32 闇夜の侵入者 1
コンビニで目当ての物を購入した後は、春臣たちは特に寄り道もせず、帰宅することになった。
というのも、媛子が春臣の体調を心配したためで、
「気分が優れぬのであれば、最初に言うておけばよいのに。無理をするから人にぶつかることになるのじゃぞ」
ということだ。
彼女に余計な心配を与えた春臣としては、申し訳ない一方で、胸中において、その体調不良の原因は媛子にあるのだけれどとぼやいていた。
それはさておき。
こうして、媛子の初めてのデート(?)が終わったわけである。
春臣は未だ胸の内でざわめく腑に落ちない思いを抱えたままだったが、とりあえず、何事もなく終わったことに安心していた。
媛子の自分への感情に対する答えは保留することにしたのである。今無理に彼女に問い詰める必要もないと思ったし、春臣自身、いろいろと考えをまとめる必要もあると思ったのだ。
急を要することではないから、どんと構えていよう。
そして、それよりも先に彼女が自らの世界に帰れる方法を模索するほうに優先が向けるべきなのである。春臣は拳を握る。
と、意識を逸らす努力をしているのだが、やはりそこは現実。上手くはいかない。
自宅の居間では、媛子が買ってきたばかりのアイスを口に運んでいる。その様子をちらちらと眺めながら春臣は落ち着かなかった。
「うむ、旨いのう」
何の屈託もなく言う彼女の無邪気な表情に、春臣は軽く動揺しないでもなかったが、視線を逸らし、話題を探した。
買ってきたソフトクリームを口に入れる。ひんやりとした舌触りが自分の熱を吸い取っていくようだった。沈黙が訪れ、手持ち無沙汰に思いついたことを言う。
「そう言えば、さっきぶつかった人」
自転車に乗っていた少年のことだ。
「なんじゃ?」
「いや、姫子がお菓子の匂いがしたって……」
「そうじゃな。確かに匂いがしたぞ」
「俺は何も感じなかったけどな」
やはりあの時は気が動転していたせいなのか、匂いに対する感覚が鈍くなっていたのかもしれない。
しかし、そのもう一方でもう一つの可能性もある。媛子が特殊な存在であることだ。
「神様って、鼻がいいのか?」
「……また藪から棒な質問じゃの」
彼女の目つきが胡乱になる。
「別に脈略がないわけじゃないだろう」
「いや、そうじゃが、なんだかお主……」
その視線が鋭く刺さる気がした。
「無理に話題を取り繕っておらぬか?」
図星を衝かれ、一瞬目の前が暗くなりかける。
「そ、そうじゃないよ。じゃあ、媛子は他に話したいことがあるのか?」
「そうじゃのう……初めてのデートの感想とかはどうじゃ?」
思わぬことに顔からソフトクリームに突っ込んでしまいそうになった。寸でのところで避けたが、変に思われたかもしれない。慌てて春臣は指を立て、逆に質問した。
「そうだ。媛子は他に服が欲しくないのか?」
「おい、わしの質問に答えておらぬぞ」
「この前さ、大学で青山が話してたんだよ。媛子のことだ。着物以外のものは持ってないのかって」
少々反則気味に強引に話を変えると、媛子は歯噛みをしたが、少しして唸りながら答えた。
「そうじゃのう。神の世界におれば服の替えもあり、着替えもできたが、まあ、この世界に来てしまえばそんなことは出来ぬの」
「服、汚れないのか?」
「汚れないわけではないが、基本的にわしは神じゃからの。この衣服ももちろん神の力によって作られており、汚れはすべて自動的に浄化されるのじゃ。じゃから、それほど着替えの必要はない」
媛子は服の裾を持ち上げながら、見てみよと春臣に示した。顔を近づけてみると、遠目にはよく分からなかったが、見えるか見えないかの瀬戸際、小さな金色の粒子がゆっくりと立ち上っていた。どうやらそれが彼女の言う「浄化」ということらしかった。
「へえ、そういうものなのか」
「じゃが、春臣。おぬしの言う他の服というのは?」
「青山がな、小さい頃から持っていた着せ替え人形の服があるから、媛子に着させてみたらどうかって、さ」
「着せ替え、人形?」
そうか。彼女にはただでさえこの世界の知識が乏しい。春臣はそう思ってきちんと説明すべきかと思ったが、面倒になり、
「ともかく、媛子サイズの服があるってことだよ」
と結論だけを言った。
「ほう、なるほど」
「で、もしよければ青山が作るってさ」
「作る、とな。椿はそんなことが出来るのか?」
媛子が目を見張った。神からしてみれば珍しいことなのだろうか。
春臣は講義中に隣で椿が自慢げに話していたことを思い出す。そのせいで講義の内容はいつも以上に入って来なかったが、まあ、いい眠気覚ましにはなった。
「なんでも、昔から裁縫が好きで、いろんな物を作るらしいぞ。ぬいぐるみだったり、服だったりな」
