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天罰なんて怖くない!  作者: ヒロユキ
第一部 邂逅編
21/172

21 神の一葉、花の宴 1

 お久しぶりです。作者のヒロユキです。

 長い期間更新をしておりませんで、続きを待っておられた方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。元々、この小説はネタを思いついたら書くというお気楽なスタンスで書き始めたものでしたが、ちょっと間が空きすぎました。これからはこんなことがないよう、最低一週間に一度は更新していきたいと思っております。

 サクラ、満開。


 深夜のテレビ番組のキャスターが先ほどから嬉々として語っているのは、先日家族で出かけたという花見の話題だった。


「なんと言ってもタイミングが良かったんですよ」


 何度も自慢げにそう繰り返す美人女性キャスターは、まるでこの世の桜を全て独り占めにしてきたかのような饒舌じょうぜつぶりでゲストの元野球監督に語り聞かせている。


「もし、その次の日に行っていれば、あのすばらしさを体験できなかったですね。ほら、先日の大風が吹いた日を覚えてますよね。あの時、桜が散ってしまって……。ええ、そうなんです。皆さん悔しがってましたよ。私はその前日が花見だったのでまさに絶好の機会だったわけですね」


 春臣はそんなテレビを見るでもなく、聞くでもなく、部屋のむき出しになった柱に背中をつけ、本のページを捲っていた。


 テレビ以外は世界が見事に静まり返った、春の宵である。

 風を通すために僅かに開けた網戸の向こうからはそよ風をまとう木々の葉擦れの音さえも聞こえない。道路を走る無遠慮なバイクの音も届かなければ、光に舞う羽虫たちの羽音も皆無だ。

 皆で口元に指を置いているかのような、しんとした静謐せいひつが立ち込めている。


 本の文字を目で追うのに疲れた春臣は、ふいにぼうっと座布団に座っている姫子を見た。テレビを見るのに飽きたのか、それとももう眠たいのか、何をするでもなくただ口を開けたまま神棚の方を見上げている。

 そして、ときどき思い出したように目をこすっては、やはり何も言わずに黙って座っていた。


 春臣も無言のまま本を閉じると傍らに置き、見る者がいないテレビを消すと、神棚を見た。

 いったい姫子がどういうつもりでそんなものをみているのか分からないが、思い当たるところはあった。

 彼女、いや、緋桐乃夜叉姫ひぎりのやしゃひめがこの部屋に閉じ込められる原因となったのが、この神棚なのだった。


 その原因を作ったのは言うまでもなく自分である。

 春臣は何も知らなかったとはいえ、自身の礼拝によってこの空間に歪みが生じ、結果的に彼女を閉じ込めてしまうことになってしまったのだ。

 ここに越してくる前はいったいどんな一人暮らしになるかと、とかく想像しがちだったが、まさか神と同居をするなど、予想の斜め上、いや、自身が許容できる常識の範疇から大きく逸脱する事態となっている。


 今ではそれなりにこの生活も苦ではなくなったが、彼女のこれからの事を思うと、何も分からなかった。

 神棚を見つめても、そこに何らかの答えがあるわけでもなく、当然、それが返事をするわけもない。

 しかし、春臣の目にはただの木で出来た作り物としか映らないが、神である彼女の目にはこの異空間を作り上げているなんらかの負のエネルギーが見えているのかもしれない。そう思った。

 それは今も確かに存在していて、まるで生き物のようにこの空間をうごめいているのかも、しれない。


「榊じゃ!」


 すると唐突に彼女が叫んだので、驚いた拍子に春臣は柱に頭をぶつける。


「な、なんだよ」

「榊があるのじゃ」

「俺が、どうかしたのか?」


 何度も春臣の名を呼ぶ彼女に不思議そうに聞いた。


「違う、そうではない。榊じゃ」


 彼女は振り向くと、なにやら神棚の方を指差している。どうやら、彼女が伝えようとしていることは分かりきった春臣の名ではないらしい。


「俺じゃないのか?」

「だから、いつお主と言うた。わしが言っておるのは神棚に供えておる榊の枝じゃ」

「榊って、あの枝か?」


 視線を向けると、なるほど、彼女が言うように、小さな花瓶(で、いいのだろうか?)に木の枝が挿してある。春臣は知らなかったが、それは祖父が死んだ後、家を管理していた杉下老人が供えていたものだった。


