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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第三部 暮野木犀編
30/172

30 がんばりましたので。

「ただいま」


 大学から戻った春臣が玄関の扉を開けると、すぐに上階から媛子の返事が聞こえた。


「おう、ようやく帰ったか!」


 まるで帰宅を今か今かと心待ちにしていたような、嬉しそうな声である。姿は見えずとも、春臣はそれが分かった。


「あん? やけに機嫌がいいな」


 靴を脱ぎながら考える。

 彼女の感情は声や表情に出やすい。上機嫌なことは間違いないだろう。

 何かいいことでもあったのだろうか。


 いや。すぐに心中で首を振った。

 この家の中に一日中居て、すぐにでも春臣に報告したくなるような吉事があったならば、彼女は真っ先に電話を掛けてくるはずだ。それが、彼女に電話の掛け方を教えてからの常だった。


 それが授業中であれ、食事中であれ、見境なく掛けてくるのだから、全く困ったものである。

 だが、今回はその例ではない。そうとなれば、これはいったいどういった事情だろう。


 しかし、春臣の推理は媛子からの催促で、停止を余儀なくされる。


「はるおみー、上じゃ、早く来い。部屋にくれば驚くぞ」

「分かった分かった、今行くから」


 どうやら彼女は自分に見せたいものがあるらしい。大人しく従い、階段を上る。短い通路、勉強部屋の前で立ち止まった。

 心構えのために、ノックする。


「入るぞ?」

「おう、入るがよい入るがよい」


 ドアノブを回す。押し開いたドアの隙間から、部屋の明りがこぼれ……。

 ちゃぶ台に、媛子が座っていた。


「……?」


 首をめぐらし、部屋の中を瞬時に確認する。が、特に、彼女が何か持っているわけでも、部屋にありえないものが置いてあるわけでもない。


「どうじゃ、春臣」


 しかし、媛子は満面の笑みで春臣を見上げている。


「どうじゃって、何が?」

「な、気がつかぬのか?」

「気がつくって……うーん」


 春臣はその場にしゃがみこむ。彼女の視線になれば何かいつもとの相違点を見つけられるかもしれないと思ったのだ。

 そして、ふと思う。


「あれ、何だか部屋が綺麗になって……」

「そうじゃ!」

「うわっ」


 言いかけていきなり媛子が飛び跳ねたので、春臣は驚いて尻餅をついてしまう。


「わしが、このわしが、部屋を綺麗にしたのじゃぞ!」

「……媛子が?」


 すると、彼女は肯定の意味で激しく首を縦に振る。


「うむ。いつも埃が舞い、小汚いばかりの部屋じゃったが、わしの力によってこの通りじゃ」

「余計な形容が癪に障るが、そうなのか」


 確かに彼女の言葉の通り、いつも部屋の隅に溜まっていた埃は消えうせ、ところどころ汚れがあった畳も本来の艶を取り戻しているようだ。机の横で崩れかかっていた専門書や教科書の類も綺麗に整頓されている。どれも申し分なく片付いていた。


「ふうむ」


 春臣は低い体勢で周囲を見渡す。

 すると、卓上の媛子が嬉々として飛び跳ねた。


「どうじゃどうじゃ? 何か言いたいことは無いかの? あ、別にわしは、この部屋の掃除くらいどうってことないのじゃ。何しろ神じゃからの。ちょちょいと小手先捻ればこの通りなのじゃ。しかしの、お主がこの部屋を見て、何かわしに言いたいことがあれば、その、何と言うか、感想があれば聞いてやろうぞ。な、なければないでもよいが……いや、あるはずじゃ、あるはずじゃろう?」


 くるくると表情を変えながら、目をそわそわきょろきょろと動かす挙動不審の神様は、見ていて面白い。春臣はついにやついてしまう。

 要するに褒めてもらいたいわけだな。それならそうと、素直に言えばいいものを。


「いや、本当にすごいな、媛子は。そんな小さな体でありながらこの広い部屋をこんなに綺麗に片付けちまうなんて、さすが神様だな」


 春臣が言うと、媛子の顔がぱっと輝く。まるで喜びを発散させるようだ。


「そ、そうであろう? わしは神様じゃからの。のう、わしは役に立っておるか?」

「ああ、感謝してるよ。早速思いついた仕事をしてくれたわけだな。でも、その体で大変じゃなかったか?」


 彼女はノープロブレムじゃと指を振る。


「部屋の掃除を自力でするのは大変じゃが、榊の葉の力を借りて、少々神力にて物を動かしたり、汚れをふき取ればこの通りじゃ。大したことではない。うむうむ。わしが役にたったか……春臣は正直でよろしい」