「……何! となると椿は神か!」
媛子は頓狂な声を出す。
そんな馬鹿な。どうしたらそんな結論になるんだ。
「というか、神はそっちだろう!」
「は、そうじゃった。取り乱してしまったか」
「それはまた尋常じゃない取り乱し方だな。自分の地位を忘れるなよ」
「しかし、それは耳寄りな情報というやつじゃな。どれ、春臣。その椿の手並みを拝見しようということで、一着、服を縫うてもらえぬか?」
「どんな服でもいいのか?」
「わしも神とはいえ、この世界の衣服に興味がないわけではない。どんなものでも構わぬぞ。わしに似合うのであればの」
彼女はそう言って、くるりとその場で回転した。
承知いたしました。春臣はそれを見て仰々しく頭を下げ、想像をしてみた。
他の服を着た媛子か。
あまりイメージが湧かないが、もちろん見てみたいという気持ちもある。明日辺りに青山に頼んでおくか。
「そう言えば、服の汚れで思い出したのじゃがな」
「うん?」
「今日、部屋を掃除しておって見つけたのじゃがな」
すると急に媛子が真面目な顔で言うので、春臣は体勢を整えた。彼女が部屋の隅を指差す。
「そこの小箱に見つけたものが入っておる。見てくれ」
彼女が言うとおり、部屋の隅に小物入れのための引き出しが引き抜かれた状態で置かれている。彼女が妙な調子で言うので、もしかすると、ねずみか何かの死骸かもしれないと持ったが、実際は違った。
「これ、は……」
小箱の中に入っていたのは、いつか見たロザリオだ。小さな珠が繋いであり、その先端に十字架の飾り。春臣はそれを手にとって改めて眺めてみる。手に乗せてみた。白く輝くそれは神への祈りが込められた無垢なる光の結晶にも思える。
媛子がここにやってきた夜。神棚の裏に隠されていたものだ。確か、話ではこの首飾りがこの異空間を作り上げる原因にもなったのだっけ。
「すっかり忘れてたけど。この部屋に転がってたんだな」
「そうじゃ、本の間に挟まっておったぞ。わしは素手では触れられぬから、力で移動させたのじゃ」
「いったい誰のものだったんだろう?」
「お主の祖父ではなかったのか?」
「じいちゃんはクリスチャンじゃないよ」
否定する。
春臣は昔の祖父を思い出した。そもそも宗教に興味のない人間だったと思う。
しかし、それは祖母と一緒に暮らしているころの祖父であり、ここに来てから何かに感化され、神というものに興味が出たのかもしれない。
この部屋にある神棚がそれを象徴している。
が、その上で、他の宗教にも手を出すようなことはしないのではないか、と春臣は思う。祖父はそんないい加減な人間ではない。
と、いうことは。
導かれる答えは他人の所有物という考えだ。
「この町にじいちゃんの友達がいて、その人がクリスチャンだったとか? その人がここに来てこれを忘れていったのかも」
「春臣、そうじゃとして、神棚の裏にそれが置かれていた理由には繋がらぬと思うぞ。まるで見つからぬようにそれを隠す意図があったようじゃ」
「ううん、言われてみればな」
忘れて帰ったのであれば、もっと分かりやすいところに置かれているはずだ。神棚の裏など、そこに何らかの意図がないという方が不自然である。
「どういうことだろう……」
春臣に恐ろしい予感が閃く。
「まさか、異空間を作り上げるために、仕組まれていたんじゃ!」
媛子は目を細めてすぐさま否定する。
「いや、そうではないと思うぞ。このような異常な状況、意図して生み出せるものではない。神であるわしが言うのじゃ、信頼せよ。異空間が作られたことと、それがあの場所にあったことは別の話じゃ」
そうなると、考えれば考えるほど分からない。春臣としてはもはやお手上げだった。奇妙な場所に、奇妙な置かれ方をしているロザリオ。そう思うと、触れているだけでずしりと重みが増すような、気持ちの悪いものに見えてくる。春臣は小箱にそれを戻した。
「この話は止めにしないか? これ以上頭の中をかき回されても答えなんて出ないって。特に今日はな」
「どうして今日は、なのじゃ?」
「それは、媛子が……」
言いかけて、口を塞いだ。
媛子とデートをしたことに混乱しているなどとは言いたくなかった。
「ともかく、風呂に入ってくる。姫子はテレビでも観てろよ」
すぐさまごまかして、ソフトクリームの残りを平らげた。
作者のヒロユキです。
最近、この物語を書いてきて、やはり、コメディというジャンル分けは不適切であったのではないかと思い始めました。
ちょっとシリアスな要素が多い気がします。近いうちにジャンルをファンタジーに変更するかもしれませんので、読者の方にご報告しておきます。