「そうじゃ、まさかお主は知らんのか?」

「ああ」


 すると、眉を寄せた春臣のとぼけた顔を見るや、途端に姫子は笑い出した。


「ハハハ、こ、これはどういうことじゃ。お主、なかなか笑わせてくれるの」


 春臣はぎょっとして、立ち上がる。


「な、笑いすぎだ」

「こ、これが笑わずにおれるか。お主、自分の苗字にもなっておる木の枝のことを何も知らんとは、これほど滑稽なことがあるものか。は、腹が割れるわ。ハハハハ」


 姫子は抱腹絶倒、座布団の上を転げまわっている。春臣は耳の辺りに血が溜まるようなひりひりとした熱を感じた。

 神とはいえ、こんな手のひら小娘に自分の浅学を笑われるとは、恥ずかしいやら悔しいやらで頬の筋肉が引きつったのだ。


「おい、もう笑うなって。その枝がどうしたんだよ」

「ま、まだだめじゃ。わ、笑ってしもうて上手く立てん」


 彼女は座布団とぽふぽふと叩いている。


「いい加減にしろよな。神とはいえ、今の弱ったあんたなら首を絞めようと思えば、造作ないことだぞ」


 すると、彼女は途端に態度を改める。


「お、おう。分かっておる。ちょっと調子に乗ってみただけじゃ。見逃せ」


 そう言った姫子の口の端にまだ笑いの余韻が残っているようだったが、無視して訊ねた。


「それで、突然その榊の枝がどうしたんだよ」

「そうじゃ、お主の名にもなっておる榊の枝じゃがの」


 お主の名、という部分を意味ありげに姫子は強調する。


「それはおちょくってるのか、本気で怒らせるつもりなのか?」

「冗談じゃよ。ともかく、その榊じゃ。これは神とつながりが深い木とされておるのをお主は知っておるか?」

「さあな、知らないよ」


 春臣は不貞腐れたように返事をする。


「そう怒らんでもよいじゃろう。ほれ、お主は不思議に思ったことはないか? この榊という文字じゃ」

「あん?」


 すると姫子は近くに転がっていた鉛筆を持ち上げる。身長がいくらか伸びたおかげで、それくらいの物を持つことはそれほど苦ではなくなったらしい。

 彼女は春臣が先ほどまで読んでいた本の裏表紙を捲ると、白紙のページにでかでかと「榊」と書いた。


「別にいまさら書いてもらわなくても、いつも見てるから何も思わないよ」

「じゃあ、おぬしは気づいておるのか?」

「何に?」


 姫子は榊の文字の中央に立ち、真ん中で一本の線を引く。


「こうすると、分かり易いじゃろう」

「あ!」


 春臣はようやく彼女が言おうとしていることを理解する。そうなのだ。この文字は「木」と「神」という文字が合体して出来ている。普段は一つの漢字として何気なく書いていたが、分割することにより、別の意味が見えてきた。