「ははは、なるほどね。神の力を使ったわけか」


 それで彼女より重たいものが移動している説明がつく。そう言えば、姫子が息を吹きかけるだけでトランプを動かしていたことがあったが、あれの応用といったところか。

 神の力は花を咲かせるだけではないようだ。

 となると。

 春臣はあることに思い当たる。


「そうだ、媛子。その力で自分の身長を伸ばすことは出来ないのか?」


 褒めてもらったのがかなり嬉しかったのか、彼女は笑みを湛えて陶然としていたが、春臣の問いに振り返る。


「……身長を、伸ばす?」

「そうだよ。それが出来ればこの生活が少しでも楽になるじゃないか」


 彼女の体は日に日に少しずつ成長し、今では二十五センチほどになっていたが、最近ではその伸び代にも限界が見え始めていた。

 だが、ここで身長を少しでも伸ばすことができれば、日常の自由度が増える。日々彼女が遭遇するいろいろな危険も少しは緩和されるはずだ。上手くいけばそれで彼女の本来の姿を取り戻すことも可能である。


「なあ、出来るんだろ?」

「で、出来ぬわけではないぞ」


 彼女の様子はどうやらそのことを既に思いついていた顔だ。その言葉には影の部分を感じる。


「え、じゃあ、なんでやらないんだ?」


 気になって問う。


「じゃからの。自らの身長を伸ばす、自分の姿を変化させるということはそれなりに高度な技術なわけじゃ」

「高度な技術だと、媛子じゃできないことなのか?」

「そ、そうは言っておらん」


 プライドを傷つけられたのか、彼女はふくれっ面になる。


「じゃあ、何でだ?」


 すると、媛子は忌々しそうに榊の葉を摘んで説明する。


「高度な技術には当然、それ相応の力を消費する。つまり、力の消費量は高度さに比例して増えるのじゃ。しかしの、わしの体に貼り付けておるこの榊の葉は……」

「そうか榊の葉の限界量があるのか」

「うむ。その通りじゃ。わしは本来の力を取り戻せてはおらぬ身。この葉による供給があってこそ、神力を使用できる。しかし、姿を変える力を使用するのには、この葉では到底間に合わぬのじゃ」

「どうしても? 使う葉を増やせば……」

「いや、葉を複数枚同時に使用することも不可能なのじゃ」


 彼女の声が手で払うように、春臣の案を却下する。それが理解できない。


「どうして?」

「つまりの、この世界でわしが葉を使って力を使用するとき、葉とわしの間には一本の線のようなものが通っておるようなのじゃ。ほれ、電話の回線、のようなものと思えばよい」

「ああ、分かる」

「簡単な話、わしはその回線をつなぐプラグを一つしか持っておらぬということじゃ」

「……なるほどな」


 はあ、と春臣は大きなため息をつく。せっかく彼女を救ういい方法があったと思ったのに、あっという間に希望は霧散した。儚いものだ。


「そう、都合よくはいかないか」

「そうじゃのう、元の姿に戻るには、また違う方法を探さねばな」


 少々残念そうに媛子は俯く。

 春臣は綺麗になった部屋に寝転びながら、神棚を見つめた。いつもと変わらず、それはこの部屋に異質な厳格さを漂わせている。掃除をしているわけでもないのに、いつも汚れていないようだ。もしや、埃さえもその場所に落ちないよう、敬意を払ってるというのか。

 まったく。

 あの神棚がなければ、姫子がこの世界に来てしまうこともなかったのに。

 自分があの日、あんな神棚を拝まなければ、彼女がこの世界に縛りつけられ、悶々とすることもなかった。


 春臣には、いつもと変わらないあの佇まいの社がなんとも忌々しいものに映った。

 いっそ、消えてくれて、何かも戻してやれればいいのに。


「春臣、何か不穏な目をしておるぞ」


 気付かないうちに、目つきが険呑けんのんなものになっていたらしい。机から降りた媛子が顔を覗き込んでいる。


「え、ああ」

「神棚、か?」

「まあな。あんなものがなければよかったのにって思うんだけど。今さらどうなることでもないよな」

「春臣は、そう思うのか?」


 これは意外な言葉だった。それはまるで、自分は違うと言いたげな……。


「思わないのか? あんなものがなければ……」

「確かに、このような歯がゆい事態にはならなかったかもの」


 その声は澄んでいて、まるで全てを受け入れているかのような諦め、いや、むしろうっすら喜びすら混じっているような感じだ。


「しかしの、わしはこう思うのじゃ」

「うん?」

「あれがなければ、わしとお主は出会うことはなかった。お互い住む世界が違う身じゃ。こんな異常事態でも発生しなければ、わしとお主は間違いなく一生関わりあいになることがなかった」


 春臣は上半身を起こした。彼女が少々恥ずかしそうにしているのが見えたのだ。両手の指を絡ませ、ぽつりぽつりと話している。


「そう思えばの。一概にあれが、悪いものとも言えぬと思うのじゃ。神の世界の外、人間の世界において、お主のような人間に会えるなどと、以前のわしは夢にも思っておらんかった」

「それはこっちも同じだよ。実家を出て、一人暮らしを始めようとしたその矢先に、神様と同居することになるなんて、ありえないの十乗だ」


 言いながら春臣は改めてその異常さ、奇跡の確率を思う。媛子が部屋の隅を指差した。


「そうじゃ、あれを見よ」

「なんだよ」


 視線を上げると、そこには一ヶ月ほど前に書いた書初めが画びょうで壁に留めてあった。媛子の拙い文字と、自分の妙に力の籠もった文字。二つ並んでいる。


「おぬしの文字。で、あ、い、じゃの」


 彼女がゆっくりと発音し、春臣もそれを理解し、頷いた。


 世界にはそれはもうおびただしい人間が生活を営んでいるわけだが、その真っ只中、一人一人の人間は僅かなスペースの中で、たまたま近くにいた人間と寄り添い、関わりあい生きている。


