170 新世界へ ~The kind color~ 1
どうも、ヒロユキです。言っておきますが、今回は(前にも何度かあったような)半分泥酔しながら、ぶつぶつ言いながら、書きあげた文章です。多少おかしな部分があっても生温かい目で見守ってあげてください。
「おーい、少年!」
うなじがヒリヒリと焼けついてしまうような暑い日差しが降り注ぐ中、家の外壁の前で『ある作業』を行っていた榊春臣の耳に、間延びした女性の声が届いた。
シャツの袖をまくりあげ、周囲に意識を配ること無く、額から溢れる汗もお構いなしに、その作業に熱中していた春臣は、すぐにはその声に意識を持っていくことが出来ず、
「うん?」
という微妙なリアクションになった。
「何か、声がしたかな?」
ふう、と息をつき、作業をしていた手を休めると、緩慢な動きで、声がした方を見る。
その声の主は、すぐに分かった。
どこか修行僧を思わせる白装束に身を包み、道行く人が思わず目を奪われてしまうほど、目が覚める蒼い髪をした女性、時雨川ゆずりである。
「おーい、おーいってば」
彼女は春臣が立っている壁の端のちょうど反対側辺りにいて、手を大きく振っている。
よく見れば、この茹だるような暑さの中で、彼女はひとりだけ、まるで見えない冷たい空気に包まれているかのように、とても涼しげに佇んでいた。
春臣の方はと言うと、流れ出た汗で濡れた髪が肌にくっつくほどだというのに……。
一体、この差は何なのだろうか。
彼女のベタつきのないさらさらの髪を見ながら思う。
「何ですか? 時雨川さん」
その不公平さを少々腹立たしく感じながらも、春臣が返事をすると、
「少年少年、もう足らなくなっちゃったんだよ」
彼女は心底困った顔をする。
「足らなくなった? 何を言ってるんですか」
春臣はそれはおかしいと首を捻った。
「ペンキ《・・・》ならそこにたっぷり詰まってるでしょう?」
そうして、彼女の横に置いてある缶を指差す。それには、遠い春臣の位置からでも確認が出来るほど、注がれた塗料がたっぷり詰まっていた。
しかし、ゆずりは手に持ったブラシをぶらつかせながら、違う違うと首を振った。
「そうじゃないよ、もう。察しが悪いな、少年は。ペンキじゃなくて、お、さ、け。お酒だったら」
「お、お酒?」
「ほら、さっきの休憩中に注いでもらったんだけれど、もうすっからかんなのさ」
と、彼女は片手に持ったカップをふるふると揺すぶる。なるほど、確かに空っぽのようだ。
しかし、春臣は呆れ顔で言い返した。
「何を寝ぼけたこといってますか。そんなもの、いつまでも飲んでないで、少しは作業をして下さいよ。『これ』を完成させるまで、もう時間はあんまりないんですから」
「ええー!」
すると、彼女は子供のような声を出して嫌がった。
「何がなんでも?」
「何がなんでもです!」
「おかしいよなー。そもそも時雨川は、どうしてこんな面倒な仕事、やってるんだっけ?」
思わずがっくりきて、春臣は肩をすくめる。
「どうしてもこうしても、あなたは僕が壊れた家の修復作業を手伝ったら、この前ご自身が散々消費した、僕と媛子の一週間分の食料代を帳消しにするって聞いて、喜んで首を縦に振ったじゃないですか」
「……そうだっけ?」
ゆずりはぽかんとした顔で頭をポリポリと掻く。どうやら、彼女は相当いい加減な記憶力をしているらしい。
「そうですよ」
「ああ、そんじゃもう、帳消しとかどうでもいいから、お酒だけ持ってきてよー」
「そうはいきません。時雨川さんはその話を一度了解しているんだし、それにこれ以上借金を増やしたら、本当に首が回らなくなりますよ。それでいいんですか?」
「う、うう……」
恨めしそうな目でゆずりは春臣を見るが、春臣は一向に気にしない。
「ほら、嫌ならさっさと作業に戻る」
と容赦なく追い打ちをかける。
「はあ、少年は鬼だな」
彼女は重い溜息をついた。
すると、
「あ、あのー、時雨川さん」
ゆずりの横から、少し遠慮がちな声がした。春臣が視線を移すと、そこには巫女服に身を包んだ少女、瀬戸さつきが立っている。彼女は相変わらず、礼儀正しい様子で、ゆずりに頭を下げていた。
「少し、お願いがあるのですが」
そして、顔を上げると、申し訳なさそうな面持ちで、控えめにゆずりを見つめる。
「なんだい? 巫女の少女」
「あの、私、身長が足らなくて、そこの葉っぱの部分まで手が届かないんです。その、緑のペンキで塗ってもらえますか?」
と壁を指差した。
「へ?」
それに合わせてゆずりの視線が壁の上部をさまよう。
「そ、そこなんですが……」
すると、その時――。
説明に指をさしていたさつきの身長が、いきなり、1メートルほどぬるっと伸びた。
「きゃ、きゃあああ!」
訳が分からず、驚きに悲鳴を上げる彼女。それは春臣も同じ気持ちだったが、すぐにその事情を理解する。
彼女はなんと、突如その場に現れた暮野木犀によって、肩に担ぎ上げられていたのである。
「おおっと、変に動かないでよ。さつきちゃん」
彼女を急に肩車した木犀は春臣よりも幾分たくましい体つきをしている少年で、さつきを担ぎ上げたまま、ほいほいとその場を動き回った。その度にさつきがゆっさゆっさと揺すぶられ、彼女のポニーテールが前後左右に飛び跳ねた。
「きゃ、きゃああ! お、下ろしてください!」
