31 デートで神様?
媛子を入れるためのポケットがついた上着を羽織りながら、春臣は澄ました顔で机に正座している彼女を見た。
先ほどの発言のその先を話すことなく、黙って春臣に服に忍ばされるのを泰然と待っている。
「分かってるのか? その意味」
彼女はくいと頭を上げ、ぽかんとして解せない顔だ。
「意味、とな? わしはおぬしのその言葉が示すところが分からぬ。何の話じゃ」
「何のって、さ、さっき媛子が言った事だよ」
そのものずばりで言ってやってもよかったのだが、どうにも小恥ずかしく、そう指摘した。服の袖に手を通す。
「わしが先ほど言った事? はて、何と言ったかの?」
彼女はとぼけているのか、本気なのか、釈然としない態度で首を傾げる。
もしかすると。
春臣は思う。
この神様はその意味をきちんと理解していて、自分のこの当惑の反応を楽しんでいるのだろうか、と。
こうして、自分の発言が思い出せない振りをして、春臣にそれを言わせたいわけだ。
もしそうならば思う壺だが、このまま何も言わないわけにもいかない。
「……で、デートだよ。デート」
なるべく表情を見せないように俯く。
「おう、そう言うたかもしれん」
「媛子、俺とデートするって、意味分かってるよな」
「ううむ。理論は」
媛子は額に皺を寄せる。
「理論って、仰々しいな」
「なあに、ただ男女が二人でどこかに出かけるというやつじゃろう? 遊園地に行ったり、レストランに行ったり、ショッピングをしたり……」
「認識は間違ってないけど」
しかし、そこには大抵恋愛感情というものが付随しているわけである。それほどお気軽なこととも言えないのだが。
しかし、媛子は相変わらずきょとんとしていた。
「お主とコンビニまで出かけるというのも、そういう部類に入るのではないか? まあ、わしはこの通りきちんとした姿ではなく、お主のポケットに入れられた状態ではある。しかし、それはデートと呼んでも差し支えないのではないじゃろうか」
「うーん」
「違うか?」
「……まあ、いいけど」
どうやら、やはり媛子はきちんと言葉の意味を理解していないようだった。
春臣はふっと息を吐く。
いきなり大胆なことを言い出したと思ったが、そこはまだこの世に慣れていない神様の発言と見るべきだったようだ。断片的な情報だけでデートの表層面だけを知っているらしい。
「何か隠しておるのか?」
「いや、別に」
「なら、問題ないの。それでは出発じゃ」
外はまだ完全に陽が沈んでいない夕暮れ時だった。斜陽が家々の瓦を照らし、小金色の輝きを見せている。見上げると一つ、クジラのような雲が浮かんでいて、優雅な空の散歩をしているようだった。
春臣は一応自宅の鍵を閉める。椿が話していたのだが、この辺りは空き巣などの被害など起こったことがないらしく、ご近所はこぞってノーロック派だということだが、用心に越したことはない。
そこで、ふと縁側のガラス戸を施錠していたか確認していないことに気付いたのだが、右ポケットの媛子のはしゃぎ声が覆いかぶさってきた。
「春臣! これが家の外か! こちらから見るのは初めてじゃ」
「そうだよ。でも、別に二階からでも見れるだろ?」
「何を言うか、全然別じゃ。空に出る月を望遠鏡で眺めるのと、実際に宇宙船で向かうのでは全く違うじゃろう」
何かテレビを見た影響なのか、彼女は熱っぽく語る。
「まあ、それも一理あるか」
実際にはそれとこれではまた違う話だとは思うが、そういうことにした。
首肯して、ポケットに収まっている媛子に目を落とす。何かと飛び跳ねている彼女が、そのまま落ちてしまわないかと気になったのだ。
「言っておくけど、周りに人がいるときは静かにしてるんだぞ。ほら、この中で小さくなって」
すると、教えようとする春臣の指を媛子は払いのける。
「神に指図するでない。それくらい心得ておる。今はただ外の景色に興味津々なだけじゃ」
左様ですか。
まあ分かっているのなら、問題はない。春臣は歩き出す。
今日は朝からずっと講義続きだったので、ノートをとった肩が重い。散歩はその分、気分転換になりそうだった。軽く口笛を吹く。
しばらくすれば、すぐ横手に椿の家が見えてきた。春臣は指差す。
「ほら、あそこが青山の家だよ」
「……椿の家か、うむ」