 きっとどれだけ努力しようとも、この世のすべての人と知り合うには人生はあまりにも短いし、その中で、家族や親友、恋人のように深い付き合いをしようと思えば、もっとむずかしい。


 しかしだからこそ、自分が生きて、誰かと、限られた人と出会うというのは、それほど意味の濃いものなのだ。

 春臣はそれをゆっくりと飲み込むように感じることが出来た。


「神から見ても、この世は本当に不思議なものじゃ」


 媛子は詩を詠むように言う。


「万物流転し、日々、何かが生まれ変わっておる。昨日あったはずのものが、今日にはない。今日当たり前に受け入れられていたことが、明日には忌避される。物も人も価値も知識も、ひとえに同じ。そんなことが日常茶飯事じゃ」

「うん、そうだな」

「わしは……」


 言いかけて止まる。

 どうした、と春臣は首を向けた。


「そのように変わり、移ろいゆくこの世界で、お主と出会えたことを嬉しくおもっておるぞ」


 そして、首を傾げるようにして微笑む。春臣にはそれがあまりにも優美に、そして愛らしく映り、思わず目を逸らす。


「あ、ああ」

「お主はどうじゃ?」

「……そりゃ、もちろん。神様と出会えるなんて、普通に暮らしてりゃないからな。嬉しいさ」


 言いながらも、気恥ずかしさに頬が紅潮するのが熱で分かる。喉が渇きそうだ。

 いったい何なのだろう、この感じは。

 まるで、恋人が会話をしているような雰囲気である。そのままイチャつきそうな、そんな感じ。

 冷静になるために首を振る。


「どうしたのじゃ?」

「いや、なんでもない」


 一呼吸置いて、


「……それでなのじゃがな」


 急に媛子が改まったように言い出す。


「その、わしはこうして仕事を、おぬしのために部屋を綺麗にしたわけじゃが、これからも出来る範囲で家を掃除していこうと考えておる。しかしの……」

「しかし?」

「仕事には、それなりの報酬というものがあるじゃろう?」


 すると、彼女の口の端が小生意気ににやりと吊りあがる。どうやら、部屋を掃除したのはそれも目的の一部だったらしい。


「報酬、ね。でも媛子は俺のためにやってくれたんだろ?」

「もちろんそれもある。わしの思いからすれば九割はおぬしのためじゃ」


 彼女は否定しない。


「しかしの、わしとてこの世界で生活しておる者。郷に入らば郷に従え。仕事をすれば報酬をもらえるのがこの世界の常ならば、わしもその例外ではないと言いたいのじゃ」

「ご高説賜り光栄ですね、神様」


 なんと都合のよい慣用句の解釈か。どちらかと言えば、マイナス面の強いその言葉を逆手に取るとは。

 やはり結局、神様は見返りを求めるわけだ。


 しかし考えてみると、掃除を仕事と媛子は言っているが、それは正確には家事であり、家事は大半が報酬に結びつくとは言えないものである。媛子はおそらくそれを知らないのだろう。

 冷静に考えれば、春臣には反論できる余地がある。が、何も言わず、彼女を眺めていた。


「ふふ、もっと崇め奉れ、そして、この神にうまい食べ物を献上せよ」

「いつも媛子は食べ物だな。太るぞ」


 からかいながらも、春臣の言葉には嫌味な棘はない。

 それは正直、春臣が本当に彼女に感謝していたためだ。彼女の意識が変わったことは、何にせよ、これからの生活が少しでも楽になるということ。それは間違いなく目標への一つの前進と言っていいだろう。それを喜んでいる。


 しかし、媛子は口を尖らせていた。


「そんなことはない。前にも言わんかったかの? 食べ物は消化されるわけではないのじゃ。じゃから太る問題はない。それから補足するに、食べ物はわしの心に潤いを与えるすばらしきものじゃ」

「へいへい」

「そうじゃのう、今日はアイスクリームが食べたい気分じゃ。イチゴの入ったやつじゃのう」

「……仕方ないな。仕事の報酬だ」


 春臣は息を吐きながら片膝をついて立ち上がった。


「今から近くのコンビニにでも行ってくるから、ちょっと待ってろよ」

「ああ!」


 すると、媛子が呼び止めるような声を出す。首を向けると、彼女は足元で服の裾を握っていた。

 少し揺すぶるが、口元を結んだまま頑固にも放さない。話を聞け、ということだろう。


「何だ?」

「わ、わしも連れて行ってはくれぬか?」

「媛子を、外に?」


 春臣は言葉を失いかけた。


「無理ではないじゃろう?」

「……まあ、そうだけど」

「じゃあ、良いではないか」


 突如、そんなことを頼んできた彼女に春臣は驚いていたのだが、その後の言葉にさらに二の句が継げなくなる。


「よし、これからお主と夜のデートじゃな!」

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