23 つばき、憂鬱フォンコール 1
作者のヒロユキです。
今回はいつもとやり方を変えまして、春臣視点ではなく、椿から見た物語の内容となっています。そのため、いろいろと試行錯誤をした結果、文体がいつもと変わっております。これは椿らしさを物語に反映するための試みでして、これで彼女の良さというものが一番引き出せるのではないかと考えました。物語の途中で書き方を変えるというのは如何なものだろうか、と思ったのですが、自分なりに考えた結果です。
物語の前に、少々堅苦しいことを言ってしまいましたが、少しでもお楽しみいただければ幸いです。
講義がいつも通り時間目一杯で終わると、うちはとりあえず板書を写しただけのノートを閉じます。ズボンからお腹がはみ出した太っちょの教授がマイクを置いて、台から降りました。それを合図に部屋の中がざわつき始めます。
午前中の講義はこれで終わりでした。
うちはちょうどお腹がぺこぺこな空き具合で、これから向かう学食でのランチにいやがうえにも期待がかかります。
ぐう、と鳴いて昼食を催促するお腹に、もう少しだけ気張りや、と励ましました。
こう見えてもうちはなかなかに優柔不断な人間で、メニューはいつもは何にしようかと迷うのですが、今日は最初から決めています。
同じ学部の友人、朋ちゃんが食べていたオムライスです。あのふわふわとろとろのたまごがなんとも魅力的で、出来立ての湯気が立ち、あのケチャップの匂いもなんとも言えず食欲をそそります。
お値段も学食なので、お手ごろの300円。お財布にも優しいなど、一石で二鳥、ということでしょう。
そういうわけで、うちの一押しランチに大決定なのです。
うちは隣に座っている榊君の様子を見ました。
彼は自宅近くの空き家に近頃越してきた大学生の男の子です。実家から離れ、一人暮らしをしているそうで、独立心に溢れている元気はつらつとした野心家かと思いきや、意外とぐうたらのんびりさんです。いつも睡眠不足なのか、講義の間はよく居眠りばかりして、うちのノートを見ます。
今日は珍しく手に顎をついて教授が話すのを退屈そうに眺めていましたが、残念ながら手元のノートは真っ白でした。無造作にシャーペンが転がされていて、歪な曲線を描いています。
「なあなあ、榊君」
うちは服に皺が寄った彼の肩を揺すりました。今日は友達と一緒にランチを食べるので、その旨を彼に伝えようとしたのです。
しかし、彼は一瞬驚いた顔をした後で何かに気づいたようで、ポケットから携帯電話を取り出しました。
「悪い、ちょっと電話みたいだ」
そう断りを入れて立ち上がり、背を向けてなにやら電話の向こう側と話し始めます。
うちはその様子を見ながらははん、とこっそり頷きました。
どうやら、例の人物らしいのです。
というのも、彼の元には決まった人物から頻繁に電話がかかります。
うちはまだ榊君と知り合って間もないのですが、今や、この人物から電話に出たときの彼の反応を見ているだけでその電話相手を察知できるようになりました。
なぜか、うざったくあしらうように話していながら、どことなく仲が良さそうで、彼の声の調子からそれが分かります。
いったい相手が誰なのかは分かりませんが、妙に怪しいものです。うちの女の勘というやつもぴくりと反応しているわけです。
どうやら電話の相手は僅かに漏れる声から察するに女性の模様。
この町に榊君が越してきてまだ数週間、まさかと思いますが、もうこの大学で彼女が出来ていると思いませんし、お近づきになっている女性がいるとしたら、かなりの割合で同じ講義を取っているうちが気がつかないはずはありません。
地元に残っている恋人なのでしょうか。
それとも単純に仲の良い女友達なのでしょうか。
全くうちの勘違いということもありますが、どうにも気になります。
名探偵気取りで顎に手を当てて考えてみたりします。
むふん。
といっても、ポーズだけなので、意味はありません。
しばらくすると、話は終わったようで彼が携帯をジーンズの後ろポケットに入れました。申し訳なさそうに、うちに小さく頭を下げます。
「ああ、ごめん青山。それで、何か用?」
「今日はうち、友達とお昼食べる約束あるんや。せやから、それを言おうと思うて」
彼は頭をくしゃりと触ります。
「そうか。それなら今日は別々だな。俺も友達と食べるし。午後からの講義はあるか?」
「うん、必修の講義やから榊君もおるやん」
「ああそうだっけか」
彼は至極面倒臭そうに席に座り、荷物をカバンに入れるといそいそと立ち上がりました。背を向けて
「うんじゃ、また後で」
「……あ、あのな……榊君」
「うん?」
そこでうちは思わず、彼を呼び止めてしまいます。
咄嗟に彼に電話の相手について聞こうと思ったのですが、勇気がなく、どうにもその先の言葉が出てきません。つい、言いよどんでごまかしてしまいました。
「な、なんでもないねん。ほな、後でな」
「そうか……? それじゃあ」
不思議な顔をしたまま手を振って、榊君はそのまま教室を出て行きました。
それを見ていると、チクリと後悔の痛みを感じました。
うちは何をしているのでしょう。電話の相手が誰かぐらい、きっぱり聞いたればいいのです。ここぞというところで踏みとどまってしまいました。情けないことです。
しかし、今はそんなことを考えている時間はありません。後悔ならお昼の後でも、可能です。
その前に、おいしいオムライスがうちの到着を待っているのでした。頭のスイッチは赤信号から青信号に切り替わります。
しかし、すぐに忘れ物がないか確認した後で、あるものに気がつきました。
「あ、榊君の……」
なんと、彼の携帯電話が椅子の上にぽつんと残されていたのです。