媛子はポケットからひょっこり顔を出して、その家を眺める。まるで品定めをしているようだ。
「わしらの家に比べると幾分か立派じゃの」
「まあな。家族で住んでるんだから当然だよ。俺たちの家は俺と小さな媛子しかいないんだから、あれで充分だって」
しかし、なぜか媛子は不服そうな顔で椿の家を眺めている。
「椿のくせに、神より大きな家に住むとは、生意気な」
「生意気って、そういう問題じゃないだろう」
「ときに春臣は、大工仕事など出来ぬのか?」
「さりげに俺の家を増築させる計画を企てたな?」
「なあに、心配するな、わしが保証する。おぬしは大工に向いておる」
「これほど説得力のない神のお告げは初めてだよ」
呆れて半眼で姫子を見る。
「でも、そうなると、媛子は広くなった分、部屋の掃除が大変になるぞ」
「む、確かに言えておるの。よし、やはり、お主は大工仕事は向いておらんかったようじゃ。転落死の相が出ておる。辞表書け」
春臣の顔が能面のように無表情になる。彼女の発言はいつも適当で、都合のいいところが多いが、そんなことばかりしていると神としての品位を落とすことに繋がるとは思わないのだろうか。そもそも神とは本来こういうものなのだろうか。
媛子と話していると、春臣の中での神のイメージが揺らいでいるのが分かる。
「もう、さっさと行ってさっさと帰るぞ」
少々面倒になった春臣はくるりと進むべき方向に向き直り、足早に進み始める。たかがコンビニにアイスを買いに行くだけなのだ。余計な時間は取りたくない。
すると、媛子は不満の声を出す。
「ええ!」
「なんだよ。普通に歩いていれば、風景を観察できるだろ?」
「まあ、そうじゃな」
「それに、あんまり媛子と喋ってるのを周りの誰かに見つかると面倒だろ」
いくら周囲に人の姿が見えないとはいえ、傍から見れば春臣は独り言を喋っているようなものなのだ。誰が見ても挙動不審極まりない。最近は何かと物騒なニュースがテレビで流れていることもあるし、下手をすれば通報されることもあるやもしれない。
もちろん、笑い事ではない。
媛子を連れ歩くことで近所に妙な噂を立てられてしまえば、まだ一人暮らしを始めたばかりの春臣としては、近所の人間に心の壁を作られ、隔絶された存在ともなりうる。
「しかし……」
媛子はまだ何かを言いたいようだ。
「何だよ」
聞くと、彼女は眉を曇らせた。
「わしはこうして初めて家の外に出たのじゃぞ。もう少しゆっくり歩いて楽しませてくれてもよいではないか」
「……」
これには春臣、閉じ込められていた彼女の気持ちが理解できた。
姫子は別にひきこもりたくて自分の家にいるのではないのだ。一ヶ月、春臣は自由に外出できたが、彼女は違う。異空間の呪縛によって、二階の部屋から出ることすら、つい数日前まで叶わなかったのだ。
春臣は牢屋に入れられたことはないが、ずっと同じ場所に留まらなくてはいけないことは精神的に到底楽と呼べるものではないだろう。
いつも代わり映えしない景色に嫌気が差し、鬱屈とした気分に逃げ出したくもなったかもしれない。それを考えれば、彼女が外に出られた喜びっぷりも分かる気がする。
「そうか、ごめんな。媛子の気持ちを考えてなかったよ」
謝罪すると、彼女は素直に頷いてくれた。
「分かってくれればいいのじゃ。春臣は物分りが良くて助かるぞ」
「はあ、さいで……」
「それに、わしには他の理由もあるしの」
「他の理由?」
するとなぜか声を小さくし、頬を染めるとこうささめく。
「……折角のデートなのじゃぞ。お主と一緒に外を歩いておるのに、すぐに終わってはつまらぬではないか」
「なっ!」
何を言い出すんだ、と春臣は言いたかった。どういうつもりだ、とも言いたかった。
でも、言葉が詰まって、代わりに咳き込んだ。
媛子が驚いてポケットから身を乗り出した。
「大丈夫か? 春臣」
「平気、だよ。心配するな」
動揺をつよがりの言葉で隠し、春臣は前進した。
同時に、田んぼに沿って並べられた頼りない電柱に明かりが点く。まるで、ふらついて足元を見誤るなよ、と言われているようだった。
試されていたのだろうか、と春臣は前を見据えながら思う。
媛子が自らの台詞に、どのように反応するのかを。
目を遠くの山にやりながら、媛子の言葉の真意を探した。彼女の言葉にどれほどの本気がある? 何かの冗談か? 自分は遊ばれているのか?
