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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第二部 青山椿編
25/172

25 潜入! 探偵つばき

 大学からの帰り道、うちと榊君は停留場を二つ分早めに降りると、町の中にある洋菓子屋に顔をのぞかせていました。


 「ぽぷり」というお名前のその店は、入り口のプランターで綺麗なパンジーの花が咲いていて、青や赤や黄色の風車がからからと音を立てているメルヘンチックな所でした。

 掲示用のブラックボードに可愛らしくクレヨンで書かれた文字は「本日特売」のシンプル且つ素敵なフレーズです。


「っで、どうしてケーキを買おうと?」


 しかし、抜かりなく全てのケーキをショーケースからじろじろと眺めているうちに、わざわざそんなことをしなくても、と榊君は半分不思議そうで、半分不服そうな顔をしています。


「何でって。せっかく榊君の家に行くんやで。お土産くらい持っていかな。気の利かん奴やと思われたぁないやろ。それくらいの配慮が行き届いてこそ、大人な女性や」


 うちはそんな彼に頬を膨らませます。


「いや、その家主である俺が無理しなくていいって言ってるんだよ。わざわざちょっと寄るくらいで大げさだって」

「ええからええから。ほら、榊君はどんなケーキがお好みなんや? モンブランか? チーズケーキか? スタンダードなショートケーキもええで」

「……青山と同じものでいいよ」


 うちの問いかけに榊君はケーキをちらりとも見ずに、素っ気無く返します。


「もう……」


 こうなれば、八つ当たりのつもりでこれでもかと並べられたケーキたちを凝視してやります。近づき過ぎて、ガラスケースに頭をぶつけてしまいました。

 うちはそれをさすりながら、先ほどからの榊君の態度を思い返しました。家に行ってもいいか、という話をしてから彼は妙に神経質になったようなのです。

 いつもの彼らしくなく、うちにはその態度が冷たく感じます。


 これはやはり、うちの予想が的中しているせいなのでしょう。きっと今の彼の脳内では、うちと一緒に食べるケーキなど眼中になく、うっかり、うちが自宅で鉢合わせてしまうかもしれない同棲相手のことしか浮かんでいないに違いありません。

 きっと間違いありません。

 そのことをどう隠そうか、ごまかそうかと、考えを必死にまとめている状況なのでしょう。

 全く持って、うちにそのことを秘密にしていた罰なのです。報いなのです。

 身から出たわさびなのです。


 しかし、どうしてなのでしょう。うちはそのことを思うと、何かが胸の内側がちくりとされるような、そんな痛みを感じています。何かの気のせいだと思って、うちはぱっと目に入ったケーキを選びました。

 余計なことを考えていたせいで、スイーツの選考に注意を向けられませんでした。閃きでフルーツのたっぷり乗せられたタルトを指差します。


「じゃあ、これを三つ」


 すると背後で無関心に突っ立っていた榊君が顔を出してきました。


「三つって、一人分多いだろ。人数は数えれるよな」

「これはこれでええの。榊君は口出さんといて!」


 つい口調が荒くなってしまいました。それに驚いたのか、彼は目を瞬かせます。


「う、まあ青山のお金で買うことだから別にいいけど。青山意外と大食いなのか?」

「そんなこと、ないもん」

「……なんて言うか、朝の講義の後から青山変だぞ。何か怒ってる?」

「もうええって、さっさと行こ」


 苛立った声を抑えることも出来ず、うちは代金をさっさと財布から支払うと、ケーキを受け取り、訝しげな榊君を置いて店を出ました。後ろからついてくる彼を振り返ることもせず、一人ずんずんと風を切るように歩いていきます。


