭然だった。案の定、木犀は手を叩いて春臣の手からロザリオを受け取ったのだ。
「おお! まさにこれだ。すまねえな。見つけててくれたのか」
喜び乱舞する木犀の傍らで、複雑な思いで春臣はあぐらをかいて座った。
これで、間違いない。あまりにも、体中の力が抜けてしまうような真実。
こんな、こんな理由だったのか。
あの場所に、ロザリオがあった理由。
事実は小説より奇なり、とは言うが、まさか、子供のいたずらだったなんて。
その無邪気な行いによって、拳銃には弾が込められたのだ。
そして、引き金を引いたのは、自分。
そのせいで、媛子は……。考えると、腹の底から行き場のない怒りがこみ上げてきた。
「これ、実は死んだばあさんの形見でよ。ばあさんカトリック教徒で、これを後生大事に持ってたんだ。それが無くなって家は大騒ぎだったんだが、まあ、見つかってよかったぜ」
「そうか、よかったな」
彼の言葉が、まともに耳に入ってこないことを感じていた。耳元でテレビの砂嵐が聞こえているかのように、うざったく思える。そんなことはどうでもよかった。
「なんだ? 腑に落ちないって顔してるな」
「うん、いや、ちょっとな」
徐に、春臣はその場から立ち上がった。
「ごめん。ちょっとここに居てくれ。トイレに行ってくる」
「あ、ああ」
それだけ言って、勢いよくばたんと戸を閉めた。
まるで、今聞いたことすべてを、拒絶するかのように。