頭の中を疑問が駆け巡る。
視界が混乱でじんわりとぼやけた。
神でも、人を好きになることがあるのか?
彼女が、自分を好きになることが?
息を吸い込んだ。吐いた。
いや、今は止めろ。
春臣の心の奥から思考を静止する声が響く。考えるな、考えるな。
深く考えるんじゃない。何かの間違いだ。彼女はそもそもデートの意味を理解していなかったんだぞ。だから、ありえない。彼女の言葉に深い意味なんてない。
でも。
でも、意味を知らない振りだったら……。あれが演技だったら?
馬鹿な。
重みのある右ポケットが意識を引き戻す。春臣ははっとする。媛子が引っ張っているのか?
もぞもぞと動くものを見ようとし……。
「え?」
すると。
なぜか、
途端に視界が暗転する。
振動と、刹那の鈍痛。
春臣は何が起こったのか、分からなかった。
気がつけば、自分は尻餅をつき、目の前に自転車が倒れている。
その少し後方で、少年が倒れていた。見たところ、春臣と同年代の少年のようだ。しゅっとした細い顔つきで、茶髪。英語のロゴが入ったデニム地のキャップ。それが瞬間、目に映る。
そうか、ぶつかったのか。
脳の思考が停止していてそれが分かるのに時間がかかった。
「大丈夫ですか?」
春臣は起き上がり、すぐさまその少年を助け起こす。
「あ、ああ」
彼は立ち上がりながら、体についた埃を払った。
「すいません。俺が余所見してて」
「いや、大したことないって」
「怪我はないですか?」
「ハッハァ、大丈夫って。俺はこんなときのために頑丈な体をしてんだよ」
彼は快活に笑って、袖をまくり力こぶをみせた。どうやら、本当に怪我はないようだ。春臣は彼の身体を観察をする。
「どうした、ふらついてたみたいだけど。何か悩んでたのか?」
妙に明るい少年は肩を掴んでそう聞いてくる。
春臣はため息を吐く。今はそちらに注意を向けてはダメな気がした。
適当に答える。
「いや、ちょっとぼうっとしてたんですよ」
それでふいに視線が下を向いて、春臣の目が道に落ちた紙袋を捉えた。もしかして、この少年の自転車から落ちたのだろうか。
「あの、あれ」
春臣が示すと、彼は「うん?」と目を向け、
「ああ、弟たちへの土産だ。いっけね」
彼は駆け寄り、それを拾い上げる。
「ごめんなさい。中身、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫、大丈夫。少しくらいつぶれてても、問題ないって」
彼は親指を立て、それから、颯爽と自転車に飛び乗った。そして、ハンドルとブレーキに異常がないことを確認すると、
「それじゃ、前に気をつけなよ」
と春臣の返事を聞く前にペダルに足をかけ、そのまま走り去ってしまった。
呆然と立ち尽くす春臣。
が、すぐに右ポケットが動いているのを感じ、我に戻る。
「媛子!」
もしかすると、転んだときにつぶしてしまっていたのではないかと嫌な予感がよぎったが、彼女は健在だった。
「春臣、じゃから危ないと引っ張ったのに」
ポケットから顔を出し、ぷはーと息を吐き出す。どうやら、ぶつかる寸前、自分を引っ張ったのは彼女だったらしい。
「媛子も怪我ないか?」
このときばかりは周囲のことを気にせず、春臣は自分のポケットを覗き込んで訊ねる。
「わしは大丈夫じゃ。お主は?」
「俺はこれくらいなんでもないよ。それより媛子が無事でよかった。マジで神様を踏み潰したら洒落にならないよな」
ほっと胸を撫で下ろした。
「大げさじゃな。わしはお主に潰されると思ったら、力を使ってその場から逃げておる」
「そうか。でも、本当によかった」
すると、媛子が怪訝そうに目を細める。自転車で走り去った少年の方角を見つめ、
「しかし、今の少年」
と呟いたのだ。これは意外だった。
「今の人がどうかしたのか?」
「いや、ちょっと感じたのじゃ」
彼女の眼光が鋭く光る。並々ならぬ気配だ。
「……何を?」
神がそう言うのだから、何かただならぬことに違いない。もしかすると、何か彼に良くないものでもとり憑いていたのだろうか、と春臣は身構える。
しかし、彼女が言ったのは、
「なに、甘いお菓子の匂いじゃ」