 ああ、そうだったんや。

 その時になって、うちはようやくあることに思いつきます。


 うちはただ、榊君に怒っていたのです。

 榊君に一緒に住んでいる誰かがいると知って。

 それは、まだ知り合って数週間とはいえ、他の人と同棲しているなんてことをうちに黙っていることへの怒りでした。

 本当に、これでもそれなりに仲良くなれたと思っていたのに、うちと榊君はまだそんな話をするほどの間柄ではないということでしょうか。

 所詮、その程度の人間なのでしょうか。


 そもそもこの事実は隠し続けるべきことでしょうか。第一、近所に住んでいれば遅かれ早かれ気づかれることです。

 そして、それ以上に、うちは自分自身にも腹が立っていたのです。

 こんな重要なことにうちは今まで少しも気がつかなかった。自分に怒っていたのです。

 ほんまにうちの目は節穴やった。


 でも、こんなことで榊君に八つ当たりをするというのはお門違いというやつです。うちが勝手に思い込んで、榊君とはそういうことでも話せるようになったと勘違いしていたのです。

 榊君はうちを普通の話友達くらいと捉えているのでしょう。暇なとき、気が合うから話しをする。それくらいです。

 それならそれで、うちは友達としての態度で望まなあきません。


 それに、まだ榊君が誰かと同棲しているという決定的な証拠を掴んでいるわけではありません。

 全部うちの勘違いだとしたら、ほんまにうちはアホです。自分で勝手に想像して、怒って、八つ当たりして、いろいろ余計なことを考えて、もう何をしているのでしょう?

 榊君にあらぬ疑いをかけ、不愉快な思いをさせてしまったことを謝らないといけません。


「あ、青山。先に行くなよ」


 すると、後ろから彼が追いついてきました。


「……榊君……」


 うちは何を言えばいいのか、彼の名前を口に出しただけでした。


「さっきの言葉、怒ってるなら謝るよ。その、冗談のつもりだったんだ」


 さっきの言葉というのは、うちに大食いやなどと言ったことでしょうか。


「……冗談でも、女の子は嫌やねんで、そういうこと」

「そう、だよな。分かってたつもりだけど。ごめん」


 榊君はそれ以上言い訳をせず、素直に謝ってくれました。うちが怒っていたのはそこではないのですけれど、榊君は彼なりに考えて、うちに謝罪をしてくれたようです。


 そう思うと、やっぱり何か重要な秘密をずっと隠し続けるような人には見えませんでした。

 彼はそんなに意地悪な人間にはとても思えないのです。


「ええよ。うちもしょうもないことで怒ってしもた」


 複雑な心境のまま、うちは彼の謝罪を受け入れました。これで一応、仲直りということでしょう。


 今度は二人で道を歩き出します。

 彼の家まではそれほど遠くないはずです。うちはこう見えても方向音痴なので絶対の確信が持てないのですが、きっと五分もかからないでしょう。


 なんとなく歩きながら、うちは先ほどの続きを考えます。

 しかし、彼が意地悪な人間ではないとすれば、そこには、話したくても話せないような状況があるかもしれません。

 彼が誰かと一緒に暮らしているとして、それをうちに話せない理由です。


 こういうとき、一番恐ろしいのが、その誰かに口外するなと脅されている状況です。どこかテレビで見たように、人殺しの犯人が彼の家にやってきて、ここでかくまえと脅しているのです。

 そうだとしたら、何としても彼の異変に気がつき、すぐさま警察に通報をしなければなりません。

 いえ、そうしてしまうと犯人をかえって刺激して榊君を人質にとり、立てこもり籠城などやらかしてしまうやもしれません。

 ありえない空想がうちの脳内を駆け巡ります。


 そうこう考えているうちに、榊君の自宅の前まで来ていました。

 彼の家を前にして、うちは密かに気合を入れます。何があろうとなかろうと、彼の家に入るのはこれが初めてです。

 そういう意味でも緊張は波のように何度も何度も打ち寄せてきます。しぼんではふくらみしぼんでは膨らみます。


 すると、榊君はうちを戸口で待って置くようにと、告げるとそのままそそくさと自分だけ中に入っていってしまいました。

 少々散らかっているということなので、簡単に掃除をしているということです。やっぱりそういうところは男の子らしいのです。うちのお兄ちゃんもよく部屋を散らかしてお母さんに怒られていました。男の子は往々にして大雑把なところがあるようです。