「要するに、榊って言うのは、神様の木ってことか?」

「そうじゃ。以前からこの木は神と繋がりが深く、こちらの世界で特別な扱いをされておる。我々としてもとても馴染み深いものじゃ」


 試しに春臣は神棚から榊の枝を手に取り、しげしげと眺めてみる。綺麗な楕円形の葉が重なりあい、まるで枝全体が大きな団扇のようにも見えた。


「でも、どうして榊は神と繋がりが深いんだ? こんな枝をした木、他にもありそうなものだけれど」

「ふむ、確かにそうかもしれん。一度見ただけではおぬしはこの木を特別に扱おうなどとは思わんじゃろうな」


 姫子は言いながら腕組をする。


「じゃが、一年中見ておればその不思議に気がつくはずじゃ」

「一年中?」

「大抵の木は、春が来て花を咲かせ、新たな緑が芽吹き、秋になれば紅葉し、冬には枯れゆく。それが自然の摂理というものじゃ。命は始まり、いつかは消えていく」


 姫子はそこで言葉を切り、春臣から葉っぱを一枚千切ってもらうとそれをよく見えるように光にかざした。


「しかしこの木の葉はの、年中緑のままじゃ。こちらの世界では確か『常緑樹』というじゃったかの。ずっと緑のまま、命が途切れることがない。つまり、永遠の命に等しいものであると考えられてきたのじゃ。どうじゃ、これで神に近いことが分かろう?」

「永遠の命、かあ。確かに神に近しいというのも頷けるな」


 春臣は彼女の説明に納得する。しかし、問題はその事実がどうした、ということだった。まさか彼女は春臣にこんな薀蓄うんちくを話したかったわけではあるまい。


「それで、この枝がどうしたんだ?」

「おう、そうじゃった。ついつい話が遠回りになっておった」


 姫子は頬をぴしゃりと打つと、片手に持った榊の葉を持ち上げて見せた。


「今の説明で神とこの榊の繋がりが深いことは分かったじゃろう?」

「ああ、大体な」

「そこでじゃ、ほれ、この前わしの体に神の世からの存在の力が蓄積するという話をしたじゃろう」


 そう言われて春臣は数日前の夜のことを思い出した。それは彼女の体に一種の存在のエネルギーなるものが溜まり、身長が伸びているという発見があった日のことだ。それで元の世界に戻れると意気込んでいた二人だったが、結局それでは彼女が本来の力を取り戻すのには時間がかかりすぎ、現実的ではないという話になったのだった。


「何が言いたいんだ?」

「分からぬか? 神であるわしの体に力が蓄積するということは、神に近い性質を持ったこの枝にも同じ現象が起こりそうではないか?」

「……! な、なるほど」


 つまり、彼女はその何の変哲もない木の葉にも存在の力が蓄積していると言いたいらしい。加えて彼女はその裏づけとなる事実を指摘する。


「変だとは思わんか。わしがここに来てからもう二週間以上経っておる。毎日手入れをしておるわけでもないただの木の枝が、これほど瑞々しく、生命力を保っておることに、先ほどわしは不思議に思ったのじゃ」


 言われてみれば、姫子の言うとおりだった。普通の木の枝なら毎日水を替えてやらないと、すぐに枯れてしまうのだろう。

 彼女が言う存在の力が榊の枝に乗り移っているのなら、その不思議も頷ける。


「つまり、この異空間の力がその葉に影響を与えておる動かぬ証拠と言えるのじゃ」

「そ、そうなると、どうなるんだ?」

「いいか、聞いて驚くな」

「……それは内容によるな」


 姫子はそれらしく咳払いをすると、こう言った。


「要するに、この葉を持っておれば、この部屋を出ても自身の存在の力をすり減らさず、実体を保っていられるというわけじゃ」

「葉っぱに吸収されているエネルギーを代価として使用するってわけか!」

「どうじゃ、驚いたか?」

「ああ、それなりには……」


 春臣は肩をすくめて驚いた風に見せる。

 するとそれを見て姫子はつまらなそうに鼻を鳴らした。


「全く貧弱なリアクションじゃの」

「驚くなって言われたからさ」

「言い訳は聞きたくないの」

「これほど理にかなった言い訳はそうないと思うけれどね」

「まあ、そんなことはよい」


 彼女はそんな些事は気にもかけない様子で軽くあしらう。そして、まるで人間に変化したタヌキのように頭の上に榊の葉を乗せて見せた。少々葉が重たそうではあるが、彼女はふらつかないように両端をしっかりと巻き込むように掴んだ。