思わず、さつきは絶叫する。
「何でさ、ほら、こうすれば楽に壁に手が届いて……」
「いえ、いえ結構ですう。こ、これ以上高いところにいたら、私、私、大変なことにいい!」
「え、何? 高所恐怖症?」
「いえ、で、で、ですからー、もう、無理なんですー!」
「ちょ、ちょっと、さつきちゃん。もう少しじっとしてよ」
少女の絶叫が響き、じたばたと動くため、少年もさすがにふらつき始めた。
これは見ていてとても危なっかしい。
さすがに注意をしようとしたが、その前に、今度は関西弁で笑う別の少女の声が春臣の耳に入った。
「あははは、さつきちゃんはおもろいなー」
春臣の家のごく近所に住む、お隣さん、青山椿だ。何をするにもマイペースで、自他共に認める楽天家の天然少女である。
彼女は脚立の上に上り、壁の上部の方でペンキのブラシを持って、壁に色を塗っている。
が、今はその作業を中断し、
「顔真っ赤にしておっかしー」
と口を抑えながら、指をさしている。そして、その彼女の揺れに対し、脚立が微妙に動いていた。
これは、こちらを先に注意しておいた方がよさそうだ。そう判断した春臣は彼女に声をかけた。
「おい、青山。よそ見するなよ」
「へ?」
「ただでさえ脚立の上は不安定なんだ。気を抜くと落っこちるぞ」
すると、彼女は指をパチンと鳴らし、
「おお、榊くん。ザッツライト、その通りや。人は高いところにおったら、地面に落っこちるもんやしな」
当たり前すぎることを、うんうんと一人で頷く。
「けれど、大丈夫や。心配あらへん。うちには特別な能力があるんや」
「特殊な能力?」
「せや。どんな時でも完璧な、うちの類まれなるバランス感覚をしかと見ときぃ」
おいおい、である。突っ込みたくなること、山のごとし、である。
「いや、出来ればそんな根拠不明な能力を発揮するような状況にはなって欲しくないんだがな。っていうか、その、俺が変わろうか?」
春臣はそう申し出た。
「うん?」
「青山が進んで壁の上部の色塗りをしたいと言ったことはさ、その、できるだけ優先してやりたいけれど、やっぱり、そこはお前には危険過ぎるぜ」
もしも、落ちて骨でも折ったら……。
華奢な彼女の手足を見ながら、春臣は思う。
しかし、彼女はあくまで問題ないと主張した。
「あかんで榊くん。友達のことはきちんと信用せな。うちが出来る言うたら絶対に出来るって」
「それもまた根拠不明だな」
「あんなー榊くん」
と、彼女は腕組みをする。
「そもそも物事に根拠なんか関係あらへんてこと、うちがこの場で証明したるで!」
そう言う彼女の瞳は決意の炎が燃えていた。
しかし、
「うーん、でもやっぱり、そこはかとなく不安なんだが……」
と、そこで、春臣はある重大なことに気がついた。
「暮野!」
なんと、さつきを肩車し、ふらついている木犀の足元に、躓いてしまいそうなほどの大きな石を見つけたのである。
「足元が危ない!」
咄嗟に春臣は、警告を叫ぶが、すでに手遅れだった。
木犀の足はもはや、石に当たってバランスを崩した状態で、グラグラと今にも倒れそうになっている。
「きゃああああ!!」
その頭上に乗っているさつきの絶叫が殊更大きく響く。
「こりゃ、まずいぞ!」
と、
そこで、木犀の手が伸びるのが、春臣には見えた。
おそらく、倒れるのを阻止しようと、何かに掴まろうと考えたのだろうが、しかし、その判断がまずかった。
わらにもすがるつもりで伸ばした彼の手の先にあったのは、不幸にも、今度は椿が登っている、脚立の足だったのである。
「きゃああああああ!」
今度はその脚立が引っ張られ、大きく傾く。そして、当然のことながら、その上に乗っていた椿は足場を失い、そのまま、地面に落下を始めた。
「青山!!」
春臣は駆け出し、彼女の落ちてくる場所を見定め、先回りした。彼女を受け止めることによって、少しでも衝撃を和らげようと思ったのである。
と、同時に春臣は、自分の目の前から走り寄ってくるゆずりの姿を確認した。彼女もさつきや木犀の転倒を防ごうと、こちらに向かってきていたのだ。
しかし、それが結果的に仇になることを春臣はその時、推測することは出来なかった。
というのも、椿が脚立から、落下を始めた時、彼女は何と、手に持っていたたっぷりのペンキが入った缶を、空に放り投げていたのである。
彼女の手を離れ、そこから溢れでたペンキが、綺麗に宙に散らばる。
それは、
空に、高く、高く、飛んだ、
赤い色。
空に、高く、高く、弾けた、
赤い色。
太陽よりも赤く、煌く、その色。
それらは当然のことながら、地上の重力に引っ張られ、至近距離に固まっている春臣たち、五人の頭上に落ちてくる。
ということは、つまり……。
その数秒後、五人の絶叫が、こだました。
というわけで、エピローグその一です。次回はその二となるわけですが、おそらく、それが最終話となります。そう思うと、へたくそな小説と言えど、我ながらなんだか感慨深いです。振り返れば、二年近く連載してきたわけですが、その間、僕が頑張ってこれたのは、読者の方々がいてくれたからにほかなりません。本当に感謝しております。次回で、この物語とも、その登場人物たちともおさらばとなると物悲しいですが、どうか最後までお付き合いくださりますよう、よろしくお願いいたします。