 しばらくして玄関が開きました。


「青山、入っていいよ」


 中から榊君の声が聞こえます。うちは恐る恐るのっそりと足を踏み入れました。


「お、おじゃまします」


 それだけなのに、声が変に上ずってしまいます。足元には一人分の靴がありました。ちらりと確認しましたが、他の人のものは下駄箱には入っていないようです。


「靴脱いだらこっちだよ」


 通路の先の手前のふすまが開き、そこから榊君が顔を出します。どうやらそこが居間になっているようでした。

 うちはそこに向かう途中で入念に足元をチェックします。もしかすると、どこかに同居人の証拠が残っているしれません。長い髪の一本でも拾ってやろうと目を皿にして歩きましたが、残念ながらそんなものはありませんでした。


「なんだ? がっかりした顔して」


 部屋に入ると榊君が訊きました。


「う、ううん。ちゃうねん。なんかイメージと違うなあって思って。もっと男の子っぽい家やと思ってたから」


 彼は居間のテーブルの横に座っています。正面がガラス戸になっていて、その向こうに散りかけの立派な桜の木がありました。


「青山がどんな家を想像してたのかは知らないが、こんなもんじゃないか? まあ、そもそもここは俺の死んだじいちゃんの家だし」

「え、おじいさん死んでしもたん?」


 うちはさらりと告げられた死の報告にどきりとしました。


「ああ、数ヶ月前にはな。知らないか? じいちゃんここでずっと一人暮らししてたんだけどな」


 記憶の糸を探り出します。そうすると思い当たる場面が浮かんできました。


「ああ、そうや。いっつもこの家の前を通ったら声かけてもろたわ。優しそうな人やったな。白い髭生やしてた」

「きっとその人だよ。俺のじいちゃん」

「そうか、あのおじいちゃん、死んでしもたんか」


 うちはちょっと悲しくなって顔を俯かせました。最近は見かけないため、忘れていましたが、いつも元気に畑仕事をしていた老人のことが目に浮かんでセンチメンタルになったのです。

 すると、榊君は机に手を置いてこう言います。


「それで、今は俺が代わりに住まわせてもらってるってことだ。早く一人暮らしをして、親から自立したくてさ」

「自立?」

「そうそう。だって今まで親に何から何までまかせっきりだったからさ。社会に出ても自分ひとりでやっていける自信をつけたかったのさ。じいちゃんみたいに半自給自足とまでは出来なくても、それを目標にさ。がんばろうって思ってんだ」


 自信をつけるために一人暮らし。

 榊君の言葉には簡単には揺るがない決心の力強さが籠もっていました。彼は自分のためにここで一人暮らしを始めているのです。

 うちはその言葉で確信しました。

 彼は本当にここで一人暮らしをしているに違いありません。彼の目標ある暮らし方にはこの家にいるのは一人で一杯なのです。うちには、もう一人入るだけの余裕は無いように思いました。