「早速実験してみるとするか」

「部屋を出るのか?」

「無論じゃ。身を持って実行せねば、わしの理論が正しいか証明できぬからの」

「で、でももし、この前みたいに消えかけたりしたら」


 春臣の脳裏に一抹の不安がよぎる。初めて彼女がやってきた夜に、息も絶え絶えになって倒れてしまった彼女のことを忘れたわけではないのだ。自分の手のひらの上でロウソクの火のように、存在が消えかけた姫子。

 あの時は本当にどうなるかと肝を冷やしたものだ。今回も同じことが起こらないとは限らない。

 しかし、彼女はノープロブレムとてをひらひらとさせた。


「いらぬ心配じゃ。もしそうなれば、春臣がここへ戻してくれるじゃろう?」

「え?」

「まさかお主が倒れたわしを見捨てたりはしまい」


 姫子が被せた葉の下から信頼に満ちた微笑みを見せた。その幼いながらも美しい表情に春臣は彼女の可憐さを感じずにはいられず、ぶっきらぼうに頷いた。


「それはそうだが、怖くないのか? 前は死にかけたんだぞ」


 すると、彼女は真剣な顔つきになり、閉ざされたままの部屋のドアを見つめる。


「危険を冒さずして、真の自由はないぞ春臣。どのみち、ここで手をこまねいているようでは、前進はあるまい。思いついた方法を片端から試してみなければ、いつまで経ってもここに閉じ込められたままじゃ。危険かどうかは二の次なのじゃ」


 ドアを開けてくれ。


 決意の込もった張り詰めた声で彼女がそう促した。


「分かった」


 春臣がドアノブを回して、部屋と外界との隔たりを押し開ける。明りのない冷たい廊下の闇がそこから覗き、これから未知なる領域に踏み出そうとしている姫子を静かな緊迫感で、牽制しているかのようだった。

 しかし、そんなことで躊躇するような姫子ではない。

 むん、と両手で頭の上の葉を掴み直し、部屋と廊下の境目まで歩み寄る。彼女はそこにまるで見えない壁があるかのように、目の前の闇を睨みつけると、目を閉じた。戦に赴く武士にしては、儚く華奢な後ろ姿だが、その内に宿る決意を春臣は感じ取ることが出来た。


「行くぞ、春臣」

「ああ。成功を祈る」


 彼女の着物から伸びた白い足先が宙を裂き、別世界への一歩を踏み出す。そして、残った片足も、部屋の外へ。

 今、彼女は完全に部屋から外へ出たのだ。


「姫子?」


 平気なのか、意識を集中しているのか、返事はない。

 そのままふらりと倒れてしまいそうで、春臣は手を差し伸べようとしたとき、彼女はようやく振り返る。


「は、春臣……」


 声が震えている。


「どうした?」


 すると、彼女は膝から崩れ落ち、ぺたんと尻餅をついた。力が抜けてしまったのだろうか。やはり葉にエネルギーの消費を肩代わりにするなど無理だったのか。ぐっと暗い予感が背後に迫り来る。


「おい、大丈夫か?」

「……心配いらぬ」


 ふっと彼女の顔がほころんで笑った。


「これは、成功じゃ」


 まるで見えない鎖をようやくその身から引き剥がしたように、彼女の表情は満ち足りたものだった。


「成功?」

「そうじゃ、この葉を身につけておれば、わしは外の世界に出ても、平気のようじゃ」

「ほ、本当か?」


 春臣はほっと安堵の声を出す。


「ああ。じゃが、この葉に閉じ込められた力も無尽蔵ではない。時々はこの部屋に戻り、また力を蓄えさせねばならぬじゃろうがな」

「で、でも、とりあえずは平気なんだろう?」

「うむ。この通り、ピンピンしておる」


 どうやら、彼女が尻餅をついてしまったのは一か八かの賭けが成功し、緊張が緩んでしまったかららしい。すぐに嬉しそうに榊の葉に頬ずりを始める。


「こやつがわしに自由を与えてくれたのじゃ。かわいいのう、これは天の救いじゃ」


 たかがそんな一枚の葉に大げさな。

 春臣は苦笑を禁じえなかったが、彼女の喜びに水を差すのは不粋な気がしたので、素直に「そうだな」と同感した。

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