「やっぱりせやねんな。うちが勘違いしとったわ」


 彼がこの家で同棲しているなんて妄想もいいところです。

 なーんや。思い違いか。



 ……って、いやいや。

 途端に、脳内の自分からつっこみが入ります。そうです。それでも説明できないことがあるのです。

 それでは、あの電話の声の主は何者だったのでしょう。ケーキを買ってきてくれと頼んできたあの人物です。


 彼がこの家で他人と暮らしていないとなると、その人物の影がふわふわと漂います。

 これはいったいどういうことでしょう。

 ミステリーです。ひどく混乱してきました。


「青山? 頭が痛いのか?」


 頭を抱え込んでいるうちに心配したのか、榊君が声をかけてきます。

 その時、ふいにうちの視界に何かがきらりと光りました。何でしょう。机の端で細長いものが落ちています。


「赤い、毛?」

「どうした、青山?」

「榊君、この家で猫でも飼ってんの?」

「いや、そんなことはないけど」


 首を傾げる彼にその赤い毛を見せたときでした。彼の表情がさっと青ざめたのが分かりました。こころなしか、小さく「げっ」と呟いたようです。明らかに異常な反応でした。


「も、もしかしたら、野良猫が家の中に入ってきたときかもしれない」

「野良猫がおんの?」

「あ、ああ。裏の林があるだろう? あの辺りに猫が住み着いてるんだよ」


 どうにも嘘くさい話に聞こえます。榊君の眉が妙に動いていて、何かを隠そうと焦っているかのようでした。

 これには、うちの中でまたふつふつと疑惑の念が沸きあがります。

 すると、今度は頭上のあたりで何かの物音がしました。ごとり、と何かが倒れる音です。


「あれ、今変な音が……」

「……大したことじゃないって。それよりさ、せっかく買ってきたんだろ?」

「え?」

「ケーキだよ、ケーキ。食べようぜ」


 さっきはあれほど興味を示していなかったケーキを彼は指差して言います。まるで、上手く注意を逸らそうとしているようです。いつものうちならそれで騙されるかもしれませんが、今日は違います。その手には乗りません。

 うちは榊君が誰かと同棲しているのか、それをどうしても確かめなければならないのです。そこであることを思いつきました。

 ケーキを食べるなら、と榊君に頼みごとをします。


「じゃあ、申し訳ないけど、お茶を用意してくれへん?」

「飲み物が欲しいのか?」

「ケーキと言うたら紅茶に決まっとるやろ? えっと、なかったら何でもええけど」

「そっか、紅茶があるよ。すぐにお湯沸かしてくるから、ここに居てくれ」

「了解やで」


 榊君はちらちらと不審げにうちを見ながらも居間を出て行きました。

 すぐに隣の台所の方から蛇口を捻る音が聞こえてきます。


 こうなれば、チャンスは今しかありません。

 うちは拳を握ります。

 先ほど物音が聞こえた二階に上がってみるのです。もしかすると、誰かが隠れているのかもしれません。


 うちの好奇心はもう止められませんでした。

 出来るだけ音を立てないように立ち上がるとそっと廊下に出、階段を目指します。

 抜き足、差し足……。


「青山、ミルクは入れるか?」


 台所から榊君の声です。


「あ、お願いするわ」


 身体を静止させて、首だけ後ろに向けて返事をします。


「……りょーかい」


 適当な彼の声が返ってくるや否や、うちはもう階段を駆け上ります。ここまで来れば、榊君も追いつけません。一思いに二階まで辿り着くと、物置らしき扉の横、目に付いた小部屋に繋がるドアを開け放ちます。


「ど、どばーん!」


 しかし、ドアを開けた後でうちはその場で立ちすくみます。

 目の前にあるのはいたって普通の勉強部屋でした。

 人が隠れられそうなスペースはありません。これはいったいどういうことでしょう。風を通すために開けられた窓からは平和的な鳥たちのさえずりが聞こえてきます。


「……あ、あれ?」


 拍子抜けしたうちはそのままフリーズをしてしまったのですが、一拍置いて、何者かの叫び声が響きました。


「は、は、春臣! 曲者じゃー! 踏み潰されるー!」


 うちの足元です。視線を落とすと、見逃していた小人が机の柱の影に隠れています。

 そうです。小人なのです。

 とても小さくきらきらと赤い髪の毛をした女の子がひいひい言いながらふるふると震えています。その少女が叫び声をあげていました。


「話が違うではないか! 誰も二階には来ないと言ったはずじゃぞ、春臣!」


 うちは目の錯覚を疑いました。軽く昏睡状態の手招き、めまいを感じます。


「な、な、な、なんやー!?」

「誰か助けてくれ。こ、殺されるー!」


 二人の乙女の悲鳴が一人暮らしの榊君の家に容赦なく響き渡ります。

 

 尻餅をついたうちの背後から急にどたばたと階段を駆け上がる音が聞こえたと思えば、榊君でした。惨状を見るや否や、真っ青な顔をして額を手で覆い隠しています。


「最悪だ」


 そして、長いため息を吐き出しました。

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